第125話、後悔―もう二度と取り戻せないモノ―
世界各国に築かれた儀式スポット。
更にその全ての中央にあるのは、《解呪》を発動するための祭壇神殿。
中央祭壇と安易に名付けられた地。
全ての儀式祭壇の中央には絶世の美女。
あと少しすれば大人になる、乙女。
清き聖女――コーデリアが佇んでいた。
儀礼用のドレスに身を包むコーデリアの周囲には、回転する魔道具。
聖剣に魔杖、魔導書に盾。
魔力で浮かんだアイテムがまるで聖女を守るように、ゆったりと、踊るようにぐるぐると回っている。
聖女のドレスの裾から流れる魔力が、ふわりふわりと舞っていた。
魔力が形となって、飛んでいたのだ。
聖なる燈火ともいうべき魔力の蝶が浮かぶ、幻想的なエリアとなっていたのである。
ここに集うのは、ほぼすべての国の王。
その重臣たる主戦力。
王たるキースやイーグレット、魔皇アルシエルにサヤカも既に合流している。
この祭壇にて、聖女で主神たる聖コーデリア卿が解呪の魔術を解き放ち。
世界各地にある祭壇でも解呪を発動。
全ての魔力と祈りをコーデリアに集中させ、世界全土を覆うほどの解呪結界を発動させることが今回の作戦。不安もあるが期待もあるからだろう。ここに集う者たちの表情は複雑だった。
だが、やるしかない。
もしこの地に蔓延るブレイヴソウルの群れが、転生召喚を知るかつて高校生だった神達の末裔が起こした、勇者召喚の儀式の犠牲者ならば――それはこの世界の住人が対処するべき黒い歴史。
実際に中央で戦うのは、ある一定以上の力の持ち主のみ。
具体的には、ブレイヴソウルを自分で対処できる存在に限っていた。理由はもちろん、黒マナティー化してしまえば敵を増やすことになるから。
助っ人どころか足を引っ張ることになる。
だからこその少数精鋭ともいえる戦力が整えられているのだ。
けれど、作戦自体にはほぼ全員が参加している。
皆が祈りを捧げている。
どうか、世界が救われますようにと――その祈りが主神たるコーデリアの力となる。
全ての命が、この最終決戦に参加しているのだ。
あと少しすれば解呪が始まる。
解呪を拒否した黒き天は、一斉にこの中央祭壇を襲ってくるだろう。
それが最後の戦い。
だから戦力はここに集中している。
そして敗れれば、そこで終わり。
多少、他の場所の守りが薄くなってもここに集い――最後に備えてそれぞれ精神を集中させているのだ。
ただ、例外はある。
世界を覆う昏き天。
黒マナティーことブレイヴソウルを浄化する。
世界全土を浄化することになるのでアンデッドに属する存在、特にミッドナイト=セブルス伯爵王の傘下にあるものは、効果範囲外である暗黒迷宮へと避難していた。
魔境に住まうアンデッドの亜人も同様である。
伯爵王自身も闇の中に潜み、その姿をポメラニアンモードに切り替えアンデッドとしての性質を減らしているが……。
ともあれ。
この中央祭壇に集うのは、ほぼ全ての国の王や主戦力。
名有りでいないのは――いまだイシュヴァラ=ナンディカの会社で、即座にデバッグモードを拡張するために待機しているエイコ神と道化師クロードぐらいだろうか。
彼らは状況が不利になった瞬間に、カタタタタ。
キーボードやマウス、指タッチで機械と呼ばれる魔道具を動かし――即興で更新パッチを制作。この世界をバージョンアップすることで、戦いをサポートするつもりなのだ。
中央以外の祭壇にはエイコ神が配置した木偶人形や、聖コーデリア卿が召喚している強大な召喚獣たちが守りについている。
その召喚された対象に、世間を騒がせた怪異――血の鋼鉄令嬢アンドロメダが含まれていることで、当然、周囲はいろいろと、どういうことだ! と揉めたのだが。
いつものように”まあ、聖コーデリア卿だから……”で話は解決。
準備は既に整った。
今はコーデリアが最後の精神統一をしている。
準備も規模も壮大で、世界をかけた戦いではあるが。
基本は彼女の解呪を増幅する。
それだけの話。
その集中が整えば、始まるのだ。
関係者としてこの光景を現地で眺めるのは、全ての始まりともいえる存在の一柱。
ビナヤカの魔像。
蝶の羽ばたきにも似た音と光景。
魔力の燈火が弾ける光の中。
魔像が言う。
『勝つにしても、負けるにしても。ここがおそらく最後の戦いになる、であるか――』
