第145話、◆不帰の迷宮に帰る者◆―その6―
◆【SIDE:オスカー=オライオン】◆
顕現せしは、ダンジョンボス。
憎悪の魔性:大魔帝ケトス。
世界を揺るがす最も大きな異物は、その巨体を闇に溶け込ませていた。
闇の中で、浮かべた無数の剣を輝かせていたのである。
若獅子オスカー=オライオンは闇の雷を纏わせた剣を抱えて、駆けていた。
地面は闇の泉。
水面に映る獅子の姿は勇ましく、多くの女性の目を奪う事だろう。
黄金の髪が、キラキラキラと反射しているのだ。
精悍で整った男の唇から、詠唱が紡がれる。
「畏くも孤高たる鳥の王よ、全ての鱗持つ者の神よ、我は汝に認められし者。我は汝に観測される者。名をオスカー。怨嗟の魔性、ロックウェル卿よ。我に力を、汝の力を。今一時の、刹那の慈悲を授け給え」
《先を眺めし千里鶏眼》。
それは三獣神ロックウェル卿の力を借りた、未来観測が可能となる強化魔術だった。
戦闘において、先を読めることがどれほどの強みになるか、獅子はよくわかっていたのだ。
だが。
先が見えてしまった獅子は、唇を強く噛んでいた。
「な、なにも……見えねえだと――っ」
『哀れな――なまじ先が見えるがゆえに、絶望を見たか』
大魔帝が闇を振動させ、唸る。
『未来視は可能性がゼロならば、何も映らぬ。汝の枝分かれする未来の中に、一つたりともルートがなかったのであろう。それがお前の限界だ、オスカー=オライオンよ』
指摘の通りだった。
たった一のダメージとて、大魔帝ケトスの耐性を貫通できる未来が見えなかったのだ。
それでも獅子は肩に担いだ大剣に魔力をチャージし、駆けながらも空を見上げている。
その口から紡がれた次の魔術は、やはりロックウェル卿の力を借りた強化魔術。
「”狂歌の惨禍・鶏Ⅰ”!」
『ふむ、防御力や状態異常耐性を犠牲とし攻撃能力を飛躍的に倍増させる、ロックウェル卿の力を借り受けた即興の魔術か。我も初めて目にする魔術、汝のオリジナルといったところか』
「”狂歌の惨禍・鶏Ⅱ”!」
Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ。
獅子は魔術のランクを次々に上昇させ、自己強化の重ね掛けをする。
『確かに、ダメージを与えることに特化させるのならば、防御は不要。状態異常耐性も装備で補えばいい。理論は正しい、だが、キサマはどんどんと脆くなっていく。それは――諸刃の剣よ』
現状の強化状態で欲しい未来が見えないのなら、見えるようになるまで攻撃能力を伸ばすだけ。
言葉にすれば単純だ。
原理も簡単だ。
相手の防御を貫くだけの力を一瞬でいい、全てを犠牲にしてでも限界をさらに超えた、神に届きうる一撃を発揮させればいいだけ。
だが、それが果てしなく遠い。
まだ見えないのだ。
この攻撃でダメージを与える未来が、ない。
見えるまで強化をする。防御を削り、攻撃を上げる。
やることだけは簡単だった。
獅子の耳に、フツフツとした音が届いていた。
限界を超えた魔力が、沸騰に似た現象を起こし始めたのだろう。
王太子の口の端からは濃い血が、流れ始めていた。
もはやその詠唱からは余裕がなくなっている。
「それでも、それでも――オレは諦めねえさ」
『ほぅ、子猫の分際で吠えるではないか』
「子猫じゃねえ、オスカー=オライオンだ!」
見上げる獅子の視線に映るのは、やはり宇宙。
いつも眺めている何故黒いのか分からない、先の見えない夜空。
大魔帝ケトスは黒い闇そのものだった。
故に、大いなる闇とも呼ばれているのだろう。
宇宙を相手に、たった一でもいい。
ダメージを与える。
だが魔力、実力、知識、全ての勘も言っていた。
それは不可能だと。
それでも、その不可能を覆せずに願いなど果たせない。
全てを救う道を選んだのなら、それくらいはできなくては話にならない。
だからこそ、闇に潜む大魔帝は思うのだろう。
願いが果たせないのなら、心半ばで絶望の中に消えるのなら――いっそこの場で闇に誘い、永遠の夢を与える。
それが大魔帝の紛れもない慈悲なのだろう。
獅子の瞳は集中状態。全神経、五感と魔力の全てを闇の剣に注がせていた。オスカー=オライオンの口は既に会話ではなく、詠唱ばかりとなっていた。
宇宙を切り裂くほどの、一撃のために。
自己を強化する魔術。
スキル。
魔道具。
全てを使用し、大魔帝ケトスにダメージを一与えなくてはならない。
ギギギギと歯を食いしばる獅子を見下ろし、大魔帝は告げた。
『ここまでか、オスカー=オライオンよ。そなたはよくやった。それだけは誰しもが認めよう。だが、それだけだ。それだけで……お前の物語は終わりだ。せめて痛みなく、消してやるとしよう。だが』
宇宙に、ネコの口の形をした亀裂が走る。
朗々たる声が響いた。
『――いかにロックウェル卿の恩寵を授かろうと、我が攻撃に果たして耐えきれるモノか。我も見たい、人の可能性を、命の燈火を――故に奏でよう。絶望の惨禍を、歴史に刻もう』
それは宇宙の如き闇から発生した亀裂が行った、詠唱。
闇から巨大なケモノの腕が伸びる。
闇から生える猫の手だった。
その先には、肉球。
肉球の先から発生した十重の魔法陣の数は、十。並列した十重の魔法陣が回転し剣を生み続ける、それは無数の刃となって獅子を襲うのだろう。
大魔帝ケトスが、浮かべた剣を操作し。
キィィィィィィン!
