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第120話、聖母の木炭画


 永遠の黄昏が世界を包んでいた。

 それは分類にすると”天候操作”に属するのだろう。

 効果範囲領域の天候を沈む夕日と夜の二パターンに固定する、アンデッドの支配者たるミッドナイト=セブルス伯爵王が使用する高位儀式魔術である。


 常に暗くなってしまうが、それでも黄昏。

 夕焼けは存在する。

 ブレイヴソウルに完全に覆われている状態よりも明るいと言える。


 時間稼ぎに過ぎないだろうが、その時間稼ぎが有効。

 無貌の人魚、悍ましき魔力を纏う黒きマナティー達は結界に興味津々、分厚い結界の周囲を覗き込んでキャッキャッキャ!

 やはりマナティーのような肉厚な手を叩いて、その周囲をぐるぐる回っている。


 其れはさながら邪悪な水族館。

 結界の一枚先には、空を漂う邪霊が蠢いている。

 そんな邪霊たちに純白レースの手袋で手を振って、菩薩の笑み。

 転移魔術を利用し、全世界の寺院や教会に浄化用の魔道具を運び込むのは、いつもの乙女。

 聖コーデリア卿である。


 場所は魔境。

 喪服令嬢ミーシャが自責の念から作り上げた孤児院である。

 たとえ稀代の悪女が作った施設と言えど、そこには救われた人々がいる。

 偽善であっても、実際に救われた命がある。

 そこには命を掬い上げられた者たちの生活があった。


 質素だが穏やかな寺院の壁には、一枚の炭で絵が描かれた木炭画。


 絵心のある子供が描いたのだろう。

 謎の貴族令嬢の肖像画が飾られていたのだ。

 立場や環境によって、見る立ち位置によって――他者への感情は変わるもの。

 いまこの空間だけは、稀代の悪女は悪女ではなく――誰からも助けて貰えなかったモノたちの救世主としての側面もある。


 子どもが描いたその肖像画。

 もはや顔は爛れ、見る影もない喪服令嬢であったが――その肖像画の中だけでは。

 微笑んでいた。

 笑っていた。

 まるで慈悲ある聖母のように、優しい笑みを浮かべているのである。


 これを描いた子供には、本当に――こんな優しい令嬢に見えていた。

 ただそれだけの話。

 そんな、偽善の部分だけを誇張され美化された妹の肖像画を眺め、兄は何を思ったのだろうか。


 コーデリアだけでは色々と不安だとついてきた聖騎士ミリアルドが、手を振り返してくるブレイヴソウルを眺め、眉間にしわをぐっと刻み。

 傷跡だらけの端整を曇らせる。


「彼らは、やはり襲ってこないのですね――」

「空を覆う彼ら全員に襲われたら――その時点で終わりなのです、よろしいのではありませんか?」

「それはまあそうなのですが……」

「もっとも、彼らは遊んでいるだけ、空に漂っていることに飽きたら、何体かが降下してくるのでしょう――そうなってからが問題なのですが、現状ですと、こちらからはどうしようもありませんわ」

「師匠はアレを一体どうやって倒したのか……」


 魔猫師匠の物語や逸話を綴る分厚い書物。

 グリモワール。

 魔猫師匠の”異世界の魔導書”を目にしたことのあるコーデリアが言う。


「あれは、そうですわね。ふふふ、師匠にしかできない事ですので真似はできないでしょう」

「知っているのか!?」


 思わず大きな声を上げてしまったからだろう。

 魔境の孤児院に集まる多くの聖職者たちが何事かと振り返るが、こほんと咳払い。

 すまないと周囲に詫び、ミリアルドが声を潜め。


「すまない、驚いてしまい……つい。昔のような言い方を」


 くすりと口元に手を当て微笑んだコーデリアは、当時の皇太子の口真似をして。


「おい、おまえ。妹にくっつく、ちっこいの。こんな感じでしたでしょうか?」


 口真似はよく似ていた。

 望郷が襲ったのだろう。

 皇太子だったミリアルドの表情に、複雑な影を落とさせる。

 ミリアルドが目線を逸らしながら、再度――こほんと咳払い。


「そう、でしたね。お恥ずかしい限りで……すみません、まだ当時は王族としての驕りに満ちた、生意気な子どもでしたので。どうか許していただければと」

「こちらもすみません。責めているわけではないのです――わたくしたち、三人。ミーシャにわたくしにミリアルド様。その幼き関係が拗れてしまう前……あの日々は、わたくしにとっても大事な思い出です。ですから、ただ純粋に懐かしくなってしまって」


