第127話、倒せぬ敵を倒す術
解呪は成功。
晴れた空の割合は九。
九割のブレイヴソウルが輪廻の輪に戻り、太陽が照らし始めた祭壇の奥。
一割が残った、狂えるブレイヴソウルの群れの中。
よく通る――。
王者にも似た声は中央祭壇に広がっていた。
朝焼けの中に、揺れる人影がある。
それが誰なのか。
気付いたものは少数だった。
喪服令嬢には聞き覚えがあったのか。かつてミーシャと呼ばれていた悪女は、正体隠しのヴェールを驚愕で揺らしていた。
「その声は……、あんた、オスカー=オライオン!?」
「よう、久しぶりだな外道姫。いや、悪辣姫だったか、まあなんだって構わねえか――随分と質素な格好をするようになったじゃねえか、おい。ま、どうでもいいがな」
けだるい口調だった。
けれど、傲慢な口調だった。
黄金の髪を夜明けの空で輝かせ、漆黒の鎧を装備した騎士がそこにいた。
太陽に黄金の色が反射している。
男はただまっすぐ。
かつて婚約者だったコーデリアだけを眺めていた。
儀礼用のドレスに四つの魔道具。
聖剣に盾、魔導書に杖を浮かべ直したコーデリアがすぅっと瞳を細める。
「やはり……師匠がおっしゃっていた方はあなたでしたのね」
「んだよ、あの魔猫。話すなっつっといたんだが。しゃあねえか」
「ふふ、申し訳ありません。今のは嘘、もしかしたらそうなのかもしれないと、わたくし、鎌をかけてみましたの」
黄金髪の男はワイルドハンサムを一瞬惚けさせ。
ギラギラとした瞳で口角を釣り上げる。
「そういう冗談も言えるようになったのか」
「ええ、おかげさまで。あなたと婚約した当時の、ただの人形だった頃のわたくしはもういないのかもしれません。様々な人との出会いと別れが、わたくしを強くしてくれたのです」
「なんでも頷くお人形様だったおまえがか……そうか、はは、悪くねえな」
オスカー=オライオンは不器用に笑っていた。
何故かその背に、無数の邪霊を纏ったまま。
明らかに、異様だった。
ブレイヴソウルに触れているのに、変化していないのだ。
儀式を舞いでサポートしていたサヤカが赤い髪を揺らす。
「オスカー=オライオン、オライオン王国の騎士王子が……いったい、なぜこの場に。わたしたちに協力してくれる……というわけではないのですよね」
「てめえは、ああ、噂の踊り子か」
異様な気配に圧されてか。
頬に汗を浮かべてサヤカは問う。
「そう、ですが……あなたは、なぜ、ブレイヴソウルと共に。まさか、使役しているというわけではないようですし」
「こいつらとの関係か? まあ、今は契約者っつったらいいのか。こいつらはまだ暴れたりねえって言ってるし、だったら協力してやるって声をかけてやっただけだ。ま……オレ様は所詮、人類の敵側、この世界にとっての敵。コーデリアを解放するためなら、なんだってする。そのスタンスはなに一つ変わっちゃいねえさ」
オスカー=オライオンが世界を破壊する黒幕側。
エイコ神に協力していたのは周知の事実。
今はエイコ神も心を変え、またその裏で糸を引いていたビナヤカの魔像も消失。オスカー=オライオンが人類と敵対しているかどうか、曖昧のままになっていたのだが。
魔皇アルシエルが戦闘用の仮面を装着し。
世界樹の枝を剣に変換。
無数の翼でスゥっと飛行し、サヤカを守るように前に立つ。
魔境の主としての硬い口調で、大天使が問いかける。
『たかが人間が一人。いったいなにをするつもりだ、獅子王の倅よ』
「なにをって? おいおい、大天使様は頭が悪いのか? コーデリアをこの世界から解き放つって言ってるだろう?」
『愚かな――今更きさまに何ができよう!』
残っているブレイヴソウルに攻撃魔術を当てられ反射されても面倒。
そう判断したのだろう。
魔皇アルシエルによる翼の斬撃――天使の威光を纏った光属性の風圧の刃がオスカー=オライオンめがけて発動されていた。
地面を駆ける風の刃に魔力はない。
天使の翼による純粋な物理攻撃である。
ブレイヴソウルを警戒しているのだろう。
『話は後程、全てが終わった後に聞かせて貰うぞ』
魔皇アルシエルのレベルは極めて高い。
魔猫師匠から力や魔道具を授かっている関係者を除くと、この世界トップの実力を誇る転生者。
だからこそ、その一撃でオスカー=オライオンを戦闘不能にできると踏んだのだろう。
だが。
翼による風圧の斬撃は、ただオスカー=オライオンの髪を揺らしただけで終わっていた。
「で? それだけか?」
『――……なにっ……!?』
「おいおい、舐めて貰っちゃあ困るな。これでもオレは不帰の迷宮の踏破者。大天使の一撃ぐらいじゃあそよ風程度にしか思えねえってのは、まあこれで伝わっただろう」
それはまるで黄金の獅子。
明ける太陽を背にする男は、ブレイヴソウルを纏いながら手を翳す。
どう見ても、ブレイヴソウルを使役しているようにしか見えない。
「お返しだ、とっときな魔境の王様」
オスカー=オライオンが告げた。
それだけで魔皇アルシエルの仮面が割れ、ビシ!
