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第149話、巡る因果と奇跡と願い


 時が止まっていた筈の世界。

 耳を澄ますと声がした。


 それは子どもと母親の声だった。

 とある貴族令嬢のために祈る、少年と母の祈り。

 彼らは親子。

 幸せに生きる家族だった。

 祈りは純粋なる祈りだった。


 裁定の獣神ホワイトハウルが鼻先を膨らませ、息を漏らした。

 訝しむように眉を顰めたのだ。

 審判を下す獣は判断に迷っていたようである。


『かの者らは、いったい――』


 何故だろうか。

 応じたのは当事者のミーシャではなく、大魔帝ケトス。

 聞こえる声に片耳をパタリと揺らしながら魔猫が答える。


『彼らは、スラム街で消える筈だった命さ』

『スラム街だと。ああ、山脈帝国エイシスの小生意気な鷹目皇帝が、まだ、教会勢力に国の基盤を押さえられていたころの、お前が観賞した物語の初期にあった一節か』

『とある貴族令嬢に助けられたことをいまだに感謝していてね、こうして、朝になると毎日、彼女のために祈りを捧げているらしい』


 ホワイトハウルが神狼の肉球をかざすと、山脈帝国エイシスから少し離れた避難所の、小さな礼拝堂が照らされる。

 みすぼらしいが、幸せそうに生きる母子は真剣に祈りを捧げていた。

 祈る相手は神ではない。

 悪魔でもない。

 ネコでもなければオオカミでもなく、ましてやニワトリでもありはしない。


 祈りを見極める神獣――。

 ホワイトハウルが祈りの向かう先を眺め。

 目線だけを蠢かしてみせた。


『ミーシャ=フォーマル=クラフテッド。この者が、喪服令嬢となる前。まだ贖罪の物語を歩む前、天使を追っていた頃の……ああ、なるほど。そうか。確かにその祈りならば、分からなくもない』

『理解して貰えたようだね――彼ら親子はかつてまだ治安の悪かった山脈帝国エイシスの一角、スラム街に住んでいた小さな家族。母と小さな子供の二人暮らし。父親はとっくに死んでいる。ある日、母は病気となった。衛生環境はお世辞にも良いとは言えないからね。栄養のあるものを食べて、ちゃんと寝て休めば治る程度の病だ。けれど、スラム街は残酷な世界、そんな自由も金も彼らにはない。きっと、子どもはとても困っただろう。とても悲しんだだろう』


 言葉だけでは分からぬと判断したのか、あるいは、言葉だけでは言葉遊びや言い方の妙で誤魔化せると判断したのか。

 ホワイトハウルが過去視の魔術を発動させていた。

 あの日の光景が、闇の中に浮かび上がっていた。


 日々弱っていく母を前に、途方に暮れる……哀れな子供が映っている。

 ケモノ達はその映像に目をやっている。


 大魔帝ケトスは絵本を読むように、彼らの物語を読み解いてみせる。


『母が病気になっても助けてくれる人はいない。誰も少年を助けない。少年はそれでも助けを求めた、けれどみな、ごめんなさいねと目線を逸らして消えていく。当然だね、周囲も自分が生きるのに精一杯。彼らが悪いわけじゃない。助けられるのなら周囲とて少年を助けただろう、それが人間の善性だ。けれど、助けたくとも助けられない。少年は悟ったはずだ。何もしなければ近いうちに母は死ぬだろうとね。だから少年は必死に生きるために、悪を為した。母のために、悪事に手を染めた』


 泥水すらも啜る勢いで、少年は強く生きていた。


 生きるための窃盗や、脅迫。

 大事な母を生かすための、悪い行い。

 それを裁定の神獣がどう裁くか、今はその内容の是非を問う場面ではないだろう。


 やはりミーシャではなく大魔帝ケトスが続ける。


『きっと、大変だっただろう。私や君がどう言葉を選んでも、どう言葉を濁しても――そこが生き地獄だったことに違いはない。けれど、そんな少年にも転機が訪れた。ある日スラム街に、汚い場所には似合わない令嬢が現れたのさ。彼女は現金を急ぎ確保したかったのだろう。だからそこにやってきた。地獄に、綺麗な服を着てやってきた。金に困った貴族や、家族に内緒で即金が欲しい名家が、生きるためには豪奢すぎる貴族の所持品を売るための店に、やってきた。少年は考えた、ああ、あの貴族なら脅せそうだと』


 それが路地裏の物語。

 少年と、貴族令嬢と護衛の姿が表示される。


『けれどそうはならなかった。貴族令嬢には護衛がいた。それが後に王となる男だとは、誰も気付かなかっただろうね。護衛は少年を助ける気はなかったようだ。足がつくのを恐れたのか、或いは残忍な貴族令嬢から救おうとしたのか。おそらくは後者だろうね。何故ならその貴族令嬢は残酷さで有名な、クラフテッド王国の姫だったのだから。だから、護衛が少年を遠ざけようとしてもおかしくはない。けれど……どうしてだろうね、おそらくきっと姫はその時すでに、ちょっとだけ人の心、善性を取り戻していたのだろう』