 あの日を見る顔で、声で語る聖コーデリア卿。

 もう少しすれば、大人と呼べる歳にもなる聖女。

 けれど、まだ子供と言える乙女。


 それでも、もう戻れない。

 聖女はこの世界の核、主神としての器を持つこの世界の操作者プレイヤー

 たとえ世界が平和になったとしても、もう――人としての扱いではなく、神としての扱いを受けることは互いに分かっていた。

 だからこそ、ミリアルドはコーデリアに対し敬語を徹底するべきだと考えるのだろう。

 けれど今はまだ――。

 そんな感情が、昔の言葉に近い発言をさせていた。


「コーデリア、君の中の思い出の私は、かなり不遜で無礼な子どもでしたでしょう――」


 言葉を選び、柔和にした表現で聖女は応じていた。


「否定はしませんわ。そうですわね……ミーシャのことが大好き過ぎるお兄ちゃん、そんなイメージでしょうか」

「ミーシャが大好きだった……私ですか。参りました、反応に困りますね」


 ミーシャという言葉に反応したのか、忙しく動く大人の裏。

 孤児院の子どもたちが聖女と聖騎士を見上げる。

 少年が言う。


「聖女様、聖騎士様。あの」

「まあ、どうしましたか?」

「――ミーシャって人は、悪い人なんですか?」


 発言した子どもは小さな腕の中。

 分厚い木炭画をぎゅっと抱いていた。

 コーデリアとミリアルドは目で会話をし、綺麗とは言えない床に構わず屈んだコーデリアが言う。


「そうですわね、本当のことを聞きたいのですよね。はい、悲しいことですが――ミーシャが悪いことをしていたのは事実です」

「そう、なんですか……じゃあ、これも捨てないといけないのでしょうか」


 そこにはいくつもの聖母の絵。

 何枚も、何度も描かれた救世主としてのミーシャの肖像画。

 綺麗な一面、綺麗な側面を描き上げた大作ばかり。


 貴族の部屋に飾ってあったとしても違和感のない芸術である。

 少年の記憶の中のミーシャは、微笑んでいた。

 温かい笑みで、周囲を包むように眺めているのだ。


 それが少年にとってのミーシャ。

 本当にそれほど尊い存在に思えたのだろう。


「凄い、よく描けていますわね。きっと将来は有名な画家、巨匠になるのでしょうね。具体的には、ふふ、これは言わない方がいいですわね」


 温かな後光を背後に抱くコーデリア。その慈愛に満ちた瞳には、子どもたちの先が見えているのだろう。

 それはもはや神の目線。

 聖騎士ミリアルドは確かに感じただろう。もはや人の器を超えてしまった、幼馴染ともいえる少女の成長と侘しさを。


「でも、やっぱり……捨てないとだめですか?」

「いいえ、そんなことはありません。けれど……そうですわね、捨てないといけないか――そうわたくしに問うという事は、誰かに何かを言われたのですね」


 子どもたちは頷いている。

 頬には涙の跡がある。

 聖女は包むような温かさで子どもたちを眺め。

 ゆったりと瞳を閉じる。


「分かりました。正直にお答えしますが――あの方の肖像を飾る事を快く思わない方々もいるのは、確かだとは思います。ただどうか……責めないで上げてください。その方々も、あなた達が憎くてそう言っているのではないのです、人を恨むことは、憎悪することは本人にとってもとても負担になる事ですから……。その方たちも、言いたくて言っているのではないのでしょう。できれば恨みたくなどないのでしょう。けれど、ミーシャはそれだけのことをしてしまったのです。それだけ、その方々の心と尊厳を踏みにじってしまったのです……」

「じゃあ……やっぱり」


 と、子どもたちが諦めの顔を浮かべる。

 その直前に。


「それでも、誰も手を差し伸べてくれなかったあなた方を救ってくれた。彼女以外は誰も何も……してくれなかった。できなかった。自分が生きることに必死で、弱い者たちに手を伸ばしたくてもできなかった。そんな中で、あなたたちを助けた。住む場所と食べ物と金銭を施した。そのことも事実でしょう。あなたたちは助けられた――その真実だけは嘘偽りではないと言えるでしょう」


 聖女は世界を包む慈愛をもって、子どもらに道を示す。


「彼女のせいで不幸になった人が彼女を恨んだことと同じく、彼女のおかげで救われたことを感謝する自由もある筈。ですから、そうですわね……平和になった後――この寺院の皆様と相談してみてはいかがでしょうか?」

「相談、ですか?」

「はい、答えは一つではありません。人によって正解が違う、そういう問題も世の中にはあるのです。けれど相談の結果、どのような結論になったとしても、あなたはあなたの心を大事にしてあげてくださいね」


 コーデリアには見えているのだろう。

 相談した結果、どうなるのか。

 けれど、それは決して口にはせず。


「はい、分かりました。ありがとうございます、聖女様」


 子どもたちは聖母の肖像を抱いて、奥へと駆けていく。

 ミーシャが救い、ミーシャが雇った大人の……いや老いた聖職者に抱き着き微笑む子供たち。

 老いた聖職者たちも、子どもたちを優しく見守っている。


 この寺院の中だけでは、彼女ミーシャは本当に救世主。

 聖母なのだろう。

 救われたモノたちの背を眺め。

 コーデリアが言う。


「いつか巨匠となる彼らのためにも、わたくしたちが頑張って世界を維持しなくてはなりませんわね」

「コーデリア――君にはどこまで見えているんだ?」


 問われた彼女は曖昧に微笑むのみ。

 さすがに全てが見えているわけではないのだろう。

 けれど、多くが見えているのだとミリアルドには理解できた。


「君はやはり、凄いな。コーデリア。同じ師を持つ身なのに、差を大きく感じてしまう」

「わたくしの存在が特異ということもあるのでしょう」

「はぁ……駄目だな私は。心身ともに鍛えたはずなのに、驕っていた王族としての私を切り捨てたと思いたいのだが――どうしても心卑しい部分があるのだろう。君に、つい、嫉妬してしまいそうになる」


