第115話、鶏が先か。卵が先か。
空は負けイベ発生直前の影響で、澱んだまま。
まるで魔女が怒り狂ったような、昏き天が太陽を覆っている。
人類が生き残り、これが人々の歴史となるのなら――いつか今日という日は女神降臨の日。
主神からの天啓があった日として、歴史家たちにも深く研究されることになるのだろう。
そんな混沌とした世界の中。
イシュヴァラ=ナンディカの玉座の間にて。
世界の様子を、魔猫師匠の私物である全世界同時中継可能な、魔導モニターから眺め。
稀代の悪女たる喪服令嬢ミーシャが言う。
「どーするのよ、これ。創造神が二柱も降臨してるってだけで大混乱なのに、あんたが主神だってことが全世界に伝わってるって……聖職者たちも神の序列のどこにあんたを置くべきか、頭抱えて会議し始めちゃってるわよ?」
かつて高校生たちだった神々。
彼らも転生者と言える存在。
その強大な力は子孫として王族へ流れただけではなく、彼らの中には、いまだに神としての伝承として生き残っているモノも存在するのか――神の順位をつけなくてはならない聖職者としては、本当に、頭を抱える案件なのだろう。
給仕と化した聖騎士ミリアルドに積ませ続ける供物を貪りながら――魔導モニターを眺めている魔猫師匠が、ぶにゃははははは!
他人事のように笑いながら、全世界に飛ばす神託音声スイッチを肉球でポチ♪
ねえねえ! 私もいるんですけどー!
私も神なんですけどー!
序列に巻き込んで、こっそりこの世界の神に含めちゃった方が何かと君たちも便利なんじゃないかい?
――と。
更に聖職者たちを悩ませる天啓をペカーっと与え、困惑させている横。
世界を混乱させている師弟の弟子の方が、菩薩の笑みで紅茶を啜り。
「ですが、事実ですのでどうしようもないのではありませんか?」
「コーデリア、あんたのそういう図太い神経は見習いたいものね」
呆れた息を漏らす喪服令嬢に嫌味を飛ばすべく動いたのは、獣将軍グラニュー。
獣人男は大柄な体と獣毛を揺らし、ケラケラと哂い。
「ぶひゃひゃ! 似た者同士で何やってやがる、てめえも大概、図々しいだろうがクソ姫」
「まあ! 聞きましてミーシャ? わたくしとミーシャが似ているそうですわよ?」
「悪いところが似てるって話なんだから喜ぶんじゃないっての……ああ、もう話が進まないじゃない!」
かつてクラフテッド王国やその周囲の民を蔑ろにしていた姫は今、世界のために動くべく。
ぐぬぬぬぬっと浮かんだ首の青筋を抑え。師弟に言う。
「とにかく! これ以上、混乱の種を増やさないで頂けますか?」
「ごめんなさいねミーシャ」
「だから、ミーシャじゃなくて……ああ、もう! あたしの呼び方なんてもうどうでもいいわよ! で? なに!?」
「師匠は素直ではない方ですから、これは師匠なりの助言なのです」
「助言?」
喪服令嬢の疑問に答えるように、賢王イーグレットが言う。
「魔猫師匠――異世界の魔、鯨の如き憎悪を抱き肥大した大いなる闇。その真なる名は大魔帝ケトス。かの神は素直になれぬネコの神でもある。自らをこの地でも崇めさせることで、供物と信仰を獲得。その見返りに今回の件にも大きく前向きに力を貸す、そういった形で大義名分が欲しいのであろう」
「大義名分って、だってコーデリアの説得を受けてもう協力してくれる気にはなってるんでしょう……?」
「ふむ、分からぬか。稀代の悪女ミーシャよ。そなたの中身が女子高生……平民の小娘であるとは誠なのだろうな」
「どういう意味よ」
「終わった国に嫌味を言うても仕方あるまいが――そういった建前や格式、契約というものをもっと大事にすべきだったな」
「もう少しわかりやすい表現をしていただけないかしら、賢王陛下」
問われた賢王は自らの美貌を隠そうとはせず、ふっと微笑し黄金装飾と褐色肌を輝かせ。
「無償の奉仕ほど危ういということだ。無償であるからこそ、そこには責任が発生しない。なぜならそれはボランティア、金銭や対価の取引、すなわち契約が発生しておらんのだ。気まぐれなる魔猫神は自らの性質を良く知っておるのだろう。神と人類とで契約を結んだ状況であるのなら、そこには一定の責任が発生し――気分が変わったから帰る、などとは気楽に言えなくなる。契約もなしに力を貸すという事は、極めて不安定。しかし、しかしだ。それはその逆もありえるという事。ミーシャ姫よ、おぬしとて無条件の救いなど信じようとは思うまい?」
「ようするに……」
「魔猫師匠は自分の気まぐれを防ぐためには神として崇め、貢物を捧げよと言っておるのだ。本当に、真っ当な助言としてな」
「え? いや、うそでしょ!? 自覚している自分の気まぐれを防ぐためって……」
「それが神、それが上位存在。我等人間の物差しで測ろうとすること自体が不敬なのであろうな。それに、考えてもみよ。自分ですら自分を制御できなかった存在が――ほれ、今回の件にも深く関わっておるであろうが」
話を聞いていたビナヤカの魔像が、名もなき魔女にその魔道具としての性質を鑑定されながらも言う。
『確かに――神という属性、神としての神性がある以上、契約には弱くなる。人間はすぐに契約を軽視するが、神にとって契約と信仰とは強固な楔なのだ。相手側に悪意や偽証の心がある場合は話も変わるが、真に救ってほしいと願い契約を交わし、それに見合った対価も捧げたのなら――それは神と人類の正式なる取引。強大な神とて、一方的な解除はできなくなる。我も契約を厳守する性質の神であるから理解できる、大魔帝の助言は至極真っ当なものであるぞ?』
「ビナヤカの魔像……全てのクラスメイトの恋を叶える契約により暗躍し続けている神、であったか。聞きたいのであるが、そなたは今、なぜ契約を厳守する性質でありながら協力を?」
魔像は象の兜の目を尖らせ、パオパオパ!