「他人事みたいな言い方ですのね」
告げたのは戦闘用の課金アイテムで全身を固めている喪服令嬢ミーシャだった。
『すまぬ、気を悪くさせてしまったか』
「あら、こちらこそすみません。気にしてなどいませんから、ご心配なく」
ミーシャは魔像に対して思うところもあるのだろう。
その言葉はかつて王族だった時に培った所作の片鱗が見えている。
『我にはいまいち、分からなくてな』
「なにが」
『滅びるために生まれてきた、この世界。この地の生き物……汝等はあれほどにいがみ合っていた。我やエイコ神が介入せずとも、勝手に国同士の喧嘩。戦争とやらを繰り返していた。なのに、いま、こうして汝等は協力している。なぜ、普段は仲良くしないのか――やはり、分からぬな』
ああ、そういうこと……と喪服令嬢も装備の最終チェックをしながら応じる。
声は令嬢ではなく、かつてゲームに心を囚われ居場所を求めた女子高生のモノだった。
「状況が変われば心だって変わる。協力しないと世界が終わるんですもの、そりゃ一致団結ぐらいするでしょう? それに……心配しなくても、大丈夫よ。状況によって心が変わるって事は逆もある。たぶん――平和になって五十年もしたらどうせまた戦争を始めるでしょうから」
『それは大丈夫ではなくて、心配するべきなのでは?』
「皮肉に決まってるでしょう? って……そういう婉曲的な表現もまっすぐ、文字通りに受け取るからこその神。こんな事態になっちゃったんですもの、分からなくても仕方ないのかもしれないわね」
『そうであったな、すまぬ』
象兜の下で男神は詫びている。
その肌にはヒビ。
もはや形を保っていることも困難になってきているのだろう。
「あたしに謝る必要なんてないわ。あたしはあの世界……この世界が好きだったの。本当にね……あなたにとっては、ただエイコ神の恋を成就させるための――壮大な装置に過ぎなかったのかもしれないけど、それでも……あたしにとっては、この世界がすべてだった。バカね、あたし……なんでそんな素敵な世界に転生できたのに、あんなことばかりしちゃったのかしら……」
二度と取り戻せないからこそ、後悔は重いのだろう。
『それは汝の天使、個体名、ミーシャの天使に扇動されたからであろう?』
「いいえ、それはきっかけに過ぎない。あたしの願望も悪事も、結局はあたしの中から生まれたもの。それに、天使の誘惑に抗った転生者だって山ほどにいたんでしょう?」
『否定はせぬ』
「なら、やっぱり、あたしがあたしだったからダメだった。そういう話に戻ってくるんですもの」
自嘲するそのヴェールの奥の表情に、何かを見たのか。
魔像が言う。
『――何を企む、悪女だったモノよ』
「企む? 別になにも?」
『我は願望を覗くもの、歓喜天より派生せしビナヤカの魔像。其の心の奥にある野望、決意。我には誤魔化せぬと知れ』
「本当に別に、企んでるわけじゃないんだってば。ただ、あたしは為すべきことを為すだけ。ずっと前から、彼と決めていた約束を果たすだけ。そんな怖い顔をしないで」
『彼、ああ、あの男か』
ビナヤカの魔像が象兜の下から覗く男神の、鋭くも神々しい視線で眺めたのは――。
イシュヴァラ=ナンディカの国王キース。
ミーシャやサヤカ、転生者によって人生を壊されたモブだった男。
魔像が言う。
『して、悪女だったモノよ。汝はイシュヴァラ=ナンディカの玉座に、何を隠したのだ。あの地には異様な魔力の渦がある。その真意は、如何にある』
「隠してなんてないわ。仕掛けをしただけ。だって、魔猫師匠だってコーデリアだって……キースだって、自分達で動いているわけでしょう? あたしはあたしで、それなりに動かないとなんだか負けた気分になるじゃない」
『……やはり、人の子の考えはよく分からぬな』
「いいのよ分からなくて。きっと、人間の心なんて深くわかっちゃったら駄目ね……あの魔猫師匠みたいに、ぐるぐるキョロキョロ、勝手に心を覗いて、勝手に同情して、勝手に助けたくなっちゃうでしょうし。力があるって言うのも……できるっていうのも、哀れな話ね」
魔像はしばらく何も言わなかった。
ただ、首を傾げた。
本当に、意味が分からなかったのだろう。
『何の話であるか』
