第121話、戦死者《マカブル》
地上は戦場と化していた。
世界各地で、小規模であるが乱戦が発生している。
それは、遠隔魔術攻撃を絶対に使ってはいけない戦い。
黒マナティー、ブレイヴソウルによる降下攻撃は既に開始されていたのである。
しかし、それを攻撃と言っていいのかどうか――分からない者も多くいただろう。
彼らはただ水族館の中の人間を眺めに来ているだけ。
興味があるから見に来ているだけ。
ただ水族館のイルカが客を眺めるように、なんだなんだと一部の好奇心の強い個体が近寄ってきているだけなのだ。
鑑定で表示される状態もアクティブではなく、ノンアクティブ。
敵意がない状態で記されている。
それでも――。
夥しい魔力と瘴気を抱いた邪霊が寄って来れば、人は死ぬ。触れたら同族と化し、その生涯を終えてしまう。彼らの周囲で死ねば、その魂は邪霊に取り込まれ彼らの一員となる。
ただそれはブレイヴソウルのみに見られる固有能力というわけではない。
同族化そのものは、邪霊を中心としたアンデッドに多く見られる特徴だった。
彼らは仲間を欲しているのだ。
そしてブレイヴソウルもまた、汚染に構わず近づいている。
あそぼぅ? あそぼぅ?
さあ、仲間になろうぅ?
と語り掛けてくる個体までいるのだ。
だからこそ、戦えるものは彼らの降下に対し抗っていた。
ここ、イシュヴァラ=ナンディカの街でもそうだった。
逃げきれていない周辺国家の民まで転移で保護、結界で守っていた喪服令嬢が吠える。
「強化魔術いくわよ、キース!」
「御意!」
神の血筋……かつて神に願ってしまい転生した高校生を祖に持つ貴族。
亡国となってもその血は健在。
喪服令嬢はダークカラーな喪服を揺らし、王族による指揮魔術を発動。
「踊り狂いなさい、我が臣下! ”――狂乱セシ姫への舞踏Ⅴ――”!」
それは対象者の命を削る程の身体強化の魔術。
味方の寿命と命を明確に削る外道なる術。
主な使用者は王族。
それも、悪事に手を染めたモノのみが扱える、禁忌の術でもある。
禁忌とされる理由は当然、部下を犠牲に捧げているに等しい魔術だからだろう。その大幅な能力上昇効果と引き換えに、確実に対象者の命を削るからである。
だが――。
武器強化を受けた聖なるヌンチャクを装備する獣将軍グラニューが、ははぁ! っと吠えながら感嘆と告げる。
「外道姫にお似合いの魔術だな、アヒャッハハハハ! 悪くねえ、悪くねえぞ! 滾る、滾る! 血が滾るぜぇぇぇえ!」
「いや、あんたにはかけてないって……」
「は!? なんでだよ!」
「これから先があるのにっ、寿命を削る魔術を味方にかけられるわけないでしょう! あんたのはただのセルフナチュラルハイ! 自己強化よ!」
「んだと、こら! じゃあなんでこのクソ優男にはかけてやがるんだよ!」
獣毛を逆立て、吠え、唸る。
獣将軍グラニューの目線の先には、姫からの強化魔術を受け――瞳を赤くした現国王。
キース=イシュヴァラ=ナンディカ一世。
赤い魔力を纏った男は素手で掴んだブレイヴソウルを次々と、投擲。
彼のスキル――”執事王たる権能”にて、領土内で掴んだモノを所有物に変換。そのまま黒マナティーをアイテムとして認識、アイテム欄へ。
更にアイテム化された黒マナティーを装備欄へと移動し、装備。
そして最後に、遠隔武器として空へと投射。
