第012話、領地、暗黒迷宮:後編
山脈帝国エイシス。
その皇帝――。
ダイクン=イーグレット=エイシス十三世の護衛達は息を呑む。
ここは突如として顕現した暗黒迷宮。
そのダンジョン主は人間の姿をした、「迷宮女王」。
調査によれば、クラフテッド王国を恐怖のどん底に陥れた稀代の悪女、聖女を騙った悪魔コーデリア=コープ=シャンデラーだろうと判断できる。
なにをしかけてくるか? 護衛達は戦々恐々としているが、その心は一つ。
主君を守る。
だがそんな不安はどこ吹く風。
聖女コーデリアは存外に丁寧な口調で、忠誠を誓う仕草で賢王ダイクンに頭を下げていた。
「賢王と名高きダイクン陛下――。昨夜は無礼の数々、大変申し訳ありませんでした。寛大なお言葉とお心遣いに改めて感謝を――」
護衛達はなにごとかと怯むが。
賢王は、微笑を浮かべ状況を楽しんでいた。
聖女が悪人ではないと見抜いているのだろう。
女はカーテシーを披露しようとするが、賢王ダイクンがそれを止める。
「良い――そなたのドレスが汚れてしまう」
「心優しき陛下のために汚れるのでしたら、ドレスも幸福でありましょう」
「ほう、言うではないか――」
なにやらいい雰囲気である。
護衛達は顔を見合わせて。
代表して騎士団長が言う。
「陛下、この者はいったい……。お知り合い……なのですか?」
「だから言うたではないか、昨夜契約をしたとな――」
「お戯れを、転移魔術で夜中に皇帝陛下の寝室に侵入する異国の聖女などいる筈が――」
かぁぁぁぁっと迷宮女王の顔が赤くなる。
「も、申し訳ありません。わたくし、教会とギルドを追い出されて焦っておりましたの……」
「は!? 貴様まさか、本当に陛下の寝室に侵入したのか!?」
大声にコボルトたちの顔が変わる。
その空気をすかさず切り替えるべく、ダイクン=イーグレット=エイシス十三世は動いていた。
「安心せよ、こやつに悪意があれば昨夜のうちに余の首は飛んでいた。文字通りな。騎士団長よ、既に余が許したのだ不服はあるまいな? これ以上の恥をかかせるな」
「申し訳ありません」
「いや――余を思うそなたらの気持ちには感謝している。いつもすまぬ」
賢王ダイクンは、恐るべき魔物を引き連れた迷宮女王に目をやった。
二人の目が合う。
照れにも似た、不思議な空気が二人の間に流れ。
直後に少女は微笑んだ。
「陛下自らが足を運んでくださるなんて、恐れ多いですわ。それでは迷宮をご案内させていただきますわね。まずはどこがいいかしら、やはりモンスターハウスと呼ばれるトラップ部屋がいいのでしょうか」
コーデリアは初めての来客に浮かれていた。
その微笑はやはり美しく、王と取り巻きの瞳を奪っていたが。
後ろの魔物たちは、うちのお嬢に手を出すんじゃねえぞとばかりに鼻息を荒くしている。
「待て待て。娘よ、そう急くな――余の話を聞かんか。というか、そなたは少々、落ち着きというモノを覚えるべきだと余は思うぞ」
「まあ、ごめんなさい。わたくし領地の外にでたことがあまりなくて、はしゃいでいるのですね」
「なるほど元領主の娘という話も本当であったか」
「ええ、無論でございますわ。とその前に……そちらの方々は」
コーデリアは王の連れに恭しい礼を披露。
服の裾を優雅に摘まんで、さりげなくドレスを気遣いながら挨拶をしてみせる。
「初めまして皆さま。わたくしコーデリア=コープ=シャンデラーと申します。此度はこの暗黒迷宮を領地とさせていただくこととなりました、新しき領主です。以後お見知りおきを」
「部下への挨拶などせんでよい、そなたは今、余の前にいるのだぞ」
