第112話、真相―神の価値観―【黒幕視点】
歪められた神像が集合し、それは彼らの目の前に顕現した。
城門……電信柱ほどの長身の、象顔人身の巨神。
鑑定名を出すとするならば――。
愛欲神:ビナヤカの魔像。
誓約さえ守れば、契約さえ守れば――多くの願いを叶えてくれる歓喜天が歪められた存在だろう。
さりげなく栄子に結界を張った魔猫師匠が瞳を細め、鑑定の魔術を発動。
魔眼がギラギラギラギラ赤く染まっていく。
『おや、君――力だけなら本当に凄まじいね。多くの人間の欲望を吸ってその魂を膨らませていたといったところか……しかし、私の魔術の中に干渉、侵入してくるとは、些か不愉快だね』
魔術師として、魔術に干渉されたことが魔猫師匠は気に入らないのだろう。
空にふよふよ浮かぶモフモフもかもかの獣毛は逆立ち、獲物を奪われたネコのような顔で尻尾を不機嫌そうに揺らしていたのだ。
そんな。
ブスーっと鼻先を膨らませる魔猫を気にせず。
巨神たるビナヤカの魔像が、象の口を淡々と動かす。
『ほう――汝は、西洋のケモノ神か』
実体化したビナヤカの魔像が、凛々しき象の顔を尖らせ応じていた。
声は重い――複数の声音が重なった、まるでツボの中から話しているようなくぐもった重低音を奏でている。
けれど酷く淫猥だった。
情欲をあおる色があったのだ。
隆々とした力士像のような肉体は、多くの魂で形成されている。
むつみあう男女の魂が折り重なりあい、それらが密着。神秘的な肉体美を放つ”愛欲神”としてのビナヤカの魔像の体躯を作り出しているのである。
普通ならば、怯んでしまう外見。
普通ならば、怯えてしまう容姿。
言うならば絡み合う裸体で作られた、精悍なる肉巨人の頭に、野性的な一対の牙が目立つ象の兜が乗っている。
そんな姿なのである。
だが。
既に魔猫師匠や、その影で呑気にこちらを眺めていた神々を前にした後の栄子にとっては、ただ不気味なだけの、なんか変な神に見えるのだろう。
「うげぇ――なんすか……こいつの、あの、超不気味な身体は。人体で全身を作るって、ラストダンジョンとかにでてきそうな悪趣味さっすね」
『ゲームとか漫画とかだと結構さまになってるかもしれないし、実際、格好いい不気味さがあるんだけど……こう、実際に見ると』
栄子と魔猫の想いは一つなのだろう。
『思ってたより、ダサい』
「っすね――」
威厳と荘厳さを纏っていたビナヤカの魔像、その象兜の下。
凛々しき貫禄を放つ男神の顔がビキっと固まり。
象の言葉で大激怒。
『パオパオパオ、パパパパオ! な、なんだと!? 我とて! 好きでこのような姿をしているのではないのだ! 嫁さんの足を壊されて、勝手に願いを重複されて――っ、歪められた果てにこうなったに過ぎんというのに。パオパオ、パパパパパオォォォ!』
巨神の激怒で周囲が揺れる、大地が揺れる。
象の兜をかぶったビナヤカの魔像。
全身を真っ赤にしての地団駄である。
魔猫師匠は地団駄による衝撃波を吐息で崩壊させ――。
栄子も魔術の法則を読み解いた影響だろう――にゃんスマホの端末から魔術を発動させ、結界を展開。
「えーと、この神様? は、なんでこんなその、個性のある姿をしてるんすか。趣味、ってわけじゃないんすよね」
『おそらくこの魔像は願いの塊。ただ歓喜天を象っただけの、力ない像に過ぎない筈だったモノの成れの果て。多くの願いを吸って膨らんだ、人間の魂の一部を蒐集して神へと昇華された、集団魔道具なのだろう。付喪神は知っているかい? 長く使っている道具に魂が宿るっていう、多神教のアジア圏内によく見られる概念なのだが――あれと同じ。彼は愛欲を使った、人の願いと人の心によって神となった存在、だからこんな愉快な姿をしているのだろう』