『見果てぬ夢を見続けるものよ、虚栄の剣に沈め――”神意顕現:《ダモクレスの剣雨》”』
迷宮最奥のダンジョンボスとして。
神々しい闇の獣が、雄々しき腕を振り下ろす。
ズジャジャジャジャジャジャジャジャ!
ジャジャジャジャジャジャジャジャズ!
ズジャジャジャジャジャジャジャジャ!
ジャジャジャジャジャジャジャジャズ!
規則的で単調な音と共に、闇が全てを切り裂き降り注いでいた。
それはまるで流星群。
神とて一瞬で滅ぶ剣の雨だ。
しかし――オスカー=オライオンは動かない。
この瞬間だけが、勝機。
駆け引きはオスカー=オライオンの勝ちだった。
その鋭き眼光は闇を睨み、雄々しき口からは叫びが飛び出ていた。
「頼むぞ、おまえら――! オレの魔力を全部持って行け!」
叫ぶオスカー=オライオンの内から、声がした。
ブレイヴソウルたちの声だ。
オスライオンへの助力を選んだ、この世界に漂う邪霊だ。
防御ダウンは作戦だった。
その身に纏う迷宮の魔物……邪霊ブレイヴソウルたちが反射能力を発動させると知っていたからだろう。
若獅子たる王太子、その内には彼らがいた。
かつてこの世界に召喚され、そして次元の狭間に取り残された彼らがいた。
その能力は反射。
反射能力の威力は受けるダメージに比例する。
ブレイヴソウルたちの反射能力は、受ける筈だったダメージを数倍にして返す権能。
そして今。
オスカー=オライオンはロックウェル卿の力を借りた、防御を下げ攻撃を上げる魔術の重ね掛け状態にある。
それはデメリットとも取れる状態ゆえに、状態異常耐性が下がっている状況では防御ダウン状態も乗算されている。
非常に脆い状態となっているのだ。
剣を受ける筈だったオスカー=オライオンに、ダメージはない。
ブレイヴソウルたちの魂が輝き。
反射能力を発動させていた。
オスカー=オライオンが大剣に纏わせていた闇の雷はブラフ。
全てはこの瞬間のため。
そして今。
剣の雨が、反転する。
向かう先は大魔帝ケトス。
だが――。
闇は嗤っていた。
感嘆と同時に、嗤っていた。
『反射能力……そうか、キサマ、我が臣下、ブレイヴソウルたちを従えたか! あの分からず屋たちの心を掴んだと……そうかそうか、くくく、くはははははは! これだから人は面白い! 確かに、我を倒そうとするのなら手段はただ一つ、我の力を以ってして我を討ち滅ぼすのみ。極限まで防御を下げ、反射ダメージを跳ね上げる手腕も見事なり。だが、反射能力の弱点を知らぬと見える』
反転した闇の剣。
千を超える、銀河の星々のような闇は確かに大魔帝ケトスを貫いている。
しかし、その攻撃属性は闇。
闇を吸収した大魔帝ケトスの体力と魔力が大幅に回復していた。
「な……っ――!」
『反射されるのならば、自らが吸収できる属性の攻撃を放てばいいだけの事。簡単な答えよ』
当然の答えだった。
もっとも強き者の弱点は、強すぎる故の反射。
ならばその対策も当然している筈。
もはや絶望的。
もはや届かない。
夢は夢でしかない。
そんな理性を全て無視して、体が勝手に動いていた。
獅子が本音で吠えていた。
荒ぶる端整な美丈夫の声が宇宙にこだまする。
「くそったれな世界を変えてやる。そのためには、たとえ、神とて――届かせてみせる! ああ、そうだろう。てめえらも、ここで止まってられねえよな!」
呼応するのはブレイヴソウルたち。
恐竜魔物の亡霊が、獅子の背を押していた。
他の魔物達も、不帰の迷宮に何度も挑戦する獅子を認めて、押していた。
加速する。
「どおぉぉぉぉぉぉぉりゃぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
