第119話、たった一だとしても
世界の終わりを回避するため、善悪問わず生きとし生ける者が動く中。
策を募るイシュヴァラ=ナンディカの王城に響いたのは、幼き少女の声。
それはかつてスラム街だった一角にて、避難誘導をしていた巫女長――かつて悪人だった聖職者だった。
彼女は天使の呪いの影響で若返り続ける状態異常を受けている。
錫杖を握るその手も、どんどんと幼くなっていた。
そんな彼女が天に向かい訴えたのだ。
『発言しても、よろしいでしょうか?』
と。
顔見知りだったのか、名もなき魔女が言う。
「その声は、ほう――かつて神童と謳われたエイシスの巫女長。変異魔導書:女教皇の効果によりバケモノと化し討伐されたと聞いておったが――あの者、生きておったのか。悪辣姫よ、そなたは知っておったのか」
「まあ、色々とあったみたいでね……」
当時、ミーシャの天使と相打ちになっていた喪服令嬢も全てを知っているわけではない。
けれど現場を知っていた、当時は執事だったキースが澄んだ鼻梁の奥から苦笑を漏らし。
「世界で一番嫌われた姫ですら見捨てられなかった聖コーデリア卿ですからね、自らの欲望を拗らせ狂乱した巫女長さえも――見捨てずにいた、そういうことでしょうね」
「あいかわらず、見境ない慈愛ね……その優しさが長所であり短所でもあるんでしょうけど……」
天の声、メッセンジャーを務めるサヤカが言う。
『何か策がおありなら、お願いします』
『ありがとうございます。わたしどもも事態を把握しております。反射能力を有する邪霊の群れ。天を覆うほどの絶望でございますね。攻撃魔術は自殺行為、物理攻撃はそもそも空に飛んでいるのであまり有効ではなく、また、触れられただけで同族と化し相手の戦力を増やすことになる』
『ええ、けれどそのまま放置すれば死霊による瘴気の影響と、そして太陽の力を失い、この世界はどちらにせよ滅ぶことになる……何か、何か対抗できる手段があればいいのですが』
巫女長の声が響く。
『わたしは浄化を提案いたします』
『浄化、ですか……』
『はい。幸いにもわたしたちの世界には教会や寺院、かつて聖職者が過ごしていた場所が多く存在します。それらはおそらく、創造神ビナヤカの魔像さまやエイコ神がゲームと呼ばれる母体を作った際に用意した、課金とよばれる現象を起動させるための施設だったのでしょう……けれど、わたしたちの世界ではそれぞれの神を崇める場所として機能しております。清浄なる神の力を扱う祭壇にて――浄化の力を扱える聖職者が集い、蠢く天に救済を授けるのです』
聖職者たちの施設は課金を扱う場所であった。
だから世界各地に点在している。
言い換えれば、ほぼすべての国と街に、聖職者の拠点があるともいえる。
巫女長の声がそのまま響く。
『空に浮かぶ彼らは、転生できなかった魂たちなのでしょう? でしたら、彼らが生まれ直せるように聖職者の手によって、彼らを輪廻の輪に戻して差し上げる。本来、聖職者がするべき仕事を全うする。ただそれだけの話でございます。おそらく、天に渦巻く彼ら全員の浄化はできないでしょう、全ての魂が転生や救済を望んでいるとは限りませんから。けれど――少なくとも数は大きく減らせるはずではないでしょうか』
戦いや魔術を知る者は頷いている。
一定の理解を得られる提案だったのだろう。
世界各国の王も、かつて寺院があった場所や教会、既存の聖職者の施設の話を開始し始めていた。
俯瞰するように情勢を眺める賢王が言う。
「ふむ、なるほどな……一理はある。悪くない策と言えよう。だが、巫女長よ――この世界の聖職者は既に、その多くが汚染されておる。天使に己が欲望を巧みに操られ……その私欲から世界を混乱させたモノたちばかり。そなたも含めてな。果たして、そのような者たちに本職である浄化が可能であるかどうか、些か怪しいのではないか?」
『仰る通り、わたしども聖職者はこの世界を混乱させました。言い訳も、言い逃れもするつもりはございません。死した後、行きつく先は楽園ではなく地獄と呼ばれる劫火の世界でしょう。ですが、一度身に付けたこの神を称える力だけは、本物。聖コーデリア卿に浄化、《解呪》されたわたしであっても、今こうして、聖なる力を有した結界を張れています。堕ちた聖職者と言えど習得したスキルが失われたわけではございません』
「はたして、どうであろうか」
王たるイーグレットはそれでも辛らつな言葉を投げかけていた。
それはおそらく、この会話を聞いている犠牲者やその遺族たちの言葉の代弁。
王は既に演者の声で、暴走していた聖職者により不幸となった民の言葉で告げていたのだ。
