第017話、鷹と熊の密談
各所で転入生コーデリアが天然オーラで無双。
教師陣を振り回し大暴れした、その日の夕刻。
皇帝直属の警備兵以外が交代で食事休憩をとり始めていた王宮。
長身男が豪奢な廊下を進む。
鼻息荒く魔術講師ベアルファルスが訪れたのは、賢王の執務室だった。
ノックは三回。
部屋の主、山脈帝国エイシスで一番偉い賢王ダイクン=イーグレット=エイシス十三世はやはり来たかと、くくくく。
嗤いをこらえた皇帝は脳を働かせるための甘味、皇族用菓子を横に退け、王者の声でこほん――。
「――騒々しいぞ、なにごとだ」
「イーグレット! アレはいったい何者だ!」
部屋のカギを魔術で解除した途端に、これである。
何事にも動じない鬼教師がこの狼狽。
さっそく、自分のように何か度肝を抜かれたのだろうと賢王はすぐに悟っていた。
さて、どうしたものかと王は考え。
かつて父の右腕だった傭兵魔術師、草臥れた無精ひげ男ベアルファルスの彫り深い顔。負傷した瞳を隠すモノクルと貴族女性避けの無精ひげを眺め、賢王は言う。
「ベアルファルスよ。そなたが余をイーグレットと呼ぶのは久しいな。はて、いつぶりであろうか。あれは余に魔術と護身術を教えておった宮仕えの時代か」
「いいから質問に答えろ。アレはなんだ」
「ほう、あの者はやはりそれほどの力量であるのだな――それは重畳。我等がエイシス帝国にも明星が見えたというもの。或いは、山脈ばかりのこの地の夜も明けるのやも知れぬな」
熊は鷹を睨み。
じぃぃぃいいいっぃぃぃぃ。
鷹が言う。
「余の初恋相手だが?」
「そういうことを聞いているんじゃない」
互いに勝手知ったる仲。
動く方の左腕で王の胸ぐらをつかみ上げる魔術講師の、犬歯と眼光がギラリと輝いている。
当然、不敬であるが彼らにはその不敬も許される絆があった。
もっとも、その絆が明るいモノかどうかは別だが。
「――であろうな。そう急くな、怒るな、状況を冷静に見極めろ。そう余に教え込んだのはそなたではないか」
「昔の話だ――」
「貴様の顔は威圧だけで人を殺せる強者のソレ、言い換えればむさくるしい、美形であっても男に近寄られても何の感慨も浮かばぬわ――まあそなたが余の側近になるというのならば、この肉体、明け渡すこともやぶさかではないが。ふふふ、ふははははははは! 飾りだけの皇帝とは言え、余は美貌においてだけは自信と矜持を持っておるのでな、存分に楽しませてやろう」
挑発である。
唇を噛んだベアルファルスは、まだ小僧と言える皇帝を睨みつける。
食いしばる歯がギリリと鳴っている。
「彼女と同じ肌と瞳の色で、胸糞悪い冗談はやめろ。不愉快だ、今、てめえのその御綺麗な顔を凍り付かせてやってもいいんだぜ」
「母上を凍らせ殺した貴様がそれを言うか?」
眼光がぶつかり合う。
「戦場に男も女も関係ねえ。彼女は皇帝の伴侶として狂乱した夫を守るべく最後まで戦場に立ち、そして死んだ。それだけの話だろう」
「であろうな――母は優れた女騎士だった。騎士は誓いを立てた主人を守るが宿命。そこに男女の優劣はない。余は父を恨んでいた。あれは殺されて同然の愚者であった。だが余は――母上だけは愛していた」
そう、ベアルファルスは先帝とその妻を討ち取った英雄。
ダイクン=イーグレット=エイシス十三世にとっては両親を殺した仇と言えなくもない。仇と断定できないのは先帝である十二世が暴虐の限りを尽くしエイシス帝国を衰退させ、民を苦しめていたからだろう。
先帝は傾国帝。当時はまだ、皆からイーグレットと呼ばれていた皇子の目から見ても、腐った王だったのだ。
だから反旗が翻された。
反乱がおきた。
邪悪なる王は英雄に討ち取られた。
その日を境にイーグレットは、賢王ダイクン=イーグレット=エイシス十三世になった。
イーグレットが悪いわけではない。
ベアルファルスが悪いわけではない。
圧政を敷いた王が悪い。
だが、かつての宮廷でベアルファルスの教えを受けていたイーグレットにとって、母まで殺してしまった恩師に思うところがないわけではない。
イーグレットは賢き王だ。
皇帝だ。
けれど、まだその齢は二十歳。威厳溢れる知識と美貌で誤解されがちであるが、心はまだ――母の死を引きずっていた。
普段は戦場帰りの殺意を押さえ、つまらなそうに教鞭をとる魔術講師ベアルファルス。
そのくっきりとした唇から、辛辣な言葉が押し出される。
「女がでしゃばるからそうなった――馬鹿な女だ。確かにあいつは帝国最強の剣士だった。だが所詮は女だ。剣など捨て、鍋でも洗ってりゃあ良かったんだよ、あいつは――」
