第140話、◆不帰の迷宮に帰る者◆―その1―
◆【SIDE:オスカー=オライオン】◆
亡命先である山脈帝国エイシスでの、一連の騒動を終結させた聖女。
聖コーデリア卿となったコーデリア、彼女が北の魔境で騒ぎを起こしている裏。
赤き舞姫こと転生者サヤカと、天使であり魔皇であるアルシエルの不思議な関係に、変化が訪れていた物語の片隅。
若獅子オスカー=オライオンは再び、不帰の迷宮の攻略を開始していた。
理由の一つは強くなるため。
そしてもう一つは、とある魔物を探しているのだ。
スラム街の路地裏での出来事の後。
大魔帝ケトスが言ったのだ。
彼を探せと。
その相手こそが、三獣神の一柱。
そもそも三獣神とは何なのか。
それはあまりにも強大な存在ゆえに、多くの異世界に名を知られている三匹のケモノの総称。
彼らは友であり、彼らは共に神であり、彼らは共に何者かの部下。
名を口にできぬ、とある存在に仕えているとされている。
ともあれ、その三獣神の一柱がよりによって不帰の迷宮に興味を持ち、徘徊。
レアモンスターとして登録されているという。
それは大魔帝ケトスの遊びの一つだったのだろう。
紹介もしてやるし、呼んでおいたが――自分で探せという。
どちらにせよ、今の君では力不足。
人間としては頑張っていると認めるけれどね。
せめて今のコーデリアくんと並ぶぐらいには、頑張りなよ――と。
くはははははは!
あの太々しい顔の黒猫は、それはそれは面白がった顔で嗤っていたのだ。
だから獅子は再び帰ってきた。
不帰の迷宮に帰ってきた。
何度もリポップする魔物たちは大喜びである。
ああ、また遊べる、と。
ただ以前とは違い、若獅子オスカー=オライオンの仲間は少し変わっていた。
ダンジョン探索のアイテムを確認しながら歩く若獅子の横には、ノッシノッシノッシ♪
例の恐竜魔物がついてきている。
さりげなく尻をタッチしようとしてくる恐竜を睨み。
それをセクハラと言うらしいな、と釘を刺して……こほん。
若獅子ことオスカー=オライオンが、松明の灯りでくっきりと浮かび上がる唇を、呆れさせながら上下させる。
「……付き添ってくれるのはありがたいが、なんでネコじゃなくて恐竜の姿なんだ。どちらかと言えばネコの姿の方が本性なんだろう?」
『ぐふふふふふふ! まだまだ知識不足であるぞ、オスライオンよ』
「だから、オスライオンじゃなくてオスカー=オライオンだっての……まあ、いいけどよ」
短い手でぐふふふふっと咢を押さえ、恐竜魔物がドュフフフフ顔で言う。
『今我らが探しておる神鶏ロックウェル卿様は、全ての鱗持つ者の王なのだ。恐竜魔物である我はロックウェル卿様の眷属にも分類されるでな。おそらくは話もしやすいだろうという、乙女の気遣いであるのだが?』
あるのだが?
あるのだが?
ん? ん? っと、恐竜魔物はドヤ顔。
オスカー=オライオンの黄金草原のような髪をファサファサと撫でる。
若獅子は微笑し、貫禄の滲んだ息を漏らす。
「鱗持つ者の王、ねえ……鳥だって話だったが」
『厳密に言うのならニワトリ。外の世界の家畜であるな。姿はそうであるな……ロック鳥やコカトリスといった鳥系魔物に近いとは聞いておる。鳥とは爬虫類の進化の先にあるケモノ、故に、鳥の王たるかの御仁は、我等爬虫類の王でもあり、我等を使役できるのだ。魔竜とて、おそらくはあの方の眷属となるであろう』
「竜たちの王……そりゃ、たしかにやばそうな存在だが。強いのか?」
オスライオン氏は何も知らぬのだなと、ぐふり。
恐竜魔物は鎧越しに獅子の胸筋を覗き込み。
『よかろう――語ってやる。我が知る、三獣神の話だ。心して聞くが良いぞ?』
「わかったから、胸を揉もうとするな……」
『我は鎧を叩いているだけであるが?』
「おまえ……それ、女冒険者に男冒険者がやってたらどう思われるのか、考えてみた事はあるか?」
恐竜魔物は目線だけを上げて考え。
誤魔化すように、こほん。
三獣神の話を語りだした。
◆◆◆
この三千世界……多くの異世界を内包する宇宙と呼ばれる空間には――。
三獣神と名付けられた、決して敵に回してはいけない三柱のケモノがいる。
一柱は憎悪の魔性と呼ばれし邪悪なる獣神。
永遠に憎悪し続けるケモノ。
その名を大魔帝ケトス。
主な権能は破壊。
そして、条件付きの全能。
本当に、条件さえ気にしなければどんな事さえ可能なほどに、強大な神なのだ。
だが、その条件はあまりにもリスクが大きすぎる。
規模が大きすぎる。
彼は手加減を苦手とする猫神。だから全能能力の条件も単純だった――。
