第132話、◆ライオンハート◆―その5―
◆【SIDE:オスカー=オライオン】◆
十六歳の黄金髪の若獅子。
この年を境に、オスカー=オライオン青年の人生は加速する。
そのきっかけは、やはり――世界の秘密を知ったことからか。
それはまだ昼になる前の静かな時間。
早朝の市場の喧騒も治まり、商人たちも余裕のある朝と昼の間の出来事。
オスカー=オライオンは騎士学校の演習の一環である、課外授業に参加していた。
内容は――実際のダンジョンにて戦闘を行うこと。
各自で任意のダンジョン攻略を行い、一度でも戦闘をして帰還すれば合格。
人を雇うのも自由、すぐに帰ってくるのも自由。ダンジョンで戦闘さえすれば合格となる、ダンジョンに慣れるための授業でもあった。
個人単位で行う危険な課題でもあるが、貴族騎士の大半は人を雇い楽にこなせる内容でもある。むろん、それでも問題ない。金や知名度、権力も実力のうちとされるのが貴族の社会。
騎士学校の生徒の多くは貴族階級、神の血筋の傍系にあたる彼らは、死なぬのも仕事の一つ。
故に実際にダンジョン踏破を達成させる者は少ないのだが。
オスカー=オライオンは違った。
彼は王族でありながら、既に冒険者の中でも名が知られていた暗黒騎士。
くだらない政治ごっこが続く騎士学校にうんざりもしている彼にとって、外での実戦授業はまさにオアシス。だから彼はこの日も、ダンジョン踏破を目指し、行動を開始。
いつものように目ぼしいダンジョンと冒険仲間を探しに、顔なじみの冒険者ギルドを訪ねたのだが。
冒険者ギルドに入る前。
黄金髪の若獅子は呼び止められていた。
「元気にしていた?」
女は別れのあいさつにやってきた。
女とは栗色の髪の女性。
あの聖乙女ではなく、騎士学校でも懇ろとなっていた――世間で言うならば、生徒を騙す悪い大人の女性。
あの女教師である。
若獅子は言う。
「教師を辞めたって聞いたが、こんなところにいるってことは――」
「ええ、冒険者になってたの」
「ま、てめえは澄ました顔をして無駄に強かったからな。そっか、元気にやってるならそれでいいんだが……何の用だ?」
「あら、あなたを待っていたって分かるの?」
「探査魔術の流れを感じる。肌を撫でるような、少し甘い香りのな――あんただってのはすぐ分かったよ」
「そう……驚かそうと思っていたけれど、まあいいわ」
それより、奢るわよ?
とギルドの酒場に誘った女は、席に着くなり苦笑していた。
まだ十六歳のオスカー=オライオンが、既に冒険者ギルドにも馴染んでいたからか。
それともますます精悍となった、その獅子の顔立ちに思うところがあったのか。
「あなた、まだバカ王子のフリをしているの?」
「フリじゃねえ、バカそのものだ――オレはいまだにクラフテッド王国から民たちを守れていない。あの国をつぶすどころか、自分自身を守ることで、手一杯。腑抜けた王太子だよ」
「そう、やっぱりあなたあの国をつぶしたいんだ」
ここはギルドの備え付けの酒場だ、初級冒険者が雇われウェイトレスをしているのだろう。
慣れない手つきで置かれたジョッキに、くすりと微笑む元女教師の口元が反射している。
「それって、あの聖女様をあの国から解放してあげたいってこと?」
「それだけじゃねえよ。あんただってオライオン王国の現状は知ってるんだろう?」
「属国どころか、あれじゃあ酷い植民地」
「……そろそろ限界がきてやがる」
王太子オスカーは庶民じみた粗暴な王太子。
だから街にも顔を出す。
だから世上も、民の心も、限界も読み取っていた。
オライオン王国の民はクラフテッド王国の高圧的な政策に、辟易していた。
実際に市井にまで被害は拡大している。
強国ゆえの余裕と神子の存在が大きいのだろう、クラフテッド王国の商人や貴族は増長していた。
女が言う。
「衰えたあなたのお父様、獅子王のせいだって――そのうち王家に対する反乱が起こるでしょうね。そして革命が起こって王の首がすげ代わり、クラフテッド王国に叛意を起こして戦争を仕掛けて返り討ちになる……それがオライオン王国の終わりの一つ」