「つまり、この電信柱サイズの、巨大な魔像さんは」
『ああ、神は神でも人の心が作り出した系の神さ。良かったね、本物じゃなくて。本物の歓喜天……聖天様や、その伝承の元となった悪神ビナヤカや、そのビナヤカを調伏した女神……観音菩薩さま本人だったら、さすがに収拾がつかなくなる。それは神話領域の戦いとなっていた。世界の終わりを眺めることにならなくて、私も嬉しいよ』
並んでいた魔像を眺め。
魔猫師匠がふふーんと、鼻息を漏らしながら言う。
『それらの歓喜天像も模造品。本物の秘仏じゃないようだからね。ようするに、コピー品ってことさ』
『ほぅ、我をコピーと呼ぶか。西洋に伝わりし救世主の模造品よ』
『おや、言うじゃないか。大黒天の息子の更に模造品の分際で』
神々同士の高尚なる煽りあいであるが、栄子には理解が及ばない領域。
『我は三千世界を守護するモノ。いや、守護するべくして存在する歓喜天。たとえ我の身が模造品であろうと、たとえ妻の足を砕かれ、この身を悪神ビナヤカへと貶められようと――宇宙を守護する心は変わらぬ。外の三千世界から侵入した邪神如きが、我を語るな。それはすなわち、笑止。我の大きく立派な耳が腐るというものよ』
『あのさあ、象さんさあ――難しい言葉を並べれば偉いとでも思っているのかい? インド系の神様って結構そういうところあるよね?』
『これはこれは、異なことを抜かす駄猫であるな。私利私欲に溺れ、解釈違いを起こし同じ主神を崇めながらも揉め続け、時には戦争まで起こしおる――聖書圏の邪神になど言われたくないのだがな。それに貴様は牧師ではなく、神父か……ふふふ、ならばまあ仕方あるまい。金さえあれば救われると、私欲の象徴たる免罪符などを発行する信徒ばかりなのであろうからな!』
栄子が魔猫師匠のモフモフな背中を突っつき言う。
「師匠って、西洋の神なんすか? つーか、神様同士の嫌味や皮肉を言われても、ぶっちゃけ、悪いんすけど全然意味わかんないっすよ? たぶんウィットにとんだ応酬のつもりなんでしょうけど、人間のあたしとかからすると滑ってるようにしか見えないんすけど、大丈夫っすか?」
魔猫と魔像。
ネコとゾウさんが顔を見合わせ。
『こやつ、神に対する態度が温くあるまいか? 我、人の愛欲より生まれし存在であったとしても、こう見えても神ぞ?』
『現代文明に生きる人間なんてこんなもんさ。時代も変わったという事だよ。それに、彼女自身も分類は既に神。一つの世界の創造神の属性が生まれているのは君だって知っているだろう?』
『それは、そうであるが。我、ちゃんと敬われたいのであるが――老害神と言われたくもあるまいか。それはそれとして、汝等――我は繊細ゆえ、我の勇ましくも悍ましき肉体美を眺め、恍惚とするが好い。そして、二度とダサいなどと言うではないぞ』
空気を読んだ上でだろう。
魔猫が言う。
『つまり、本人も気にしているんだね。その何とも言えない身体』
『ほぅ……やる気か、ケモノ神』
過去の追体験という魔猫師匠の魔術の中。
揺れる大地を防ぎながら栄子が言う。
「めちゃくちゃ怒っちゃってるじゃないっすか……」
『君が挑発するからだろう』
「いやいやいや、さりげなくあたしだけのせいにしないで欲しいっすよ!? 同罪ってか、むしろそっちの方が酷い側っしょ!」
『えぇ……そうかなぁ? 私は素直に思ったことを口にしただけだし、そもそも私、ネコだし悪くないし。ネコちゃんの行動を追求するのはルール違反みたいなところない?』
「なに自分ルール勝手に発動させてるんすか、そんなルールないっすよ! どんだけ無責任な神なんすか! ダサいって直接言ったのはそっちでしょうが!」
失礼で無礼なコンビを象の瞳が睨み。
肉欲の身体で地面を踏みしめ揺らし、象の細い瞳をクワ!
