第143話、◆不帰の迷宮に帰る者◆―その4―
◆【SIDE:オスカー=オライオン】◆
引き続き、ここは怖くて暗い場所。
世界を恨む転生者たちの水子が彷徨う、魔物達の遊び場。
不帰の迷宮での小さな野営である。
この迷宮の意味と、その誕生の経緯を聞き終えた若獅子。
オスカー=オライオンは眉間に濃いしわを刻んでいた。
探索で伸びた前髪を揺らすほどの、深い息を吐いていたのである。
理由は単純。
コーデリアを託した相手、大魔帝ケトスと呼ばれるネコに対して一つの感想をいだいていたからだ。
獅子は思う。
邪神と謳われる存在にしては少々、いや、かなり善良過ぎるのではないかと。
だから獅子は邪神の友たる邪神に言ったのだ。
「大魔帝殿……かの御仁は邪神と認識されている存在。荒ぶる神であらせられるのに、随分とお人好しにみえる。当時は面識もなかった聖女コーデリアを救い、終焉も近かった山脈帝国エイシスの皇帝とも繋がりを持ち、そしてなにより、あの悪辣姫ミーシャの贖罪を助けるべく匿い――援助までしていると耳にしております。たしかに、ワタクシももはや姫が邪悪な行いをするとは思ってはおりませんが、世間はそれを許さないでしょう。周囲に気付かれれば必ず批判されるはず。なのに、大魔帝殿は逃走しながら善を為す姫と従者を見守っておられる。疑うわけではないのですが、本当に邪神なのですか?」
『まぎれもなく邪神であろうて――』
言葉を途中で止め。
頭上にハテナの魔力を浮かべたロックウェル卿は呼吸を置き。
『それにしてもおぬし、ミーシャ姫のことも追加調査しておったのか。ふむ、余が見た未来と既にずれがあるな。しかしそこまで詳しいとなると……オスライオンよ、おぬし! さてはケトスのストーカーであるな!』
鶏冠麗しきニワトリ卿は、クワワワワワ!
ビシっと王太子の眉間を翼で指すが――当然、そんなはずはない。オスカー=オライオンの「何を言っているんだこのニワトリは……」と更なる溜息を呼んでいた。
重い息に言葉が乗る。
「偉大なる御方だとは存じておりますが、所詮、人間であるワタクシにあの方の行方を探れるはずがありません」
『解せぬ! では、なにゆえケトスと姫が一緒に居ると? さてはケトスのもふもふボディをこっそりとナデナデするつもりであったのだろう! もしケトスの友の座を狙っておるのならば、それ相応の覚悟をして貰わねばなるまいが?』
言いながらもロックウェル卿は自らのステータス画面を開き。
大魔帝ケトスの親友という称号を翼で示し、ドヤァァァァァァァ!
胸のモコモコ羽毛を張っていた。
自慢したいのだろう。
文字化けするほどに壊れきったステータス画面、そのレベルの数値を眺め、ぞっと顔を青褪めさせる獅子を気にせず舞に移行。
余は魔猫の友なのだと、歓喜の舞を披露する。
どうやら三獣神という存在は、いちいち話の腰を折らないといられない存在らしい。
呆れつつも、その人間味に妙に安堵したオスカー=オライオンは弁明する。
「ワタクシも姫を見逃したのです。その動向を探る義務と責任がありましょう。あのときは確かに反省していたとしても、人の心は変わるもの。もし再び悪事に走るのならば、今度こそ周囲に迷惑をかける前にその罪ごと首を刎ねる必要がございます。故に――密偵を放ってみれば、あの御方が共にいる。なにやら導かれているご様子もありました。よほどこちらが驚いたほどなのですから。誓って悪意はありません、かの御仁を狙った”探り”でもない、そうご理解いただけますと幸いなのですが」
ロックウェル卿は友である大魔帝ケトスを案じているのだろう。
だからこそ、王太子は王太子としての顔と声で、そして心臓の上に手を当て嘘ではないと清廉潔白を示す騎士の構えを取ったのだ。
だが、コケケケケっとロックウェル卿は大笑い。
『クワワワワワ! 笑止! その程度の事、余が知らぬと思うたか!? なーにをマジな顔になっておるのだ? 揶揄っただけであるぞ?』
これぞ、魔帝ジョーク!