「だって、どれだけ同情しても、助けたいと願っても――力さえなければ実現できない。普通ならば諦める。だって助けたくともできないんだから、当たり前でしょう? けれど、彼らは違う。魔猫師匠もそれにコーデリアも力があるから、頑張れば助けることができちゃうわけでしょう? 助けられる、助ける力があるのに助けないのは……逆説的に見捨てたって思われても仕方ない」
神と呼ばれるものたちを、下の視線から見上げ悪女だった女は言う。
「常に完璧に動け、常に助けられる最善手段を尽くせ。一つでもその最善を見逃せば、なんで助けられなかったのかと恨まれる。それって軽い地獄じゃない」
『神とは、そういった最善を求められる存在なのであろうな』
「だから魔猫師匠は自分が観測した者、自分が気に入った者……自分が関わった者だけに絞って助けているんでしょうね。けれどコーデリアは? あの子はどうなのかしら、だからね、これからのあの子のことを考えると、あたしはちょっと複雑なのよ」
『そう思うのなら、汝が寄り添ってやればいいのではあるまいか』
心の分からぬ魔像に言われ。
「冗談でしょ。あたしは、その資格もないしそこまでお人よしじゃない。コーデリアの問題はあの子の問題、全てが終わったら、あたしは関われないわ」
『関わらないではなく、関われない、か』
「……ねえ、あなたはいつまでここにいられるの?」
『そう遠くない内に、我は我を保てなくなり崩壊するであろう。実はな、もう限界なのだ――』
剥がれていく皮膚を掬い上げることもせず。
魔像は男神の美貌を苦笑させ。
『元より、我は人間同士の戦いの中で使われてきた祭具。肉欲と愛欲。人との根源の力を代価に、欲望を叶える道具――そなたらの言葉で言えば力ある魔道具といったところか。既に使用回数も上限を超えている、とっくにな。故に、この戦いの最後を見届けられるかどうかも、怪しいであろうと我は考える』
「そう……」
『多くの血を見てきた。多くの死を見てきた。ああ、人とは戦いが好きな生き物だと我は知っておる。しかし、それでも我は願ったのやもしれぬ。壊れてしまう前に、最後は誰かのために綺麗な願いを叶えてやりたいと。もしや、それが我自身の、人の欲望を浴びた歓喜天像の願いであったのやもしれぬな』
綺麗な願いをかなえたい。
その結果が――。
この物語の始まり。
心を知らぬ魔像が言う。
『我は多くの命を傷つけた。心を傷つけた。エイコはおそらく、永遠に我を恨むであろう。エイコによって傷つけられたこの世界の命は、エイコを恨むであろう。ああ、我は一体……なんのために。なんのために、生まれ、作られ、滅ぶのか』
「まるで人間みたいなことを言うのね、それも中二病みたいな面倒なやつ」
『中二病とは?』
「忘れて頂戴。十五年以上経ってるんだし、たぶんもうあんまり使われてない言葉でしょうね」
喪服令嬢ミーシャが言う。
「ねえ、消えてしまうあなたを利用するみたいで悪いのだけれど、一つ、あたしの願いを聞いてもらえないかしら」
『うぬ? 構わぬが、もはや大した力は残されておらぬぞ』
「それでもいいのよ」
崩れかける魔像の手を握り。
喪服令嬢はあの日の高校生の顔で、そこに救いを求めた孤独な少女の声で告げた。
「あのアプリを、あたしの大好きだった世界を。この世界を作ってくれて、ありがとう。前にも言ったけど……経緯はどうあれ、この世界に感謝している人がいるってことだけはどうか、忘れないで。たとえあなたにとっては道具に過ぎなかったのかもしれないけれど、それでもあたしは大好きだった。だから、それをエイコ神に伝えて欲しいの。彼女きっと……今は作業で頭が埋まってるけど、全てが終わったその後に……滅茶苦茶後悔するでしょうから。だからね、あなたを含めて、この世界を作ったあなたたちに感謝している人はいた。そう、知っていておいて欲しい――それがあたしの願いよ」
『そうか――』
魔像は考え。
うーむ、パオパオと象兜の鼻を動かし、ピーンと来たのか。
『つまりは、我等を慰めておるのか?』
「いちいち言語化しないで、腹立つわね」
はぁ……とため息を漏らし。
「ま、そんな大好きな世界を取り上げられちゃって、あたしは死を選んだわけだけど。全部が自業自得、この世界に転生できたのにそこでも道を踏み外した、それも自業自得。だから、その自業自得の責任ぐらいは取るつもりよ」
