第129話、◆ライオンハート◆―その2―
◆【SIDE:オスカー=オライオン】◆
母の墓前で微笑む乙女の名はコーデリア。
まだ五歳前後の子どもであるにもかかわらず、並々ならぬ魔力を浮かべる。
バケモノ。
栗色の髪の乙女は言う。
「申し訳ありません、殿下。約束を破ってしまいましたわね」
「きさま、なぜオレがここにいると」
オスカー=オライオンは粗暴な王太子だが、その血筋は神の系譜である騎士王。
十歳で既に気配を隠す術を身に付けていた。
それなのに。
乙女は振り返り。
「シルメリア様が教えて下さったのですわ」
「母様が? そのような戯言を吐くとはいい度胸だが……本当に、そこに母様がいるというのなら――」
オレが嫌いなものを言ってみろ。
そう発言するつもりだったが、途中で止めた。
嫌いなものを他人の口から聞かされるのも不快だと感じたからだ。
けれど。
「オスカー=オライオン殿下が嫌いなもの。弱い人間と国とお父様。でももっと嫌いなものはクラフテッド王国……これで信じていただけましたか?」
コーデリアは途中で切ったはずの言葉に応じていた。
クラフテッド王国のバケモノは心を読む力があるという。
その噂は本当だったのだろう。
「くだらん――オレの心を盗み見ただけかもしれないだろう。なにしろおまえは、クラフテッドのバケモノ母子。それに……母から聞いたというのやもしれんが、その程度の事。オレを調べればすぐに推測できるだろう」
くだらんと言いながらも、王太子は領主の娘から目を離せない。
絶世の美女に育つだろうと誰もが肯定する、その顔立ちのせい?
違う。
それよりも大きいのは、気配。オスカー=オライオンが愛していた母の気配がそこにあったからだ。
「そうですわね。信じていただけないでしょうとは思っておりました、お詫び申し上げますわ。すぐに立ち去りますので、どうかご容赦を」
クラフテッドのバケモノは母子ともに、心がない。
まるで人形のような怪物。
そんな――心無い噂とは違い、乙女はバケモノと呼ばれたことに少し心を痛めていたようだった。
自分の事はともかく、母の事は悪く言われたくないのだろう。
それは王太子とて同じだった。
だから。
思わずオスカー=オライオンは、引き留めるように声を上げていた。
「……。仮に、仮にだ。きさまに母が見えているとして、母は何と言っているのだ」
「殿下を残して死んでしまったことを、とても後悔なさっていますわ。そしてこの国のことも……クラフテッド王国側に身を置くわたくしが言うのも変でしょうが。わたくしも、少し、あの国が苦手なので……シルメリア様のお言葉に頷いてしまいまして。それで、その……」
コーデリアのドレスの裾が何かに引かれている。
まるで行かないで。
もっと聞いて頂戴と言いたげな気配が、そこにある。
ただ、よく見ると大きな木の枝がドレスを引っ張っているだけ。
それが偶然か。
母の亡霊が少女を捕まえて、話を聞いてもらいたくて枝を動かしているのか――分からない。
「母は話をするのが大好きでな……そうか、本当に、いるのかもしれないな」
「信じて下さるのですか?」
「少なくとも、おまえがそう思っていることだけは理解しただけだ。勘違いはするなよ、オレまで頭のおかしい子どもとは思われたくない」
「まあ! 粗暴で有名な王太子殿下でも、お気になさることがあるのですね」
直球で思ったことを口にしてしまう。
コーデリアの今の性格の片鱗が、少し垣間見えた瞬間かもしれない。
「おまえは、変な女だな」
「お褒め頂き光栄ですわ」
「褒めてなんかない……それで母はなんと?」
「なんと? とは何のことでしょう」
「黄泉の国、冥府……言葉は知らないが、死者の国からやってきているんだろう。だったら、重要な事を伝えたくて来ているに違いないだろ。母は、何を訴え、何をさせたがっているのか。気になるのは普通だろう」
まるで熟練の魔術師のような顔でコーデリアは言う。
「そんなことはありませんわ。死者たちは目的があってやってきているわけではない、転生を待っている間の時間、ただ命日だからとお墓の前に帰ってきているだけ。もちろん、理由あって動く死者もいるのでしょうが……彼女はそうじゃない。墓が荒れ放題だと、心がすさんで邪霊化してしまうこともありますから……わたくしが事前に手入れをさせていただきましたが」
