第133話、◆ライオンハート◆―その6―
◆【SIDE:オスカー=オライオン】◆
転生者との別れから、およそ一年の月日が過ぎている。
騎士学校の卒業を間近とする若獅子は順調に成長していた。
十七歳、それは少年と青年の境。
表ではゲームの登場人物、バカな王太子オスカー=オライオンを。
裏では転生者から受け取った情報で世界の秘密を知る、現地人を。
彼は器用にこなして、二重生活ともいえる日々を過ごしている。
あと二、三年も経験を積めば二十歳。
黄金髪の美青年になるだろうとは容易に想像ができる。
オスカー=オライオン少年は次第に隠せなくなっている王族の気品と、貫禄の滲んだ美貌で、周囲を見渡していた。
ここは既にダンジョン内。
不帰の迷宮。
あの女教師が異世界に戻るアイテムを入手した特殊なエリア。
三千世界と恋のアプリコットとは関わりのない場所。
故に、この地で手に入る魔導具は特別で、この世界のルートと呼ばれる強制力の範囲外。だから彼は今、ここにいる。
オスカー=オライオンは多忙な中で合間を縫っては、ダンジョン攻略を開始していたのである。
未来を知るミーシャ姫は課金アイテムの使い手。
どれだけ策を講じても、クラフテッド王国の優位は変わらず――オライオン王国は隷属を強制されたまま、それを王太子はどうにかしようと動いているのだ。
問題は山積みだった。
一つは暴れ続けるミーシャ姫。
一つは王太子オスカー本人の力不足。
一つはルートから自由に逸れ続けるコーデリア。
出逢った当初の彼女は心を読む力を持っていた。けれどいつの間にか心を読む力を失っていた。母であり、三千世界と恋のアプリコットでは邪神となっていた彼女の母クラウディアが封印したのだろうとは、王太子も既に察していた。
心が読めなくなった。
それ自体は彼女にとっては幸運なことだったのかもしれないが――良いことばかりではない。
彼女は純粋な乙女。
相手の悪意や本心を読むことができないことで、クラフテッド王国にとって便利な道具と成り果てていた。
頼まれたら断れない。
助けてと言われたら、拒めない。
そこにある悪意を読む力を失った聖女……増長していたクラフテッド。その組み合わせがどうなるか。
答えは腐敗だった。
冒険者ギルドが腐り始めたのも、その頃から。
いつも彼女の治療の力を目当てに動き、身の丈に合わない無茶ばかりをするようになった。
けれど、オライオン王国にとっては幸いだった。
クラフテッド王国に隙ができたのだ。
既に王太子は動いていた。
ミーシャに操られる敵国家クラフテッド王国には内密に、いや……それどころかオライオン王国や父たる獅子王にすら伏せて、王太子オスカーは動き続けていたのである。
いつでも独立できるように。
無理なく、反逆できるように。
古の神々……精霊の力を借り土地を育て、肥し、大地を肥沃な状態へ。
バカ王子の道楽――黄金趣味の悪趣味な調度品を城内に持ち込んだフリをして、その調度品を改良、地脈を操作する魔力スポットとして設置。
それらは全て三千世界と恋のアプリコットとは別の法則、別の力、別の理論で構成されたアイテム。
本来なら、一度はいったら二度と出られないとされる”不帰の迷宮”の戦利品。
それはミーシャの干渉すら跳ね除け、クラフテッドの操り人形となっているコーデリアの破天荒な事件の影響にも耐え、国を徐々に豊かにしていった。
既にオスカー=オライオンは何度もコーデリアを助けていた。
何度も、はじめましてと繰り返していた。
けれど、コーデリアは彼を忘れてしまう。
転生者でありながらミーシャも、オスカーの暗躍に気付かない。
おそらく、あの女教師から情報と端末を受け取ったオスカー=オライオンが、ゲームのバカ王子を演じ切っていたからだろう。
そしてあの姫は明らかに浮かれていた。
調子に乗っていた。
天使に誘導されていることもあるのだろうが、それ以上に、自分がこの世界の主人公だと疑わずに、自由気ままに暴れていた。
まるで生前できなかったことを全て、自由に、生き生きと謳歌するかのように。