と、実に愉快そうに尾羽をバササササササ!
ただ、ミーシャ姫の動向まで把握していることには、ニワトリ卿も素直に感心したのだろう。
今度こそまじめに話の続きを語りだす。
『さて、話を戻すが――ケトスが邪神なのかどうか、であったか』
「突如として真顔に戻らないで頂きたいのですが……ともあれです。邪神の言葉からくるイメージとの相違、違和感を覚えるのですが。それとも、異世界では邪神という言葉の意味が異なるのでしょうか」
『いや、おそらくはこの世界で使われている邪神と同じだ。そもそも余やケトスは魔力翻訳によって会話をしておるからな、基本的には言葉の意味に違いはおこらぬ筈』
ロックウェル卿は遠くを見る顔で。
口の下の肉髯を揺らし、ツゥっと瞳を細める。
『あれでもケトスはだいぶ丸くなっておってな。かつては殺戮の魔猫の二つ名に恥じぬほどに、暴れておった時期もあったのだよ――。大魔帝の名を授かる前――魔帝ケトスとしてその憎悪を存分に晴らした時期もあった、人間ならば誰しもがその名を畏れたモノだ。そして大魔帝となった今でもあやつの本質は邪神。グルメや遊びの心によって誤魔化しているだけに過ぎぬのだ。余とて同類。時折に無駄に歩き、怨嗟を敢えて鳥頭で忘れリセットしているように、な』
「なるほど、だから閣下はデメリットの目立つ”鳥頭”と呼ばれる忘却特性を維持なさっているのですか」
これほどの神が、鳥頭などという鳥魔物の最初期デメリット特性を消していないのは、おかしい。
その答えはそこにあったのだろう。
『忘れるという行為はデメリットばかりではないからな。辛いこと、悲しいこと。そして憎悪や怨嗟。それら全てを一生忘れられない、それはとても寂しいことだろうて』
ロックウェル卿の視線は、不帰の迷宮の魔物達へと向けられている。
その眼光には石化効果もあるらしく、ビシっと全ての魔物が石化状態になっていたが。
慌てて、鶏冠を逆立てたロックウェル卿は彼らの石化を解除。
何事もなかった顔でシリアスに語る。
『ケトスは良き友だ。だが、気をつけよ。あやつはネコであり、本来ならば全てを憎悪しつづけている魔性。時に全てがどうでもいいと感じる冷徹な一面もある神。猫であるからな。実際、気に入らない世界だからと、無礼者を世界ごと破壊したことすらある』
「世界を破壊……冗談、というわけではないのでしょうな」
『その世界もまた、異世界人を召喚――奴隷とし使役していた世界であった。自らが楽をするため、労働力や戦力を外から取り込んだわけだな。どういう経緯かは知らぬ、しかしその時のあやつも憎悪の魔性としてあの世界に召喚され、そして――激怒した。その世界もまた、地球と呼ばれる場所から異世界人を奴隷として拉致しておったからな。ケトスは醜きその世界の住人を滅した。文字通り、世界ごと全ての命を破壊しおったのだ。異世界人を召喚し、奴隷としていた、すなわち犠牲としていた世界。ほれ、どこかの世界と似ていると思わぬか?』
状況は確かに、似ている。
こちらは召喚に失敗している世界だが、もし成功していたら。
自国を浪費せずとも戦力や労力を賄える異世界召喚は、便利に使われていた事だろう。
だから声が飛び出ていた。
「――この世界もそうなると……っ?」
獅子の驚愕が松明の火を揺らしていた。
「取り乱してしまい、申し訳ありません」
『構わぬ――だが覚えておくといい、大魔帝ケトスも邪神であるという事をな。誰かがケトスとの好感度を上げておかねば、そのうちにあやつは考え始めるだろう。この世界の住人に、そこまでの価値があるのか、とな』
「大魔帝殿に滅ぼされた世界は……そのあと……どうなったのでありますか」
隆起した首筋を、生唾で蠢かす獅子。
その表情は動揺しているが、眼光に揺らぎはない。
男の強い視線を見て、大魔帝の友は言う。
『ケトスによる破壊の後――奴は自らで後始末を行った。拉致された転生者は蘇生され、全ての召喚被害者は在るべき世界へと戻された。あやつは被害者には慈悲を向ける魔猫であるからな。だが、反面。弱きを虐めたモノには冷酷だ。破壊された世界に生きた者。その中で罪なき者のみが――すぐに再生されたとのことだ』