「その発言、いささか問題であるぞ――」
「だが事実だ」
「かつて愛した女を死なせたあの日のトラウマが、必要以上に女を戦場から遠ざける、か――」
先帝に奪われた愛する女。
それがベアルファルスの想い人であり、十三世の母であり、暴君と共に戦死した女騎士。
一人の女性の死は、この二人に昏い影を落としていたのだ。
「母を、愛しておったのだな」
熊の眼光が揺れる。
その疲れ切った瞳を見て、この国で最も偉い皇帝は小さく漏らした。、
「――すまぬ、今のは踏み込み過ぎたな。許せよ」
「いや――、泣き崩れるおまえを無理やりに皇帝に担ぎ上げたのは俺達、大人だ。それくらいの皮肉を受け流せなかった俺が悪い。すまねえな。おまえは何も悪くない」
敵意でも友情でもない、複雑な師弟関係。
誰にも、もう二度と治せぬ関係を忘れ王が王の顔で言う。
「さてベアルファルスよ。貴族共の娘から数件、そなたへの抗議が届いておる。やつらの要件は言わずとも分かるな?」
「ああ、女に魔術を教えたくねえって部分のアレだろ」
「女性を戦場に立たせたくない気持ちは分からぬでもないが、魔術師は実力社会、その持論はたしかそなたの弁であっただろうて。それにだ、余は思うのだ。女性こそ魔術を習うべきだとな。令嬢に見えてもその身を守ることができる。そなたも今日、アレを目撃したからここに来たのであろう?」
ベアルファルスも空気を変える。
「あれは何者だ」
「暗黒地帯に迷宮が出現したことは知っておろう?」
「ああ、その迷宮主を新しい領主としておまえが迎え入れたと聞いているが――まさか、それが」
「いかにも、あやつが新たな領主――つい先日、余の手の上に休みに来た栗色の小鳥。ふふふ、あやつは不敬にも転移魔術で余の寝室に入り込みおったのだ」
ベアルファルスの鼻梁が、ぞっと歪む。
「転移魔術は確かに存在する。だが、結界で厳重に守られている寝室にだと」
「面白き女であろう?」
「楽しんでる場合じゃねえだろう。あの御令嬢は常人が従え制御できるような存在じゃない――大丈夫なのか、イーグレット」
「もはや賽は投げられたのだ。余はそなたを含めた臣下たちを信じ、前に進むだけよ」
「――あの女の素性は」
もう調べはついているのだろうと、王を信じる顔がそこにある。
「貴族令嬢コーデリア=コープ=シャンデラー。クラフテッド王国の領主の娘だった聖女だ。偽名すら使っておらぬがあの破天荒な実力……十中八九、本物であろう。山を隔てた平和なる国クラフテッド王国を追放された悪女、あの迷宮女王と同一人物であろうな」
迷宮女王。
敵う者さえいないとされる最上位魔物ですら恐れをなし、逃亡を繰り返させ、モンスターパレードを発生させる謎の存在。
邪神や祟り神の一種ではないかとも噂されていたが。
破綻し始めているクラフテッド王国から逃げてきたものの中から、迷宮女王を知っているとの声が数件上がってきている。
あれは領地を奪われ、家族を滅ぼされた復讐者なのだ、と。
「堕ちた聖女、そう呼ぶ者もいるそうであるが。余にはそうは見えぬ。あれは天然で抜けているだけだ、なかなかどうして可愛げな花よ」
「そんな厄介な御令嬢を招いて良かったのか」
ぎしりと椅子を鳴らし。
「ならば問おう。もし余があの者の亡命を断ったとしたらどうなると思う? 迷宮を一晩にして作り上げる大魔術師を他国にむざむざくれてやることになる。仮に亡命先が人間以外――モンスターや獣人族を従える北の魔皇の地であったとしたら――どうだ? 我らは北部に迷宮女王と魔皇、二つの厄介事を警戒し続けなくてはならなくなる。余は皇帝として、その愚を果たして許して良いモノかどうか――いかがか、魔術講師」
「迷宮を一晩ってのは」
「事実であろう。迷宮を作る魔術を取得しているとのことだ」
「なぜそれを俺に言わなかった」
「無論、その驚く顔が見たかったからに決まっておるだろう」
白銀の瞳の奥で、鋭い鷹の美貌が悪戯そうに笑っていた。
ベアルファルスの唇だけが、蠢く。
「そういう所が、彼女に似てやがる……」
「何か言ったか?」
「いや――それで魔術の解明は?」
魔術に関しては賢王も詳しくはないが――。
「迷宮女王の魔導書――不帰の迷宮、あの最凶最悪なるダンジョンの踏破報酬」
「そこまで調べがついているのか?」
「いや、あの娘が自分で語りおったのだ」
空気が、ゆるむ。
ベアルファルスは混乱した。
その脳裏にはあのほわほわ聖女の顔が浮かんでいるのだろう。
「は? いや、待て待て。魔術師が自分で手の内を明かしたってのか!?」