『しれたこと、そこの聖女に笑顔と言う名のおそろしき圧力を受け続けたからよ!』
「……余はそーいうことが聞きたいのではなく、なんといったらいいか」
コミカルな黒幕象にさすがの賢王イーグレットも困惑を示すが。
コーデリアで”そういうのに”は慣れているのか。
今度はミーシャが言う。
「あなたはどんな形であれ、願いを叶えるために手段を選ばず動く神であり魔道具。その原初ともいえる”全員の恋を叶える”という願いはいまだに継続している筈。けれど、世界を壊し愛を成就させるという手段を放棄した。あれだけのことをしておいて、分からないわね。今のあなたの行動設定はどうなっているのか、賢き美貌王はそれが聞きたいのよ」
『栄子は既に真相を知ってしまった。いまさら世界を壊したとて、恋にはならぬ。手段を変える必要がある。我は願いを叶えるために動き続けている。そのためには新たな手段を探さねばならぬ。そしておそらく、真実を知ってしまった栄子がこのままこの世界の終わりを観測してしまったら……おそらく、二度と恋の花を咲かせることもできなくなるだろう。故に、我はここにいる。故に、我は汝らに協力する。けっして、そこの聖女が怖いなどと言う情けない理由ではない。理解できるな?』
理解できるな?
と、二度、念を押すようにパオパオと象の鼻を動かすビナヤカの魔像。
神さえ畏怖させるコーデリアのほわほわに頭痛を覚えながらも、ミーシャが応じる。
「な――なるほどね、聖女が怖いわけじゃないって言うのは、うん、良く分かった。そういうことにしておくから。それと契約とかそういうのも、正直、そういう面倒な性質についてはよく分からないけど……神がそういう存在なのだということだけは分かったわ」
『理解したのなら、良し』
「ついでに聞いてもいいかしら。いや、まあ、今更な話かもしれないけれど」
『なんであるか』
「なぜ、転生者をこの世界に取り込んだ……巻き込んだわけ?」
ビナヤカの魔像は、訝しんだ様子で首を横に倒し。
象兜の下。
兜の奥から覗く、美貌の男神としての声で告げる。
『そなたたちが望んだのだぞ? いっそ、このゲームの中で過ごしたいとな。我は願いを叶える魔像。それが真なる願いであったのなら、供物として課金や時間を捧げておったのならそれは既に我が信徒。信仰される神として、ゲームに救いを求めた哀れな汝らの願いを叶えてやりたいと、救いの手を伸ばしただけであるが?』
「迷惑な神様……っていいたいところだけど、それが神様っていう存在なんでしょうね」
『ふむ……やはり分からぬな』
ビナヤカの魔像は感情や異文化、異なる価値観へと歩み寄る顔と声で言う。
『この世界に取り込まれたモノたちは皆、心の底より願っておったのだ。現実が辛いから、逃げたい――忘れたいとな。”三千世界と恋のアプリコット”にその心を捧げたのだ。心より、願った。あの地こそが、自分の拠り所なのだと。あのアプリは極めて特殊なアプリ。実在する世界とゲーム、その両方で共に育ち、互いに模倣され成長したゲームであり現実でもある。境が極めてあいまいな世界。それはすなわち、新しき宇宙にして三千世界。故に、魂を取り込んでしまう恐れがあるとは理解していた。だからゲーム起動時に記す規約にも、その旨を盛り込んだのだが……。そうだな。我はおそらく……ナニかが間違っておったのだろうな』
だが、そのナニかすら分からぬ。
と。
元凶たる魔像が漏らす言葉には、確かな侘しさが含まれていた。
理解できるように作られていない。
作られた存在としての悲哀が、そこに滲んでいたのだ。
空気が僅かに沈んだ。
そんな中。
この世界に巻き込まれ、多くの悪事に手を染めた喪服令嬢ミーシャは言った。
「そうとも限らないんじゃないかしら」
『うぬ?』
「あなたが何人、この世界に人間を巻き込んだのかは知らないけれど……中には、本当に幸せに、別人として過ごして救われた存在はいる筈よ。天使の誘導にも負けず――歴史に残るような悪い転生者じゃない、良い転生者だっていっぱい居るんじゃないかしら。そして経緯はどうあれ、あなたの作ったゲームに救われた人はいっぱいいた筈よ。全部を肯定するつもりはないけれどね」
会話を興味深く聞いていたのだろう。
思考に制限がかかっている道化師クロードが言う。