「おいおい、まるで見てきたように言うじゃねえか」
「まるでじゃなくて、本当に見て来たのよ。あくまでもルートの一つですけどね」
それはまるで未来予知。
若獅子はわずかに眉を跳ねさせただけで、女が言いたいことを察していた。
「まさか、てめえ――神子なのか」
「似たようなものよ。先生の身の上、聞いてくれるかしら?」
ジョッキを傾けた女は頼まれもしていないのに、自分の素性と世界の秘密を語りだす。
それは長い話だった。
転生者に天使。この世界がかつて生きていた世界のゲームと酷似している事。
多くのルートがある乙女ゲームと関係していることは確かだと、女は教師の声音で丁寧に語っていた。
良い声だった。
まるで声だけで生計を立てられるような、そんな声。
閨の際に響く、女性にしては低いが甘い声だと王太子オスカーは眉を下げる。
「天使に、転生者ねえ……本当にそんなもんがいるんか?」
「目の前にいるでしょう」
「で? そんな話を聞かせてオレにどうしろって?」
どうもしないわ。
と、女は少し寂しそうな顔をして話を続ける。
「実はね、あなたゲームの時には本当にただのモブなのよ」
「モブってのは」
「脇役ってところかしら。あなたはどうしようもない本当のバカ王子。けれど、何故かしらね。今の、この世界のあなたはあたしが知っているオライオン王国のバカ王子様とはかなり違っている。何かルートを変えるきっかけ……そうね、もしかしたら。あなたの愛しい聖女様との出会いが、あなた自身の何かを変えたのかもしれないわね」
眉唾物の話だ。
普通なら信じない。
けれど、神子と呼ばれるミーシャ姫がもし転生者なのだとしたら――そして、ルートと呼ばれる定められた道を知っているのだとしたら。
オスカー=オライオンは声のトーンを変えていた。
「しかし、なぜそこでコーデリアがでてくる。彼女は神子ではないんだろう?」
「たぶんね。あたしもそれが不思議で仕方がない。何故かしらね……あの聖女様だけはいつも自由、ルートと違った動きをしているの」
「彼女も転生者なのか?」
「違うと思うわ。でも……じゃああの娘が何なのかと聞かれたら答えられない。分からないのよ。まだ彼女が小さかったころに、鑑定の魔術を使ったこともあったんだけど、あっさりレジストされちゃって。勝手に覗き込むのは駄目ですよって怒られちゃったわ。何故か知らないけど、あなたの中は見えないのですね……って、ものすごい喜ばれて。しばらく妙に懐かれちゃったけど……」
王太子オスカーは考える。
それは何故かミーシャ姫に懐いていた状態と似ているのだろうか。
前屈みになった若獅子はジョッキに腕を伸ばし、斜めに女を見上げていう。
「それで、なんでまたあんたはそんな話を急に――オレに」
「あなた、背が高い癖に……聞きたいことがあるからって、わざとそうやって下から見上げるの、やめなさいよ。凛々しい坊やを甘えさせたいっていう寂しい歳上女を騙してるんでしょうけど、手口、バレてるわよ?」
「手口がバレてたって無効化できなきゃ意味がねえ。戦闘と同じってな」
転生者と呼ばれる者たちは教会から狙われている存在。
そして教会だけではなく、謎の存在からも狙われている。
転生者が実在するらしく、それが世界に害をなす存在の可能性もある――とは、王太子であるオスカーの耳にも噂ぐらいは届いている。
女は言った。
「お別れを言いに来たのよ」
「別れ?」
「そ、実はつい最近、ようやくこの世界から抜け出す手段を手に入れてね――元の世界に帰るのよ。だから、その前に、あたしのお気に入りキャラだったあなたのお節介をしたくなった。そんな感じよ」
「元の世界に帰るとは、はは、先生も大きく出たな」
それは現実ではできない。ありえないとされた世界移動――転移魔術の最高峰。
理論はあっても、実現ができないとされている魔術の極意の一つ。
ありえない魔術だからこそ、魔術師の間では研究者がバカにされているが……。
反面、異世界自体はまず間違いなく存在する、現実的な話だといわれている。
それはいくつか存在する魔導書が証明していた。
