第135話、◆獅子英雄譚◆―その2―
◆【SIDE:オスカー=オライオン】◆
ここは昏くて怖くて、寂しい迷宮。
不帰の迷宮。
三千世界を渡り歩く異世界の魔猫が生み出した、恐ろしい空間。
若獅子、王太子オスカー=オライオンの声だけで生計が立てられそうな美声がこだまする。
それはまるで舞台俳優。
朗々たる美声に、貴族としての貫禄と気品が乗せられているのだ。
魔物は満足げに、どこにあるかわからぬ耳で聞き入っていた。
語り始めてすぐだった。予想外なことが起こった。
本当に彼らは退屈していたのだろう。
面白いことを求めていたのだろう。
話の聞き手が、増えていたのだ。
いつのまにか、闇の中から這い出てきて座り込むのだ。
魔物たちが増えても群れても、構わない。
王太子オスカーは焦りをみせない――。
その胆力が評価されたのか、魔物たちは黄金獅子に一目を置いたようだった。
何度も探索を続けていた若獅子。
すぐに同一個体、同一の魂と意識を持つ魔物がリポップするとはいえ、勇ましき彼に殺されたものは多い。けれど、魔物たちは気にせず話を聞きにやってくる。
気付けばそこは魔物の宴会場。
語り部の王太子を主賓として、不帰の迷宮の魔物たちは男の声に耳を傾けた。
語り終えた若獅子は演技じみた声で言う。
「と、まあそんな感じでオレはここに転移のアイテムを取りに来たってわけだ。ご清聴ありがとうございました、と素直に言っていいのかどうかは分からないが、以上で話も終わり。満足していただけたかな?」
魔物たちによる拍手が起こる。
――。
話を聞き終えた最初の恐竜魔物は頷き。
ぐふふふふっと鼻息を漏らして告げていた。
『ふむ、なるほどな。理解、理解。だが、若獅子よ――残念な報せが一つあるぞ』
「んだよ、ここでオレを囲んでぼっこぼこにしようってか?」
『それも愉快であろうが、違うぞ人間。オスライオン、おまえの望みは叶わない』
叶わない。
叶わない。
と、魔物たちが輪唱する。
「――なぜだ」
『わしが代わりに応えよう。一つに、あのお方の転移魔導書を手に入れたとしても、話にある聖女コーデリアには使うことはできないだろうからなあ』
「そんなわけねえだろう? あいつの魔術の腕は確かなんだ。それに、今までの転生者たちだってあの魔導書で元の世界に帰って行った。完璧じゃねえか」
訝しみ眉間に美麗なシワを刻む王太子。
天然物の、見目麗しい若者の王族だ。
ワイルドな美貌が僅かに歪んだからか、女性の魔物達がドゥフフフと拝みだす。
「……って、おまえら、すげえ顔してるぞ?」
『気にするな、眼福眼福。そなた、我の推しにしてやっても良いのであるが?』
「推しって……そういや転生者の連中もそんなこといってたな。だが、悪い。今はなんであの転移魔導書じゃダメなのか、理由を教えて貰えないだろうか。頼む、この通りだ」
頭を下げる若獅子に、恐竜魔物が頷き。
『たしかにあの方の魔導書、あの方の魔術ならば術の精度は高い――、あの方は特別な存在であるからな。この世界に漂う妙な転移妨害や異世界召喚の楔、あれすらもあの方の力を借りた魔導書と魔術ならば貫通する筈。おそらく転生者は帰還できているであろう』
だが。
と、言葉を区切り――魔物は言う。
『それはそやつらが転生者であったから使用できただけ』
「どういう意味だ?」
『ぐふふふふ、あれは帰りたいと心から願った場所に転移をさせる、いわば帰るための魔導書。不帰の迷宮と名付けられたこの地の特産品。故に現地人の聖女が使ったところで、外の世界に逃げるという事にはならぬのだ。更に言うならば、追放された乙女がはたして、自らを迫害し追放してきた故郷に戻ろうと願うか』
「それは……」
もし本当に恐竜魔物の言葉が正しいのなら。
たしかに、あの魔導書とて意味がない。
『乙女心が分かる我には、分かる。ぐふふふふふ! 手に取るように分かるのだ! その女子は転移魔導書を使っても、何も起きぬだけで終わるであろう!』
「テンション高いな、おまえさん……」
『愛嬌が良いと言え。しかし、そうなると我が推したるそなたがあまりにも可哀そうであるな? ほれ、皆集まったのだ。何かアイディアはないのか? 良い案を出したものには我のヴェーゼをくれてやっても良いぞ?』
男の魔物たちがマジか! と、狂乱する。
どうやら恐竜魔物は魔物の感覚だと相当な美人らしい。
知恵ある魔術師や神官の魔物たちが集合し、恐竜魔物にヒソヒソヒソ。
頷いた恐竜魔物が言う。
『話は簡単だそうだ。そのもの……名前は忘れたが、聖女がここに追放されてくるというのなら、その聖女に迷宮を踏破させればいいだけの話』
「あのなあ、アイディアを出してくれたのはありがたいが――おまえたちはオレたちの世界じゃあ非常識――極悪って言葉じゃ足りねえくらいの、極悪レベルなんだよ。いくらオレたちの世界最強クラスの聖女様だって、爪でペチンとやられただけで即死なんだっての。それに迷宮踏破って事はボスを倒さねえといけねえんだぞ? その、あの御方とかいうヤベエボスに勝てるわけがねえ」
魔物たちは顔を見合わせ。
ぐふふふっふ!
