第137話、◆獅子英雄譚◆―その4―
◆【SIDE:オスカー=オライオン】◆
あれからしばらくの時が過ぎていた。
不帰の迷宮の入り口の捜索は、続いている。
約束通り――クラフテッド王国の冒険者ギルド崩壊の結果を受け、かつて女スパイだった女性が行っている。
世界としては大きな動きが二つあった。
魔物ですら脱兎のごとく逃げ出す謎の存在、迷宮女王の登場。
そして、山脈帝国エイシスに亡命していた聖女コーデリアが、暗黒迷宮と呼ばれる新地帯の領主となっていた事。
クラフテッド王国から追放された聖女が健在であり、復讐を望んでおり。
なおかつ、先帝の暴走により弱小国家となっていた山脈帝国エイシスに亡命した。
クラフテッド王国にとってそれは二重のダメージとなる。
世界の均衡が崩れかけていたのだ。
世界が揺れている理由の一つには、魔物の大移動が起こっている影響もあったのだろう。
北の魔皇アルシエルもミッドナイト=セブルス伯爵王も、突如として発生した魔物の大移動の対処に尽力し、大きく動けないでいる中。
黄金髪の獅子、オスカー=オライオンは動いていた。
山脈帝国エイシスの宮殿に忍び込ませていた部下が、魔術メッセージを飛ばしてきたのだ。
あの国の腐った教会組織が、生贄の確保のために使っているスラム街。
教会に動きを押さえられ、若き賢王ダイクン=イーグレット=エイシス十三世が手を出せないでいる地域に、あのミーシャが現れたというのだ。
コーデリアを追って、その命を狙っているのだろうか。
若獅子はさすがに呆れの息を漏らしていた。
あの聖女の力はもはや次元が違う。
課金アイテムと呼ばれる転生者の力を用いても、届く領域にある存在ではない。
なのに命を狙う――その浅慮を心底から理解できなかったが――。
「あれは何をするか分からない――」
若獅子は獅子王に告げた。
あの姫は必ず世界を混沌に至らしめる、可能ならばここでその首を討っておきたいと。
獅子王の承諾を得て、若獅子は迅速に行動する。
オライオン王国を苦しめる元凶となったミーシャ姫を討伐するために、彼もまた、あの地域に潜伏することにしたのだ。
だが――。
寒空の下、白い吐息がスラム街の隙間へと消える。
「どういうことだ、これは――」
若獅子が到着したときには全てが終わっていた。
何者かが聖女をうまく使い、騒動を終わらせていたのである。
その正体は鷹目の褐色男。
山脈帝国エイシスの賢王ダイクン=イーグレット=エイシスは、噂以上に賢い若者だったのだろう。ゲームとしての知識にあった、外見だけのマザコン男ではなく、国のために叡智を使う正しき王だったのだ。
だが問題はそこではない。
バケモノと化した巫女長を解呪で元の姿に戻す、聖女の活躍の裏。
スラム街のゴミの山の上に、それはいた。
息を引き取ったミーシャである。
あれほどにクラフテッド王国を私物化し、あれほどにオライオン王国を貶めた悪女が――どういう心変わりをしたのか、自らの天使と戦い、相討ちとなり教会の鐘と共に落ちて来たのだ。
姫は満足そうな顔をして死んでいた。
まるで改心して、やりきったと言わんばかりの安らかな死に顔なのである。
多くの民の不幸。
多くの涙を知っていた若獅子オスカー=オライオンは手を伸ばす。
このまま、死んだまま逃げるなど許せるはずがない。
天使に利用された少女であったとしても、悪事の限りを尽くした悪人。
クラフテッド王国を騙していたのなら、王国からの報いを、民への償いを。
周辺国家からの制裁を――生きたまま受けるべきだろうと、若獅子は冷徹に詠唱を開始する。
それは異界の神の力を借りた魔術。
転生者たちから譲り受けた魔導書。
「我はオスカー。王太子オスカー=オライオン。黎明に在りし神々、獅子王の系譜たる者なりや――訴えるは霊峰の主。全てを見通す癒し神。我が声に応えよ、鳥の王よ、鱗持つ全ての鳥たちの頂点よ」
昏く冷たいゴミの山の姫の周囲に、淡い緑の光が生まれる。
これは蘇生の光。
オスカー=オライオンは治療魔術も扱える。
転生者の仲間にも告げていたが、死んだ直後なら蘇生もできる。
罪人に死よりも辛い、罰を。
そう願った詠唱だった。
しかし、遺体に触れたことで王太子オスカーは知ってしまう。
ミーシャの物語の一部が、翳した手のひらから流れ込んできたのだ。
事切れた彼女は転生者。