この世界の魔術理論から大きくかけ離れた、秘宝。
異世界魔導書。
誰かが適当に書いた書ではなく、実際に発動し、魔力が込められたグリモワールが存在しているのだ。
逆説的に言えば、グリモワールがある以上、異世界の存在は確定している。
見解や理論は異なるが、異世界そのものを否定するものは少ない。
外の世界があることは魔術師ではなくても知っている事実。
だが、世界と世界を移動するなどありえない。
そんな教え子の顔を眺め、女は少し誇らしげな貌をみせていた。
「不帰の迷宮って知ってる?」
「ああ、最近になって発見された場所も入り口も移動している……極悪難易度の謎の迷宮って話だったか」
「そこの攻略でね、偶然見つけちゃったのよ。もっとも、ほとんど入り口だったし……踏破できていないし、できるとは思えないし。本当にラッキーで手に入れた書なんですけどね」
女の手には、ふてぶてしい顔をした黒猫の顔が記された魔導書。
並々ならぬ魔力を放つそれが本物だと、オライオンはすぐに察した。
「早く隠しな、周囲にバレる」
「返り討ちにするからいいわよ」
実際、女教師が神子と似た転生者ならそれくらいはできるのだろう。
女教師の手に握られていたのは、ネコの形をした魔道具。
「もう信じて貰えちゃってるから、意味ないかもしれないけれど――あなたも確証が欲しいでしょう? とりあえず、これをみせておくわ。本当ならこれで信じて貰う予定だったんだけど……あなた、顔に似合わずいい子だから」
「言ってろ」
「怒らないの、褒めてるんだから。これがこの世界がゲームかもしれないっていう根拠よ」
魔道具には、悪い顔をした美形の金髪騎士が映っている。
何かを喋っているようだが、その声はオスカー=オライオンそのもの。
「これは、オレか?」
「そ、若獅子オスカー=オライオン。ただのモブなんだけど、見た目が好きでね。けっこう課金しちゃったのよ――だから、この世界であなたにあえて、ちょっと嬉しかったりもしたのよ?」
「ゲーム……この世界は作り物、ってことか……」
「さあ、それはどうなんでしょうね、あたしの天使もそんな事ばっかり言ってたし、酷似してるのは確かだけど。実際は……分からないわ」
険しい顔をしてオスカー=オライオンは顔を上げる。
「あんた、実際に天使を知っているのか」
「知ってるも何も――転生したときからずっとつき纏っていた煩いのがいたのよ。彼の声に耳を傾けて、あたしも少し悪さをしたことがあったわ。けれど……ある日ね、天使はあっさり殺されちゃった。世界を壊すのを止めるためだとか、ファンタジーみたいなことを言い出してきた、ふざけた道化師にやられてね……。まあ、あたしもあたしの天使がそこまで好きでもなかったし、洗脳もされていたみたいだから死んじゃったのは問題ないんだけど」
言葉とは裏腹に、女の表情には歴史があった。
転生者で女教師の彼女にも、当然、彼女の人生がある。
彼女だけの物語があるのだろう。
「あんたも大変だったんだな」
「そうね、ありがとう」
「なぜ感謝をする」
「さあ、なんででしょう。自分でもわからないけれど……まあ、その大変なのもここで終わり。あたしは帰るわ、元の世界にね」
「そうか」
女は立ち上がる。
「一緒に行く? あなた一人を養うぐらいは、たぶんできるわよ? もちろん、王太子殿下の暮らしを維持ってわけにはいかないけれど」
「こんなガキにそんな価値はねえだろうさ」
「そんなガキのために、いっぱい、いっぱい課金しちゃったバカな女もいたんですけど? って、あなたに言っても分からないわね。いいわ、そう答えるだろうってのは知ってたから」
だから途中で別れを言いに来た。
そんな言葉を漏らしていたのだろう。
「もう行くのか」
「ええ、未練と言ったらあなたぐらいだったから。けれど、それもこれでおしまい。もし先生の事を誰かに聞かれたら、死んだって答えて頂戴」
「ああ、分かった」
「優しいのね、引き留めないなんて」
若獅子は彼女を引き留めることはしなかった。
この世界の外に帰れるのなら、それは幸せな事だと感じたからだ。
