第128話、◆ライオンハート◆―その1―
◆【SIDE:オスカー=オライオン少年】◆
栄えある騎士の国オライオン。
勇ましき騎士職の配下を従えたオライオンの国が栄えていたのは、昔の話。
オライオン王国の周りには、敵が多すぎた。
先代の皇帝が暴君だった山脈帝国エイシス。
北部の魔境。
そしてフィールドに点在する魔物の砦。
かつては武勇で栄華を誇った騎士の国であったが、王太子であるオスカー=オライオンが生まれたころには既に没落寸前。
長兄オスカー。
彼は生まれたその時から、劣等感を感じ生きていた。
しかし隣国はその逆。
武力だけではなく魔術と技術にも長け、肥沃な大地と魔力に満ちた地脈を有し、資源にも恵まれた場所。まるで神が用意したかのようなクラフテッド王国は、時間が経つにつれ栄えていく。
衰退したオライオン王国がクラフテッド王国の属国扱いになったのも、まるで神の意志だと感じていた者は多かっただろう。
何をしても、あの国に有利に働く。
何をしてもあの国に負けてしまう。
思えば、今、事情を知るものならばそれも仕方ないと納得するだろう。
実際、あの地はヒロインであるミーシャが育つ国。
文字通り神に選ばれ、神によって整備された国だったのだから。
民も他国も、知恵ある魔物さえも噂していた。
オライオン王国は地に落ちた。
今やクラフテッド王国の足を舐める、ただの犬。プライドも矜持も捨てた哀れな国だと。
実際、オライオン王国はクラフテッド王国にいいように使われていた。
クラフテッド王国の第一子にして皇太子。
長兄ミリアルドが生まれたころはまだよかった。
他国に後ろ指をさされようと、同盟は同盟。それなりに対等な関係を築いていた。
けれど、長女ミーシャが生まれてからは少し事情が変わっていた。
ミーシャの成長とともに、明らかにオライオン王国への態度が悪化していたのである。
オスカー=オライオンが十歳になったある日も、そうだった。
当時のオスカー少年は父によく似た、騎士として育つだろう立派な体格の子どもだった。
黄金髪が特徴的な美男子。
まるで大人の獅子になる直前の、背の高い若獅子――年齢よりも少し大人に見える子どもはその日、花束を抱えて歩いていた。
オスカー=オライオンはその日、母の命日だからと墓前に飾る花を摘んでいたのだ。
市場で買った花ではなく、従者に揃えさせた花でもなく、自分で積んだ花だった。
それは亡き母との思い出の花だった。
クラフテッド王国の蛮行に悩まされる王たる父も、その王の重責を支える従者たちも忙しなく動いている。今日もまた、突然、クラフテッド王国の貴族が城に事前の連絡もなく押し寄せ、緊急で宴を開くことになってしまったのだ。
同盟国と言っても、名ばかり。
オライオン王国はほぼ従属。
クラフテッド王国の我儘に応じないわけにはいかない。
だから、母の命日であっても父は忙しさに追われ、それを忘れていた。
母に仕えていた侍女の婆やは、気付いていたが――今は死んだ王妃の命日どころではない。忙殺される王に口を出すことなどできない。
もし、クラフテッド王国の機嫌を損ねてしまったら、国が終わるのだから。
その当時のオライオン王国は資源も魔術も、クラフテッド王国に頼りきり。
オスカー少年もそれは理解していた。
だから一人で母の墓前に来たのだ。
王家の墓の手入れは以前よりも簡素だった。
さすがに埃や錆はないが、それでも手入れが行き届いていないのは明白。以前は整えられていた、母が大好きだった薔薇の庭園も――いまはただ、見知らぬ野花が咲いているだけ。
オスカー少年は寂しかったが、仕方がないことだと知っていた。
彼が王族だったからだろう。
オスカー少年は扉を開け、母の墓の前に進む。
そんな時だった、彼が彼女と出逢ったのは。
墓の前に、栗色の髪の乙女がいた。
とても可愛らしい、神秘的な少女だった。
