第118話、明日を生きるために。
世界は太陽を失っている。
蠢く暗雲――負けイベで大量発生した黒マナティーこと、ブレイヴソウルの群れに覆われている。
いた、ではなく、いる。
つまり――。
コンティニューに成功したのだろう。
世界の終わりも、死も、リセットされた皆は一斉に自らの手を眺めていた。
それは人間の心理。
手を眺めることで、生きていることを確認しているのだろう。
今、自分の中で流れる脈の音を感じ。
自らの内から込みあがる魔力を感じ。
生を実感していることだろう。
時間は――国家単位、国家規模の極大攻撃魔術を放つ前。
声が響く。
『――皆さん、大丈夫ですか!? 聞こえているのなら、攻撃の中止を!』
サヤカの声だった。
だが、その天の声ともいえるイシュヴァラ=ナンディカからの声に応じる必要はない。
既に皆、攻撃を中断していた。
全世界を同時に映すモニターの中では、各国の王が頬や額に汗を浮かべ攻撃命令を中断。
敵が反射能力を有していると察している。
全滅の記憶を維持したまま――。
独り生き残り――。
コンティニューを押すことができた聖騎士ミリアルドが世界を見渡し、安堵の顔を浮かべ告げる。
「帰ってきて、くれたのですね――みなさん」
世界は死んでいない。
だから彼女も、ここに戻っている。
ふわりと栗色の髪を靡かせて、聖女は澄んだ声で聖騎士に微笑みかけていた。
「殿下が諦めず、コンティニューを押してくださったおかげですわ」
「殿下はやめてください、コーデリア――私の国はもう、終わりを遂げているのですから。民だったモノたちに迷惑が掛かってしまいます」
「まあ、わたくしったら! あの日々の癖で、申し訳ありませんわ」
時間逆行による世界再生の影響で、世界蒸発と共に消えた主神コーデリアも戻ってきている。
当然、賢王ダイクン=イーグレット=エイシス十三世も再生されていて。
既に玉座の上。
悠然と構えてコボルトを優雅に侍らせていた。
「反射攻撃のある敵を相手にする場合に、一番の敵となるのは味方。あの魔猫神め、一度、本気で全員に全滅を体験させ不用意な行動を禁じおったのか――、一度実際に死に世界が滅んだ。あの光景を見た後ならば、他国の者どもも迂闊な行動はせぬ。命令に従うようになるだろうからな」
「イーグレット陛下、お怪我はありませんか?」
「あったのやもしれぬが、時を遡ったのだ。無傷と言えよう、しかし……時間逆行などという現象は、魔術はもちろん神でも不可能な領域であると、魔術師や武官から聞いておったのだが」
頭を悩ませる賢王イーグレットに天からの声が響く。
道化師クロードの声だった。
『心当たりが一つだけあります、おそらく――以前わたくしがこの世界で発動させようとして発動できなかった時間を弄る課金アイテムでしょう。使用の際にレベルにして256の二乗、いえ、ここまでの規模となると或いは三乗ほどのレベルが必要なので発動できない。現実には使えない、使用者がいないごみアイテムと化していたのですが』
「師匠ならば、その領域に達しているでしょうからね――」
『あの時既に、わたくしのアイテムボックスからちょろまかしていた、ということでしょう。いったい、どこからこの終わりを見据えていたのか……』
単純な数字の問題で疑問が浮かんだのだろう。
賢王が、ん……? と戦闘員ではない者としての困惑顔で言う。
「待たれよ、あの魔猫師匠は少なくともレベル一千万を超えていると?」
256の三乗? と、指で数えようとする獣将軍グラニューの横。
魔猫師匠の弟子たる聖コーデリア卿と聖騎士ミリアルドが頷き。
「……まあ、師匠ですから」
「ええ、ふふふふふ。師匠ですから、それくらいはあるのでしょうね」
ミリアルドは畏怖と呆れ。
コーデリアはいつもの口調で応じている。
むろん、喪服令嬢も再生している――彼女は全員の無事を確認したのだろう。
