第151話、エピローグⅠ:月光のフェアリーテイル
ブレイヴソウルたちが去った世界は穏やかだが、施政者たちは大忙し。
聖コーデリア卿が治める暗黒迷宮を内包する地。
ここ山脈帝国エイシスはその最たる場所であると言えるだろう。
つまりはこれは、最終決戦から一週間後の物語。
新しい主神の誕生と戦いの後始末に追われ――。
まだ世界が揺れている夕刻過ぎの出来事だった。
寝室に戻った賢王ダイクン=イーグレット=エイシス十三世は訝しんでいた。
ブドウの香りが部屋を満たしていたからである。
一国の皇帝たる鷹男の寝室、その結界の中に入ってこられる存在は限られている。
ただ勝手にブドウを齧っている存在となると、該当者は二つ。
一つはポメ太郎ことミッドナイト=セブルス伯爵王であるが、彼もまた自分の領地の政で追われている真っ最中。
ならば対象となるのは残りの一つ。
「いつかいらっしゃるとは思っておりましたが、よもや、これほど早いとは……。お戻りになるのは構いませんが――部下が困惑しますのでな、さすがに王の寝室に不法侵入するのは……ご遠慮いただきたかったですな。閣下」
『うにゃははははは! 気にしない、気にしない。まあ君と私の仲じゃないか!』
闇の中で赤い瞳が邪悪に輝き。
キラーン!
勝手知ったる我が家とばかりに、イーグレットのベッドサイドに手を突っ込み、ごそごそ。
就寝中、喉の渇きを潤すための果実を引っ張り出して、ガジガジガジ♪
発動される照明の魔術に反射するのは、黒き獣毛。
魔猫師匠こと大魔帝ケトスである。
赤い瞳とチェシャ猫のような口が、くはははははは!
やはり王族が所持しているブドウは味が違うと、盗み食いの真っ最中。
荒らされた食糧庫を眺め、はぁ……。魅了に更なる磨きのかかった美貌王は、月の色をした銀髪を揺らす。
「相変わらず、我が物顔ですな」
『気に入った場所ならば、それはすでに自分のスペース。人間の事情も持ち主の事情も関係ない、私がそこにいたいのだから、そこにいる。それがネコと言うものさ。だいたい、自由に入っていいと許可を出したのは君の筈だ。中にあるモノは好きに食べてもいいとね、私はちゃんと契約の範囲で行動しているだけだよ? あ、ちなみに今の私はお忍び――大魔帝ケトスじゃなくて魔猫師匠ってことで世界に侵入してるから、君もそのつもりで頼むよ』
これは大魔帝の降臨ではなく、あくまでも魔猫師匠と呼ばれる野良魔獣が徘徊しているだけ。
そういう体で行動しているのだろう。
確かに、まだ最終決戦が起こるより前。
魔猫師匠とは、いつでも部屋を使っていいと、そういう契約を交わしていた。
「それはよろしいのですが――察するに、また書類仕事から逃げてこられた……と、そういう事ですかな?」
『にゃはははははあ! いやあ、さすがにブレイヴソウルや主神クラスのビナヤカの魔像や、新たな”百獣の黄金王”の誕生だと、私も上に報告しないわけにはいかなくなってね。書類に向かっていたら目がぐるぐると回り始めて……気づいたら、うん、脱走してたってわけさ!』
「自慢げに言われても、何と返したらいいか。判断に困りますな」
『大丈夫、私は主人にも部下にも愛されているからね。私がニャーと鳴くだけで、私の側近で身内の炎帝以外はイチコロさ』
有能ではあるが、おそらく部下もその自由気ままな行動に頭を悩まされているのだろう。
ただ、どうやら魔猫師匠も相手を信頼しているのだろう。わがままもこのきまぐれも、受け止めている側近なのだろうと判断はできる。
「いつでも避難所として使って貰って構いませんが。そもそもの話、もう二度とこの世界にはやってこないような空気を出されていたのでは? ……魔猫師匠」
『おや? 永遠の別れだなんて、私は明確に語っていたかな?』
「確かに、言ってはおりませんでしたな」
眉を下げ、けれど口の端を上げ鷹目の王は微笑していた。
魔猫師匠は礼を言う前に消えていた。だから賢王は待っていたのだ。
「いつかは帰ってくるとは理解しておりました――各国の王の献上品と、そして我等エイシスでも用意した馳走を魔術で保存しております。この世界の全ての王から魔猫師匠、あなたへの依頼料と思っていただければよろしいかと。かつて不帰の迷宮に棲まわれた魔物の王よ――どうぞお納めください」
賢王は指を鳴らし、亜空間に保存しておいた依頼料を召喚。
王の寝室にグルメの香りが広がっていた。
それは勝利の宴で用意されていた異界の神々への供物。
獣毛を膨らませ、耳をピコピコさせる魔猫師匠は瞳を輝かせ、ニヘェ!
