第015話、山脈帝国エイシス編―プロローグ―
偉大なる神を祀る教会本部。
大聖堂。
かつて乙女ゲームだった時には課金石を購入する施設だった場所。
単独行動するミーシャの天使は愚民を眺めていた。
その視線の先。
高級装備で身を固めた多くの司祭たちが、課金像に向かい頭を垂れている。
祈りである。
人間味のない小さき美青年は下僕たちを、神たる瞳で見下ろしていたのだが――その吊り上がる口角は愚劣。
朝日を浴びて。
後光を纏い、天使は穏やかな笑みを浮かべたままだった。
他者を全て小バカにするような、けれど美しい声が響く。
『あぁ、祈りは結構。省略しちゃっていいさ、どうせ誰も見てないんだしさあ、僕も見てないんだから無駄なんだよ、無駄。そんなことよりも――あの聖女さあ、今、山脈帝国エイシスにいるっぽいんだよね』
ざわざわと声が響く。
天使と会話していたのは敬虔なる聖職者たち。
貫禄のある美形おじ様達である。
「異端者がでありますか」
『そ、消したはずなのに生き延びちゃってる。君たちの失態でもあるよね? まあ責める気はないけどさ。今のところはだけど』
「なぜあのような辺境国に」
『さあねえ――それよりさあ、あの女はもう要らないから。とっととやっちゃってくれる?』
「しかし神よ、あの地の教会は」
『信仰が違う。君たちみたいに正しき教えが理解できていない連中だって言うんだろう? 嫌だねえ、神に逆らうだなんて。おまえら人間はバカなのかなー? 地べたを這って僕に平伏さないといけない豚どものくせに、頭が高いんじゃないの?』
どれだけゲスな言葉を漏らしてもミーシャの天使は美しい。
小さき美青年は微笑んでいた。
聖職者たちの瞳が、まるで汚染されたように澱んでいく。
『小娘一匹倒すぐらい簡単でしょ?』
「それでは、捕縛してある魔竜を用い、あの山脈帝国ごと蹂躙するのは――」
『ドラゴンか――』
天使は果実をガリっと齧り。
考えこむ。
腕に垂れる果汁を蛇のように長い舌で追いながら。
歯だけを逆光の中で輝かせ。
『いいねえ! じゃあさ、じゃあさ! ぱぁぁぁぁぁっと明るく、花火みたいに派手にやろうよ! うん、それがいい! というわけで、とりあえず十三匹送っておいて。後で虐殺現場を見ながら、バカ姫をからかって楽しむからさあ』
「一匹で十分なのでは」
『いや、なんだかんだであの天然女はしぶとそうじゃん? ゴキブリを潰すときってちゃんとギュゥゥゥゥゥってやっとかないと、バタバタ足掻いてなかなか死なないじゃん? だから十三匹、十三匹。神の御心ってやつをさあ、どーして君たちは理解できないかな?』
聖職者たちは顔を見合わせ。
「すべては神の仰せのままに――」
神を名乗る天使に頷き。
聖職者たちは祈りを捧げる。
教会本部から――大量の魔竜が飛び立った。
天使はミュージカルを彷彿とさせる仕草で、バッと手を広げ。
『さあ、楽しい楽しい虐殺の時間だ! あの空気が読めないお嬢様に、現実ってもんを教えてやっておくれよ!』
空が――黒く染まっていた。
◇
猫が――黒く膨らんでいた。
太陽を吸ったモフ毛をもこもこに膨らませ、新米領主となった迷宮女王こと聖女、コーデリアと一緒に空を眺めていたのだ。
共に歩く美女。
聖女のドレスを暖かい風に揺らすコーデリアは遠くの空を眺めて言う。
そこには黒い点が十三個。
「まあ、大きな蚊かしら?」
『あぁ、蚊って疫病を運ぶからねえ。この国にはお世話になってるし、とりあえず落としておく?』
「では、わたくしが――」
空に向かい可憐な聖女は手を翳し。
ちゅどーん!
魔術ですらない魔力閃光を放射。朝だというのに一瞬、空は黄昏色に染まっていた。
ドロップアイテムが落下する中。
閃光により周囲の雲が散った空は快晴、温かい太陽が聖女の麗しい栗色の髪を照らし出す。
やりすぎたせいで、雲一つない空になっているが彼らはまったく気にしない。
聖女はおっとり。
爆風に靡く髪さえ絵になっているのだから、コーデリアの美貌は本物なのだろう。
『うにゃはははは! 花火みたいだったね!』
「あら、レベルがまた上がったみたいですが。わたくし、なにかしてしまったのでしょうか」
『さあ、たぶんあの蚊が英雄の血でも吸ってレベルが上がってたんじゃないかな?』
ま、どーでもいいよね!
ま、どーでもいいですわね!