 貴族令嬢は少年を救った。

 そう、告げた大魔帝ケトスが絵本をめくるように映像を切り替える。

 ホワイトハウルは既に映像魔術が大魔帝ケトスに乗っ取られていると気付くが、それでもこの物語は現実であった物語。そこは不問とするようだ。


『貴族令嬢の名は、ミーシャ=フォーマル=クラフテッド。彼女は殺してしまった方が話の早い、口封じをしてしまった方が手っ取り早い少年と母を、わざわざ救ったのさ。手を差し伸べたんだよ』


 過去の映像の中。

 母の病を治し、慣れない施しをする貴族令嬢の姿が映っている。

 おそらくそれが、あの護衛が貴族令嬢にわずかながらも心を動かされた出来事、きっかけだったのだろう。


 ただ、変化があったのは護衛だけではない――。

 少年にとっても、それは家族以外の他人に覚えた……初めての感謝だったのではないだろうか。

 神たる獣。

 ホワイトハウルであれば、その時、その瞬間に少年の中に芽生えた世界への希望を感じ取れている筈だ。


 だからホワイトハウルは獣毛の目立つ耳を下げ、僅かに瞳を細めているのだろう。

 審判の獣の口元に、シワが刻まれる。

 咢が蠢いたのだ。


『世界を恨み続けた少年に光を燈した者は、稀代の悪女。なれど、助けられた者にとっては、助けてくれた者が悪人だとしても関係ない。唯一、手を差し伸べてきた者が世界で最も悪しき姫だったとしても、少年と、その母親の中だけでは……もっとも優しき、善人……か』

『ああ、そしてこれが一度道を踏み外したミーシャ姫の、悪に落ちた後に為した最初の善行だ。そして、ミーシャ=フォーマル=クラフテッドとしての最後の善行ともいえるだろう。彼女はこれからも多くの民を救う。善行を為す。けれど、そこには打算が含まれている。そこには自らの過ちへの贖罪としての意味が含まれている。だからそれらは善行であっても、あくまでも罪を償っていただけ。けれど、彼ら母子だけは違う』


 いまだに祈りを捧げている親子を眺め。

 大魔帝ケトスが言う。


『悪女だった彼女であるが、あの時、彼らだけは一切の打算もなく救ったのさ。そして助けられた彼らは感謝を忘れなかった。新しい場所で平和に生きている。今でもこうして、毎日、毎朝、名も知らない貴族令嬢に祈りを捧げている。彼らの祈りは君にも届いているだろう、ホワイトハウル』

『贖罪のためでも、世界のためでもなく助けた親子……か』


 会話には介入せずにいた、観測者。

 三獣神の最後の一柱、ロックウェル卿が静かに嘴を挟んでいた。


『後にあの少年は多くの命を救うであろう。あの日、名も知らぬ、名もなき令嬢に助けられた感謝を誰かに返そうと。そして、その少年の子も、多くの善を積むであろう。全ては巡り巡る、良いではないか――どうせ余等は異邦獣ストレンジュウ、世界のために、自分ではない他の誰かのために崖を上り続けた王太子、黄金獅子オスライオンの一匹を救うぐらいの奇跡をくれてやっても、罰は当たらぬだろうて』

『卿よ、そなたもそれでよいのか?』


 人間嫌いのロックウェル卿に向かい、ホワイトハウルは問いかけた。

 獅子を助けていた鶏が告げる。


『あの黄金獅子は転生者を救っておったからな。それはあの星の命、我等が主……あの方の子ども達とも言える命であろう。恩には報いる、そこに疑問はない。まあ、人間という種族自体は、余は好かぬままだが――オスカー=オライオン、あの者ならば許そう。それに、おまえ一匹に融通の利かぬ善の立場を任せ続ける、それもまたどうかと思うしのぅ』

『ふん、我は正しき事を選び続けておるだけだ。余計な気遣いなど無用』


 罪を裁く獣神は周囲の獣神を一瞥した。

 反対している者はいない。

 大魔帝ケトスが言う。


『それじゃあ、決まりだね。キース君、聞こえているかい?』

『……はい』

『我等は悪辣姫との契約の履行を決定した。君たちに奇跡を授けよう――おめでとう、新国家の国王よ。君の主人が行ってきた全ての悪事の犠牲になった、そしてミーシャ姫のせいで不幸になった存在、全てを我等は救済しよう。地脈に沈めてある金印を回収し給え、君が手を伸ばせば届くはずだ』