装備としての石を投げるように、投げ捨てているのだ。
当然、滅茶苦茶のことをやってのけている。
民たちは国王キースの無双に歓喜、その信頼を預けているが――。
獣将軍グラニューの問いかけに次の詠唱を開始している喪服令嬢ミーシャが応じる。
「ああ、キースね。キースならいいのよ」
「んなわけねえだろう……」
「じゃあ理論で説明するけど。彼はあの魔猫師匠の眷属として登録されている、その時点で既に人間の器じゃないのよ。故に、寿命もほとんど永劫に近い形になっている。あくまで仮にだけど。千年生きられる寿命があるとしたら、その十年を削ったとしてもあまり影響ないでしょう? そういうことよ」
グラニューは険しい顔の頭上にハテナを浮かべ。
「いや、千年生きるとしても十年はやっぱ嫌だろ。十年分、うめえもんも食えねえし、女を抱けねえってことだろう!?」
「感覚の差ね。まあ、本当に千年だったらそれもそうなんでしょうけど――」
喪服令嬢が言葉を濁した理由はただ一つ。
おそらく。
もはや不老不死に近い、それこそ人間でありながらのバケモノ。魔性と呼ばれる存在へと成り果てているのだと、喪服令嬢の中にある魔術師の感性は認識していた。
「それよりもだ、てめぇキース! なんで素手で触ってやがる! 触ったらアウトなんだって言われてただろうが!?」
「素手とはいっても魔力を流していますから、薄皮一枚で触れていない状態となっています。そして私の”執事王たる権能”の効果範囲ではあるので、相手を所有物にはできます。アイテム化現象のラグとでも呼ぶべき刹那の間を利用し、空へと投げ捨てているだけですよ」
エイコ神からの恩寵とお嬢様の強化あっての技術ですが、とキースは涼しい顔でちぎっては投げ、ちぎっては投げ。
ブレイヴソウルの群れをいなし続けていた。
むしろ空に向かって投げ返されることが一種の遊具となっているのか、黒マナティー達は順番待ちの列を作ってキャキャキャ!
モキュモキュっと手を叩いて喜んでいる始末。
むろん、これは様々な経緯を経て、人ならざる人間へと変容しているキースだからこそ、このような異様な光景になっているだけ。
他の地域ではマナティータッチを受け、同族化――空に漂う邪霊の仲間入りしてしまった場所も存在する。
無邪気に見えるこの戦場も、首の皮一枚で繋がっているだけに過ぎないのだ。
だが――。
黒マナティーこと無貌の人魚はモキュモキュ!
はーやく! はーやく!
と、人間の声真似をして手拍子の嵐。
「だぁぁあああああああぁぁぁ! 腹が立つわね――こっちはギリギリで空に追い返してるのに……これじゃあ遊びじゃない。何考えてるのよ、この魔物は……!」
「魔猫師匠の劣化コピー……まあ、劣化と呼称しては彼らに悪いのでしょうが――性質が似ているのでしょうね。本気になられても困るので、こちらも助かりますが」
「それはそうだけど……」
「お聞きしたいのですが。一度、彼らの同族にされた者を治す手段は」
課金アイテムを所持し、魔術にも造詣が深くなっている喪服令嬢であるが。
返答はない。
それが答えだったのだろう。
「犠牲者が出ないように、立ち回るしかありませんね――せめてエイコ神達による無敵とバフが完成するまでは」
シリアスに美貌を鋭くさせるキースの横。
順番待ちの黒マナティー達は、モキュモキュ!