『ええーい、ダサくなどない! 無礼なのはどちらもだ! だいたいだ! 人がせっかく、格好よく登場してやったというのに、台無しにしおって! けしからん、実にけしからん!』
『ハハハハ、すまないね。これが性分なんだ、どうか許して欲しいビナヤカの魔像くん。さて、召喚に応じてくれてありがとう。君が最後の黒幕、あの世界に始まりの種を植えた犯人って事でいいのかな』
『犯人とは人聞きの悪い。我は願いを叶える魔像。故に、汝らの願いをかなえているだけに過ぎぬ』
『えぇ、本当かなぁ』
『嘘などつくものか、このデブネコが!』
ビシっと、初めて魔猫師匠の空気が固まる。
メラメラ。ぎらぎら。
魔猫師匠の周囲に、膨大な憎悪の波動が広がり始めていた。
『へ、へえ。この麗しい私を捕まえて、でぶ……言うじゃないか』
魔猫師匠の影の中から、落ち着け! 待て! それは、ふくよかでモフモフというのだ!
と、動揺する観察者たちのフォローの声が響く中。
栄子が言う。
「ちょっと、あのぅ……どうしたんすか?」
『いや、気にしないでおくれ。この程度の言葉で私は別に怒ったりはしないからね』
「うわぁ……地雷なんすねえ」
『気にしていないと言っているけれど、聞こえなかったかな?』
「あ、はい……あーと、なーんかヤバい雰囲気なんで、話を変えますけど。えーと、なんてお呼びしたらいいのか分からないんですけど、ビナヤカ様? は、いったいなにがどうして、あのアプリを使って世界をコピペするなんて変な事したんすか?」
本題に切り替える栄子の誘導に、魔猫も魔像も空気を引き締める。
ビナヤカの魔像が象の兜の下で、ぎしり。
整った顔立ちを覗かせ、兜の下で瞳を赤く輝かせた。
崩れた空気が元に戻った影響だろう。
荘厳なる男神の声が響く。
『変な――とな?』
「だって、変じゃないっすか。言っちゃ悪いっすけど、あんな完成度の低い世界をわざわざ現実化させるなんて、ぶっちゃけ、意味分からないっすよ?」
『創造神の一柱たる汝がそれでは、あの世界も報われぬな――もっとも、その創造神が多くを裏で操り混沌を導いておった時点で、あの世界も哀れであるのだろうが。しかし』
朗々と、ビナヤカの魔像が続ける。
『神とは身勝手な存在。そもそもあの世界そのものが、壊されるために生まれた世界であるからな。エイコよ、全ての始まりたる生き神よ、汝が誤っているわけではあるまいて』
「は? 壊されるために生まれたって……どういう?」
『我は願いを叶える魔像。人々の情欲により発生した、付喪神。その性質は歓喜天と変わらぬ。そこでむつみあっていた、若き生贄たちが願ったのではないか。どうか、クラスメイト全員の恋が叶いますように――とな。我はその願いの代価として、肉欲の宴を受け取った。だから、契約に応じ我はあの世界を作らせた。世界の元となる”三千世界と恋のアプリコット”を作らせ、そしてコピーし、壊れた世界へと埋め込んだ。全ては契約通りであろう?』
話が飛び過ぎている。
いくら天才の栄子でも理解ができないのだろうか。
しかし、神という概念を知る魔猫師匠には伝わったのか。
『なるほどね――君はただ、契約を守っているだけ。それだけの、単純な話だったわけだ』
「いや、意味わかんないんすけど?」
『おや、珍しいね。分からないのかい? それとも、分からないふりをしているのかな?』
嘘を見破る魔猫の瞳が、栄子を眺めていた。
その眼光にあるのは、ギラギラとした。
赤。
ぞっとするほどの、全てを見透かす神の瞳だった。