獅子は言葉の裏を考える。
思い出すのは白銀の魔狼ホワイトハウルの逸話。
生きているのならば、一切の罪を犯していない存在はいない。
罪なき者のみ。
その言葉の意味は、すなわち。
「つまり、本当に全ての命を滅ぼした――というわけですね」
『赤子のみに祝福を与え、他の世界へと保護させたとは聞いておる。友の贔屓を差し引いたとしても、あやつならば、それくらいは容易くできよう。奴は世界がどうなっても構わぬのなら、世界への影響を考えないのなら――本当になんでもできるからな』
「では今、その滅んだ世界には植物や動物だけが生きているということ、なのでありますか……転移で一時的に民を避難させ、戻ってくるという手も考えましたが……あまり考えたくはありませんね」
それは王太子として、民を守る発想だった。
だが、それとは異なる思考が彼を襲うことになる。
直後にロックウェル卿が、意味ありげに告げていたのだ。
『ふむ、これは滑稽。随分と他人事みたいに言うではないか――』
「あの、なにかおかしな点がございましたでしょうか」
『そうかそうか、気付かぬか。その滅んだ世界とやらの上に今、おまえたちが棲んでいるというのに』
既に王太子オスカー=オライオンは聞いていた。
この世界の成り立ちの秘密を知っていた。
ビナヤカの魔像は三千世界と恋のアプリコットの種を、空いていた世界に植えたという。
ならば、こここそが――。
「まさか――」
『うむ、かつて大魔帝ケトスが滅ぼした世界の跡地に、この世界は植えられておるのだ』
「そのような偶然……」
あるはずがない。
そんな言葉が口を伝いそうになった。
『確かに偶然と言えなくもないが、主神を失った世界などそうそうはない。本来ならば滅んでも滅びぬ主神が再生し、再び世界を作りなおすのだろうが……色々とあってな。かつてケトスが滅ぼした世界にいた主神も、今はケトスの友となっており、この世界にはおらぬ。そやつも人間を憎む魔性であるからな……醜きその世界を見捨てたのだ。故に、主神のいない、壊れた土壌のみ残った。そこにビナヤカの魔像が降臨した。それが十五年ほど前の出来事、ちょうどミーシャ姫の前世が死ぬ前後といえるだろう。まあ、同じ十五年であっても……世界が異なれば時の流れも違う、この世界にとってそれは何百年、何千年の時となるだろうが。ともあれだ――それが空いている世界、主神が空席となった荒野の土壌などという、本来ならありえない世界が存在していた理由だ。偶然ではあるが、ある意味では――運命であったといえるのやもしれん』
警告するように神は言う。
『心せよ――ケトスはああ見えて、いかにコミカルにその本質を誤魔化そうと……邪神。本当に、世界でもっとも恐ろしき荒魂なのだ。大魔帝ケトス、余の友たるあやつは破壊神。其れも厄介なのだ』
「どういうことでありますか」
『あやつよりも余の方が回復魔術を得意としておる……しかし、例外もある。あやつは自らの手や魔力で壊したものならば、全て完全に再生することが可能なのだ。破壊神という神性には、死と再生を同時に司る一面があるからな。あやつの場合、本当に全てを破壊して、自分が気に入ったものだけを蒐集……再生させて連れ帰るという強引な手段を取ることもある。手っ取り早かろう? 今それをしないのは、あやつが丸くなった故……再生させるとはいえ、一時でも冥界を混乱させてしまう故、冥界神に配慮をしているだけ。あくまでも気持ちの問題なのだ。故に、やつはいざとなったら本当に全てを破壊する。この世界とて、同じであろう』
獅子は考える。
これが警告なのは間違いない。
「閣下にはそういう未来も見えていらっしゃる、そういうことでしょうか」
『ブレイヴソウルによる滅び、創造神による滅び、大魔帝ケトスによる滅び、そして白銀の魔狼ホワイトハウルによる滅び。この世界には実に多くの滅びの予兆が見えておる。だからこそ、余は楽しい。獅子よ! 余を楽しませよ! そなたがいかに、その滅びをかいくぐり目的を果たすか。それを余も知りたいのだ!』
