第116話、《神意》―提案―
世界を一致団結させるほどの暗雲――太陽を覆い隠すのは昏き天。
空そのものが唸るように蠢く中。
この世界の主神ともいえる聖コーデリア卿の視線は、一人の女性に送られていた。
「エイコ様、でしたわね。先ほどからずっと魔道具を弄っていらっしゃいますし、責任を強く感じられていらっしゃるご様子。何か策はおありなのでしょう?」
「あの、えーと……」
「大丈夫です、わたくしには分かっております。さあ、皆さまにお話しいただけますか?」
「ちょ! 待って欲しいんすけど! こっちにも色々と、心の準備ってものが!」
クラスメイトが行った恋のお呪い。
呪いともいうべき、メルヘンな願い。
神に願いを託すことの意味も影響も知らず、皆が幸せになれと純粋に願ったあの日の夏祭りから始まった――全ての騒動。
真相を知ったばかりの栄子はまだ、この世界の住人との距離感が掴めていないのだろう。
あわあわと言葉を詰まらせてしまうが。
話を振ったコーデリアの頭に、ズシっと喪服令嬢の軽いチョップが襲う。
「っ……。ミーシャ?」
「ってててって、叩いたこっちの方が痛くなるって、あんたの頭どうなってるのよ! って、そんなことはどうでもいいわね。コーデリア、あんたねえ……あいっかわらず距離感を掴むのが苦手みたいだけど、エイコ神は今の図々しいあんたと違って羞恥心とか、自責の念とか、そういう内罰的な部分が強く刺激されているの! なのに、いきなしさあ、自分が滅ぼそうとしていた人間たちの前で説明して! って、前に出されても、いきなりは話せないでしょうが!」
「ミーシャならできそうですけど……」
「悪かったわね! それはあたしがあんたと同じで図々しいからよっ」
はぁ……とわざとらしい息を漏らし。
喪服令嬢は黒の異装をふわりと回しながら、栄子に向かい。
「やってたことの規模はたしかにエイコ神の方がエグかったんでしょうけど。やってたことの陰湿さも、不道徳さも、下劣さもあたしの方が上。上に立つものとして最低な姫だったっていうのは、世界を眺めていたのなら知っているでしょう? 世界の嫌われ者ミーシャ。実際に極悪人で擁護のしようがない、そのあたしがこうして図々しく発言してるんだから、過度に気にすることなんてないわよ。そりゃ責任とか、世間体を完全に気にしない魔猫師匠みたいな存在もどうかと思うけど――」
『うにゃ? 失礼だね、私もネコなりには気にしているんだけど? それとも、もっと無責任に動いていいいのかな?』
ブドウをくっちゃくっちゃと頬張る異神からツッコミが入るが。
「はいはい……ややこしくなるから黙っててもらえます?」
『君が私に話を振ったんだろう。ふむ、でもたしかにその通り。世界が終わろうとしているんだ、善悪問わず動く必要はあるだろう。栄子君、ここで一番下劣だった子がこんなに堂々と発言している、君が少し偉そうにしていたくらいじゃここの連中は気にしない。そういいたいらしいよ』
「は、はあ……まあいいっすけど……」
「ったく、そういう責任とかは終わった後に考えようって話だったでしょ」
喪服令嬢に場を整えられ。
一呼吸の後に栄子は言う。
「あたしたちの世界でとあるゲームを作っていたってのは知ってるっすよね? この世界の元となり、相互に干渉し続けるアプリ。三千世界と恋のアプリコット。会社としてのイシュヴァラ=ナンディカには今、魔皇アルシエルとその連れ合いで転生者の踊り子サヤカさんがいる。実はそこで彼らには動いてもらっているんすけど」
栄子の言葉に反応した魔猫師匠が、会社としてのイシュヴァラ=ナンディカの光景を魔術で表示。
多くの人間、多くのスタッフと共に――ぜぇぜぇ。
四角い箱の前、必死に長方形の板に指を叩き続ける魔皇アルシエルの様子が映りだす。