肉体を失い――行き場を失いさまよう魂が、走馬灯を映し出していたのだ。
そしてオスカー=オライオンは人間でありながら、人間としての器を超えた存在。だから、蘇生魔術により翳した魔力が接点となったのだろう。
その走馬灯を読み取ることができてしまったのだ。
◆◆◆◆
流れ込んでくる記憶が不快だったのだろう。
それはまるで獅子の唸り。
若獅子は美麗な端整に、くしゃりとした――露骨なシワを刻んでいた。
「ちっ……嫌なもんを見せやがって」
蘇生魔術の難しい詠唱の中。
姫の記憶が流れ込んでくる。
転生者の存在を知っていたオスカー=オライオンは知っていた。
この世界にやってくる転生者の多くは、かつての世界で居場所を失っていた人間ばかり。
稀代の悪女、ミーシャ姫もそうだったのだろう。
追い詰められ。
助けを求めることもできずに、崩壊していく彼女の前世が見えていた。
そして、自ら死を選びこの世界に生まれ直した場面も見えていた。
姫として、主人公として生まれ変わった幸せな人生が続き。
やがてその幸せが当たり前になり、幸せが当たり前になると次第に欲が出たのだろう。
そして同時に恐れを覚えたのだろう。
表では豪華な暮らしと名声に浸りながら。
裏では、恐怖していた。聖女への嫉妬から始まる、昏い感情だ。
自分の居場所をまた失うのではないか、そんな恐怖で悪夢にうなされ始めていたのだ――そんな時に、悪魔のようなミーシャの天使に利用され。
そうして悪女としてのミーシャの姿が出来上がっていく。
初めは、本当にただ自分の場所を守りたかっただけなのだろう。
優秀過ぎる友達。
コーデリアに嫉妬していただけだったのだろう。
それでも友達だ。生まれ変わる前にはいなかった、友達だ。
だから、それでもコーデリアに面と向かって文句を言っても、心では仕方ないわね、と笑っていた。
笑みが笑みではなくなった。
そのきっかけはおそらく、ミリアルド。
兄のミリアルドが聖女としてのコーデリアを気にし始めたことか。
ミリアルドがコーデリアに恋をしそうになった。
それが、全てのきっかけ。
ミーシャが道を踏み外す因となったイベント。
自分を愛してくれる、甘やかしてくれる自慢の兄を取られそうになった――その時に爆発した嫉妬や恨みといった悪感情を倍増させたのが、天使の”洗礼の矢”。
愉快犯な天使の矢を受け、方向がほんのすこしズレていく。
ある日、ミーシャはコーデリアに意地悪をした。
一つ意地悪をしたら、すっとした。罪悪感もあったが、それでもコーデリアが自分の居場所、兄を奪おうとしていたのだから。
コーデリアが悪い。
だから自分は悪くない。
……。
だが、彼女の理性は言っていた。
どう考えても自分が悪いのだと、転生する前の経験が自分の失態を羞恥する。
謝らないといけないと、彼女の道徳は彼女の心を戒めた。
明日謝ろうと思った。
けれど、謝れなかった。
許して貰えないかもしれないと思うと、ごめんなさいと言えなくなってしまったのだ。
謝りたかった。
けれど、謝れなかった。
次の日も、謝れなかった。
ミーシャは少し怖くなった。
コーデリアが父や兄に言いつけると思ったからだ。
けれど、コーデリアは何も言わなかった。
密告などしなかった。
怒らせてしまってごめんなさいねと、ミーシャに頭を下げていた。
ずっと父や兄に怒られると思っていた。
友達になんてことをするんだと。
けれど、そうはならなかった。
コーデリアは頭を下げている。
ミーシャは拍子抜けをしてしまった。
同時にこうも思った。
ああ、やっぱりこの世界では自分は何をしてもいいのだと思ったのだ。
されるはずもない密告に怯えていた自分が、バカみたいに思えていた。
ごめんなさいと、言おうと思っていたのに。
言う必要なんてなかったのだと。
次第に怯えていた自分にイラついた。
イラつかせたコーデリアに腹が立った。
だから、彼女は二度目もやってしまった。
罪悪感よりも満足感の方が上だった。
三度目となればもはや罪悪感も消え、ミーシャの中に万能感が芽生え始めていたのだろう。
今度はコーデリアだけではなく、他の家臣にもしてやった。
自分の悪口を言う、嫌な家臣たちだ。
天使が言っていた、ああいうのは早いうちにお仕置きをしてやるのが王族の務めってやつじゃないかなぁ? だって、今のうちに釘を刺しておかないと、ミーシャ、おまえが虐められてしまうかもしれないよ?