正体の見えない攻撃に、大天使は膝をついていた。
『っぐ……』
「アルシエル!」
思わず漏れたサヤカの声が、戦闘開始の合図となったのだろう。
敵はオスカー=オライオン。
ただの人間。
だが。
ブレイヴソウルを使い、何か攻撃をしてきたことだけは理解できた。
『いかん! 奴を敵と認識する――撃て!』
号令を出したのはポメ伯爵こと、ミッドナイト=セブルス伯爵王。
彼もオスカー=オライオンの異常さに、獣毛を逆立て犬鼻の頭に濃い汗を浮かべている。
獣としての特徴が、伯爵の何かを刺激しているのか。
伯爵の号令に反応。
真っ先に躍り出たのも獣要素を含む、獣将軍グラニューだった。
「はは! 事情は知らねえが、単体相手ならぶん殴っちまえば早えだろう! おい、てめえら! エイコ神による無敵は効いてるんだ、構わねえから俺ごとやっちまいな! 俺なら殺しちまっても心は痛まねえだろう!」
告げてグラニューは近接戦闘の構え。
盗みによる装備破壊と、徒手空拳を合わせた盗賊獣人特有の動きで――オスカー=オライオンの正面から突撃。
巻き込むのが外道なる盗賊団の首領ならばと、この場に集う王の護衛たちは遠慮なく攻撃を開始。
四大国家の王に控える弓兵たちが一斉に銀の矢を放つ。
喪服令嬢が叫ぶ。
「待ちなさい! 絶対こいつ、おかしいわよ! って、コボルト達も詠唱を開始って!?」
コボルト魔術師隊が、杖を地面に突き刺し。
モフ毛をモコモコモコモコ!
同時に詠唱を開始する。
天に遍く星々よ――と。
それは天体魔術の詠唱。
彼らはオスカー=オライオンの危険性を本能的に感じ取っているのだろう。
コーデリアに笑って貰う。
コーデリアに微笑んでもらう。
そのためのコメディー担当、そのコメディーのために進化した姿であるにもかかわらず、その瞳も口も戦いのために動いている。
魔皇アルシエルを吹き飛ばされたサヤカも思うところがあったのか。
スペルキャスターたちの詠唱を補助するべく、踊りを開始。
「仕方ありませんね……っ、コボルトさん達。わたしの踊りに合わせてください!」
詠唱速度を短縮させる、踊り。
”術者のためのワルツⅥ”を発動。
サヤカの踊りは抜きんでたサポート性能を誇る。
そのおかげか、高速詠唱は達成され術が発動。
モフモフ、もこもこ。
獣毛を逆立てるコボルト達の詠唱は完了していた。
中央祭壇に隕石が降り注ぎ続ける。
祭壇にも人類にも、敵判定されているオスカー=オライオンとブレイヴソウル以外には”真なる無敵”が発動されている。だからどれほどに超広範囲の無差別大火力を解き放っても問題ない。
理にかなった行動ではある。
だが。
隕石が降り続ける中。
無敵ではない筈のオスカー=オライオンは、ただ平然と爆撃の中にいた。
「そんな!」
「そんな! なーんて驚くところは可愛いが、サヤカだったか、悪いがあんたはオレの好みじゃねえな――」
サポーターを潰すのが戦いの基本。
オスカー=オライオンが手を翳すのは、踊り子サヤカ。
けれど、その前には既に立ち上がった魔皇アルシエルが、世界樹の枝を剣と変え――ぎしり。
不可視の衝撃波を弾いて、鑑定の魔術を発動。
魔境の王としての声で告げる。
『このモノ、ブレイヴソウルを自らの内に取り込んでおるのか』
「ご名答。さすがに全部のブレイヴソウルを取り込むことはできねえが、一割残った連中を取り込むぐらいはまあこの通り。空を見てみな? もう誰もいねえだろう。まあそういうことだ」
ゆったりと瞳を閉じたオスカー=オライオン。
その周囲には、やはりブレイヴソウル。
まるで自らの魔力のように、狂える邪霊を纏って悠然と、王者の貫禄を保ったままに立っているのだ。
それはまるで。
物語に出てくる、魔王。
そういっても過言ではない、威圧感と風格があった。
オスカー=オライオンは攻略対象。
貌も美形。
だから本当に、今の男にはカリスマが滲んでいた。
見守っていたコーデリアが言う。