声は、少し間抜けに聞こえたかもしれない。
それでも、ブレイヴソウルたちには響いていた。
魔物は祈ったのだろう。
闇に、一でいい、どうかダメージを。
これほどに何度も崖を見上げ、果敢に挑み続けた獅子に希望を、と。
獅子は闇を吸収する闇に向かい、突進していたのだ。
その身に纏うのは、アイテムによる輝き。
輝くのは装備品。
白銀魔狼のペンダント。
それは結界を張る、不帰の迷宮で手にした魔道具。
白銀魔狼、その結界アイテムの制作者はおそらく白銀の魔狼ホワイトハウル。
三獣神の力。
だから。
結界を防御ではなく、突撃による攻撃に使ったとしたら。
一のダメージなら通せるかもしれない。
獅子の瞳に、未来が見えた。
ダメージを通せる未来が、一つだけ、見えていた。
攻撃に特化させた大剣が、輝く。
ホワイトハウルの結界を纏う剣が、宇宙を斜めに裂いていた。
ザァアアアアアアァァァァァァ!
大魔帝ケトスに向かった獅子。
その最後の攻撃は彼の身も魂も半壊させ、消滅させかけたが。
一のダメージが通ったのか。
分からない。
もはやオスカー=オライオンの意識はまばらだった。
通ったかどうか、分からない。
けれど――。
宇宙は揺れていた。
倒れ、崩れかける獅子を眺めていた。
声が響く。
『くくく、くはははははは! 見事なり――これだから人と戯れるのは楽しいのだ! 我すら見えぬ、卿すらも見えぬ明日を掴んできよる!』
獅子の閉じかけた瞳に映るのは、魔猫。
哄笑を上げ満足そうに吠える大魔帝ケトス。
宇宙の如き闇は頷いていた。
声も出せぬ獅子を眺め。
大魔帝が魔導契約書に文字を追加していく。
それは契約の追加。
『良かろう、我は汝を認めるぞオスカー=オライオンよ。その願い聞き届けた、我を楽しませた褒美だ。いいだろう――ホワイトハウルのみならず、他の獣神達がこの世界での騒乱を危険と判断し、その全てを止めようとしたその時――我は友らではなく、この世界の側につくと約束しよう』
ホワイトハウルだけではなく、他の獣神も止める。
それは必須となるフラグであったのだろう。
動けぬ獅子を見て。
闇の中。
ネコは嗤っていた。
本当に嬉しそうに、嗤っていた。
傷つき倒れてもなお、諦めない闘志を輝かせる獅子をじっと眺めていた。
黄金髪の若獅子オスカー=オライオンと、夜空よりも広大な闇――大魔帝ケトスとのスチルが世界に追加されていた。
大いなる闇は、滅びかけた獅子に回復の魔術をかけ、約束は約束だと。
その咢を蠢かせた。
獅子の想いが、大魔帝に一のダメージを与えたのだった。
◆
ホワイトハウルを止める。
その願いを約束させた獅子は、今度は創造神エイコに接触するべくこの世界から旅立っていた。
獅子を見送った魔猫の横に、影が生まれている。
ニワトリの影である。
ずっと眺めていたのだろう――姿を現した神鶏が言う。
『ケトスよ――本当はダメージなど受けておらんかったくせに、良かったのであるか』
『おやロックウェル卿、何の話だい?』
ネコはすっとぼけた表情で言っていたが。
『とぼけるでない、いかにホワイトハウルの力を宿した魔導具とて、所詮は使い手が人の器。おぬしの結界を貫通し、耐性を貫通し、更にその防御力を突破するほどの威力を発生させるはずがない。あれは人の身を超えた。なれど、そなたの試練を突破するまでには……届いてはおらんかった』
全てを見通す神鶏にも、ダメージを与える姿は見えなかったのだろう。
冷静に先ほどの試練を分析する神鶏。
その白きモコモコ羽毛を眺め、うにゃははははは!