『いやあ、催促したみたいで悪いね!』
「して、今宵は何用で。まさか本当にグルメを回収しにきただけではないのでありましょう?」
椅子に腰かける賢王イーグレットを見て、大魔帝は肉球をふりふり。
『嫌だなあ、君が世界各地に撒いていた異界グルメ――ようするに撒き餌を回収しに来たに決まっているだろう? しばらく滞在するつもりだし、この部屋をキャンプ地として使わせてもらうから、よろしく頼むよ』
「我が宮殿を使われるのは構いませんが――」
『ん? なにかな?』
「いえ、たいしたことではないのですが――聖コーデリア卿の暗黒迷宮や、今や世界で最も可能性のある国とされているオライオン王国に宿泊するものかとばかり思っておりましたので、少々計算違いであると」
魔猫師匠は肩を竦めてみせ。
『おやおやおや! ふーん、にゃるほどねえ、君はまだそーいう配慮は育っていないんだね』
「と、おっしゃいますと」
『さすがに、新婚状態の二人の仲を邪魔するような野暮な真似はできないって事さ。私が降臨すればどうしても彼らは私への対処で忙しくなるだろうからね。これでも少しは気を使っているという事さ……って、なんだい、その顔は』
「いえ、魔猫師匠であってもそういう気遣いを優先させるのだと素直に驚いているのですが」
『これでも私は妻が三人いるからね、そーいう配慮ができる良き夫、良き父親ってことになるね?』
実際に、魔猫師匠は妻の自慢を漏らす事がある。
家庭は上手くいっているのだろうが、子どもとの関係をあまり口にしない。
年頃の息子や娘に対する父としての接し方などで、人並みの距離感や悩みがあるのだろう。
「妻がおられるとの話は既に何度か酔ったあなたから伺っておりますが……よろしかったのですか?」
『なにがだい』
「てっきり、聖コーデリア卿を四人目の妻にするのかとばかり」
『彼女個人に対しては好感を抱いている、本格的に弟子にするほどにね。実際、新婚生活が終わった後には修行を再開するつもりだ。けれどそれはあくまでも、息子や娘や……文字通り愛弟子に向ける、保護者としての愛情に近い。見守ってあげたい感情と言うのかな? それになにより、私は私を一番にしてくれる存在が好きだからね。さすがに他の誰かを想っている相手を連れ去る気なんてなかったよ』
自分を一番に好きになってくれる相手が好き!