「なるほど……それで墓が綺麗になっていたのか」
「許していただけますか?」
「許すも何も、話が本当ならこちらが礼を言わないといけない事だろう」
黄金の髪を揺らし、オスカー少年は王太子オスカーとして礼をする。
「ありがとう、まあ、おまえの話を全部信じたわけじゃないがな」
「全てではなくとも、信じて頂けて嬉しく思いますわ。殿下」
信じて貰えない事ばかりなのだろう。
けれどオスカー少年には見えていた。
この女は本物だと。
「一つ、よろしいでしょうか?」
「なんだ」
「シルメリア様が最後に、あなたを抱きしめたいと……そうすれば、満足して、そして安心して帰れるからと、そう仰っていて」
「好きにしろ」
次の瞬間。
オスカー少年は、温もりに包まれていた。
コーデリアの魔力が母の形となって、少年の頭を撫でていたのだ。
それは巫女や神官職が扱う神おろしに似ているだろうか。
コーデリアの肉体に、母の魂が宿り――。
生前と同じ仕草で、息子を優しく抱きしめているのだ。
コーデリアの手が――黄金の草原に触れる。
それは荒れ果てた王太子の心。
あの黄金の花を撫でるように、ゆったりと……慈しむようにふわりと髪を撫でていた。
しばらく。
少年は母の魔力に包まれ、瞳を閉じていた。
それは確かに、母の感触。
『愛しているわ……オスカー、本当に、ごめんなさいね……』
と、母の声が聞こえた。
オスカー少年は思わず涙をこぼしそうになった。
けれど、それをぐっと我慢した。
本当に母がそこにいるのなら、泣き顔をみせたくなどないからだ。
「母様……」
「もう、行ってしまわれましたわ」
つまり、今はバケモノと呼ばれる乙女に顔を寄せていることになる。
顔を真っ赤にした王太子は涙をぬぐい。
「い、いくらだ」
「いくらとは?」
「値段だ値段。こういう、死者を自らの肉体におろす儀式には莫大な費用が掛かると聞く。クラフテッド王国のミーシャにバカ騎士ミリアルドは祖母の魂をおろすのに、半年分の穀物を教会に奉納、無駄遣いしたと聞いたぞ」
ミーシャとミリアルドと聞き、コーデリアは一瞬考え込むも。
「わたくしはわたくしの魔力だけで可能ですから、費用などいりませんわ」
「そ、そうか」
「殿下はクラフテッド王国のお二人とお知り合いなのですか?」
「ま、まあ……一応は同盟国だからな。ミーシャの方はあまり知らんが、ミリアルドなら知っている。同じ騎士学校に通っている」
「そうなのですね」
ミリアルドの単語を聞き、明らかに乙女は嬉しそうな顔をしていた。
なぜか腹が立ったので、王太子は話題を変えることにした。
「母様は……」
「安心したそうです。それで、殿下に人参もちゃんと食べるようにと……人参、お嫌いなんですか?」
「それはいま言う言葉じゃないだろう」
「人参、お嫌いなんですか?」
同じ言葉が返ってきた。
答えを言うまでしつこく同じ言葉を繰り返すだろう――と。
既にオスカーはコーデリアの性格をなんとなく察していた。
「……ニンジンをわざと食べないでいると、母様が駄目と叱ってくれたから。オレに構ってくれたから、だから」
それは王太子の処世術だったのだろう。
忙しい母に構われたい、子ども心が作らせた嘘の好き嫌い。
「それは良い手ですわね。今度わたくしも使ってみます」
「両親と仲が悪いのか?」
「そうではありませんが、父も母も……忙しい身分ですから」
大国としてのクラフテッド王国を支える辺境領主は多忙。
おそらく、属国扱いのオライオン王国と似た立場なのだろうとオスカー少年は感じたようだった。
コーデリアは微笑み――。
「それでは、わたくしはもう行きますわね。お父様にもお母様にも内緒で来ていますので」
「すまない」
「何故殿下が謝るのです?」
「話し相手を探していた母が、無理矢理おまえを呼んだのだろう?」
おしゃべり好きな母は、たまにそうして召使を困らせたことがあった。
悪気はないのだろうが、長い話に付き合わされたものにとっては、少し困った母の悪癖でもあった。
だから、今回もきっと。
コーデリアは否定しない。
オスカー少年は言う。
「どうして、そこまでしてくれたんだ」
「仰ってる意味が、よく……」
「本当に母の霊だったとしても、無視すれば良かっただろう。相手はもう死んでいるんだ、お前の立場が悪くなるわけじゃない。むしろ、さっきだってオレに疑われておまえは被害を被っただろう。赤の他人の幽霊の願いに何故、答えたのか……オレには分からん」