「そうは仰いますが陛下。陛下は昨夜部下を信頼していると褒めていらしたではありませんか。大事な方々なのでしょう?」
きょとんと首を傾げる迷宮女王に、賢王の頬が赤く染まる。
「たわけ! よ、余は! べべ、べつに部下を信頼などしているわけではない! あああ、あくまで仕事ができるからぁ、任せているだけであって」
「まあ、うふふ。殿方はすぐそういう意地をお張りになるのですから」
迷宮女王が談笑しているからか、ダンジョン内の魔物たちはとりあえず侵入者への攻撃を止めているようだ。
もっとも、警戒が解除されたわけではない。
毒矢を構えたコボルト部隊が迷宮の奥に待機している。
「余のことなどは、まあどうでもいいのだ。娘よ、これが現実というのならば昨夜の話も真実ということで相違ないのだな?」
「ええ、わたくしは迷宮女王。職業は悪役令嬢をさせていただいております、今でも聖女ですので、おそらく鑑定では聖女と表示されるでしょうが――」
「小娘がまさかあの最恐ダンジョンを制覇したとは信じがたいが、これを見せつけられてしまうと信じぬわけにはいかんのだろうな」
賢王は周囲を見渡し、緊張した面持ちで息を呑む。
連れの騎士たちも同様だ。
「して、元領主の娘コーデリアよ。そなたの目的は何だ」
「昨夜ご説明させていただいたとおり、復讐になるのでしょうか。まあ、住む場所がなくなってしまいましたし、お父様の新しい愛を邪魔するのは乙女としては絶対に避けたいですし。新しいおうちが欲しかったというのもありますけれど」
よくわからないことを言う聖女に、護衛達は困惑。
賢王だけは余裕を保ったまま。
「ふむ――その言葉をそのまま信じてやりたいのだが、生憎と部下たちが少し警戒していてな。そなたが反旗を翻し、我が山脈帝国を陥れようとしているのではないか――そういう意見も必ずでよう。残念ながら余とて、そういう可能性がゼロでないとは言い切れぬのだ。この帝国を治める統治者としてな」
「王として、当然の御懸念だと存じ上げますわ」
女王さまはそんな卑怯者じゃないぞぉ!
かーえれ、かーえれ、にんげんかーえれ!
そう人の言葉で書かれた看板を掲げ。
グルルルルル!
コボルトたちがきゃんきゃん吠える。
「こーら、あんまり吠えたらだめでしょう。あなたたちの遠吠えは弱い人間には麻痺の効果があるのですから。ほら、そこの騎士さん達も麻痺しちゃったでしょう、め!」
「ほう! 人語を解する魔物とな!」
「ええ、魔物さん達がお話しできるなんて当たり前のことじゃないですか?」
信じられん。
賢王のお付の魔術師たちがざわざわと騒ぎ出す。
ダイクンはますます愉快そうに笑った。
面白い女だと。
皇帝はどんな令嬢も落とす美貌を、キラキラと輝かせている。
「ふはははははは! 愉快、愉快であるぞ娘よ! 一つ確認させてもらいたいのだが。この迷宮を一夜にして作り上げたのは、そち、でいいのだな?」
「ええ、隠しスキル迷宮女王レベル∞の効果ですわ」
「迷宮女王? 異界書の名か」
「不帰のダンジョンの制覇報酬ですわ」
あの迷宮を、本当に。
そんな疑いと驚きの声が臣下の口から零れる。
厄介なことにならないようにだろう、聖女はわずかに空気を変える。
「もしわたくしからこの魔導書をお奪いになられても、わたくし以外の者には使用できませんわよ」
乙女は牽制するように宣言する。
実際。国のためにそういう考えを起こす者がいる可能性はある。
賢王は部下を目で制止し、言った。
「まあよい。契約の通り、そなたが領主として得た税収の一部を献上しさえすれば、こちらとしてもありがたいのだからな」
「滞りなく、お支払いすると約束いたします」
「さて――ここからが本題であるが。そなた……しくじった場合の約束も覚えておろうな?」