「オライオン様は……わたくし達では倒せぬ、退治できぬブレイヴソウルを自らの中に取り込み。そして、わたくし達に討たれようとしているのです……」
「コーデリア? あんた、いきなり何言ってるのよ! こんな時に、頭どうかしてるんじゃないの!」
叫ぶ喪服令嬢であったが、キースも賢王イーグレットも動揺は見せていない。
コーデリアもまた、動揺をしていない。
ただ、申し訳なさそうに、けれど――決意を持った瞳でかつて婚約者だった男を眺めていた。
コーデリアには見えていたのだろう。
心が見えるコーデリアには……再会したあの時に、ここまで見えていた。
コーデリア達とは違う、裏の物語。
歴史には残らないだろう、オスカー=オライオンの動きと心が見えていた。
オスカー=オライオンは今。
世界を破壊する側となって、ブレイヴソウルを纏い人類の敵となった。
彼の宣言通りである。
だが、その心は――。
もう、あの時に決まっていた。
「ミーシャ。今日わたくしは、生まれて初めて――悪いことをします。自分を愛していると言ってくれている殿方を、この手で殺めます」
普段のコーデリアなら、空気を読まずにいただろう。
いつもなら、バカなことを言って周囲をイラっとさせていただろう。
けれど、今回に限ってそうはならなかった。
聖女はこうなる事を既に知っていて。
悩みに悩み、そしてこの結末を選んだのだろうと分かる顔で――聖剣と盾、魔導書に杖を自らの周囲に浮かべている。
その落ち着いた様子に気付いた喪服令嬢は言う。
「どういうことよ、あんたたち」
「簡単な話だ――」
応じたのは賢王イーグレットだった。
「反射能力を持った、強大な敵。触れることもできぬ、強大な敵。その倒し方としてシンプルな答えは、倒せる存在の中に閉じ込め――そして、その存在ごと打ち倒すこと。邪霊を取り込む力と野心のあるものが存在するのなら、話は早い。その者一人が犠牲になれば、倒せるのだ」
「だからって……っ」
「そう怒りを表すな、喪服令嬢ミーシャよ。なにも犠牲になる事だけが目的ではない、これは対等な取引のようなもの。ヤツは主神たるコーデリアのためにこの世界を壊したい、その力が欲しい。ならばどうするか、答えはやはり簡単であろう? 力となる邪霊を取り込めばいいだけの話。ヤツはヤツでこのまま世界を破壊すれば、愛する乙女をこの世界の呪縛から解き放てるのだ」
もっとも、どれだけ強大になったとしても。
コーデリアに敵うとは思えない。
つまり……。
キースが言う。
「オスカー=オライオン――魔猫師匠にも認められた彼こそが、ブレイヴソウル討伐の最後のカギ……。この作戦は、婚約者を殺しかけてしまった、彼自身が選んだ贖罪。あの日、愛する女性を助けることができなかった、自責の念の結果なのでしょうから」
「だから、殺されるために世界を滅ぼそうとするっての!? そんなのっ……」
喪服令嬢は動揺していた。
あの日、オスカー=オライオンを巻き込んだのは他ならぬミーシャなのだ。
だからミーシャは言葉を漏らした。
「なんで、なんでそこまでするのよ!」
同じ疑問を持つ者もいただろう。
なぜ、そこまでするのかと。
だが、男は迷いなく言葉を口にした。
それは――。
極めて簡単な答えだった。
「こいつを愛しているから、他に理由なんて必要か――?」
明ける太陽が――。
黄金の髪の男を照らしている。
迷いなく、ただ、まっすぐと。
ミーシャは、あ……っと。
言葉をのんだ。
それはブレイヴソウルを取り込んだ男が、酷く優しい顔で。
花を慈しむような穏やかな瞳で……。
コーデリアを眺めていたからだろう。
ミーシャには愛や恋がまだ分からない。
コーデリアとは違った意味で、分からない。
精神的に未熟だったからか。
けれど、そのミーシャにも見えてしまった。
理解してしまった。
オスカー=オライオン。
彼は本当に、コーデリアを愛しているのだと。
コーデリアは瞳を閉じた。
その脳裏に、心を読んでしまった時に見た――男の過去。
オスカー=オライオンの物語が浮かび上がってくる。