「って! あの魔猫のインフレ自慢なんてどうでもいいわよ! 今頃、こっちがあのネコのレベルで驚愕してるところで、めちゃくちゃドヤ顔をしながら戦ってるんでしょうけど! とにかく、攻撃は絶対禁止! 天に向かって攻撃したら最後、空を覆うアホみたいな数のラスボスに数倍にされて反射される。しかも、あいつら――反射した魔術を合わせ鏡みたいにぶつけあって、自分たちでさらに反射させて倍増。世界を一瞬で蒸発できる規模の魔術にして返してきてるとしか思えなかった」
ベアルファルス講師もモノクルを輝かせ。
鑑定の魔術を走らせる。
「だろうな――いくらなんでも一撃で世界が滅びるっつーのは不自然だ。そういう数の反則、いや、暴力でもいいか。ともあれ、たとえ十の固定ダメージを与える攻撃だったとしてもアウト。倍々ゲームで数千万のダメージにして反射してきてるのは確実だ」
「あぁぁぁぁぁぁ! もう、めちゃくちゃじゃないの! 無敵状態であったとしても世界そのものが蒸発してしまえば、全滅する。道理っちゃ道理なんでしょうけど。外の世界の存在を知っているコーデリアに兄さんはあの魔物について少しは知ってるんでしょう? どういう性質なのか説明して貰っていい? というか、説明してくれないと対策も立てられない」
コーデリアが言う。
「魔猫師匠も語っておいででしたが、彼らは転生者と類似した存在。本来なら魔猫師匠の眷属にあたる存在と聞いております」
「眷属? じゃあ」
「いいえ、ミーシャ。魔猫師匠は街一つを覆っていた彼ら、封印されていたあの邪霊の一団と戦い――勝利をしたことで眷属としたのです。なので師匠の眷属の子と、今空を覆っているあの子たちとは別個体。師匠の命令も通じませんし――そもそも師匠は今、手が離せないようですから」
食べ残しのグルメの山に目をやりミーシャが言う。
「魔猫師匠、ねえ……。今までもずっと、影からあたしたち人類そのものの存続を優先して――個人ではなく世界に味方をし続けてくれていたみたいだけど。それも今はあまり頼れない。どこか別次元で、神としてのルール違反を犯した師匠を連れ帰ろうとする仲間たちと、大怪獣バトルを繰り広げてるみたいだけど……大丈夫なのかしら」
「師匠はとても強いですから、心配ありませんわ」
「まあ……師匠のことも心配しているけれど、もっとも心配しているのはあたしたちの世界のことよ。戦いの余波で、こっちもそのうち揺れだしたりしないかしら? というか、あの獣神達同士の戦いのせいで世界が滅ぶってパターンもありそうで怖いんだけど」
コーデリアが珍しくジト汗を流し。
菩薩の笑みのまま、ダラダラダラ。
「……それは、まあ……たしかに、そうですわね」
「あんたにすらそういう顔をさせるのは、さすがあのネコって所ね……。とりあえず、魔猫師匠から何か聞いていない? 全滅したときの口ぶりからすると、こちらの戦力だけでも対抗できるように準備はしていた様子だったでしょ? 魔猫師匠はあたしたち自身の手で、この負けイベを解決させたいのよ。他の獣神達を納得させるって意味も含めてね。もっとブレイヴソウルの特徴を聞きたいのだけど。どう?」
「特徴……ですか? 眷属化されたあの子たちはモキュモキュ鳴いて、かわいい――でしょうか?」
貌のないマナティーのような存在を可愛いと、真顔で言いきるコーデリア。
その感性に周囲がドン引きするも。
ぐぎぎぎぎ。
青筋を頬に浮かべながらもミーシャはコーデリアに向き合い。
「そーいうことじゃなくってね?」
「戦闘能力ですわよね――わかっておりますわ、聖女ジョークです。いえ、今なら主神ジョークと言った方がよろしいのでしょうか?」
「あぁぁぁぁぁ、あんたねえ!」
くわっとミーシャが吠えた瞬間、コーデリアは聖女の声音で周囲に告げる。
「魔術反射は見ての通りですわ。後、その能力で特徴的なのは触れてはいけない事でしょうか」
緊張していた空気は、聖女ジョークに呆れたモノたちによって打ち消されている。
絶望的な状況でも普段通り。
そんな彼らに周囲は安堵しているのだ。
それが話術スキルだと見抜いていたのは、賢王イーグレットくらいだろうか。
まじめな話に戻されたミーシャは、はぁ……と息を漏らし。
「触れてはいけない? どういうこと?」
