第016話、美しき問題児
空を黄昏色に染めた事件。
調査中とされる、謎の魔力閃光事件から半日。
皇帝ダイクン=イーグレット=エイシス十三世が亡命を受け入れた異国の聖女。
迷宮女王の名を伏せた新たな領主。
コーデリア=コープ=シャンデラー。天然なのが玉に瑕だが、見目麗しい令嬢は順調に学園生活を送っ――……。
れてはいなかった。
登校初日で既に波乱。
魔術の授業の進行を妨げるのは、純白レースの手袋。
「先生、一つよろしいでしょうか?」
しーん……と、教室の空気が凍る。
暴発した魔力が外に流れないようにと育てられた木材、陽樹白樺で作られた室内。およそ四十名の貴族の御子息御令嬢が見守る教壇。
手を上げたのは異邦人。もう既に何度も授業を妨げる美しい異国の令嬢。
ようするにコーデリアである。
草臥れた大人の魅力が漏れ出るおじさん魔術師教師は、無精ひげとモノクルを震わせ――ぐぎぎぎぎぎっと首の筋肉を引き攣らせて。
それでも貴族相手なので言葉を選び。
「なにかな、転入生」
「わたくしが習った魔術理論と大きく異なっておりますの。もちろん、国によって魔術が違う事は理解しておりますわ。けれどです、よろしいですか?」
「よろしくないのでもう黙っていただけるかな?」
くすくすと男女問わず、生徒たちが笑っていた。
転入生は空気が読めそうにない、箱入り娘なのだろう――と。
たしかに美人である、そして彼女を招き入れたのは名君と名高きイーグルアイ・賢王ダイクン。
後ろ盾が大きいので表立っての敵対も、面と向かって罵倒する気もないが――くすりとした笑みぐらいは漏れてしまうのも当然か。
よりによってだ。
バカな御令嬢は天才に向かい具申をしていた。
魔術理論に異を唱える相手が悪い。
講師の名はベアルファルス。
おじさん魔術教師の称号を持つ男は、魔術師にしてはそれなりに筋肉質の男。
長身の男子貴族生徒よりも更に頭一つ分も背が高い、偉丈夫。
歴戦の傭兵といった方が、魔術講師の肩書よりも似合っているだろう。
実際、ベアルファルスは傭兵として多くの戦場で活躍した英雄だった。
片目と、片腕を負傷したせいで引退したが――それでも魔術の腕は帝国一。
少し目つきは悪いが見栄えも悪くなく、貴族たちからの評判もいい。
彼の魔術理論について口を挟めるのは、教会の幹部か、冒険者ギルドが抱えている一握りのトップ冒険者ぐらいだろう。
今も戦場で扱う能力ダウンの魔術について、実例と、魔術構築の例を語っていた。
なのにだ。
「申し訳ありません、けれどわたくしはその魔術式には誤解が含まれていると思いますの。わたくし、その魔術の違和感を消し去る構築をここに記しているのですが。ご確認いただけないでしょうか」
「分かった。分かった。そういうのは後で聞いてやるから、もういいだろう」
「よくありませんわ。間違った理論を教えて生徒に何かあったらどうするというのです?」
ベアルファルスは無精ひげをじゃりっと擦り。
「頼む。陛下からは転入生のおまえをくれぐれも、絶対に、なにがあっても丁重に扱えと厳重に言われているんだ。あまり困らせないでくれ」
「ですからわたくしは」
「黙れと言っているのが分からないのか?」
「それは教師としての御命令でしょうか?」
「そうだ――」
異国の聖女は瞳を伏せ。
大人しく頭を下げていた。
「皆さま、お騒がせいたしましたことを深くお詫び申し上げます」
授業を妨げるのは違うと感じたようだ。
ただその美しいアーモンド色の瞳が物語っていた。
何を言っても無駄なら仕方がないと。
ようするに、自分の理論が間違っていないと確信しているのだろう。