姿をいつもの黒猫に戻した大魔帝ケトスは、モフモフな肩を竦めてみせる。
『そんなことはないよ。私は治療魔術を使っただろう? 最後の突進で半壊する彼を治す時に、どうやら私は獅子の輝きに目を奪われていたらしくってね。ついうっかり、こちらの体力を削り、自らのダメージを代価に他者を回復させる代償魔術を使ってしまったようなんだ。むしろ、一以上のダメージを受けている。ここ最近だと、彼が一番私にダメージを与えたことになるんじゃないかな?』
それはどんな神とて不可能なことさ――と。
魔猫は鼻先を得意げに揺らしている。
『ふん、屁理屈を言いおって。仮にも大魔帝の試練を突破したのだ、あれでオスカー=オライオンには経験値が大幅に付与された』
『だろうね』
『あやつは残る全てのブレイヴソウルたちを内に纏ったまま、最後に聖女に殺されるつもりだ。もはや憎悪を忘れられぬブレイヴソウルたちも、それを望んでいる。適度に暴れ、適度に人間性を取り戻し……人間に憑りついた状態のまま宿主が滅びれば、そこには死が待っている。やり切る形となるからな。おそらくは、それが終焉。浄化の奇跡すらもレジストする不帰の迷宮の、最も強きブレイヴソウルたちも成仏し……輪廻の輪に戻る。滅びの因たるブレイヴソウルたちが消えた世界は救われ、ブレイヴソウルたちも救われ、聖女も救われる。だが――』
ニワトリの言葉を引き継ぎ、ネコが言う。
『オスカー=オライオン、彼だけは死ぬ――主神たる聖女に殺されれば、おそらくは再生も転生もできずにその魂は塵芥と化す。オスカー=オライオン、彼の心と決意を読み取ったコーデリアくんは、それが分かった上で、罪悪感と共に彼を刺すだろう』
全てを救いたい。
それが獅子の本当の願いだと、彼女は心を読んでしまうのだから。
そしてそんな獅子を殺したことで聖女は聖女ではなくなる。
聖女は清いから聖女であり、聖女だからこそ彼女は主神なのだ。その罪悪感がコーデリア自身から神性を奪い、神秘性も失われ、主神ではなくなる。
だが世界はそのまま維持される。
主神が消失したわけではなく、主神の器ではなくなるだけ。
後には神を失った、神無き世界が続くだけ。
恩寵はなくなるが。
それでも神のいない世界は続いていく。
いつしか、世界で生きる彼ら自身の心が、新たな主神を生む。
その日まで。
『……それが分かっていて、なぜ止めぬのだ』
『さて、なぜだろうね』
しばらくして、鶏が言う。
『おまえは人間に甘すぎるのだケトスよ』
『そういう君も、だいぶ丸くなっているように思えるけれどね』
静かに告げる大魔帝ケトス。
そのポニョポニョのおなかを翼で突き。
『おぬしには言われたくないのであるが』
空気が一瞬、固まる。
『……どういう意味かな?』
『どうもこうも、おぬし……この世界で少しグルメを漁り過ぎているのではあるまいか? どうせ、あの若き鷹目の皇帝をパトロンとしているのだろうが、さすがにその腹は、魔王陛下に苦言を呈されると余は思うぞ?』
ようするに、太ったと言われ。
大魔帝ケトスは亜空間から、王冠と玉座。
そして紅蓮のマントと、魔杖を召喚し。
『じゃあ、ちょっとダイエットしないといけないねえ』
『ほう、やる気か! 構わぬぞ! やはり余らはこうでなくてはな!』
ロックウェル卿もまた、亜空間から同様の装備を取り出し。
装着。
ネコと鶏が睨み合い。
モフ毛を膨らませて、うにゃ!
『太ってないのにゃ!』
『笑っていられるうちに、ダイエットせい!』
羽毛を膨らませ、コケケー!
魔力と魔力がぶつかり合ったが。
それは獅子の物語とは関係のない話。
最難関だった大魔帝ケトスとのフラグを作った若獅子は、もはや止まらない。
時は加速する。
結末は、もう間近。
彼の生涯を綴る獅子英雄譚の残りのページも、あと僅か。
歴史の裏で動いた孤高なる獅子、オスカー=オライオン。
その物語の終焉。
長く続いた彼の活躍も、まもなく終わりを迎えるのだ。