「あちらのアプリを弄れば、こちらの世界にも影響を与えることができるんすよ。ただ万能ってわけじゃないっす。これは現実でも実現可能な現象に限られて……、あたしがしようとしていたみたいに世界を壊そうとなったら、それなりの壊すための準備が必要となるんすけど……。たとえば、並の魔力しかない一般人に歴戦の冒険者を殺させるイベントを作っても、実際には発生しないんす。その場合は一般人を鍛えるイベントを新規で作って、先に発生させてって感じっすね――」
コーデリアという問題児の対応をずっとしていた影響か。
栄子の取り扱いにも慣れ始めているミーシャは考え。
「仮にアプリの方であたしに魔猫師匠を殺させるイベントを作ったとしても、あたしと魔猫師匠の力量差はどんな奇跡を使ったとしても翻らない。現実問題として力の差は埋まらないから実現不可能。だからそもそもイベント自体が反映されなくなる……みたいな感じかしら」
「そんな感じっす。まあ細かいことをだいぶ省いたんで、実際にはちょっと違うっすけど。だいたいで把握して貰っていればいいっすよね。ただ、現実的に可能だとしても――その……これは非可逆的な現象として発生させるんで、過去に確定している事象はもう変えられないんす。だから過去からの連鎖で発生が確定している負けイベをキャンセルはできないし、取り戻せない失敗――死んだ人を蘇生させるってこともできないんすけど……」
「エイコ神、悪いんだけど今までの犠牲とかは後で考えてくださる? 続けて」
ミーシャに促され。
「それで、現実的にできる事ならある程度、反則級の現象として実現が可能って事なんすよ。だから今、バグがでないようにスタッフのみんなや、助っ人に頑張って貰ってこの負けイベ発生時のみに発動する、”無敵状態”を超高速で作ってもらってる感じなんす。あたしもここに召喚されていなかったら、今頃作業をバックアップしてるところなんすけど……」
戦闘に関しての知識が豊富となっている亡国の皇太子、聖騎士ミリアルドが問う。
「失礼――エイコ神。その無敵状態と呼ばれる現象は、いったいどれくらいの無敵なのでしょうか? 私が以前戦った、あの木偶人形たちと同等……と考えても?」
「あれ以上の無敵っすよ。試した方が早いっすね」
栄子はにゃんスマホ端末を操作し。
実際に無敵状態のサンプルを発動。
意図を察したのか、ミリアルドがエイコ神に向かい”衝撃の波動Ⅴ”を発動。
「はッ――!」
周囲の魔力と空気を破裂させるほどの衝撃が栄子を襲うが、無敵状態により無傷。
「って、意図通りなんすけど! いきなりはさすがにビビるんすけど!?」
「すみません。神の言葉ならば間違いはないと……」
「あぁ……聖騎士って職業自体がテンプルナイトやディバインナイト。聖職者よりのクラス。神属性が付与されちゃってるあたしの言葉を妄信しやすい傾向にあるってことっすかねえ……」
そういった部分は、三千世界と恋のアプリコットの設定が反映されているのだろう。
「ともあれ、これでだいぶ有利に動ける筈っすからねえ」
「なるほど、精鋭たちを無敵とし負けイベに対抗する。そういうことですか」
「いえ、精鋭全員じゃなくて、”文字通り人類全員”とこちらの味方として使えそうな魔物全員にっすよ。それに効果は無敵だけではなく、全ステータスに大幅なバフを、実現可能な限界まで発生させるようにするつもりなんで。あたしは実際の戦いは素人なんでわかりませんすけど、非戦闘員を守りながらの戦いってのは、けっこう大変なんすよね? 本当にいまさら何をって言われるのは分かってるんすけど。犠牲者はもう、あまり出したくないんで」
神の心に触れやすい職業。
そして脛に疵持つ身の聖騎士ミリアルドは、栄子の心も少しは理解できるのだろう。
神に従う騎士、聖職者としての側面を前に出し跪き。
「神エイコ――お心遣い、ありがとうございます」
「感謝される立場じゃあないんすけど……そういうのも後にっすね」