全ての行動に枕詞が付くのだ。
世界がどうなってしまってもいいのなら。
世界への影響を一切考慮しないのなら。
世界が壊れてしまってもいいのなら。
――と。
最も得意とする権能はやはり、破壊だろう。
その姿は太々しい顔をした黒猫。
不帰の迷宮のダンジョンボスにして、世界最強の魔猫。破壊の衝動にその魂を黒く染め続ける荒魂。
かつて人間に己を殺され、そして愛する想いネコさえ無残に殺され――その憎悪を魂に抱き続け、永遠に人と世界とを憎悪し続ける邪神猫。
大魔帝ケトスはさまざまな人間、魔物、神と出逢い憎悪を鎮めた。
消せぬ憎悪をグルメと遊びへの欲求に変換し、破壊の衝動を誤魔化し、三千世界そのものを壊してしまう終焉を避け続けている状態にあるという。
数少ない弱点ともいえるのが、女子供に甘いこと。
そして、一度でもグルメを堪能しながら会話をする間柄になってしまったら、相手を見捨てられなくなることだろうか。
だから彼を知る全ての人々は語るのだ。
もしあなたが大魔帝ケトスと出逢ったのならば、グルメで持て成し、会話をしなさい。
気まぐれなる神は、ノリと気分次第であなたを助けてくれるのだから。
それがたとえ善人であっても、たとえ悪人であっても、そこに猫の気を惹く一筋の光さえあれば――可能性はゼロではない。
だが気をつけなさい。
かの神はきまぐれなるネコの神。
あなたがかの神のお気に入りになる、その前に――機嫌を損ねてしまったのなら。
あなたの首は飛んでいる。
かの神は談笑しながら、あなたの首を刎ねるだろう。
そこに殺意はなく。そこに悪意もなく。
ただ気に入らないから、排除するだけ。
なぜなら大魔帝ケトスはネコなのだから、気に入られるまでは全ての行動が死と隣り合わせとなるだろう。
二つ目の柱は、嫉妬の魔性と呼ばれし聖なる獣神。
永遠に嫉妬し続けるケモノ。
その名を白銀の魔狼ホワイトハウル。
主な権能は結界と浄化、そして裁定。
その姿は冷淡なるも神々しい狼。
原初、天照大神の流れを汲みし大いなる光の眷属にして、審判と裁定の神獣。
大魔帝ケトスが魔に属するモノならば、彼は聖にして魔となった者。
そして聖の主神としての座を約束された、力強き神。
全ての罪を公正に裁き、容赦のない罰を与える天上世界のナンバーツーである。
厳正過ぎる故に融通は利かず、人も魔も、神さえも……かの魔狼に怯える――。
何故なら白銀の魔狼は審判者。
一度罰すると決めた相手を逃がさない。
どれほど逃げても追いかけてくる。大魔帝ケトスが宇宙を容易く散歩するように、かのケモノは次元を自由に渡り歩き、どこに逃げても追いかけてくるのだ。
その罪を裁きに。
だから白銀の魔狼は審判者であり悪心への抑止力、人々は正しく在り続けようとするのだ。
彼と出会ったら嘘をついてはいけない。
裁定者は嘘を見抜き、あなたの魂を無限牢獄へと問答無用に閉じ込めるだろう。
全ての罪、些細な所業まで暴かれ――永遠に、終わらない裁定を受け続けるだろう。
自分ならば大丈夫。
清廉潔白に生きている。
だから平気だ。
そう――あなたがもし罪を一つも犯していないと思っているのなら。
気をつけなさい。
あなたには最も重い罰が下る。
命として生き、そこに暮らしがあるのなら――。
一つも罪を犯したことのない存在など、いないのだから。
自らの罪を自覚せぬ罪人こそ、もっとも彼が憎むもの。
誰しもが、この白銀の魔狼の審判を受ける可能性がある。
彼が許せるのは罪なき、生まれたばかりの赤子ぐらい。
あなたが赤ん坊でないのなら。
その罪を自覚なさい。
魔狼に、その罪を裁かれたくないのなら――。
そして三獣神、最後の柱こそが怨嗟の魔性。
永遠に怨嗟し続けるケモノ。
その名を神鶏ロックウェル卿。
その姿は尾羽美しき白き鳥、血の色の鶏冠を持つニワトリ。
主な権能は、状態異常攻撃と回復。そして未来視。
もしあなたが彼と出会うなら、気をつけなさい。
かのケモノは他の二柱とは違い、他者を愛していない。憎んですらいない。
そこにあるのはただの無。
人間も魔物も神さえも彼にとってはただの石。全てが道に転がっている邪魔な異物にしか思えていないのだから。
だが、もし彼が愛する数少ない存在からの紹介があるのなら、あなたにはまだ可能性があるかもしれない。
神鶏ロックウェル卿。
彼が愛するのは友と主人。
もし三獣神からの紹介があるのならば、話だけは聞いてくれるだろう。
それでも気をつけなさい。
であったが最後、あなたは全てを暴かれる。
神鶏ロックウェル卿。