「実に楽しそうでありますね……閣下」
『実際にケトスに呼ばれて楽しんでおるのは確かだ、だが、それ故に余は汝に協力しておるのだ。そう怖い顔をするでない』
「多少の強面は生まれつきであります――」
若獅子のようなバカ王子。
本来ならばそういうコンセプトのキャラなのだと、オスカー=オライオンは転生者から聞いていた。
ロックウェル卿は凛とした貴族の声音で告げる。
『――さて、ようやく本題だ。聖女も彼らも同時に救う方法ならば簡単である。この世界に縛られている聖女コーデリア。主神たるあの者も、この世界がある限りは永遠に縛られ続けることになる。ブレイヴソウルはこの世界を壊すまでは帰れない。利害も手段も一致しておる。あとは、言わずとも分かるな?』
「この世界をブレイヴソウルが滅ぼせば、コーデリアは解放される……」
『然り――既に聖女はケトスの弟子。魔猫は手を差し伸べた弱きものを見捨てたりはしない。この世界が終わるというのなら、聖女を必ずや無事に連れ出すだろう。そして同時に世界の終わり、それはブレイヴソウルの解放とも繋がる……。そして、この世界にブレイヴソウルを招いたのは他ならぬこの世界の王族たち。自業自得の終わりとも言えよう。おそらく奴は、いざとなったらこの世界の終わりを選択するであろうな』
だからこそ、大魔帝ケトスは邪神であると卿は強調していたのだろう。
世界と、ブレイヴソウルと、聖女。
どれか一つを救うならば、道はある。
既にロックウェル卿が無数の選択肢を提示している。
しかし――その三つを同時に救うとなると、途端に難しくなる。
熟慮し、言葉を選んだオスカー=オライオンが言う。
「大魔帝ケトス殿は、この世界を見捨てる可能性が高い……ということでしょうか」
『どちらを優先するかという話だ。基本的にケトスはお人好しでお節介だ――全てを救えるのならもちろん、全てを救うだろうが……簡単な話ではない。そもそもこの世界の住人は、ケトスへの好感度をあまり稼げておらんからな。弟子としたコーデリア、そしてはじめに手を差し伸べたブレイヴソウルたち。共にこの世界の犠牲者ともいえる弱者だ――弱き彼らと、さほど好感度を稼げていない世界そのものとを秤にかけたとしたら――ケトスは当然、余ですらも前者を選ぶ』
大魔帝ケトスには、召喚で他の世界を害していた世界を破壊していたという、前例もある。
言葉を受けたオスカー=オライオンは鼻梁に濃いシワを刻んだ。
考えているのだ。
このままだと世界が滅ぶと言われたのだ、考えもするだろう。
大魔帝ケトスがどう動くか、まず獅子は考えた。
人間や亜人。
いわゆる人類というものを優先的に保護しなくてはならない、そんなルールはない。
大魔帝ケトスにとって、命は等価。基本的に全てを下に見ているのだから、常に人類の味方であり続けるなどありえない。
人間は人間こそを優先するべき、されるべきと考えるが、神に言わせればそれはエゴ。
とんだ勘違いなのだろう。
大魔帝ケトスも神鶏ロックウェル卿も人間を優先しない、ある意味で平等な存在と言える。
言葉が出ていた。
それはあくまでも確かめたいという願望だった。
「あなたがたの立場や考えは理解できました。それを否定することも、異を唱えることもありません。ただ、確認させていただきたいのですが。もう一柱の、その……三獣神の方の……」
『白銀の魔狼ホワイトハウルのことか?』
「はい、もしその方に介入していただけるなら、どうなるのかと……。その、審判の獣だと恐竜魔物から伺ってはいるのですが」
ロックウェル卿は露骨にげんなりと翼を落とし。
論外だ、論外、と表面がカリっと焼けたハムをクッチャクッチャ。
『よせよせ、あやつも余の友であり強大な獣神である事だけは保証するが。この世界との相性が最悪過ぎるぞ』
「と、おっしゃいますと」