ベアルファルスはガシガシと大きな手で自らの頭を掻き。
「転入生」
「コーデリアですわ、ベアルファルス先生」
「名などどうでもいい。おまえ、独自の理論を持った魔術師に魔術を習ったのではないか? よくいるんだ、そういう師を尊敬しすぎて破綻した魔術理論を妄信する生徒がな。女は戦場にでないだろうから適当でもいいと思っているのだろうが、魔術を甘く見るな。命にかかわる」
一部の生徒が、ムッと視線をきつくする。
変人な転入生を擁護する気はないが、女とひとくくりにされ、戦場にはでないと断定されたことが気に入らないのだろう。
ベアルファルス講師はモノクルを輝かせ、熊のような威圧感で教室を見渡し。
「気に入らないのなら強くなれ。魔術師など所詮は実力社会。そこに貴族も平民も関係ないという事はこの俺が証明している」
問題児コーデリアもそれがこの国のルールならと納得したようだ。
授業は荒れたが、生徒たちの何人かは既に変人コーデリアに目をつけていた。
なにしろあの名君の肝いり案件。
親しくなっておくか、或いはその弱みを握っておけば名君に取り入る機会ができるかもしれない。
後は単純に、男貴族の好色。
コーデリアがまるで天使と言われても納得できるほどに美しいからだろう。
少しバカなほうが扱いやすい、そう判断した生徒もいたようだ。
それと、もう一つは意外な事に一部の女生徒からの好感度アップ。
魔術は女が習うべきものではない――そんな持論を振りかざし、女生徒を魔術から遠ざけている頑固なベアルファルス講師、彼に反感を持っている女生徒が少なからずいたのだろう。
だから魔術の事で口を挟んだ転入生に、一目を置いた生徒もいたのだった。
◇
嵐が去った教室で、ベアルファルス講師ははぁ……と教壇に突っ伏した。
「ったく、陛下も面倒な生徒を学園に送ってきやがったな……どうせ后にするつもりなんだろうが。勘弁してくれってんだ。ま、名君の坊やにはあの破天荒が華やかに見えたんだろうが」
ベアルファルス講師は若き名君に恩義はあるが、まだ子供だと思っている部分もあるのだろう。
貴族の子どもたちが片付けていなかった教室を見渡し、タバコを銜えて男は告げる。
「浄化せよ――」
魔術で瞬間清掃。
引退したらこれだけでも食っていけるだろうと、よく冗談で言われる言葉である。
だが――。
一つだけ、清掃されていない席がある。
清掃の魔術は――敵の能力を下げる、いわゆるデバフと呼ばれる系統の魔術を応用した、ベアルファルス講師のオリジナル魔術。能力の代わりに穢れを消し去るという、宮廷につかえる魔術師でさえ舌を巻く裏技のような代物なのだが。
あれは、自分よりも遥かに魔力の高い人間には通用しない。
なぜならデバフだからだ。
「まさかな――」
熊のような巨体で立ち上がり、かつて傭兵だった男は手動で机を拭こうとした。
その時だった。
魔術残滓を感じ取った男は目を見開き、思わず銜えたばこを落としていた。
火が、机をじゅっと焦がす。
机に――魔術式の残滓が残っていたのだ。
もはや消え掛けているが、それは清掃の魔術の魔術理論。正確に言うならば、その元となっている高位デバフの秘術である。
それも――至る所で修正されていた。
試しに、詠唱した。
魔術の完成度は飛躍的に向上した。
魔術の灯が浮かぶ中――。
教室に、草臥れた男のかすれた声が響く。
「はは、マジかよ――」
男は戦場上がりの隆々とした腕で髪をかき上げ、天を見た。
上には上がいる。
それが戦場を思いださせたのだろう。
「なにもんだ、あのお嬢様」
首筋から垂れた汗が、鎖骨のくぼみに伝っていた。
しばらく、汗は引かなかった。