 遠く離れた場所。

 イシュヴァラ=ナンディカで、冷たく動かなくなった姫を抱いていた男は、腕を伸ばす。

 既に時間は動いていた。

 当然だ、祈りの声が届いていたという事は――時魔術の効果は消え、世界が再び動き出していたという事。


 時を止め、回復魔術で寿命を誤魔化していたことで、喪服令嬢ミーシャは動いていたのだ。

 だから、時が動いてしまった今は、もう。

 動かない。


 キースは整った、乙女ゲームのモブの顔立ちのまま。

 動かぬ姫を片手で抱いたまま。

 金印を掴んでいた。

 大魔帝ケトスが、肉球を鳴らす。


 するとどうしたことだろうか。

 まるで事前に準備していたかのように、金印が姿を変えていた。

 黄金の獅子の姿へと、形が整い始めていたのである。


 この金印には大魔帝ケトスは関与していなかったはず。

 だが――。

 キースが、静かに告げる。


『大魔帝ケトス様』

『なんだい、新たな我が眷属』

『あなたには、こうなる事まで見えていたのですね』

『さあ、どうだろうか――』


 世界のために動いていたオスカー=オライオン。

 その裏で動いていた大魔帝ケトスは、それを誇示せずただ誤魔化すのみ。


 金印の上に浮かぶのは、とある新しき逸話魔導書。

 その名を獅子英雄譚。

 黄金獅子の物語をつづった、最新のグリモワール。


 四匹の獣神が降臨し、それぞれが異なる世界の魔術を詠唱し始める。


 まず獅子英雄譚を細く白い手にとったのは、大樹に腰かける銀髪赤目の美少女。

 赤い靴を輝かせ降臨した少女の神はくすりと微笑み、動かなくなった姫を抱くキースに、よく頑張ったわね、とねぎらいの言葉を贈り。

 詠唱した。

 獅子英雄譚を開き、その物語を形としたのだ。


 次に鯰の帽子をかぶった短足猫神が、降臨。

 地脈……世界の魔力の流れを存分に吸った黄金の印鑑――獅子黄金像へと変形した金印を肉球でこね、形をより精密に整え。

 更に次に降臨した巨大熊猫の神が、部下に命令。

 従える無数の獣の中から獅子の獣性を引き出し、獅子黄金像へと転写。


 最後に置物だったラグドールのような白い猫が起き上がり、くわぁぁぁっ。

 あくびをしながら降臨。

 ゆったりと瞳を開き、タヌキ顔で考え……頷いた。

 獅子黄金像を正しき者、善性のカルマの持ち主と認定したのだろう――肉球をペカァァァっと輝かせたのだ。

 それは神とて観測できないほどの蘇生魔術の波動。

 蘇生の魔術式が計り知れない速度で世界に流れ始める。


 四匹の獣は願いを叶える神性を持つ四星獣、ミーシャ姫の最後の願いを聞き届けていたのだろう。

 三獣神も、他の獣神も姫の犠牲となった者たちの救済に、魔術を詠唱し始めていた。


 獅子英雄譚も、蘇生の波動に連動しバサササササ。

 ページが自動的に捲られていく。

 その物語を、その人生を表示していく。

 おそらく、世界には獅子英雄譚の光景が流れているのではないだろうか。


 その書に刻まれた物語を目にした人々は知っただろう。

 世界の裏で、ずっと動き続けていた若獅子の存在を、今この瞬間に知った。

 自己犠牲の果てに全てを救った王太子がいたと。

 黄金獅子がいたと。

 オスカー=オライオンがいたと。


 そんな人々の祈りは、力となって世界を淡い光で覆いだす。

 祈りには心が込められている。

 心こそが魔術の基本。

 魔力の根底にあるものこそが、心。


 だから奇跡は今、ここで形となって発動される。

 世界を救ったという因があるからこそ、本来なら不可能なオスカー=オライオンの蘇生という奇跡が成り立っている。

 奇跡には必ず因がある。

 あの日、ミーシャが伸ばした手が、親子の命と運命を救った善行が――こうして最後の奇跡を引き寄せたように。


 世界に流れる獅子英雄譚。

 オスカー=オライオンの冒険と最後。

 そしてその聖女への愛を、皆が知ったその時に――。

 奇跡は成就される。


 人々は祈ったのだろう。

 世界と聖女のために動き続けた黄金獅子、彼を聖女と再会させてやりたいと。

 願いは――成就される。


 金印を触媒として――黄金獅子は蘇生された。

 その姿は黄金獅子そのものだった。

 オスカー=オライオンは蘇った。心も魂も、あの若獅子本人だ。


 だがその姿はケモノとしての獅子。その神々しい姿はまるで、次代の主神のようだった。


 状況を察したのだろう。

 黄金獅子は神々しく輝く獣毛を靡かせ――跳んだ。

 黄金獅子はいまだ泣き暮れる、あの聖女の元へと飛び去ったのだ。


 獅子が飛び去ったその後。

 かつてクラフテッド王国のあった大地には、風が吹いていた。

 新しい時代を告げる風だろうか。

 風が樹々を揺らしている。

 揺れる樹々の影が、とある男の顔に光と影のコントラストを作っていた。


 静かさだけが残る、イシュヴァラ=ナンディカの城内。

 朝陽が照らす玉座の間。


 男は――。

 動かぬ姫をそっと抱きしめた。

 慈しむように。

 ただ静かに。

 その終わりを受け入れていた。


 姫が動くことはもう二度と、なかった。


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