「ところで、なぜその無敵状態は負けイベ発生時限定なのでしょうか?」
応じたのは栄子ではなく知恵者たる賢王イーグレットだった。
「簡単なことよ――常に全員が無敵ともなれば、後の災いとなろう」
「そういうことっすね、これから先のことを考えた結果っす」
「……? なぜ全員が恒久的に無敵な状態だと災いに……?」
いまいちピンと来ていない聖騎士ミリアルドに、道化師クロードが呆れ顔で言う。
「ピンとこない方以外の層が悪用するからでしょうよ。世界のバランスも大きく崩れるでしょうしね」
「はぁ……な、なるほど?」
「こんな脳筋気質な方に一度負けた……わたくし、少し悲しくなってきましたが。さて、そういうことでしたら、わたくしもイシュヴァラ=ナンディカに戻り、作業を手伝いましょう。おそらく、既に真なる無敵状態の基礎は構築されているのでしょうが――まだ未完成。負けイベ発生で無敵は発動するも、完ぺきとは言えない状態。違いますか?」
問われた栄子は反射的に口を滑らせ。
「えーと、その通りっす先輩」
「はて? 先輩?」
「と、とにかく! 可能ならあなたもあっちに戻って手伝って貰ってもいいっすか?」
道化師クロードは主人たる伯爵王に目をやる。
『構わぬ。余は余でこちらで動く。そなたはそなたの仕事を果たすがよかろうて』
「分かりました。いい子で待っていてくださいねポメ伯爵」
『主人に対する言葉としてはなんともおかしいが、まあ良い。魔猫師匠、構わぬな?』
ブドウの汁を口から垂らしながらも、肉球を鳴らし――。
真剣な表情で頷いた魔猫師匠が、ゲートオープン。
そこに現れたのは禍々しい門。
異界へと繋がる扉を顕現させたのだろう。
『栄子くん、君も彼についていきたまえ。そして無敵状態の完成を急いでおくれ。魔皇アルシエルくんたちには話を伝えてある。いろいろと気まずいだろうが、世界のためだ。頼むよ』
「了解っす」
『ああ、ただにゃんスマホは常に携帯しておいておくれ。何かあったらすぐに連絡を取りたい。無敵状態が完成すればかなり有利になるだろうが、負けイベとは君が長年を掛けて築いた強固な滅びのフラグ。本当に、心から愛する人を助けたいと願った長く重い……世界に穿たれた楔。それを無敵だけで解決できるとは思えないからね』
栄子と道化師が共にゲートの前に。
栄子がちらりと道化を見る。
「なにか?」
「いえ、なんでもないっす」
栄子はずっと、愛する男をこの世界から元の世界に引き上げるために動いていた。
本当に、ずっと……。
なのに、今、こういう形であっさりとそれが実現してしまうのだ。
感情も思いも、複雑なのだろう。
罪悪感も、嬉しさも。
様々。
栄子は魔猫師匠を振り返り。
「それじゃあ行ってくるっす」
『ああ、君は君の責任を果たしたまえ』
魔猫師匠はブドウ汁を拭った後、シリアスな顔を維持。
神父のような清廉な声音で彼らを見送った。
様々な問題はあるが。
全ては世界を救ってから。
ズズズズっと。
扉が閉まる。
元の世界へと繋がる、扉が消えかける。
深く事情を知る魔猫師匠とビナヤカの魔像は、閉じる門をじっと眺めるばかり。
しばし沈黙が流れる中。
魔術師繋がりなのだろう、無敵状態への知識と関心を持つベアルファルス講師と名もなき魔女が言う。
「こんな空気の中で、すまねえ――ちょっといいか? なんか変なんだが」
「うむ、我も思うのだが。おそらく、未完成とはいえもう無敵状態は発動しておるぞ。それも、全員にな」
魔術師二人の言葉に、鑑定を扱えるものは鑑定の魔術を発動。
その結果は――。
菩薩の笑みを維持していた聖コーデリア卿が瞳を開き、紅茶を受け皿に戻し。
静かに。
落ち着いた声で――。
「――どうやら。始まった、ということでしょうね」
告げた。
それは負けイベの始まり。
空が轟き。
暗く、暗く。
大きく強大に、蠢いた。