まさにその感覚はネコそのもの。
でしょうな、と突っ込みそうになる賢王は言葉を喉で止めていた。
他の誰かを想っている。
その言葉の意味を考え、そのまま指を顎の下に当て、口にする。
「聖コーデリア卿……彼女の魂は既にあの黄金獅子に惹かれていた。忘却の魔術で消えていても、何度も出会い、何度も助けられた。記憶はなくとも――どこかでオスカー=オライオンへの思慕があった。その証拠に、彼女にしては珍しくオスカー=オライオンに対する感情には、人間味があった。彼の完璧なモブ悪党演技に惑わされていたのでしょうが、明確に、コーデリア卿は彼を嫌っている節があった。好きと嫌いは表裏一体。他者を嫌わぬ聖女が唯一、嫌っていたとも取れる反応を示した。それこそが心は既に、獅子に惹かれていた証拠。そういうことでありますかな」
『さあねぇ』
「ハズレ、でありますか――」
知恵が鈍ったかと頬を掻く賢王イーグレットに、魔猫師匠は首を横に振り。
『さて、どうだろうか。私も人間の精神について完全に把握しているわけじゃない。人間の心や心理は時に魔術さえ発生させてしまう程に、複雑なんだよ。まあ、君が出した見解も答えに近いような気がするけれどね、正しい答えかどうかは私にも分からないってことさ』
皆に持ち帰るためだろう――魔猫師匠は特大な魔法陣を展開。
依頼料のグルメの山に、分裂の魔術をかけ。
グルメを大量複製。
それらの馳走を自分の亜空間に収納しつつ、魔猫師匠は話を続ける。
『まあ、息子のお嫁さんにって考えなくはなかったけれどね。なにしろコーデリアくんはとてもいい子だ。息子の嫁にはあれくらい強く、あれくらい純粋な子だと安心できるからね』
「そちらの環境がどうなっているかは分かりかねますが、親が勝手に決める関係はよほどのことがなければ破綻してしまうのでは?」
『えぇ……君、うちの奥さんたちと同じことを言うね』
『あなたのご子息やご息女となると、よく似ているのでしょうからね。書類仕事から逃げ出す方と似た血筋となると……婚約者もやはり、自分で決めさせた方が安泰であるとは、慧眼にはでておりますが』
話を逸らしたいのだろう。
魔猫師匠は強制的に話題を切り替えるべくスキルを発動。
『さて、これからの事なんだが。先ほども少し触れたが――しばらくここでお世話になりたい。構わないかな? 構わないよね、私だし』
「それは構いませんが、どのようなご予定で?」
『君が再度、私を召喚するために仕込んだ仕掛け。サヤカ君と魔皇アルシエルくんに頼んでグルメのレシピを購入して、この世界流にアレンジをした料理や酒をなるべく多くの場所、多くの都市、多くの職人に渡していたのは知っているよ。だからまあ、せっかくだし罠にかかってあげようじゃないか』
それも本題だったのだろう。
「はて、罠とはいったい」
『とぼけなくてもいいさ、あれはいざとなった時の保険。食欲とグルメへの探求を捨てられない私は、グルメを回収する前に世界が壊れてしまう事を是としない。最終的には私が必ず世界を救うように、そう仕向けていたのではないかい? まあ、結局はこの世界の皆で解決はできたようだけれどね。策は二重三重に、その点で君は本当によく動いていた。知恵者として持ち帰りたいくらいにね』
「買いかぶり過ぎでありましょう」
『どうかな、私の部下にならないかい? いやあ、書類仕事ができる人材をいつでも募集していてね』
半分は本気。
半分は冗談。
おそらく、賢王イーグレットが頷けば――異界神たる魔猫は迷うことなく彼を連れていくのだろう。
「完全に冗談……というわけではないのでしょうな――時間が空いている時にならお手伝いはできますが、この世界からも、この国からも離れる気はありませんよ」
『おや、今のところはという枕詞を忘れているね』
鷹目の皇帝は完全には否定しない。