「あの子たちに触れると最上位の状態異常、黒マナティー化にかかり汚染――触れられた相手もブレイヴソウルと化し永久に彼らの仲間入りするそうですので」
ベアルファルス講師がまともに顔色を変え。
「あいつら、同族化汚染までもってやがるのか!?」
「ええ、ですから魔術が効かないから安易に物理攻撃、となっても空に浮かぶ一面の暗雲を増やすだけに終わるかと」
「おいおい、嬢ちゃん。物理攻撃もダメって事になると、詰んでねえか?」
「それは違いますわ、先生」
戦闘員としての知識が豊富なベアルファルス講師を振り向き。
「あくまでも触れたら同族化を受けるだけであって、物理攻撃そのものは通じるとわたくしは判断しております。そして彼らは力はあっても技術は拙い。なにしろ生まれ直すことができず――次元の狭間に取り残され続けていた邪霊。鍛錬や武術の研鑽と言った、後天的に得られるスキルに関してはあまり高くないのです」
「なるほどな――だが、あの物量だ。全員が同時に体当たりでもしてきたら」
闇の王たるミッドナイト=セブルス伯爵王が、険しい顔をしたまま。
空を睨み応じていた。
『我等に防ぐ手段はない。全員があの者らの同族、黒マナティー化させられてしまうであろう。しかし、分からぬな。なにゆえあやつらは空を覆って泳いでいるだけなのだ。あれだけの軍勢だ、こちらを全滅させることなど造作もないだろうに』
「今のところ、彼らにはこちらを滅ぼす意思がないのでしょう」
『どういうことだ聖女よ』
「おそらくは本当に、ただ揺蕩っているだけなのです。空という海を羊水として、ゆったりと――もちろん死霊や邪霊に分類されるので、生者に対する憎悪に似た嫉妬は多少あるのでしょうが」
アンデッドたちの王でもある伯爵は深く考え込み。
『こちらから手を出さねば、反射もしてこない――か。だが、あれだけの死霊が太陽を隠し、邪気を纏ったまま天を覆っているとなると』
「どちらにしても、あたしたちは全滅する。死霊の邪気に中てられ続けてもアウト。それに、太陽が失われた世界の最後なんて、きっと酷いものでしょうね」
『いっそ、余のように全員がアンデッドとなる手もあるが? さすれば太陽の光も要らず、空を覆う邪霊の瘴気にも対応できる。世界そのものは存続できよう』
「冗談でしょう?」
『余は構わぬぞ? アンデッドで生きる世界とて、そう悪いものでもあるまい』
「あなたにはそうなんでしょうけど……あまりいい案とは思えないわね」
冷静に分析する喪服令嬢はそのまま天に向かい問う。
「イシュヴァラ=ナンディカの会社にいる皆さん、なにかいい案はないの?」
『と、言われましても――こちらは真なる無敵状態の完成を優先させていますから。全員に強大なバフもつくことで動きやすくなるのは確かなのですが……』
「そうよね……とりあえず、こことの会話を」
『ご心配なく、作戦が伝わりやすくなるように既に――全世界に流れるようにはしています。ですから、その……あまり阿呆な発言ばかりされていると、全世界の皆さんに聞こえておりますので……後で恥ずかしいことになりますとだけは』
もはや今更。
コーデリアの天然っぷりは皆に伝わっているだろう。
コーデリアが言う。
「サヤカさん、わたくしたちの声が皆様に伝わっているのならば、その逆もできるという事でしょうか」
『ええ、こちらを中継させてそちらに流せますが』
「ならば、皆さまからも意見を募りましょう。今は世界の危機、互いのわだかまりも一時、忘れ――生きるために、明日のために協力をできれば。それはきっと、とても素敵なことだと思うのです。わたくし達では思いつかない打開策があるかもしれません」
同意した賢王イーグレットが頷くと、それを合図にサヤカが動く。
『というわけです、世界の皆さん。なにか、案を。生き残るための道を、皆で考えなくてはなりません。なにかありましたら、是非。ご意見を』
とは言われても、すぐには浮かばないのだろう。
反応はない。
正確に言うのなら、反応自体はあるが皆、答えを見つけられないでいる。
そんな中。
声が響いた。
『発言、よろしいでしょうか?』
声は、山脈帝国エイシス。
そのかつてスラム街だった場所からだった。