あれから王太子オスカー=オライオンは多くの転生者と出逢ってきた。故に、この世界に転生してくる存在が生前、どれくらい追い詰められていた存在なのかは悟っていた。ゲームと呼ばれる虚構に逃げ込み、もはやそこに救いを求めている存在ばかりだったのだ。
だからおそらく、ミーシャ姫もそうなのだろう。
だが、そんなことは現地人の王太子にとっては関係ない。
現実に民が苦しい生活を強いられているのだ、相手の事情など知ったことではない。
しかし現実問題として、あの課金アイテムには勝てそうにない。
天使の存在も厄介だ。
だからこそ、王太子オスカーは力を求めて、不帰の迷宮に何度も挑戦する。
それでも最難関の異常なダンジョン。
一人攻略するのは骨が折れる。
ならば味方を見つければいいが、そんな奇特な人間は少ない。
そもそも冒険者ギルドは腐り始めて頼りにならない。
前提として強さは必須。そしてなにより、死ぬ可能性もある極悪迷宮を共に探索してくれるような人材が、簡単に見つかるはずもなかった。
もっとも王太子オスカーにはあてがあった。
知っていたのだ。
ある程度の強さが保証されていて、死と隣り合わせの極悪迷宮であっても喜んで……むしろ、積極的に攻略に参加してくれそうな人材が、実在すると。
一戦一戦が死闘の不帰の迷宮。
節約のために魔力ではなく、松明による灯りで道を照らしながら振り返ったのは、溌溂とした武道家の女。
流すようにおさげを編んだそばかす少女が言う。
「――なるほどねえ、へへ、それであたいが誘われたってわけね」
「言っておくが、参加したのはあんたの意志だ。死んでもすぐにだったらなんとか治してやるが……無理だった場合は恨むなよ」
「はいはい、もう……、君はあのオスカー=オライオンのくせに真面目で本物の王子みたいで、なんか変な感じ。生意気だねえ」
あのオスカー=オライオン。
そう告げる理由は単純だ。
おさげ髪のそばかす武道家の正体は転生者。
そう、オスカー=オライオンは転生者を探し、元の世界に帰れるアイテムが取れるかもしれないと誘い――交渉。実際、あの時の女教師との顛末を説明し納得して貰い、極悪ダンジョンを攻略しているのである。
そばかす武道家はニヘニヘと笑っていた。
「おいおい……なんだその腑抜けた顔は」
「いやあ、あのバカ王子がルートさえ違うとこんなイケメンくんになるだなんて、いやあ、ゲームってのはルートが決まっちゃってて駄目だね! こんなに素敵くんになるなら、生きている時にちゃんと推しとけば良かったなってね!」
「あんたは、無駄に元気だな」
「そりゃあそうでしょ! もう二度と帰れないかもって思ってたのに、実際に元の世界に帰った転生者がいるなんて、あたいにとってはまさに神からの救い! いや、神様なんか信じちゃいないけどね!」
なはははは! っと、腰に手を当ておさげの武道家は大笑い。
実際、本当に嬉しいのだろう。
冒険者でもある彼女は生前、自分の世界と周囲が突然大嫌いになった――ゲームの世界に逃げ込みたかったらしいのだ。
だから転生した当初はこの世界も気に入っていた。
それでも……結局、今は帰る手段を探してここにいる。
この世界でも現実は現実。辛いことは多くあったのだろう。
前の暮らしの、当たり前だった日常を思い出し――いつしか帰りたいと願うようになっていたらしい。
しかし、課金アイテムであっても帰還する術はなかった。
全てが自暴自棄になり始めていた、ちょうどその頃――黄金髪の若獅子が彼女を訪ねてきた。
商談がしたい、オレはお前の正体を知っている。
と。
泣き腫らしたそばかすの乙女の瞳に、再び光が宿った瞬間だった。
以来、二人はこうしてダンジョンに潜っている。
魔物との戦いは死闘であっても、転生者の力と、王族の力が連携をとれば――、一戦だけなら勝利をギリギリ掴むことができる。
そこから稀に宝箱がドロップし、さらにそこから稀に価値のある宝がでる。
今回はそばかすの武道家にとってはハズレ。
けれど、王太子オスカーにとっては当たり。
土地を清め、穀物が育ちやすくなるための聖石と砂……である。
「うわぁ……これ、猫トイレの砂とおしっこじゃん」