いつか賢すぎる皇帝が邪魔になる日が来る可能性もある。
今は平和だが、将来は分からない。
彼の慧眼にも、再び世界が荒れる可能性やルートは何個か見えているのだろう。
そんなときのための――逃げる場所としての異世界という選択は、そう悪いものではない。
明確な返事を避ける代わりに――賢王イーグレットは動いていた。
永遠の黄昏とされるセブルスの街で開発された発酵魔術で作り出した、新たな発酵酒を大魔帝用のグラスに注いでいた。
それは魔猫用に調整した、マタタビ酒。
酒に口をつけた魔猫師匠が言う。
『程よい素材の喉ごしに、鼻を通るマタタビの甘さ。うん、完璧だ。君もいい性格をしているようだね。自分からは行かないが、こういう美味しいお酒やらで私の方を呼ぶつもりということか。で? 知恵により先が見えている君は、どこまで気付いているんだい?』
「おそらく今宵あなたが降臨した本当の理由が、事後報告。エイコ神の蘇生に成功していると此方の世界に伝えに来たのではないか――ということまでは」
『素晴らしい洞察力だ』
魔猫師匠は女子供に甘い。
それが弱点。
そしてエイコ神は女性。
だがやはり、世界を明確に滅ぼそうとしていた創造神が蘇生されているとなると、賢王イーグレットも簡単には捨て置けないのだろう。
鷹の目に魔力を走らせ、麗しき王は言った。
「何故蘇生処置を行ったのか、理由をお聞かせ願えますか」
魔猫師匠は頷き。
施政者たる大魔帝としての声で告げた。
『単純な理由さ。創造神エイコ……新部栄子たる彼女は地球の人間、税金も払って生活している一般人だからね。戸籍もあれば近所付き合いもある存在。突然死んだり、いなくなったりしたら騒ぎになる。そういう社会なのさ。あちらでは助けられる命を救わないと、いろいろと言われてしまうっていう――結構、バカにできない事情もあるんだよ』
「ですが、エイコ神は本当に力を使い果たして死んだのでありましょう? いったい、どうやって……」
それは、創造神さえも蘇生させる能力があるという事。
賢王イーグレットは王として、他世界の能力も把握しておきたいのだろう。
彼の慧眼は知恵や知識が増すほどに精度が上がる、その意味では情報こそが王の力なのだ。
知識さえ集まれば世界の真理すら読み解けてしまう力と言える。
ああ、非戦闘員だが、この能力は便利だ。
連れて帰りたいなと鼻先をすんすん。
腰をウズウズさせる魔猫師匠は、そんな感情を隠し、こほん。
『あのイシュヴァラ=ナンディカには私の部下や眷属、そして異能力者が多く配備されていた。治療を司るロックウェル卿の弟子たる魔銃使いの政府関係者に、カードに込められた効果ならばなんでも再現できてしまうトカゲ目の社長。彼らの倫理観と能力ならば必ず、死んだ彼女を蘇生させるだろうとは分かっていた。それになにより……道化師クロード君は地球に戻ったままだ。彼を一人にしておくっていうのも、ねえ?』
異能力の知識が赤い瞳に吸収されていく。
賢王イーグレットはこの世界の立場で言った。
「だから世界を壊そうとした悪しき神を蘇生させた――と。正直な感想を言えば、個人としては理解ができますが……この世界の王としては、些か納得はできませぬな」
『まあまた世界を滅ぼしにこられても困るというのは理解しているさ。けれど、安心はしてほしい。彼女とて無実、無罪と言うわけじゃない。彼女は分類するなら異能力者、異能を使った犯罪を裁く制度が既にあちらには整っている。彼女は彼女で、これからあちらの世界で罪を裁かれることになる筈さ』
「異能力や異世界が関わる案件ですら、法の整備が進み始めている。それもあなたが昔に関わっていた事件の影響、ということなのでしょうな」
魔猫師匠は返事はせず、片耳だけをピコりと動かすのみ。