『奴は公正ゆえに本当に融通が利かぬのだ。時に、道を誤れば――自らの飼い主たる主神すら噛み殺してしまう程にな。この世界には罪が溜まっておる。この世界の住人が私利私欲で異世界召喚を実行し、失敗し続け発生したブレイヴソウルこそが、その証拠。既に粛清の対象圏内。そも、賢き王太子よ――異世界から許可なく命を召喚するという行為自体が、大きな罪。誘拐行為であるとは理解しておるのだろう?』
多くの転生者を見てきた獅子は頷いていた。
「――ワタクシが出会った転生者は皆、ゲームの世界に逃げたいとそう願っていたら来てしまった、そう語っていましたが……そうではない者が彼らブレイヴソウル。本当に何の関係も因果もなく呼ばれてしまった死者たちが彼ら、ということなのですね。ならば、まずはその召喚の儀式を止める事を優先しなくてはならないのではないか。これ以上、犠牲者を増やすべきではない。ワタクシはそう考えておりますが……」
『それは無用。もはや勇者召喚の魔術は発動せん』
「発動しない、でありますか」
『うむ、もはやあの魔術式そのものがロスト。消失したのだ。ケトスや我等の手によりな。故に新たな犠牲者がでることはない……言い換えれば、彼らはケトスが勇者召喚を封じる前に発生していた犠牲者、ということであろうな』
大魔帝ケトスが勇者召喚魔術を封印した。
それもあの魔猫の逸話の一つなのだろうが。
「今回の件と、その件とは」
『関係ないであろうな――』
続けてロックウェル卿は目線だけを上に向け。
『黎明の神が元の世界に帰りたいと願った、故に異世界召喚と言う技術に手を出した。実際にその世界からやってきたのだ、帰りたいと願うのは当然よ。それならば理解できるがな。だがその後の世代となれば、情状酌量の余地もない。その子孫が平和を願い、強大な存在を滅ぼしてもらうために勇者を召喚した、そんな英雄譚ならまだしも……人間同士の争いのために勇者を召喚しようとしていた、それはさすがに問題外であろうて。故に、ホワイトハウルにだけは頼れんぞ』
ロックウェル卿は木の棒でカキカキカキ。
地面にシベリアンハスキーと呼ばれる異世界の犬の顔を描き。
その犬顔に激怒の表情と稲光を纏わせ、告げる。
『召喚儀式とは非道なる拉致。紛れもない重罪なのだ。奴が知れば大激怒は避けられぬ。それは神の雷となって、汝らの世界全てに降り注ぐことは明白。どれほどに許しを乞うても、無駄。ホワイトハウルはそれを許しはしないだろう。仮に審判の席を設けたとしても、即採決が下り――世界の終焉。連帯責任としてこの世界そのものが神の轟雷に沈み、転生すらできぬ焦土と化すのは目に見えておる。ケトスからの紹介とは言え、さすがに転生不可能な状態にまで神の裁きを受けた世界を、回復――蘇生させてやる義理は余にはない』
それは裏を返せば手段はある。
義理や義務さえあれば、この気高くも愉快なロックウェル卿ならば可能であるという事。
もっとも、その義理や義務を発生させることは不可能に近い、故にこの案はない。
そう判断しながら獅子が言う。
「つまりはホワイトハウル様のお力をお借りすることは」
『確実に無理であろうな。余にすら、その未来の片鱗はこれっぽっちも見えん。それがたとえケトスの頼みであっても、ヤツは世界を裁定するであろう』
多くの可能性。
多くの解答を提示した未来を知る三獣神。
ロックウェル卿は言う。
『さて――あくまでも選ぶのはおぬしだ、オスライオン……いや、オスカー=オライオンよ。余が提案するのは二つの答え。既に汝が好感度を稼ぎ終えているブレイヴソウル、彼らを従え世界を滅ぼし彼らと聖女を救うか。あるいは、この世界の者達と協力し、世界を滅ぼすブレイヴソウルを滅ぼし世界と聖女を救うか、この場合は聖女はおそらく主神として永遠にこの世界で祀られる。それが幸せな事かどうかは、余には分からぬ。どちらにも可能性、解答はある。ただ神託を下そう――余には見えている、どちらを選んでもお前ならば成し遂げられるとな。それだけは保証しよう、邪神猫の友として』
獅子は言った。
「神ロックウェル卿――無礼を承知で質問させていただきたいのですが」
『構わぬ』