と。
今回の人生では絶対に虐められたくなどない。
だからミーシャは課金をした、課金アイテムの力で家臣たちの悪事を露呈させ、それを父と兄に密告した。
お父様の部下の方を、悪く言いたくないのですけど……と。
父と兄は感心した。
その家臣たちがしようとしていたことは、反逆。偶然にも国家転覆を企んでいた、本当に悪い家臣たちだったのだ。
父を中心に、大人たちはミーシャを褒め称える。
怖かっただろう、よく見抜いてくれたと。
褒められてしまった。
全てがうまくいってしまった。
ミーシャは思ったのだろう、やはり自分はこの世界の主人公なのだと。
もはやミーシャは止まらなくなってしまった。
なにをしても、うまくいく。
なにをしても、褒められる。
ただ一つ、なぜかうまくいかないのはコーデリアが絡んだ時だけ。
だからミーシャはコーデリアをより、敵視した。
あの子がいなければ、そう思うようになっていた。
ミーシャが多くの啓示を与える度に、周囲からの評判は上がっていく。その反面、その名声と評判を失うのがどんどん怖くなっていた。
それらはミーシャの力ではない、あくまでも課金アイテムの力だ。コーデリアとは違い、ミーシャ本人は大した力もない転生者。
本物の聖女には敵わない。
だから怖くなった。
怖くなって、怖くなって。
自分の居場所を守る、そんな正当性を持ってしまったからだろう。
ミーシャは既にコーデリアを消す計画を練り始めていた。
まずはバカなオライオン王国の王太子と接触しよう。全部あいつのせいにするのもいい、どうせこの世界はゲーム。あのモブキャラ、別に好きでも何でもなかったし。
と。
全てをやり切り、もはや独裁的な権力を有した時。
ミーシャは知ってしまう。
知らされてしまう。
自分がもはや、取り返しのつかないことをしてしまっていたのだと。
ミーシャの天使は嗤っていた。
あの日の、弟のように。
父や母に好かれて要領の良かった弟が、父や母に自分の悪口を信じ込ませていたあの日のように。
キースの亡骸の上で嗤いながら。
天使が言ったのだ。
この世界はゲームじゃない。
と。
気付いた時にはもう遅かった。
なにもかもが、手遅れだった。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
反省してももう遅い。
彼女の行った蛮行が、どれほどの民の心と魂を虐げたか。
どれほどに謝っても、もう、取り返せないものは確かにあるのだ。
だから、若獅子は告げたのだ。
死んで逃げるなど許せないと蘇生魔術を詠唱したのだ――。
その筈だった。
だが。
詠唱が、途絶える。
◆◆◆◆
しばらくした後。
緑の光は消えていた。
呪文をキャンセル、その詠唱を破棄していたのだ。
若獅子の口から、憐憫の言葉が漏れる。
「あの時、初めにコーデリアに意地悪をした、あの時に謝れていたら……おまえはここまで歪まなかったんだろうな。バカで不器用で……人との接し方を知らない、可哀そうな女の末路が、これ、か」
加害者側の事情など知りたくもなかった。
知るつもりもなかった。
だからこれは、事故のようなものだった。
だが。
獅子たる男は知っていた。
多くの転生者たちと出逢っていた。
彼らは皆、本当に辛そうに自らの過去を眺めていた。
前世を、眺めていた。
何人かは、忘れさせて欲しいのだと、閨に忍びより男の耳朶に嗚咽を漏らしながら――震えて語っていた。
黄金の髪を濡れた肌に重ねて、若獅子は聞いたことがある。
なんで、そんな世界に帰りたいんだと。
女は男の腕の中で、語った。
獅子に包まれ、瞳を閉じて……告げるのだ。
あの時は本当に、逃げたかった。全てを忘れて、ゲームの中に……いっそ、この、三千世界と恋のアプリコットの中に、入り込みたかった。けれど、この世界に来て思ったのだという。結局は、変わらない。
むしろ、あの日々は平和だったのだと。確かにつらいことが多い社会だった――。
それでも。
あの日常の中にも幸せがあったのだと、ただ見えなくなっていただけだったのだと、あの世界に帰り、今度こそ何事もなかったような幸せを取り戻したい、やり直したいのだと。
涙を浮かべて息を吐いていた。
彼らはそれでも元の世界への帰還を望んだのだ。
どこに逃げても、結局は同じ苦労があるのだと悟ったのだろう。
もう一度、自分の世界に帰ってやりなおしたいと願ったのだ。
おそらくミーシャ姫もそうなるだろう。
蘇生させてしまえば、いつかはその願いを果たしてしまうかもしれない。
元の世界に戻り、この世界での悪行を過去の出来事にしてしまうかもしれない。
彼女は強大な課金アイテムの使い手。
実際、生きてさえいればそういうことさえできてしまうかもしれない。
それに。
罪を自覚し、亡骸さえない多くの犠牲者に向かい。
ごめんなさいと叫び続けさせるためだけに、少女を蘇生させる。
そんな虚しいことができるほど、若獅子は冷酷にはなれなかった。
だから。
オスカー=オライオンは蘇生を選択しない。
天使を自分で滅ぼし、聖女を守ろうと行動したその善行への褒美として、何もしないことを選んだのだ。
ゴミに沈む哀れな亡骸。
かつてオライオン王国を苦しめた敵。
その安らかな死に顔を眺め黄金の獅子は、瞳を細めて告げていた。
「オレはお前を許しはしない。だが、その後悔だけは理解した……まあ、聞きたくなんてなかったがな」
返事はない。
ミーシャは本当に死んだのだ。
全てが終わった。
オスカー=オライオンが立ち去ろうとした時だった。
気配がやってくる。
それはかつて門番兵士だった筈のキースだった。