喪服令嬢にあるのは、覚悟の決まった顔。
ヴェールで覆われていても、そこにある決意を読み取れない筈がない。
なぜならビナヤカの魔像は願望を読み取る、魔道具。
『――――――よ』
ビナヤカの魔像が名を呼んだ。
それは、悪女に落ちた乙女が捨てた名だった。
ミーシャではなく、もっと前の。
「驚いた、なによいきなり……懐かしい名前で」
『我と同じく、後悔を抱えし者よ――残されし我の力の一部だ、持って行け。騒動の種、全ての元凶たる我を慰めるなどという傲慢さ、嫌いではない。そしてこれはその不敬への褒美であり、呪いと言う名の餞別だ』
「ちょっと! なにをいって――」
喪服令嬢の言葉が途絶えたのは。
そこに音もなく消えていく、心が分からぬ魔像の姿が見えたからだろう。
割れた象兜の下からは、美丈夫。
その口からは、風が漏れていた。
音になっていないが言葉を刻んでいたのだ。
――すまなかった。と。
我の犠牲になった、我のせいで不幸になった者。
全てのものに、どうか……そう告げてやってくれ――と。
言葉にならない呪いを残し。
さぁぁぁぁぁぁ……。
其れは砕けて、消費される。
▽ビナヤカの魔像は消失した。
周囲では、解呪の準備で発生した神聖な力。
既に浄化の力が発動されているのだろう。
だから。
その身体が霊魂に似た魂の塊であった魔像もまた、消えかけていた。
だから魔像は動いたのだろう。
どうせ消えてしまうのなら。
消える前に。
その力の一部をミーシャに託して消えたのだ。
アイテムの残滓。
魔像だった魔力と塵が、蝶の羽ばたきですら流される砂のように。
空へと溶けて消えていく。
さぁぁぁぁぁぁ……っとまた、音が鳴っている。
この光景を眺めていた開発室。
エイコとクロードの画面には一枚のスチルが――表示されていた。
イベント名は――託す想い。
皆が集中しているせいで、魔像の消失には気付いていない。
この世界に関わるもので消失を知っているのは、この世界を眺めている栄子とクロード。
そして、今ここで元凶の最後の謝罪を眺めている彼女だけ。
同じ後悔をしている者。
その同類たる心が、ミーシャに言葉を紡がせた。
「ったく。悪いと思ってるなら、自分で謝りなさいよ――最後まで自分勝手で、本当に、嫌になっちゃうわね」
言葉は悪態だが、声は優しかった。
一足早く空を見上げて呟く喪服令嬢に気付いたのか、キースが言う。
「お嬢様、まもなくコーデリア卿による解呪が開始されるそうですが……どうかなさったのですか?」
「ん、ちょっとね……」
「ビナヤカの魔像様はいずこに? 先ほど談話されていたように見えましたが」
「もう限界だったみたい。行っちゃったわよ」
喪服令嬢の心も複雑。
けれど、その手にはビナヤカの魔像の力の一部が譲渡されている。
彼女はぎゅっと、こぶしを握った。
「キース、あなたたちが何をしようとしているのか、どうやって解呪を拒否する凶悪なブレイヴソウルを倒すつもりなのか、あたしは知らない」
「はい」
「けれど信じているわ」
「はい、全て、滞りなく――」
ここまでは喪服令嬢とは関係のない、キースたちの話。
ここからはキースと喪服令嬢の話。
「全部が終わったら、分かってるわね?」
「お任せください――委細承知いたしております」
恭しく礼をする姿は、執事だった頃のキースそのもの。
けれど。
彼本来の性格は、門番だった頃の……おだやかで誰からも好かれる好青年。
それもミーシャが壊してしまったモノの一つ。
二度と取り戻せない、笑顔……。
だからこそ。
ミーシャは前を見た。
「ごめんなさいね、キース」
「気持ち悪いですね……お嬢様が真顔で謝罪など」
明日は雨が降るのでしょうね、と。
キースは明けぬ昏き天を見上げていた。
雨が降るのならば、天は既に明けているという事。
男は勝利を確信しているのだ。
「あのねぇ……人がせっかく――まあいいわ、何とでも言いなさい」
「お嬢様?」
「無駄話はここまでよ、始まるみたい――」
解呪の儀式が始まるのだろう。
聖コーデリア卿。
かつて悪辣姫によって貶められた聖女が、皆に向かい宣言した。
「それでは――迷宮女王の魔導書の下、解呪の儀式を開始いたします」
最後の戦いが。
始まる。