口々に言う。
『実はな。あのお方は確かに強大で偉大な方だが、女子供にかなり甘い』
『もし本当に、その追放されし乙女が――おまえがいうほどの心清らかな聖女ならば』
『必ずやあの方は、救いの肉球を伸ばすであろう』
彼女が最奥にさえ辿り着けば。
生存の可能性は極めて高いと彼らは言う。
そんな魔物たちの言葉を信じるかどうか、その前に。
「気楽に言ってくれるが――だいたい、奥にたどり着くのも無理だろう」
魔物たちが言う。
『ふむ、であれば――』
『我等も我等で動こうではないか』
『もし本当に、心清らかで面白おかしい女なのならば、我等はそやつを導こう』
魔物たちが言う。
だんだんと、魔物たちの影が嗤いだす。
享楽主義なのか、口調も次第に変わりだす。
『コーデリア……そやつがまことに聖人とも言うべき、存在ならば』
『われらの興味を惹く存在ならば』
『我等は迷える乙女にパンを与えよう、水を与えよう。偉大なるあの方が御座す聖域――神の炬燵神殿へと誘おう』
魔物たちが、哂う。
『ああ、愉快! 愉快!』
『侵入者を殺すばかりは飽きたし、芸もない!』
『たまにはわれらも善行をしよう!』
だが、と魔物たちは言葉を区切り、自らの影を焼き爛れた壁へと伸ばす。
焦げた壁には、黒い影。
大きな獣のシルエットが作られる。
魔物たちの影が連なり、闇となり、一つの形となっていたのだ。
『きさまの話とその女が違うならば――我等は見捨てる』
『その血肉を貪り、贄としよう』
『聖女の肉、それはさぞや良き馳走となろう』
集合した影が蠢き、唸り――その享楽的な本性を覗かせていた。
そこには。
ネコの群れがいた。
魔猫。
猫こそが、この凶悪な迷宮の魔物の正体なのだろう。
若獅子が言う。
「――随分と、かわいらしい正体だな。しかし……お前さんたちの主が、その、女子供に甘いってのは本当なのか?」
魔物たちが言っているダンジョン主。
その本質がオスカー=オライオンには分からない。
だが、魔物たちは声を揃えて肯定する。
『本当だ、神たる主殿に対して不敬やもしれぬが――呆れてしまうほどに甘い』
『あの方は、気まぐれだ。あの方はすぐに気を変える。なれど、一度伸ばしたその肉球を身勝手に放すことはないお方だ』
『本当に、お前が言うような聖女ならば必ず――あの方はソレを救う。必ずな』
仮にそうならなくとも。
責任をもって神に懇願すると、魔物たちは提案する。
本当に、確信しているのだろう。
『さて、どうする若獅子よ――話への褒美だ。それでもかまわぬのなら、協力してやっても構わぬぞ』
オスカー=オライオンは信じていいと判断していた。
根拠はある。
元の世界に帰還した女教師が言っていたのだ。
もし、オスカー=オライオンが女ならば――力を貸して貰えたかもしれないと。
あの発言と、魔物たちの発言は一致している。
ならば本当に、そういう一面もある神がこのダンジョンの主なのだろう。
後の問題は魔物の出した条件。
コーデリアがオスカーの語る人物像通りの乙女かどうか。
つまり。
どうしようもないほどのお人好しで、空気が読めない、けれど身も心も本当に美しい聖女ならばいいのだ。
もはや答えを得たも同然だった。
コーデリアならば大丈夫だと、信じていた。
王太子オスカーは、ゆったりと瞳を閉じる。
彼女なら必ず、あの日の自分のように……その心を魔物たちに認められる――と。
確信が浮かんでいた。
「ああ、分かった――それでいい」
『契約は結ばれた』
闇の中で魔導契約の魔力光をともし、魔物たちは嗤った。
助けられるかどうか。
彼らにとってはどちらでもいいのだろう。
互いに賭け金を積んで、どうなるかを楽しんでいるネコの姿が見えている。
『さあ、いけ。若き獅子よ』
『だが、約束せよ。オスライオンよ、若き黄金の獅子よ。我等はお前が気に入った』
『また必ず帰ってこい』
『また必ず、攻略をしに来い。そしてこの迷宮を踏破せよ――正攻法でな』
王太子オスカーは苦笑し。
「いや、約束できねえっての。てめえら、自分がどんだけ強いのか分かってるのか? こっちは毎回、命がけなんだが?」
『そんな迷宮を何度も出入りしている。その時点で既に我等は面白いのだ』
「すまねえが――たぶん、本当にもう来ねえよ。こうして会話をしちまったし、なによりオレの能力限界はもう近い。最近は、伸び悩んでやがる。力をつけるのも限界なんだよ」
それも本当だった。
既にオスカー=オライオンは人間の限界を超えていた。
故に、以前よりも成長は緩慢。レベルもステータスも上昇が大幅に遅くなっている。
それに。