「転生者については理解できました。しかし、そうなると天使とはいったい」
『彼らは咎人――現世と前世で罪を犯した罪人。罪状は様々であるが、主に殺人以上の悪事を行い、その自覚のあったものが引き込まれる仕組みとなっていた。因果応報。悪因悪果。本来ならば地獄で長い責め苦を受ける魂。エイコに恋をさせるための道具として使役されても問題ない存在として、転生者と共に連鎖召喚されておったのだが――』
「殺人やそれ以上の罪を犯したと自覚を持っていた者、ですか。なるほど。自覚と言う要素が条件となっているのなら、わたくしが手にかけた天使にも……魔皇アルシエルのように、過度に自分を責めてしまっていた人もいたのでしょうね」
道化師クロードは自らの内に仕込んでいる、天使の傀儡人形に目をやっていた。
それは討伐した天使から作られた武器。
天使の成り立ちを知ってしまうと、現代社会から転生してきた彼には思うところもあったのだろう。
空気が再び少し落ちるが。
紅茶を楽しみながらも前を向き続けるコーデリアが告げる。
「――皆様、思うところは多くおありなのでしょうが……ですがやはり、そういう事は全て、終わった後に考えた方がよろしいかと存じます。まずは生き残ることを優先すべきだと、わたくしはそう思っておりますの。悩むことも償いも、全て、世界が存続しないと始まらない。世界があってこその話でしょうから」
「ったく、単純ねえ……あんたは。その世界を存続させるって言うのが滅茶苦茶大変だっていうのに」
「皆で協力して、生き残らないといけませんわね」
聖女はいつもの花の笑みである。
「それで負けイベの解析は終わってるの? サヤカさんと魔皇アルシエルがなんか知らないけど、日本に戻ってるっていうアホな事態になってるのは聞いてるけど」
『え、うん。まあ……』
「魔猫師匠? どうしたの、顔を逸らして……なにかあるの?」
すっとぼけた様子で黒い獣毛の体をひねり、シペシペシペ。
神たる魔猫は、ただのネコのふりをして毛づくろい。
ビナヤカの魔像が言う。
『我らが設定した負けイベが課金額に応じて膨れ上がることは知っておるな?』
「そりゃあね。だから、なに? なんなの? 意味が分からないんですけど」
道化師クロードとどう接していいか分からず、ほとんど黙ったままだった栄子が言う。
「えーと、いいっすか? なんつーか……世界に登録、つまりこの世界で観測された最強の存在と同等の魔物が、発生することになってるんで。いや、でも、たぶん完全再現はできないんで。なんとかならないこともないかなぁ……とは思うんすけどね?」
「だから! 神のあなたたちには分かってても、こっちは全然わからないんだっての! もっとはっきり言ってくださいます!?」
創造神たる栄子とビナヤカの魔像にすら噛みつく喪服令嬢ミーシャ。
その、良くも悪くも強すぎる主人の度胸に苦笑する、従者キースが言う。
「この世界で観測された最強の存在は、おそらく魔猫師匠。その能力を再現できるとは限らない……というよりも、ほぼ不可能にしてもです。魔猫師匠を基準としたこの世界にとっての強敵。あなたたち異世界の言葉で言うのならば、ラスボスが出現するという事でしょうね」
「え……、ってことは……つまり」
喪服令嬢も道化師クロードも、ぐぎぎぎぎっと魔猫師匠を振り向く。
魔猫師匠は肉球と鼻先に汗を浮かべ。
『う、うん……たぶん、私の劣化コピーがでてくる……みたいな?』
劣化とはいえ、あの魔猫師匠のコピー。
冷たい汗を浮かべるミーシャが言う。
「いや、だってあなた……魔物じゃなくて神でしょ?」
『もしかしたら前に誰かに説明したかもしれないけど。私、邪神だけどね? でも分類、種族にするとダンジョン猫。ネコ魔獣っていう魔物だから……うん。どういう形状で出現するかは分からないけど、負けイベの敵として、たぶん、めちゃくちゃ強い魔物が沸くよ?』
魔猫師匠がいなければ、この世界は主神たるコーデリアを失い滅んでいた。
しかし、その反面。
魔猫師匠がいるせいで、最強の魔物が沸く。
卵が先か、鶏が先か。
ともあれ、喪服令嬢は叫んでいた。
「だぁああぁあぁぁぁぁぁ! こんなぶっ飛んでる暴走馬車みたいなネコのコピー魔物って、どうすりゃいいのよ!?」
しかし、コーデリアは慌てていない。
その視線は、とある人物を眺めている。