「もし、ワタクシが今、あなたが見えている未来よりも強くなっていたとしたら。今は見えていない、全てを救う未来を掴むことは可能、なのでしょうか?」
言葉を受け。
ロックウェル卿はフハハハハっと嗤った。
不遜だったからだろう。
だが。なるほど、ケトスが気に入った訳だと妙に嬉しそうな顔をし。
『余に見えている世界の流れを変える手段は存在する。それは禁術と呼ばれるほどの魔術の影響で未来が変動した時、そしてもう一つ。余やケトスのような強大な存在が動く時。特にケトスは可能性の塊……あやつが欠伸をするだけでも未来は常に変動し続けておる。故に、汝の質問に答えよう。既に大魔帝ケトスと接触した汝には、未来を大きく変える力がある。つまりは汝の努力次第だということだ――ただ、せめて今の聖女ぐらいには強く、この不帰の迷宮の踏破ぐらいできねば、話にもならぬぞ?』
強くなれば、可能性はある。
聖女と世界とブレイヴソウル、全てを救う道はある。
それだけが分かれば十分だった。
獅子は神鶏に感謝し頭を下げ、前を見た。
遠く先にある、掴むべき未来を見た。
だから若獅子は迷宮探索を再開した。
強くなるため。
全てを救うため。
問題があるとするならば一つだけだろう。
だが。
ロックウェル卿には見えていた。
全てを見通す神鶏には、見えていた。
けれど、その獅子の心。ライオンハートに敬意を表して口にはしなかったのだろう。
獅子の冒険は続く。
ブレイヴソウルすら味方とし、迷宮の奥へと進んでいく。
いずれ必ずその最奥。
大魔帝ケトスの下へとたどり着くだろう。
不帰の迷宮の攻略を進める獅子を見て。
誰にも聞こえぬ声で。
誰にも届かぬ声で。
全てを覗く神鶏は、憐れむように告げていた。
朗々たる、神たる鳥の王の声が。
闇の中で蠢く。
『獅子よ――ああ、気高き魂よ。お前は全てを救うだろう。だが、なにゆえ。なにゆえ――そのすべての中に何故。
己の存在を入れなかったのか。
ああ、オスカー=オライオンよ。全てを救う代わりに、その身を投げ出す覚悟がある者よ。勇ましき者よ。汝を示す言葉を余は知っておる、それはすなわち勇者。
だが……それは優しさなどではない。そなたは何よりも、誰よりも傲慢なのだろう。
お前は強く輝く光。世界と聖女と邪霊が救われた時、お前は既に勝者の宴の席には無し。
いつかお前の苦労が報われた時、多くの者はお前の物語に嘆くであろう。それでもおまえは、自らを犠牲に前に進む。なんと愚かな、だから人間を余は好かぬのだ。
残された者の心を想えぬ……その心だけは、あまり褒められたものではない。余は、そう思う。そう思うのだ――獅子よ』
神鶏ロックウェル卿の翼の上に、獅子英雄譚と呼ばれる魔導書が生成される。
それは自分以外を救おうと動いた王太子の物語。
神鶏には彼の悲しい終わりが見えていた。
それでも神鶏が獅子を止めなかったのは。
その心に触れたからだろう。
気に入ったからだろう。
気に入らない存在ならば、その決意を踏みにじって嘲笑ったのだろう。
説教したのだろう。
残された者の心を、上から目線で説いたのだろう。
けれどそうはならなかった。
神鶏は獅子の決意を尊重したのだ。
だから、獅子は突き進む。
神鶏の恩寵を受け――。
自分以外の全てを救う、その未来を掴むために――。
◆
王太子オスカー=オライオンが不帰の迷宮を最奥に到着したのは、それからしばらく後の事。
世界が血の鋼鉄令嬢アンドロメダの騒動に揺れる裏。
冒険者ギルドの悪事が暴かれ、大きく世界が動いた時期の出来事であった。
不帰の迷宮の最奥祭壇。
獅子は魔猫と相対した。
大魔帝ケトスはその身を神々しいケモノと変え、じっと男を眺めていた。
まるで値踏みするかのような、ぞっとするほどの赤い瞳で――。
魔猫の王たる神が咢を蠢かす。
『我はケトス。大魔帝ケトス――異世界の邪神なり』
と。
これはコーデリアやミーシャ、ミリアルドも知らない世界の裏の物語。
神鶏が最も警告していた、全てを救う上での最難関。
世界を終わらせる邪神との最後の会話が今、始まろうとしていた。