 それは単純に騎士として、実力の差を見せつけられた悔しさもあるのだろう。

 それを素直に口にできる。

 今の関係性は、とても安定しているともいえるのだろうか。


「まあ。ふふふ、称賛と受け取っておきますわ」


 上手に受け流すこともできるようになったコーデリア。

 その微笑みを眺め、思わずといった様子でミリアルドは口を滑らせる。


「――ミーシャが悪いというわけではないが……子どもたちも、君の肖像画を描けばいいのに。君の微笑みは、とても……心安らぐからな」

「ミリアルド様?」

「と、すみません先ほどから――失礼な口調が増えてしまっておりました」


 キョトンとした様子でコーデリアが言う。


「無理に敬語になさる必要もないとは思うのですが、でも、そうですわね――殿下のお気持ちはわたくしには推し量れませんし、殿方の矜持はわたくしには少し、理解の及ばない領域ですので。どうか、お好きなように」


 菩薩の心で何でも許してしまうコーデリア。

 それはやはり、長所でもあり短所。

 その心に付け入るように思えてしまうのか、ミリアルドは黒髪と黒目を揺らし――反応に困る美形騎士、攻略対象の顔で整った唇を動かす。


「他の方の目もありますし――私はあの方の弟子。つまりあなたの弟弟子でもありますから、すみません。もう少し気をつけます」

「公私は分ける。とても大事なことだと存じます」

「話を戻しましょう。それで、師匠は一体どうやってあれらの邪霊を討伐したのか、教えて頂いても構いませんか?」


 水族館のような状態になっている天を見上げるミリアルド。

 天を仰ぐことで浮かんだ美貌。

 彫り深い濃淡。精悍さを増した弟弟子の顔に微笑み、コーデリアは答えを告げた。


「真似できない方法ですし、おそらく殆どの方に信じて貰えないと思って口には致しませんでした……語っても仕方ないと判断したのですが。そうですわね、気になるでしょうし。お答えします」


 コーデリアは魔猫師匠のグリモワールを広げ。

 該当ページを開き。


「答えは――魅了したのです」

「……はい?」

「ですから、魅了です。師匠が三つの心を持つ邪神だとは知ってますわよね? ネコの姿とは別の意味で魅力値の高い神父の姿で全力チャーム、お茶に誘ったそうですわ」


 いつものように頭痛を抑えるように眉間を押さえ、ミリアルドが吐息に言葉を乗せていた。


「真似できないことはわかりましたし……語れなかった理由もわかりました。けれど、少し理解が追い付きませんね。邪霊に魅了が効くのですか?」

「当然効きませんでしたわ。けれど――魅了に失敗して、腹を立てた師匠がネコの姿でフシャーフシャーお怒りになられ……その姿に呆れたブレイヴソウル達が、生前の正気を取り戻し、浄化……調伏された。そういう経緯もあったようですわ」


 意味の分からない逸話だが。

 弟子たちはいつものことだと納得する。


 何のヒントにもならなかった師の逸話。

 その顛末を知った後。

 ミリアルドが言う。


「我々で、どうにかなるのでしょうか」

「どうにかできるだけの準備はして貰えていますから。わたくしたちの出会いや別れ、その全ての物語が繋がっている。あとはわたくしたちが、それに気づき、自分の力で前に進む――それだけです」


 コーデリアには見えている。

 おそらく、その結末も。

 乙女の表情には、僅かな罪悪感もにじんでいた。


「大丈夫ですわ、わたくしも皆様を信じておりますし、わたくしもわたくし自身を信じております。いままではわたくしはわたくしを信じることができませんでしたが……皆様との出会いで、信じることができるようになったのです」


 ありがとうございます、と。

 まるで別れの言葉のように彼女が言う。


 ミリアルドが公私の私の声で言う。


「コーデリア――君は、何を知っているんだ」

「内緒ですわ」


 コーデリアは微笑んでいた。

 なにをするのか、どうなるのか。それはミリアルドにはまだ、分からなかった。

 けれど。

 既に覚悟は済んでいる。

 どうか、信じてくださいと――訴えるような。

 彼女の笑顔の裏に、そんな表情を感じ取ったからだろう。


 ミリアルドは何も言えなくなってしまった。

 一部のブレイヴソウル、黒マナティー達が降下攻撃を開始。

 戦闘状態に入ったとの連絡が告げられたのは、この直後のことだった。


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