「三千世界と恋のアプリコットは、どうなるのか。お聞かせいただいても?」
『おそらくは道化師クロードくんがその運営を引き継ぐことになる。なにしろあの会社、私がポケットマネーで買っちゃってるからねえ。浮かしておくのももったいないし、なにより第三者の手に渡ってしまったら、それこそどうなるか分からない。いわば、制限があるとはいえゲームを実体化させる特殊な異世界ともいえるからね、ここは。この世界とのリンクを切るという手もあるが、どのような影響が出るか分からない。その辺りは慎重にしたいと思っているよ』
「そしてそんな不安定な世界とゲームを維持するには、たとえば天才や創造神の力が必要……ということですな」
おそらくエイコ神は道化師クロードと共に、三千世界と恋のアプリコットの維持や開発に従事するのだろう。
それが刑期の代わりとなる可能性もあるのだろうが。
世界を壊してでも取り戻したかった先輩との、共同作業ということになる。
だから、賢王イーグレットは苦笑するのだ。
「魔猫師匠、やはりあなたはかなりのお人好しと見える」
『ま、三千世界と恋のアプリコットで新たな極上スイーツを実装してみて、こちらの世界でそれがどう再現されるか。どう影響するか、そういう部分にも興味があるし、なにより新たな魔術を組み上げる事すら可能だろうからね。うちの魔術師連中は、新魔術の基軸にあのゲームを使おうと案を大量に上げてきているよ』
そんな案をまとめて増えた結果が、魔猫師匠が脱走するほどの書類仕事なのだろう。
「それは、その……大丈夫なのですか?」
『なに、心配はいらない。実験は暗黒迷宮を使うことにしたからね。もちろん、コーデリアくんの許可は下りている。ただ彼女は律儀でね、いまだに君に恩を感じているらしい。なにしろ、追放されて最初に匿ってくれた人間は君だからだそうだ。つまりは、そのコーデリアくんの上司にあたる君の許可も必要と言う事さ』
言って、魔猫師匠は許可書に印を求めて、肉球をクイクイ。
三千世界と恋のアプリコットを使った、新魔術の開発。
それは賢王イーグレットにとっては悩みの種が増える形となるが、デメリットばかりではないだろう。
賢王は許可書に王のサインを刻む。
そもそも断ったら延々とつき纏い。
許可を寄越すのにゃ! と、地味な嫌がらせをし続けてくることは目に見えている。
『ありがとう。それじゃあこれからもよろしく頼むよ』
これで堂々とあんな実験やこんな実験ができると、魔猫師匠はニャフフフっと嗤っているが。
「魔猫師匠……一つ、意見を伺いたいのだがよろしいか」
『ん? 構わないけれど、なんだい?』
「聖コーデリア卿とオスカー=オライオン殿は、いつまでこの世界に人間としての立場で留まっていられるのか、いつまで、人々と生活を共にするのか……魔猫師匠はどう思われているのかと、少し、興味がありましてな」
彼らは主神となった。
今は暗黒迷宮とオライオン王国を治めているが――。
いつかは、彼らは神として人々の前から姿を消すのではないか。
そんな未来の可能性が、賢き王の瞳には計算式として走っているのだろう。
『おそらくは……彼女が帰ってくる、その日まで待っているつもりだろうとは思うよ』
「彼女……?」
言葉にした後。
ああ、と賢王ダイクン=イーグレット=エイシス十三世は全てを悟った様子で、瞳を閉じる。
「あの者は、ここに帰ってくるのでしょうか。帰るのならば、ここではなく……」
『さて、どうだろうね。ミーシャくんは、あちらに居場所をなくして、ゲームの中に生活も感情も心も、魂さえも……全てを置いてしまった存在だ。彼女の魂がいつ帰ってくるのかも、そもそも本当に輪廻の輪に戻るかどうかも私にはわからない』
「キース殿は、果たしていつまで待つつもりなのであろうな――少なくとも、余が生きている間に、その解答が得られるとは思えぬが」