オスカー少年はすぐにピンときた。
彼女の名はコーデリア。
クラフテッド王国の辺境にある領地の娘。
家名はシャンデラー。
バケモノと呼ばれている領主の妻の娘で、彼女もまた、バケモノと呼ばれる不思議な力を持った乙女。
父は言っていた。
バケモノではなく聖女と呼ぶようにと。
父はバケモノと呼ばれていた領主の妻と顔見知りだったらしい。その繋がりだろうか。クラフテッドの王族の来賓に、シャンデラー領主夫妻とその娘が同席しているようである。
オスカー少年が言う。
「貴様、我が家の墓の前でなにをしている」
十歳の子どもの声にしては不遜であったが、オスカー=オライオンは王太子。たとえ相手がクラフテッド王国の貴族だとしても、辺境領主の娘と一国の王太子ならばどちらが上か。
子どもであっても答えはわかる。
栗色の髪の乙女は五歳前後か。
どうやら一人のようだ。
まだ幼いくせに、女は生意気にも礼儀正しい所作を見せつけていた。
「これは失礼いたしました。オスカー殿下」
「詫びを聞きたいのではない。何をしていたのかと聞いているのだが?」
「何をと言われましても……」
少女は困った顔をしてみせていた。
何か隠しているような、そんな顔だ。
その手は土で汚れている。
「まさか、母の墓に悪戯でもしようとしていたのか!?」
「誤解ですわ、殿下。わたくしはただ……」
「ただ、なんだ」
「信じていただけないでしょうけれど、花をお供えにここに参ったのです」
コーデリアの幼き手には、母が大好きだった黄金色の花が握られている。
あなたみたいで綺麗ねと、母が少年を撫でながら愛でていた花である。
だからオスカー少年は理解した。
「なるほど、屋敷の召使に言われたのだな」
彼らは母を慕っていた。
だから母がその黄金色の花が好きだったことを知っていても、不思議ではない。
だが、コーデリアはやはり困った顔をしていた。
「違うのか?」
「あの、その……」
「なんだおまえは、面倒な女だな」
「すみません……」
コーデリアは困った顔をして、そっと目線を墓に向けていた。
まるでそこにいる誰かを見るように。
「誰かいるのか?」
「どうなのでしょうか、わたくしには分かりません」
「分からんやつだな。いるのかいないのか、そんなことも分からないのか?」
「わたくしの目に見えているものが、皆様にも見えているとは限りませんから」
コーデリアの瞳は魔力で染まっている。
それは宮廷魔術師が扱う鑑定の魔術に似ているだろうか。
毒味役の近衛騎士が食事前に使っているので、見覚えがあった。
「意味が分からん」
「わたくしも、分からないのです。こんなにも愛されているのに……あなたたちには、なぜ見えないのか、なぜ感じないのか……。あの方はこんなにも皆様を包んで、守って、加護を授けていらっしゃるのに。見ることができない方も、見られることができない方も……とても、悲しいことですね」
クラフテッド王国の辺境領主の娘は、どこか頭のおかしい子どもだという。
実際、これではそう思われても仕方ないだろう。
「わたくし、もう行きますわね」
「次は勝手に入るなよ。オレは気にしないが、気にする王族もいる。特に、大人はな。クラフテッド王国の人間に恨みを持ってる連中もいっぱいいるんだ」
「お気遣い、感謝いたします」
少女は風に乗る綿花のようにふわっと去ってしまう。
「風の魔術、か? まあどうでもいいが」
オスカー少年は母の墓前に、自分が揃えた花を飾る。
召使か、あるいは屋敷の侍女がやはり事前に掃除をしていたのだろう。
放置されてはいない、母は忘れられていたわけではない。
そう思うと、オスカー少年はどこかでホッとしていた。
◆
夜は城で晩餐会。
クラフテッド王国の連中のご機嫌取りに躍起になっている。
十歳の王太子にできることは精々が最初にクラフテッド王国の皆様に挨拶をして、無礼を働かないようにすぐに退散する事。