「それは巫女長よ、そなた個人が反省をし贖罪を選んだからだ。全ての聖職者がそうではあるまい」
『それは……』
「たしかに浄化の力であれば、ブレイヴソウルにも反射されぬだろう。たとえ仮に反射しようとしてきてもだ――空で蠢くあやつらが、合わせ鏡、膨大な数の同類の体を利用し反射させ続けたとしても――それは互いを浄化させるだけ。こちらには被害は及ばぬ。だが――聖職者の中に世界が滅んでもいいと思うものがいたら、どうだ?」
『何がおっしゃりたいのです』
「浄化の魔術、《解呪》に攻撃魔術を仕込んでいたらそれで終わり。たとえ十のダメージを与える程度の攻撃であったとしても、世界を滅ぼす力となって返ってくる。たった一のダメージでも、世界は終わる。そして二度のコンティニューはできまい。余は、そこまで聖職者と呼ばれる存在を信じることはできぬぞ」
辛辣な美貌王の、鋭い鷹の目線が世界に映りだす。
イーグレットの人生は国を蝕んだ聖職者により、多くの苦悩を強いられていた。
しかし、今の事情が事情だけにそのことをここで蒸し返すつもりなどないのだろう。
それでも――多くの民を納得させるためには、そういった聖職者への不満や不安を先に提言しておく必要がある。
そう判断しているのだろう。
実際、もはや聖職者としての権威も失い居場所を無くし。
自業自得による行動の結果、周囲からの冷たい視線を受け。
――いっそこの世界を壊してしまえ。
そんな悪心があるものが一人でも混ざったら終わりなのだ。
『仰ることは分かります。それほどに、我等聖職者は皆に迷惑をかけたのですから――ですが、この世界の危機に動けぬのなら、なにが聖職者でありましょうか。わたしは信じております、一度でも神を主と拝んだのなら、一度でも他者のためにその身をささげたのならば。聖職者になると誓ったのなら。たとえ、一度、その身を闇へと落とそうとも、私欲にまみれようとも――性善に従い行動できる心が残っていると』
「人の本質は善である、か」
巫女長の言葉に賢王イーグレットは不遜たる態度を崩さず、しかし、王者たる顔で言う。
「綺麗事は好かぬが――信じてよいのだな?」
それは――このやりとりを世界の皆に伝えるという意図もあるのだろう。
巫女長と賢王イーグレットの中には、不思議な連帯感があったのだろう。
聖職者を信じさせるための言葉を賢王イーグレットは引き出そうとしているのだ。
まだ足りない。
巫女長はそれを読み取り。
悪い少女の声で言う。
『ふふ、そうですわね――正直申しますと、わたしども聖職者が清いとは言いません。おそらく平和になった後、世界が滅びぬとなった後――きっと、問題を起こすとは思いますわ。けれど、私欲を満たすにも世界がなくては意味がない。私欲という概念が残っているからこそ、世界には存続して貰わないと困るでしょう? 生臭坊主ほど、この世界には残って貰わねば困るのです。そういった点を踏まえても、信じて貰ってもよろしいかと存じます。それに、わたしも、わたしの仲間も――陛下と元傭兵長殿の物語の続きを眺めたいのですから』
そう。
聖職者が私利私欲を満たすにも、世界がなければ意味がない。
しかし、最後の部分がいかに賢きイーグレットにも理解できなかったのか。
「我が忠臣たるベアルファルスと余がどうかしたのか?」
『いえ、あまりお気になさらず。ですが、わたしの同志は多く存在する。貴族のご婦人にも、街のご婦人にも――孤児院のシスターにも、麗しい陛下とその周囲の殿方との物語は人気とだけは。皆、生きて続きが見たいのです。ご理解できないのでしたらそれでいいのですが、周囲に貴婦人がいらっしゃるのでしたら目線を向けてみてくださいまし。きっと、気まずそうに目線をささっと逸らすでしょうから』
「うむ……本当に目線を不自然に逸らす給仕が数名おるが。まあよい……余にも分からぬ文化があるとは理解しておる。さて、我が国の巫女長からの提案だが、各国の王は如何に考えるか?」
どう行動するべきか意見は分かれる。しかし、浄化作戦そのものを否定する者はいなかった。
解呪の力は聖コーデリア卿も扱える。
その点がこの作戦を後押ししていた。
不死者の王にして闇の王たる永遠の黄昏――ミッドナイト=セブルス伯爵王がモフモフ礼服の上に輝く野性的な美貌を苦笑させ。
『解呪で祓う、か。不死者たる余の国家はあまり動けそうにあるまい。ならば、余はせめて――聖職者どもが行動する前に、世界が滅びぬよう《黄昏結界》を各国に張るとしよう。本来ならば憎き太陽から民を守る結界であるが、今はあの《不浄なる黒き黄昏》の瘴気から生者どもを守る盾にするとしよう』