コーデリアを助ける意思があるからここに潜っている。
オライオン王国をクラフテッド王国から救うために、アイテムを探している。
可能ならば、二度と来たくないというのが本音。
ここはいつでも、死と隣り合わせなのだ。
しかし、恐竜魔物だった個体が言う。
『いいや、おまえは必ずここに帰ってくる。今は分からなくてもいい、だが、必ず帰ってくる』
帰ってくる。
帰ってくる。
グフフフフっと魔物は嗤い。
魔導契約書を残して、消えていた。
◆
そして追放のその日。
聖女は魔物の審査を通過した。
彼女は持ち前の天然ぽわぽわで、魔物たちすらドン引きさせた。
突然、向こうから話しかけてきたのは前代未聞。
手まで振って。
にこにこ、にこにこ。
魔物たちは思ったらしい。
若獅子め、話が違う。
あやつの話の数倍以上に、この聖女は面白おかしい存在ではないかと。
聖女はすぐに、彼らの心を掴んだのだ。
思えば、この時すでに。
魔物である彼らは――察していた。
この聖女こそがこの世界の主神だと、気付いていたのかもしれない。
約束通り、パンと水を与えられた聖女はダンジョン最奥へと誘われ。
そこから彼女の物語は始まっていく。
しかし、それは同時に獅子の物語の終わりでもあった。
若獅子オスカー=オライオンの冒険。
聖女に助けられた少年。
あの日の恩返しを行う王太子としての彼の物語も、ここで終わる。
聖女が異世界の神、大魔帝ケトスに認められ救われ。
この世界から抜け出し。
そのまま最強の異世界神の弟子となったと聞いたのだ。
クラフテッド王国の道具となっていた聖女はようやく、解放された。
泣くこともできなくなっていた少女はようやく、救われたのだ。
だからそれが永遠の別れとなっても、王太子オスカーは満足していた。
どこか遠くで幸せになってくれるのなら、それでいいのだろう。
もはや、後顧の憂いはなくなった。
コーデリアを守る必要がなくなり、動きがだいぶ軽くなった。
国を守るための動きができる。
ひそかにコーデリアの父である領主を救い。
コーデリアに対して優しく接していた使用人たちを救い。
あの追放劇の裏。
ミーシャに口封じされた関係者も、皆、殺された直後に蘇生させ救った。
関係者の家族も助け、内密に、亡命の受け入れも完了させた。
善良なる人々をミーシャの魔の手から庇い――それでコーデリアと関係者に対する最後の仕事も終了。
そのまま。
バカな王子を演じたまま――ミーシャと共にクラフテッド王国のあの領地を支配しながら、能ある獅子は爪を隠してクラフテッド王国を潰すべく、暗躍し続ける。
聖女の追放と実質的な処刑は、大きな転換期となっていた。
ミーシャの裏の顔を察していたまともな民はとっくに、オライオン王国へと亡命を開始している。
全てが若獅子の手腕、その掌の上で進んでいる。
クラフテッド王国に残り続ける民は、聖女を利用していたモノたちが大半。
今度は悪女ミーシャから齎される甘い蜜を吸う連中ばかり。
ミーシャが気付かぬうちに、本格的に、王太子オスカーは愚者のフリをし失態を繰り返す。
クラフテッド王国の転覆を企て始める。
いや、正確に言うのなら企てる必要もあまりなかった。
初めは足を引っ張るつもりであったが――実際はすぐに不要だと分かった。
ただ国を守りながら見ているだけでよかったのだ。
多くの救世を行っていたコーデリアを失い一年も経てば、様々な狂いが出始めていた。
ミーシャは誘導しなくとも自分で領地を台無しにしていた。
彼女は自分自身もコーデリアに依存していたのだと、気付いていなかったのだ。
コーデリアを失った姫は、どんどんと失態を重ねる。
唯一の友を失った姫は、なぜ自分のコンディションが乱れているのか、気付いていない。
クラフテッド王国の安定にはかならずコーデリアの力が必要だと、分かっていなかったのだ。
当たり前だ。
そんなものはあの三千世界と恋のアプリコットには記されていない。
だから、簡単に崩壊した。
あとは数年も待てば、勝手にクラフテッド王国は終わる。
ようやくオライオン王国も救われるのだ。
そう思っていた。
だが。
王太子は再び、動き出す。
それは突然の報せだった。
不帰の迷宮の魔物たちが、魔術による連絡を飛ばしてきたのだ。
大魔帝と聖女がこの世界に帰還する。
あの子が帰ってくる。
帰ってくる。
さあ、どうする若獅子よ――と。
あの日の恐竜魔物の言葉が蘇る。
若獅子の物語は、まだ終わってなどいなかったのだ。
復讐に帰還する聖女と若獅子の再会は、もう間近に迫っていた。
獅子の物語が再び動き出す。