問われたコーデリア。
聖女と呼ばれる乙女は月の下で微笑んだ。
「だって、困ってる人がいたら助けてあげたくなる。それが普通、なのでしょう?」
「普通?」
「普通ではないわたくしには普通がわかりません。だから、せめて人間らしい真似事はしたい。そう思って生きておりますから」
胸の前に指を置いて、乙女は言う。
誰彼構わず助けるのは普通ではない。
それが人間の普通だと思っているのなら、彼女はとんだお人よし。
世間は彼女をバケモノと呼ぶが、オスカー少年にはバケモノではなく女神のような存在に見えていた。
純粋無垢ゆえに、人々に利用される女神。
まるで生贄だと。
子どもの口から王太子としての声が漏れる。
「十年しか生きていないオレが言える言葉じゃないが、人間はそこまで綺麗な生き物じゃないだろう」
「いいえ、人間とは心綺麗な種族であるとわたくしは信じております」
「いつかそのお人よしで後悔するだろうな、おまえは――」
それは十年、王族として生きた王太子の、心汚いものたちを眺めていた大人びた予言だった。
「――オレももう行く。今日のことは忘れよ」
「今日の事をですか?」
「ああ、そうだ。母とオレとのことも忘れよ。泣いていた事なんて、誰にも知られたくない。それが普通だろう?」
「そうですね。それが普通なのですね」
オスカー少年は知らない。
聖女がどれだけの魔力を持っているか。
聖女がどれだけ、他人と違った子どもなのか。
聖女がどれだけ……不器用なのか。
「具体的には、どこまで忘れればよろしいのでしょうか?」
「だから、オレのことを全部だよ」
泣き顔を覚えていられたくない。
それは何故か?
オスカー少年はまだ知らない。
それが一目惚れしてしまった乙女への強がり。
意中の相手に、弱い自分を覚えてなどいて欲しくない――そんな恋心の始まりだったとは。
「それが普通ならば、分かりました――わたくしは殿下のことを忘れます」
乙女は頷き、既に完成された淑女の礼をしてみせ。
詠唱した。
コーデリアは不器用な乙女だ。
純粋ゆえに言葉を額面通りに受け取り、そして、それを実行できてしまう力も有したバケモノだった。
だから。
本当に記憶から消してしまったのだろう。
まだこの時点からは先の話。
あの日、涙を消した時のように。
聖女はオスカー=オライオン少年の事を忘れる魔術を自作し。
そして、本当に記憶の中から消してしまった。
普通そこまでするはずがない。
する必要もない。
けれど。
コーデリアには普通が分からない。
だからこうして、すれ違いが生まれた。
コーデリアがオスカー=オライオンの事を覚えていられないのは、この時のせい。
この日、オスカー少年の願いを額面通りに受け取った、聖女の忘却魔術が影響し続けているのだろう――と。
今、哀れなるブレイヴソウルを内に抱く”今のオスカー=オライオン”は知っていた。
◆
今の二人は、過去の光景を眺めていた。
実際の時間では、今、最後の戦いが既に開始されている。
激しい戦いだった。
けれどコーデリアとオスカー=オライオンの精神は、過去に向かっている。
過去を眺めているコーデリアに向かい。
今のオスカー=オライオンが言う。
『オレ様の事を忘れちまうなんて……バカな女だな、お前は』
コーデリアが言う。
「殿下が悪いのですよ? 自分を忘れろなどと言うから……わたくし、その通りにしただけですのに」
『普通、本当に全部消すバカがいると思うか?』
「それは当時の殿下の勉強不足ですわね。魔術を扱う存在ならば、できるかどうか試してみたくもなる。それが普通だとわたくしは思いますわ」
『ふつう、試さねえっての……ったく、だからおまえはバカなんだよ。本当に……どうしてこうなっちまったんだろうな』
今のオスカー=オライオンならば知っている。
けれど、この時のオスカー=オライオン少年は知らないのだ。
ここからのすれ違いは自業自得。
全部、自分の発した不用意な言葉のせいだったと。
次に再会したときには、既に道は外れていた。
オスカー少年は聖女に声をかけたが――。
聖女はまるで他人の顔。
オスカー=オライオン十三歳、騎士として成長している王太子の初めての失恋だった。
過去の彼らの物語は続く。