陽気に頷いて見せている。
「だぁああああああああああぁぁぁ! 本当に腹立つわね、あんたたち!」
コミカルな怒りをあらわにする喪服令嬢を眺め、彼らはひそひそ。
集合し。
貌のない、象の皮膚のような肉厚な部分にササっとヴェールを装備し。
『だぁああああああああああぁぁぁ!』
『本当に腹立つわね、あんたたち!』
と、声真似をして再び空を泳ぎ始める。
名もなき魔女が昏き天を眺め、まるであの日を眺めるような顔で。
鷲鼻の下から言葉を漏らしていた。
「だが――この戯れの心がなければ、彼らが沸いた瞬間に我等は全滅しておったのだ。感謝せねばなるまい? ほれ、それによく見てみよ。あんなに微笑ましく、笑っておるではないか」
「なに? 妙にこの敵に甘いじゃないの」
「そうさな――我はあまり、子どもを責めたくないのでな」
呟く魔女の瞳は、まるで魔に魅入られたように澱んでいた。
「……? ちょっとどうしたの?」
「ふふふ、なんとも愛らしく飛んでいるではないか、あれではまるで……」
まるで。
そう……まるで。
と。
名もなき魔女は、天を仰ぐ。
その視線に反応したのか。
数体のブレイヴソウルが急降下。
あそぼぉ。
あそぼぉ。
と、魔女に向かい語り掛けるかのように、蠢きはしゃぐ。
貌のない筈の、その貌に何かを見たのか。
魔女が言う。
「あぁ、なんじゃ。おまえ、そうか……そこにおったのか――」
そして。
名もなき魔女は腕を伸ばしていた。
「……!? 待ちなさい! 何を考えてるの!」
「大丈夫よ、母も、すぐ、そちらに……いくからな。もう、泣くでない。泣くでない」
「ババア? どうした! そっちは、やべえぞ!」
魔女の腕が。
手が。
指が。
葦を掴むように、伸び続ける。
「――すまぬな、あの日、そなたらを独りにしてしまって、本当に、後悔しておった。ずっと、ずっと……」
強化魔術と結界の維持に専念し動けぬ喪服令嬢が叫ぶ。
「精神汚染!? まずい、グラニュー! すぐに止めて!」
「ちっ、くそったれが――!」
獣将軍が盗賊としての俊足と獣人としての脚力で駆けるも。
一歩及ばず。
名もなき魔女の身体が、黒き人魚たちの群れの中へと飲み込まれて消えていく。
一定時間、無敵状態と結界で身体は維持されたが。
それも一瞬の時間稼ぎ。
獣将軍グラニューの伸ばす手は届かず。
満足したような。
声が響く。
「あぁ、坊や、――やっと、あなたに、会えたのね――……」
会いたかったわ。
と。
しばらく……声がした後。
ざぁぁぁぁぁぁっと。
音がした。
人の肉が、変貌していく音が鳴った。
その直後。
黒き人魚の隙間から、自動鑑定された情報が浮かび上がってくる。
《もう、二度と離れないわ……》
と――備考欄に記載されたソレは、新たに生まれた一際大きな無貌の人魚。
鑑定名は、ブレイヴソウル・マザー。
母たる個体が顕現した影響か。
まるで子を守る母のように、そして母に従う子のように。戦場を舞っていた黒マナティー達は方向を変え、空に戻り。
ぐるりぐるりと昏き天を泳ぎ始めていた。
最後に魔女が見た幻影。
まるで無邪気な子供のような黒マナティーたちの中に、何を見たのか。
それは誰にもわからない。
想像することしかできない。
けれど、キースは既にその手を止めていた。
魔猫師匠の眷属としての彼には、見えていたのだろう。
これでここでの戦闘は終了したのだと。
群れは何故だろうか。
新しく誕生した大きな黒マナティーに従っていた。
しばらく空からイシュヴァラ=ナンディカの大地を眺めた後。
なぜか。
彼らはこの戦場を去ったのだ。
その遠ざかっていく巨体を眺め。
グラニューが言葉を漏らす。
「逃げていき、やがったのか」
「……そうね、他の場所の援護に行きましょう」
「ババアは」
振り返らずに喪服令嬢が言う。
「――……どういう経緯かは知らない。けれど名もなき魔女……彼女の元となったキャラにはかつて子どもがいて、その子供を異世界召喚の実験で失ったって、そういう設定がされていたそうだから。たぶん、そういうことよ――」
それはあくまでも三千世界と恋のアプリコットの設定。
この世界に反映されていたかどうかは分からない。
けれど。
おそらくは――。
……。
残された彼らはただ、黙ったまま。
けれどすぐに次の戦場へと向かうべく、消耗した魔力と魔道具の補給を開始した。
戦いはまだ、続いている。