「面倒なだけだ、それに引き留めた責任をとれるほど――オレは強くねえからな」
「そう。けれど残念ね、もしあなたが女の子だったら、手っ取り早く強くなる手段もあったかもしれないのに」
「伝説にある戦禍の魔女にでもなれってか?」
「違うわ。不帰の迷宮に行ったって言ったでしょう? 実はそこのダンジョン主……あたしに、この元の世界に戻る転移の魔導書をくれた黒猫がね、どうも女の子には甘いらしいから。もしあなたが女の子だったら、きっと助けて貰えたでしょうってそう思っただけよ」
「女に甘い、黒猫のダンジョン主……ねえ」
女の子って歳じゃねえだろう。
そう言わなかったのは王太子のデリカシーであったが。
女教師はどちらにしても男であるあなたじゃあ無理ね、と肩を竦めてみせるのみ。
「なあ、女に嫌われるにはどうしたらいいと思う?」
「なに、急に……って言いたいところですけど、聖女様のためにってところかしら。さしずめ、周囲からは聖女を嫌いと思わせておいて、その裏で助けるために動く。そんな、物語の主人公みたいなことをしたいのね、あなたは」
「そこまで良い格好をしたいわけじゃねえ。ただ、クラフテッド王国をぶっ潰してうちの連中の生活を楽にしてやるためには――バカな王太子である必要があるからな」
女は曖昧に笑っていた。
「なんだ、その顔は」
「ゲームのあなたと全然違うなって、それがおかしくてね。そうね、手っ取り早く男女関係なく嫌われたいなら……これをあげるわ」
「あんたのだろう?」
立ったままの女が差し出したのは、ネコの形をした魔道具。
先ほど、三千世界と恋のアプリコットと呼ばれるゲームが表示されていた不思議な道具だった。
「元の世界に帰るんだから、もう必要ないのよ。これにはイベントログ……この世界に起こりうる未来が観測できる機能があるわ。まあちょっとズレがあるけれど、それでも大筋は大体一緒。たぶん廃人プレイヤー……日常生活を犠牲にしてまでやり込んでいたミーシャ姫と同じとまではいわないけど、かなりその動向を掴めるはずよ。そしてこれには下品で粗暴な若獅子オライオンが登場する。それを真似れば簡単に嫌われるわ」
自分と同じ顔、同じ声の騎士。
粗野な男が、下品に嗤って女を侍らせていた。
「ほら、こんな風に下品になればいいのよ。最低な男にね。簡単でしょう?」
「おまえ、こんな男のどこが気に入ってたんだ……?」
「声がね、好きだったの。ちょっといろいろあって嫌だった時期に、その声で救われたときがあって……その人が声をあてているキャラを大好きになって、その時に出会ったのが、クズでバカで無能なオスカー=オライオン。無能なのに自信満々で、でも顔と声は本当によくて……それがちょっとかわいくてね。あんまり人気はないままだったけど、それでもあたしにとっては……あなたが一番だった」
それは自分ではない自分に向けられた言葉。
女はまだ若いオスカー=オライオンに、そのゲームのオスカー=オライオンの面影を見ていたのだろう。
けれど、オスカー=オライオンはある日、ルートから逸れてしまう。
女の理想とは、違ったのだろう。
「そういうもんか」
「そう、だからこれでさようなら。必要ないならそれは捨てちゃってもいいわ。けれど、もし、未来を変えたいのなら……きっと役に立つわ。ルートと違った道を進んでいるのなら、それは転生者が介入しているか、転生者によってルートを変えられたあなたみたいな異物が介入しているっていう証拠。せいぜい気をつけなさいね」
女は机に二人分の代金を置き。
歩き出す。
「おい、これまで貰って、更に奢って貰うってのは」
「いいのよ、もう。それも――必要のないお金だから」
そう。
もうこの世界の貨幣は彼女には必要ない。
女は本当に、そのままこの世界を去り。
若獅子は情報を手に入れた。
今のオライオン王国の惨状も、転生者ミーシャに歪められたものだと知ることになったのだ。
賢き若獅子は道化を演じ。
機会を待ち続ける。
鋭き獅子の爪を隠したままに――愚かな王太子であり続ける。
彼の物語は次第に、コーデリアとミーシャの物語とも繋がりを見せ始める。