「知ってるのか?」
「まあ、たぶん。でも異界の強大な猫のトイレ砂と尿……体液なら……たしかにそういう特殊な効果もあるのかも? はははは! よくわかんないけど!」
転移アイテムではなかったので、興味ももうないのだろう。
武道家はすぐに回復アイテムを使用し、既に精神統一。
次の戦闘に備え、精神を整えていた。
「本当にオレが持って行っちまっていいのか?」
「そう言ってるじゃーん、構わない、構わない! でも、元の世界に戻れるアイテムがでたら、最優先で貰う。その約束は守ってね!?」
「分かってる、魔導契約もしただろう?」
「いやあ、ゲームの時の君ってさ。そういう時でもガハハハって笑いながら奪っていきそうだからさあ! ごめんごめん! いや! 君が悪いわけじゃないんだけどね!」
ゲームの時のオレはどんだけ嫌われているんだと、若獅子は美麗な顔に苦い笑みを作るのみ。
「そりゃ……そんな奴を真似てりゃ、簡単に嫌われるってわけか」
「君、そういうこと気にしてるの?」
「惚れた女に困惑されるってのは、少しはこたえるからな」
「コーデリアちゃんだっけ? モブだし、あたいもあんまり知らないんだよねえ! でもでも! なんであの娘はルートと違うことばっかりするんだろうね?」
実際、コーデリアの動きだけはどうしても掴めない。
今でも彼女だけはオスカーにとっての例外。
ミーシャ姫がやりそうな悪事さえ先読みできるようになっていたが、それでも彼女のことだけは分からない。
「さあな――けど、おもしれえ女だよ、あれは」
それが若獅子の口元に、深みのある笑みを生み出していた。
そんな男の口元を見て。
「不思議だね? でもさあ、そんな不思議ちゃんのために、君はずっと動いているんでしょ? 疲れない?」
「あいつのためだけじゃねえからな」
「ああ、そっか! 君はオライオン王国も救いたいんだもんね! ははは! ごめんねえ! 悪いんだけど、あたいはそういう国のごたごたとかもううんざりだから、助けることはできないんだ!」
「それでいいさ。このダンジョンの攻略に付き合ってくれるだけでオレは、とても助かっている」
それが――端正でワイルドで、美麗な偉丈夫となるだろう本物の王族の、心からの感謝だったからだろう。
そぼかすが少しだけ赤くなる。
目線を逸らして、武道家は言う。
「オケオケ! じゃあ、お宝はババっと持ち帰って下さいな!」
たった二人だが。
良いパーティーだった。
入ったら二度と帰らぬ迷宮とて、何度も帰還できている。
けれど、そんな二人にも終わりは来る。
それは普段よりも良い宝箱を開けたときの事だった。
おさげを揺らすそばかすの武道家は、明らかに動揺していた。
「どうした? 罠か?」
「いや、違うんだけど……違うんだ――けど」
黄金髪の若獅子は訝しみ。
宝箱を覗き込む。
そこには、ふてぶてしい顔をした黒猫の魔導書。
オスカー=オライオンの記憶の中。あの女教師が持っていた、世界を渡って帰還できる、元の世界に帰れる魔導書。
王太子オスカーは理解していた。
これで彼女との冒険は終わりだと。
「良かったじゃねえか、これで帰れるんだろう?」
「そう、だけど。そうなんだけど!」
「どうした」
「――ねえ、君も一緒に行かない?」
女は泣きそうな顔をしていた。
「ねえ、そうしようよ! こんな世界なんて捨ててさ、だってこの世界は君に厳しすぎる、君はこんなにいっぱい頑張ってるのに、だれも、認めようとしないし……君のお父さんだって、本当にバカ息子だって思ったままだし……」
「たりめえだろう、そういう風に演じてるんだから」
「でも! 君がそこまでする必要ないよね!? 君ばっかり苦労して、あの聖女ちゃんだって――自分だけが悲劇の聖女みたいな顔で、全てを受け入れちゃってさ、クラフテッドのいいなりだし……」
王太子オスカーは、仲間である武道家の頭に手を置き。
「心配してくれてるんだろうな、ありがとう」
「だったら!」
「それでもオレは王太子。国を捨てられない、なにより――オレはあの日のあいつを忘れられねえからな」
昏いダンジョンの中。