天才栄子には分かってしまったのだろう。
ただそれを認めたくないだけ。
けれど。
魔猫は無慈悲に告げる。
『単純な話だと言っただろう? ビナヤカの魔像は元となった歓喜天の流れを受け継ぎ、契約を遵守する性質があるのだろう。君のクラスメイトが気楽に、気軽に、本当に悪意の欠片もなく願った契約を、魔導契約として受け取り――純粋に彼は叶えているだけなのさ。魔像を責めてはいけないよ』
「クラスメイト全員の恋が叶いますように……って、それがなんで世界を作って、しかもアプリに魂を取り込むことになるんすか」
魔猫が言う。
『恋を知らない、恋が分からない女子高生エイコに恋をさせるため、だろうね。事実、君はあの時生まれて初めて恋や愛を実感したんじゃないかな?』
「あの時……って……」
『ああ、そうさ。君は自分と同じぐらいの天才であるクロードくんの死で、初めて本当の恋を知った。燃えるような感情を感じた。初めてその時、心を大きく揺れ動かした。魂を取り込んだアプリを睨み、何を犠牲にしてでも取り返したいと強く誓った。それはきっと、誰の目から見ても恋の感情だ。君の恋の物語の始まりだ――ほら、これでクラスメイト全員の恋が叶う一歩が進んだわけだ』
震えた顔で、瞳で、天才栄子は魔像を見る。
「じゃ、じゃあ……先輩をアプリに取り込むことになった、きっかけも。いや、もっと……根本的な部分で、まさかっすよね。まさか、先輩そのものが、そんなことないっすよね!?」
『おぬしに恋をさせるため、ただそれだけのために我が作り出した存在であるが?』
ビナヤカの魔像は言う。
神としての価値観で、願いを叶える魔道具としての性質の祭具として。
既に流れを把握している者ならば――知っているだろう。
察しているだろう。
栄子が恋をしていたのは、道化師クロード。
アプリに取り込まれ死んだ、イシュヴァラ=ナンディカの社員。
そして彼は――まるで神話やゲームにでてきそうなほどの、絶世の美貌の持ち主。
栄子が大好きな、ゲームの中の人間。
そのものだった。
恋を知らない乙女が恋をする条件を満たした存在。
そんな都合のいい存在、いるわけがない。
だから。
神は創造したのだろう。
全ては願いを叶えるため。
契約を遵守するため。
『愛や恋。それは種族繁栄、種が種として生きるために――人が未来を生きるために必ずや必要となる感情。何故なら子孫がいなくては、人という種が滅ぶ。それはとても悲しき事。さあ、栄子よ。このモノたちの中で、唯一愛を知らなかった哀れな娘よ。世界を壊せ、愛しい男を取り戻せ。その時初めて、汝の恋は成就する。汝らが願った、クラスメイト全員の恋が叶う瞬間である』
ビナヤカの魔像は。
神としての顔で。
おだやかに、荘厳に。
そこに善悪など一切、浮かべぬ菩薩の顔で。
告げた。
『我は歓喜天より生まれし魔像。汝らの願いを叶える、愛欲の神なり』
神を象った魔像は。
ただ安らかなる顔で。
神たる顔で。
栄子に”愛を掴め”と微笑んだ。
ぞっとするほどに、優しい笑みだった。
後光すら纏う、菩薩の優しい輝きだった。
本当にただ願いを叶えた。
それだけだったのだろう。
クラスメイト全員の恋が叶う。
そんなメルヘンな。
名前も顔ももう曖昧になってしまった。さほど仲良くもない級友の気楽な願いを叶えただけ。
ただ――。
神は、どんな手段もいとわなかった。
それだけの話。
愛や恋を信じない、哀れな娘。
これはそんな栄子の恋の物語。
「――そんなのって、あんまりっすよ!」
叫びは神には届かない。