と、師弟は気にせず歩き出す。
山脈帝国名物の山の奥地にて、大急ぎで魔物が逃げる中。
猫と聖女はのんびり、ほのぼの。
揺れる栗色の長髪を押さえるための純白レースの淑女の手袋も、風にそよいで光り輝いている。
「綺麗な空ですわね~」
『だね~、こういう日は日光浴すると毛がポカポカになるからね!』
「ふふふふ、やっぱりこの国は平和でとても過ごしやすいですわ」
いつもの散歩道である。
その足元をトテトテトテ♪
魔猫師匠も太々しい顏で、にゃはにゃはにゃは♪ 一緒になって散歩中。
聖女はそっと、無限収納のアイテムボックスを顕現させ。
中で輝くアイテムを見る。
国ごと入ってしまう異次元に収納されているのは勉学に必要な装備一式と、その領収書。
魔猫師匠が異次元収納空間に顔を突っ込み、おしりをもふもふ。
尻尾を左右に振って言う。
『へえ、これが君がこれから通う学園用のアイテムなんだ。ぶにゃはははは! いかにも乙女ゲーって感じだけど、品もあって良くできたデザインだね』
「師匠、その乙女ゲーというのはなんなのです? わたくし、いまいち理解ができなくて」
『んー、まあこの世界と似た世界が別世界にもあるってことさ』
魔猫師匠をよく知っている聖女はくすりと微笑み。
「ふふふ、説明するのが面倒になってません?」
『まあ、結局はもう関係ないからねえ。この世界はこの世界で独立した存在となっているんだし。気にするだけ無駄なんだよ。それよりも、短期間とはいえ学業をやる気分はどんな感じなんだい?』
「どうと言われましても――」
『不安なのかい?』
儚い吐息に声が乗る。
「はい、賢王ダイクン陛下がまだこの国の知識に疎いわたくしのために、動いてくださった。貴族学校に通わせてくださると仰って下さったのは、大変ありがたいのですが……」
『くださる。くださるばっかりだね~。たぶん花嫁修業をさせつつ、誰かの気を惹きたいんだろうねえ』
誰の事だろうね~、と魔猫師匠はん? ん? と聖女の顔を見上げるが。
聖女は気づかない。
他人から寄せられる好意になれておらず、鈍感なのだろう――と言いたげな顔で猫眉を下げ。
魔猫師匠が言う。
『まあ、それはそれとして。私としては勉学は良い事だと思うよ? だって君、貧乏領地の仕事で学校にはあまり行けていなかったんだろう。君のお父さんから申し訳なく思っていたって聞いているよ』
「あら? またお父様にお会いになられたのですか?」
あれ? 言ってなかったっけ?
と、魔猫は本気で首を傾げていた。
ちなみに何か裏があるわけではない。
魔猫師匠はけっこう言い忘れることが多いのだ。
なにしろ、その性格は猫。
きまぐれで、てきとーなのである。
『ごめんごめん! 君はまだ未成年だし。親の許可を取った方が良いと思ってね、お父さんも賛成していたし。どうせずっと勉学に励むわけじゃない、この国の常識と知識を学ぶ間だけだって話じゃないか。学生の空気を学ぶことも領主としての勉強さ、私は君が学園に通うのに賛成だよ』
まるで教師のような声だった。
魔猫師匠は時折、とても紳士的な教育者の声を出すことがある。
コーデリアが言う。
「わたくしの師匠は魔猫師匠だけですのに、少し、申し訳なくて」
『うにゃ! なるほど、君、私に遠慮してたのかい!?』
魔猫は嬉しそうに喉を鳴らして、にひぃ!
『気持ちは嬉しいけどね! 君は君で少しでもいいから同世代の貴族の生活を見ておいた方が良いだろう。それに友達もできるかもしれないし、新しい恋もあるかもしれないし』
「はい、師匠――ところで」
聖女は乙女の顔で、魔猫の耳に口を寄せ。
「お父様と、シルキーさん、どうでした?」
『にゃふふふふ、あれはもうそろそろくっつくね!』
「まあ! ふふふふ、楽しみですわね~」
猫と聖女はそういう他人の恋話も大好き。
どちらも天然で、ぶっ飛んでいる部分があるからか――この二人の息は割とあっていた。
『さて、君が学校に言っている間は私が君の領地を見ておこう、これでも領地を治めるのには慣れているから、安心してくれていい』
「魔物さんの主みたいなものですものね」
『そーいうことさ。なるべき君が作り出したエリアは維持だけに留めて、改造はしないでおく。そこも安心していいよ』
「そういえば師匠。不帰の迷宮はよろしいのですか?」
留守の間に領地:暗黒迷宮を任せていられるのは助かるが。
魔猫は言う。
『ああ、今はなんか変な王子が攻略に乗り出して何回も突入してきてるけど、最奥にまでは届いていないからね。なんでも負けて追い出されるたびに強くなってくるから、うちの魔物たちが面白がって育成してるって話だよ』
「変な殿方もいらっしゃるのですねえ」
『なんか見たことがあるライオンっぽい男なんだけど、どーしても思い出せないんだよねえ』
猫と聖女はもう一度空を見上げ。
また蚊が飛んできたので。
ちゅどーんと魔力を放っていた。
聖女は約束の時間通りに学園に向かった。