告げてセブルス伯爵王は移動用の骨戦車チャリオットを召喚。
闇の中から続々と、黄昏の街の戦闘員が顕現する。
アンデッドパレードであるが――それは史上初めて、生者のために動く不死者の群れ。守りの結界を張るための軍勢となっていた。
天を見上げて部下に告げる。
『我が最も信頼厚き臣下、忠臣たる道化クロードよ。聞こえておるな? 余に汝の課金アイテムを数点送って寄越せ、余はこれより世界に黄昏結界を張るが、さすがに魔力が足りぬからな』
『あー、あー。えーと先輩は今手を離せないんで、何が必要か教えて貰ってもいいっすか? すぐにそっちに転送しますんで』
『その声は、エイコ神か。ウチの道化はちゃんとやっておるか?』
『先輩なんすから、ちゃんとやってるに決まってるじゃないっすか!』
『ふむ、そうか――』
『あぁ、なんつーか。先輩から伝言なんすけど……ポメ太郎なのに、《不浄なる黒き黄昏》とかいきなり勝手に横文字っぽい名前を付けるのは、ちょっと笑えるとのことっす……って! 先輩!? これ、伝える必要皆無っすよね!?』
セブルス伯爵王は余裕ある道化師の戯言に笑い。
『聖コーデリア卿よ、ソドムとやらを借りていくぞ。其れは余よりも強き波動を感じるアンデッド。黄昏結界を張る際に力となってくれるだろうからな』
「構いませんか?」
『御意、全ては迷宮女王の御心のままに』
全身をゲーミングパソコンのように妖しく光らせ、恭しく礼をするお惣菜屋さんこと軍服死霊ソドム。
彼らが転移し、行動を開始する裏でキースと喪服令嬢ミーシャが言う。
「少しは話が前進しましたが――」
「おそらく、浄化を望むブレイヴソウルは素直に解呪を受け輪廻の輪に戻るでしょうけど、個体差があるようだし、全員が消えるわけじゃないでしょうからね」
ベアルファルス講師が世界地図を眺め。
「しかし、亜人たちが民の中心となってやがる魔境や、神の信仰を止めた地域じゃあ浄化の奇跡や魔術を使える人材が足りねえんじゃねえか? そりゃあ、僧侶系の魔物もいやがるし、そいつらも動くだろうとは思うが……魔術を解くって意味での解呪は使えても、呪われし死霊を浄化するって意味での解呪は、俺も専門外だぞ?」
「あら、先生。浄化の基本は相手を真に思う事ですから、先生でしたらすぐに使用できるようになると思いますわ。それに、魔境にも人間はおります……孤児院もあります。きっと、あの方はここまで見えていたのでしょうね」
聖コーデリア卿の呟きに反応したのは、ミーシャ。
「なるほどね……そうか、だからあの魔猫。あたしがスラム街を救って歩いていた時に、妙に肯定的で、あたしをからかいながらも行動を共にしていたってことか。これも蒔いていたフラグってことなんでしょうけど。ったく、そこまで見えてたんなら、最初からどうにかしてくれても良かったんじゃないの」
「お嬢様……?」
「分からない? キース。あたしは罪悪感から少しでも逃れるために……自分よりも弱い人たちに、手を差し伸べてきたでしょ? 世界各国の孤児たちを救うために孤児院を作った。孤児院を維持するための聖職者を用意して、資金も提供し続けた。全部、あたしがただ、少しでも責任から逃げるための偽善だったのかもしれないけれど……。それでも、今でもそこには人が住んでいる。聖職者も、常駐してる。偶然にももう世界各国には儀式の場がある、浄化するための施設と祭壇が用意されてるって事よ」
それらはミーシャの偽善により作られた施設。
ミーシャの現実逃避の一環。
けれど今もそこには、確かに外道なる姫に救われた人々がいる。
彼らは――たとえ悪辣な姫が、自分達を救ってくれた謎の貴族の正体だったとしても。救われたことだけは、忘れていない。
既に、彼らも動いていた。
全ての事情、全ての話は全世界に届いているのだから。
まさに奇跡。
都合の良すぎる、偶然であるが――。
もちろんそんな偶然があるわけがない。
全てが繋がっているのだと感じていた筈だ。
もちろん、彼もそれは感じていた。
聖騎士ミリアルドは昏き天を見上げた。
空の色が、変わり始める。
邪気を纏う魔力であるが、優しい黄昏の輝きが世界を覆い始める。
「これが、伯爵王の魔術……黄昏結界。生者を守るために、死者が動く。つい最近までの世界なら、こんな光景――信じられなかったのでしょうね」
黄昏結界が展開され始めたのだろう。
それはセブルスの不死者たちによる夜の結界――死霊による、世界を守るアンデッドパレード。
瘴気の軽減を開始していた。