オスカー少年は粗暴な王太子。
それは城の皆が知っている。
母を亡くしてからは顕著となっていた。
他の人より反抗期が早いのだと、父は王子を見ようとしない。
それがますます、オスカー少年を粗暴にさせるのだ。
けれど、そんな王太子とてクラフテッド王国には逆らえない。
王太子は粗暴で愚かだが、度し難い程の無能ではなかった。
オスカー少年は自分の身の丈を知っていたのだ。
「むかつくな、あの国」
呟く言葉に重用している女の召使が言う。
「そうおっしゃらないでください、もしあの国の関係者に聞かれたら……面倒になりますよ」
「同盟国の王太子とてあいつらにとっては餌を運んでくるアリかガチョウか、まあ、ゴミのように見えているだろうからな」
「分かっているのならもう少し声を絞ってください。わたしは坊ちゃんみたいな元気なこどもが、血も涙もないあいつらに処刑される場面なんてみたくありませんよ」
「さすがに処刑はないだろうが。そうだな、気を付けるか。なにしろ、オレみたいな厄介な王太子であってもお前たち召使の主。オレがいなくなったら、行き場所がなくなるんだろう?」
オスカー少年は召使からは好かれていた。
それはオスカー少年が王族でありながら粗暴で、その生き方が、良い意味でも悪い意味でもまっすぐだったからだろう。
王太子は媚を是とした。
味方だとアピールしてくる召使を重用した。
見返りを求めて媚を売ってくるものは、その見返りを与える限りは裏切らない。人徳や人格ではなく、損得で動く人間は信用できる。
少年は十歳ながらにして、王族としての自分なりの哲学を刻んでいたのである。
それは諸刃の剣。
もし、王太子である自分よりも得をできる相手が見つかればすぐに彼らは手の平を返すだろう。けれど、それでいいのだ。それは自分に力や権力、魅力がないせい。力のない自分が悪いのだと諦めがつく。
オスカー少年が言う。
「そういえばコーデリアといったか、あのバケモノの娘はどうしてる?」
「聖女と呼べと陛下からは言われている筈ですが」
「構わないさ。ここにはオレと召使しかいないだろ。それで、やつは?」
「さあ……どうしているかまでは聞いていませんね。そもそもわたしたちは彼女の顔を知りませんし、子どもを連れてきている貴族は多くいるので判別も」
オスカー少年は疑問に思った。
「あれ? じゃあ誰が母の墓の事をあいつに伝えたんだ」
「お母さまの、お墓、ですか……」
召使は考え込み。
「申し訳ありません。そういえば、今日が命日でしたね。我々も支度に忙しくて……荒れ放題で、驚かれたでしょう?」
「荒れ放題?」
「はい、いつもは殿下が向かわれる前に急ぎ手入れをしていたのですが……今回はクラフテッド王国のバカたち……、いえ貴族様方がいらっしゃったので、そこまで手が回っておらず」
申し訳ありません。と、召使は本当に心からの詫びを漏らしている。
召使は嘘をつかない。
それは優しいウソであってもつくことはない。
「まさか……」
オスカー少年はもう一度、墓を目指した。
そこには、栗色の髪の乙女がいた。
墓に向かい、話しかけている。
「いえ、いいのです――わたくしも、退屈しておりましたから」
栗色の髪の乙女、コーデリアの身は輝いていた。
魔力だ。
墓の前の誰かと話している。
けれどオスカー少年の瞳には、美しい乙女がただ一人いるだけにしか見えない。
月光の下。
バケモノと呼ばれる聖女は、誰かを慰めるようにゆったりと瞳を閉じていた。
魔力が発動しているという事は、本当に誰かと魔力で会話をしているのだろう。
「もう、泣かないでくださいシルメリア様。あなたのせいではない、この国がこうなってしまったのは……きっと、誰のせいでもないのでしょうから」
シルメリア。
それは、オスカー少年の母の名だった。