彼は全てを石化させるもの。
彼は全てを眺めるもの。
ありとあらゆる可能性を知ってしまうケモノ。
出会ったその時、その瞬間に、あなたの全ての可能性は暴かれる。
もし彼が眺めたその先に、望む未来がないのなら。
可能性が皆無なら。
ゼロならば。
彼は憐憫することもなく蔑むこともなく、あなたに告げるだろう。
その望みはたとえ神とて叶えることができない――と。
けれど、けして怨嗟を抱いてはいけない。
かの神は絶望に歪み、可能性のない世界を怨嗟するあなたの顔を見て。
一握りの憐憫を抱くだろう。
その憐憫により、あなたは永遠の眠りにつく。
嘆くあなたの怨嗟に惹かれ、魅入られた神鶏はあなたをコレクションに加えるだろう。
それは鳥が小石や宝石を集めるのと同じこと。
気に入ったから石化させ、その住処たる霊峰に持ち帰る。
かの神は、あなたを永遠に石化させ続けるだろう。
あなたはそこで見続ける。
終わりを見続ける。
いつか三千世界が終わる日。幾億年より先、那由他の遥か彼方にある静寂。
全ての終わりが来るその日まで――。
◆◆◆
厄介ものだらけの三獣神。
その逸話を魔物の口から聞き終えて――。
オスカー=オライオンがみせた表情はコミカルな困惑だった。
険のある王太子の美貌に浮かぶ、戸惑い。
その鼻梁と眉間の皴を拝む恐竜魔物に、一切のブレはない。
推しの歪む顔もまた、眼福――と、汚い笑みで表情を溶かす彼女をスルーしつつ。
はぁ……と若獅子は息に言葉を乗せていた。
「三獣神が尋常ならざる異世界の神。強大な存在だってことはわかるが、あんまりピンとこねえな」
『仕方あるまい。規模が大きすぎる故、我等にさえその闇の一端程度しか感じることができぬのだ。そもそもこの逸話とて魔導書に記された、一節に過ぎぬ。かの御仁らにはもっと多くの逸話が眠っておる。それら全てを蒐集しようとしている者もどこかにいるのやもしれんが――』
「だいたい掴みどころのない神々を記した魔導書ってのは信用できるのか? 疑ってるわけじゃねえが、可能か不可能かの問題の話なんだが」
言われた恐竜魔物は考え。
答えようとした、その刹那の間。
彼らは一瞬にして、違和感を察して振り向いた。
カッシャカッシャカッシャ♪
音がしたのだ。
けれど何もいない。
ただただ、迷宮の闇が広がっている。
若獅子と恐竜魔物は顔を見合わせ――歩みを再開するが。
カッシャカッシャカッシャ♪
クワワワワワ!
また、音がする。
まるで後ろをついて歩いているような――。
すぐ近くで、鋭い鳥の爪が、ダンジョンの床を掻き歩くような音である。
「そこに、いらっしゃるのですか――?」
『ふむ、見て分からぬのか――脆弱なる人類よ。ケトスの紹介とはいえ、所詮は下等存在ということか』
返事はあった。
やはりいるのだ。
そこに大いなる、存在がいる。
その筈なのに、何も見えない。
試されているのだろう。
そう判断し息を飲んだ若獅子の心に、緊張が走る。
「ワタクシはオライオン王国が王太子……」
『良い、余は全てを知っておる。貴様の事も、そこの恐竜の事もな』
松明に輝くのは獅子の黄金色と夕焼け色。
緊張で垂れる王太子の前髪が、額に一筋、張り付いている。
何もいない場所から――。
声が。
響いた。
『それよりも先ほどは面白い話をしていたな――ニンゲンと哀れなる魂よ。あの逸話魔導書であるが――信用して良いだろうと、余は告げてやる。多くの世界に発生しておる異界魔導書、実際に魔術の発動が可能な神を記したその書物。それらの著者は二名、我らが主たる魔王陛下――そして時間と次元から隔絶された空間にて物語を眺めつづけるケトスの娘、その二柱が世界の流れを変えるため、或いは……ただ戯れにバラまいておる逸話の書。その記載に偽りがないことは、この余が証明しようぞ』
声だけがするが、何もいない。
不可視の魔術か?
整った唇から、若き獅子の美麗な声が漏れる。
「どういうことだ。誰も、なにもいない……だと」
『何処を見ておる、余はここぞ、ここ! 獅子たる王の息子よ、下だ、下。まったく、拝謁を許したというのになんたる不遜! 貴様の無駄に長い脚の下に、世にも美しき神がおろう! さあ、余の麗しき鶏冠を見よ! 翼を見よ! 尾羽を見よ!』
たしかに、足元に白いふわふわな羽毛がある。
緊張したまま――喉ぼとけを揺らし息を飲み。
首の隆起に汗を滴らせた王太子が、目線だけをゆったりと下げると――。
そこには、異界の書物で目にしたことのある家畜化された鳥。
赤い瞳を持ったケモノ。
白きニワトリがいた。