鷹の瞳が聖女をまっすぐに狙っていた。
コーデリアはぽっと頬を赤く染める。
恥じらいを知る、美しき令嬢そのものである。
「その……御冗談だとは存じておりますが――わたくしを、后に……との、ことですわよね」
何を戯けたことを――と家臣が抗議する前。
賢王は瞳を細め、「麗しき白銀帝の威光」を発動する。
それはダイクン=イーグレット=エイシス十三世が生まれた時から持っていた力。なぜか彼には他者を惹きつける、運命を改変する力ともいえる魅力が備わっていたのだ。
賢王ダイクンが本気で声をかけたものは、皆、堕ちた。
「その通りだ。余はそなたを気に入った――昨夜は戯れだったが、今はそれなりに本気だ。くくく、そうであるな。いっそもうこの場で余の所有物となるべきであろう。なに、家臣どもは後で説得する」
迷宮女王。
その力を所有するため、賢王は力を使ったのだ。
優しき王であるが、国を守るためならばなんでもする王でもある。そして自分ならば聖女を幸せにできると確信していた。
いままで誰もこの力に抗えた者はいない。
「宝石のような娘よ。コーデリアよ、余の后となれ――そなたは余にこそ相応しい。嫌とは言わぬな?」
まるで声で生計を立てることができるほどの美声。
そこには男の色香が滲んでいた。
女狂いな騎士団長ですら、思わず顔を赤らめてしまう程の年齢も性別も超える魅了の力だった。
しかし、目の前の乙女コーデリアはキョトンとした顔のまま。
「え? 嫌ですけれど?」
「そう、嫌だ」
……。
「いま、なんと?」
「え? あの……陛下のことはお慕いしておりますが、約束は統治に失敗した場合でございますわよね? わたくし、おそらく失敗はいたしませんわ」
皇帝、大ダメージである。
「余、余、余がそなたを余のモノとすると言っておるのだぞ!? な、なぜ恥じらいつつも俯きながら、ぼっとその美貌を赤く染め――はい、陛下喜んでと言わぬ!?」
しかし聖女コーデリアはそれを戯れと判断しているのだろう。
「ふふふふ、陛下ったら。殿方はそういうご冗談がお好きなのですね」
衝撃が――褐色肌の美形に突き刺さる。
皇帝、ダイクン=イーグレット=エイシス十三世。
どうやら本気で驚いているようである。
聖女に麗しの皇帝の魅力が効いていない。
完全レジスト。
それがいままでどんな相手でも口説き落とせた美貌の王の、深き心を揺さぶったのだろうか。
美貌の王の肌が、真っ赤に染まる。
耳の先から指の爪まで、リンゴのように熟れていた。
「い、今のは冗談である! かかかか、勘違いはするでないぞ! そなたを気に入ったというのは? あくまでもそれなりにだぞ? それなりなのだから! まあ、その、なんだ、か、か、覚悟はしておくことだ! 明日、王宮にもう一度顔を出せ! 今後の話がしたい、そして余の麗しさにひれ伏させせせさ」
「ひれ伏……なんです?」
「ええい! 噛んだだけだわ! 愛らしくも鈍感な娘よ!」
賢王ダイクンの頭上に、魅了(激しい恋心)の状態異常の文字が受かんでいたが。
気づいていたのはこっそりと様子を観察している、魔猫師匠だけ。
この王様、たぶん攻略対象だよなあ……と。
魔猫師匠は攻略完了と書かれたオスライオンの絵の横。
鷹のシルエットを追加して、フラグ構築済みの印を刻む。
ともあれ。
賢王の臣下は初めて見た王の一面に、驚きを隠せない様子だった。
陛下が変な女に捕まるのではないか。
そういう不安もあるがなによりも――。
聖女コーデリア=コープ=シャンデラー。
おそらく周囲を騒がす迷宮女王と思われる彼女を信じていいのか。
家臣たちは――頭を悩ませた。