松明の灯りによって浮かび上がっているのは、少年と青年の境にある若獅子の顔。
女は王太子の苦笑を眺めていた。
「ずるいよ、そんな顔されちゃったら、無理やり連れていくこともできないじゃん」
「悪いな――けれど、誘ってくれたことは素直に嬉しいと思っている」
「そっか、うん、嬉しいと思ってくれたならそれで、いっか」
二人はそのまま入口へと引き返し。
ダンジョンを脱出。
女はすぐに魔導書を開いた。
「もう行くのか?」
「ごめん、あんまり長くいると君を無理やり一緒に連れて行きたくなっちゃうと思うから」
「そうか――悪いな」
「本当だよ、本当にバカで悪い王子さまだよ君は。こんなにかわいい武道家の誘いを断るなんて、どうかしてるよ」
彼女は最後に、つま先を伸ばし。
若獅子の唇に唇を重ねていた。
黄金の髪と、瞳が僅かに揺れる。
しかしオスカーは驚きはしていたものの、その美麗な貌に動揺は浮かんでいなかった。
唇を離すしぐさと同時に。
女は言葉を漏らしていた。
「まだ若いくせに、初めてじゃないんだね」
「まあ、そうだな」
「そーいう大事なのは、一番大切な人に取っとけばよかったのに。コーデリアちゃんはいいの?」
「どれだけ望んでも届かないモノってのは、あるからな」
「そう、届かないのが分かってて、それでも君は頑張っちゃうんだ」
届かぬ女性のために動き続ける若き貴公子。
嫌われ者を演じる、哀れな男。
そんな報われない冒険仲間を見て。
「うん、分かった! じゃあ、あたいは帰るけど、それでも君をずっと応援してるよ。いつか君の努力が報われますようにって! あっちの神様に祈っておくから! 神様なんているかどうか、わかんないけどね!」
それじゃあ、元気でね!
と。
女は元気な姿を見せたまま、元の世界へと帰って行った。
男はそのまましばらく、彼女との冒険を思い出し。
そしてまた、次の転生者を探しに街へと帰還する。
オスカーは出会いと別れを繰り返す。
若獅子には女性を惹きつけるナニかがあるのか、協力してくれる相手はいつも女性。
そして相手はしばらくすると、切り替わっている。
オスカー=オライオンは遊び人。
周囲には年齢を問わず、女遊びをしている悪い少年に見えるのだろう。
そして遊び相手の女は、必ず姿を消すのだ。
彼が転生者を冒険に誘い、転生者を元の世界に帰す度。
悪い噂は日に日に増していく。
邪魔になった王太子が殺しているのだと、後ろ指が突き刺さる。
仲間と別れる度――若獅子は、何度も外の世界へ一緒に行こうと誘われた。
ある女はあなたを放っておけないといい。
ある女はあなたを愛しているといい。
ある女はあなたが可哀そうだと、抱き寄せる。
それでも若獅子は断り続ける。
この世界に残るという女もいた。
戦力になるでしょう? と。
けれど、帰れる機会に帰った方がいいと男は真剣に、女に語るのだ。
心から、相手を想っての言葉だろう。
女は少年と青年の境で成長する男の本気を見て、分かったと最終的には引き下がる。
彼女たちは皆、冒険を通じ王太子オスカーの心に触れ――その心に、惚れ込んだ。
決して折れない、勇敢なる獅子の心。
ライオンハートがあるのだと悟るのだ。
別れの度に女の涙を誘い。
その心は強さとなって獅子を支えた。
男の色香はその度に増していく。
出会いと別れを何度も超えて。
それでもまだ、オスカー=オライオンは止まらない。
オスカー少年が少年ではなくなった、騎士学校卒業の日。
十八歳になったころには既に、男は酸いも甘いも嚙み分ける翳ある若者となっていた。
コーデリアとの婚約、政略結婚の話が出たのもこの時期。
既に悪女であることを隠せなくなっていたミーシャ姫が、コーデリアを貶めようとしたのはしばらく後の話。
王太子オスカーは、ミーシャが本格的にコーデリアを消そうとしていることを知り。
動きを開始した――。
若獅子の物語は、コーデリアのあの日へ繋がっていく。
明日2/4(土)は、なろうさん自体の全体大規模メンテナンスがあるため更新はお休み。
次回更新は(メンテナンスが無事終了していたら)、
2/5(日)通常通りの更新予定となっております。