キース国王は王としてよくやっている。
イシュバラ=ナンディカの地で、善政を敷いている。
賢王イーグレットには見えていた。
かつて門番兵士だった男。
キース=イシュヴァラ=ナンディカ一世。
あの者は、本当に――良き国王になるだろうと。
ならばこそ、男女問わずその美貌と善性に惹かれるだろう。
多くの出会いを果たすだろう。
おそらくは、ミーシャ姫よりも性格も気立ても、顔もいい存在と何度も出逢うだろう。
はたして、いつまであの姫を待つのか。
それを見届けられないのは、少しだけ心残りになるかもしれないと、既に――イーグレットは自分が老衰し、天寿を全うする最後まで見えていた。
『気になるのなら、やっぱり私の部下になればいいんじゃないかなあ。実際、ミリアルドくんなんかはもう不老だよ?』
「あの者はこれからも――魔猫師匠、あなたに命令された雑務をこなしつつ、逝ってしまった妹に代わり、多くの善を為す旅を続けるのでありましょうな。おそらく永遠に善を為す騎士となる――妹姫はともかく、彼自身に、そこまでの罪があるとは余には思えぬが」
『まあ、彼が気の済むまではやらせてあげるさ。ずっと、オスカー=オライオンの事を理解できていなかった事も、それなりにこたえたようだからね』
賢王イーグレットは言う。
「ただ一人、ブレイヴソウルたちによる反射を生き残り全滅を回避。そして、あなたによる時間逆行の奇跡を掴んだ。ミリアルド=フォーマル=クラフテッド。あの者もまた、あの戦いの英雄だというのに――どこまでも内罰的な男だ」
『君とて、教会勢力にいいようにされたこと。そして父親の罪を自分の罪とばかりに背負い、人生を捧げ続けている。あまり人の事は言えないだろうに』
イーグレットが反論しようとした矢先。
魔猫師匠の身体は既に闇へと消えかけていた。
『さて、それじゃあ次は魔境に赴くよ。サヤカ君たちの様子も少し気になっているからね』
いつか本当に、人々に奉仕し続けることに疲れたのなら。
私を訪ねてくるといい。
君を連れて――この世界から抜け出そう。
書類仕事を任せたいからね――。
そう言って、魔猫師匠の身体は闇の霧となって消えていた。
魔猫師匠。
大魔帝ケトスの顕現にさすがに熊男ベアルファルス講師も気付いたのだろう。
廊下を慌てて駆ける靴音がする中。
鷹目の王は、静かに瞳を細めた。
魔猫師匠の去った後、その空間に招待状が置かれていたのだ。
アイテムを入手し、賢王イーグレットは眉を下げる。
アイテム名は”いつか君が、王を辞めるその時に――”。
魔猫は王に縛られる男のために……。
ずっと、幼い頃から国に縛られ自由のなかった若者に、逃げ道を用意したのだろう。
夜の始まりと月光の中。
王は、アイテムをしまい。
ダークエルフを彷彿とさせる、整った容姿から言葉をこぼす。
「全てを捨てて、異世界の神のもとで……か。あり得ぬもしも、お伽噺。これではフェアリーテイルと同じであるな」
魔猫は――魔境へと向かった。
賢王は、今宵もまた世界のため、国のために頭を動かす。
騒ぎ始めた家臣たちへの対応に頭を巡らせたのだ。
大魔帝が戻ってきたのなら、また方針を考えなくはならない。
けれど、どうしたことだろうか。
いつもより、苦悩は少ない。
理由を並行して考える。
ああ、そうかと若者は答えを得た。
王にされてしまった、まだ若い男は知ったのだ。
もし本当に辛くなったのなら、その時のためのアイテムがある。
”いつか君が、王を辞めるその時に――”。
そんな、声が聞こえた気がした。
そのおかげだろう、と。
「まったく、どこまで人が良いのやら――」
賢王ダイクン=イーグレット=エイシス十三世。
王の心は前より少しだけ。
軽くなっていた。
エピローグⅠ
山脈帝国エイシス ―終―