「まだ十六ほどの心清らかな乙女であるからな、嘘をつくことが得意ではないのであろう。どちらにせよ不帰の迷宮の踏破など普通ならば不可能だ、真似しようにも真似るバカはどこにもおるまい」
既にあの迷宮の恐ろしさは知れ渡っている。
それでも攻略しようとする者は、よほどの人知を超えた強者か馬鹿である。
熊が言う。
「あの女、純粋無垢を装っているが――油断はするなよ。たぶん俺より遥かに強い。アレは絶対に敵に回してはいけない類の存在だ」
「で、あろうな――」
「もし謀反を起こされたら止められねえって言ってるんだ。分かってるのか?」
「謀反――か。それならそれでも良いのだ。余と交渉した際の手腕は巧みであった、強さは保証済み、あれならば良き女帝となろう。民が幸福ならば余はそれ以上、何も望まぬ」
民の幸福のために暴君たる父を討伐した若き英雄。
賢王ダイクン=イーグレット=エイシス十三世。
そして母を失ってしまった、子供。
その美麗で儚げな姿が夕焼け色の窓に反射していた、まるで親に捨てられた子供のように寂しそうな顔が映っていた。
「すまねえ、色々と、おまえさんには」
「良い。過ぎたことだ――」
ベアルファルスは話題を変えるように言う。
「そもそもなぜ御令嬢が不帰の迷宮に……あの迷宮は定期的に入り口を変える謎のダンジョン。中の魔物は入り口の雑魚ですら魔竜並かそれ以上か。昔、調査に入ろうとしたことがあったが――」
一匹も倒せず敗走した。
「あの地は処刑場とされていたそうだ。無論、暗黙ではあろうがな。聖女はクラフテッドの魔女に謀殺されかけたのであろう」
「クラフテッド王国の神子、暴虐の魔女ミーシャ姫のしわざか――なにやら運命を操作する能力者らしいってのが、魔術師たちの噂だが」
「あの姫の能力は知らぬ。だが分からぬことがまた増えた。これを見よ」
書状が並んでいる。
だが――。
「他国の文字は読めねえって」
「覚えればよかろう」
「魔術すらなしに言語や文字を即座に覚えちまう、おまえさんの脳みそがどうかしてやがるって自覚を持て。クソガキ」
ふむと、賢き王は書状を開き。
「クラフテッド王国が聖女の返還を求めてきておる」
「は? 何言ってるんだ」
「余が言いだしたのではない、正式な書状で届いておるのだ――それももし速やかな返還に応じた場合は、北部の魔皇対策への天井無き援助を検討しているとな。しかもご丁寧に魔導契約書つきだ。故に余も分からず頭を悩ませておる」
追放した聖女を莫大な費用を餌に呼び戻す。
聖女が必要ななにかが起こったのだろうか、あるいは、北の魔皇に動きがあるのか。
どちらにせよ聖女が必要ならば、はじめから追放などしなければいいだけの話。
ベアルファルスは眉間に濃いシワを刻み。
「俺も噂程度の事しか知らねえが――かつて聖女だった迷宮女王は地獄の底から蘇った復讐者。領民や教会、冒険者ギルド……友人だった姫と婚約者に裏切られ、父まで殺され……復讐の力に目覚めたって話だろう? そんな仕打ちを受けた聖女を呼び戻したって」
「復讐されるだけであろうな――」
「クラフテッド王国ってのは、馬鹿なのか?」
「馬鹿でないのなら、あれほど優秀な聖女を追放などせんだろうよ」
鷹と熊は、重い息を漏らした。
いくら多少空気が読めないとしても聖女は聖女、聖女を放逐すれば国が傾く。さすがにそれを嫌いだからと追い出すバカはいない。
ならば、なにか裏がある筈だ――と。
若き賢王は脳を働かせようと甘味に手を伸ばすが。
なぜかそこにはモコモコな感触。
黒い魔猫である。
『ぶにゃ!?』
皇帝の執務室に忍び込んでいる使い魔か。
ベアルファルスが戦闘の構えを取るが。
「よい――捨て置け、悪意のある存在ではないらしい」
「間者の可能性は」
「これほど目立つ獣を使役するスパイがおると思うか? しかもやっていることはグルメに限定した窃盗。せこすぎる」
「そりゃ、まあな……」
黒猫は喉の調子を整えるように、コホコホと咳ばらいをした後。
にゃ~とまるで飼い猫のように愛らしく鳴く。
賢王ははぁ……と肩を落とし、芋菓子を差し出し。
「最近王宮で見かける黒い猫であろう。グルメを与えるまでしつこくねだり続けると有名でな、何度も部屋に侵入してきて余のスイーツを盗んでいきおるのだ。なれど、女官達からの評判もいいので無下にもできぬ」
黒いモフモフネコはげぷりと甘い吐息を漏らし、じぃぃぃぃぃ。
皿に盛られたブドウを一房まるごと口に銜え――ダダダダダダ!
部屋の外へと逃げていく。
太々しいフォルムとネコの肉球が、闇の中へと消えていた。