第111話、愛欲の宴【黒幕視点】
過去を追体験する特殊空間。
謎エリアに漂うのは記憶の持ち主、黒幕たる女――新部栄子。
そして、部外者であったはずなのに干渉してきた異世界魔猫の魔猫師匠。
祭囃子も届かぬ境内の奥の防空壕。
その隠し部屋にて。
彼らの前には、抱き合う象頭人身の彫像が並んでいた。
イシュヴァラ=ナンディカ、本来なら歓喜天を祀る神像――その邪心を抑える女神の足を敢えて破壊した、禍々しい神仏の群れの中。
過去を追従する栄子と魔猫は眺めている。
過去だからだろう、匂いも温度もない闇の中。
像に操られるように動く高校生たちに引きながら、栄子が唇から問いを漏らす。
「――それで、なんでこの子たちは変な顔をして、箱を並べてるんすか? なんか明らかにヤバイ顔してるっすよね? なんかキメちゃってる顔してるっすよね? で、なんで過去のあたしだけは、ポケーっとしたまま固まってるんすか。これ、滅茶苦茶放置じゃないっすか、バカみたいじゃないっすか!」
高校生たちは像から漂う異様なナニかに突き動かされ。
デヘヘヘと恍惚とした幼げな表情を浮かべて、蠢き続けているのだ。
魔猫師匠が瞳を赤く染め――じぃぃぃぃぃぃ。
鑑定の魔術を発動させたのだろう。
長い髯を動かすネコの口から、ゆったりとした教師の声音が流れてくる。
『ふむ、どうやら君は精神支配の対象外だったんだろうね』
「対象外?」
『ああ、ここにいる肝試しに参加した高校生たちにあるものが、当時の君にはない。魔術の発動者はこの彫像たち、いわば魔道具が自動的に発動させている洗脳魔術なのだろう。複雑な指定はできなかったんだろうね、だから君には魔術が反応をしなかった……ああ、微妙に刺激が強くなりそうだから、見たくないなら目を閉じていたまえ』
「目をって、いったい……――って!? ちょちょちょ! なんでみんな脱いでるんすか!?」
顔を真っ赤にして狼狽する栄子。
その前で行われ始めたのは高校生のストリップ。
並ぶ歓喜天像を前に、服を脱ぎあう男女たちである。
過去を追体験する栄子以外が、手と手を重ね、肌を合わせ。
しっとり、ねっとり。肉体を重ねようとしていたのだ。
うふふふふ。
あはははは。
悍ましき空洞の中――若き肉体が、幼い表情のままに重なり合っているシルエットが見える。
異様な光景であるが、余裕な魔猫が一匹――。
彼はあくまでも神話学を論じる顔で、全く動じていない口調で語りだす。
『歓喜天はね――顔は象だけど見た目は男女が抱き合っている秘仏。そしてその伝承にあるのは、女神が自らの肉体の魅力をもって、悪神を善神へと転身させた存在としての神性だ。そこにあるのは、強力な愛。抗えぬ誘惑。かつての人々はそこに愛欲の神としての一面も見出したのだろう。一部の性を是とする密教では、愛欲を司る神を秘かに崇めていたというしね。これだけの歓喜天の像が集まっているんだ、そういった類の神像……魔道具が含まれていても不思議じゃない』
「ストップストップ! こんなの、放送禁止じゃないっすか!」
栄子が慌てる通り、そこかしこで、いかがわしい音がしている。
この追体験そのものが魔術だと説明されていた通り、術者ならばある程度は自由にいじれるのか。
魔猫師匠は仕方ないねと、映像加工を施し放送コードに引っ掛かりそうな部分を封印。
『君だって忘れているだけで、一度はこの光景を見ている筈なのだけれどね。しかし、ふむ……君たちはたしか、告白するために肝試しをしていたんだったね』
「そうっすけど! あたしがじゃなくて、クラスのリーダー的な男子がっすよ! 空気を読んだ結果っすよ!? クラス全員参加の肝試しに不参加って、絶対あとでなんか言われるクソゲーっすからね!?」
『――分かっているから、そう興奮しないでおくれ』
分かっている。
分かっていると、したり顔な魔猫。
その太々しい顔を睨む栄子であるが、既に彼らには奇妙な関係性が生まれつつあった。
理解の早すぎる栄子が言う。
「それで、結局何が言いたいんすか?」
『もしかしたら、そのリーダーくんや、或いは相談を持ち掛けられた生徒の誰かか。まあ特定する気はないけれど、操られちゃってるこの中の数人は、ここに歓喜天の神像が祀られている……そんな噂ぐらいは知っていたのかもしれないね』
「知っていた?」
天才栄子は考える。
魔猫師匠との会話で、知識は次々に加算されている。
だからたとえ常識ではありえない現象であっても、それが実際にありえる現象だと仮定して――答えを探すことができるようになっている。
そこにあるのは教師と生徒の関係性。
天才栄子は二つのことを並行して、同時に考えていた。
一つは今の光景と、過去の事件。
そしてもう一つは、今、目の前で空に浮かんでヘラヘラしている謎の魔猫。
不正領域、不帰の迷宮に棲みついた異世界の魔。
あの世界とは関係のない部外者。
けれど、既にこの魔猫は多くの事件に関係している。
天才栄子には見えていた。
この魔猫がコーデリアと出会ってから、全てが変わってしまった。
天使を操る裏で、かならず妨害が入るようになった。
世界を望む方向に引っ張ることができなくなった。
大きな課金を促すことができなくなった。
世界を壊すための、絶対に必要な累積課金が貯められなくなっていた。
天才栄子は考える。
おそらく犯人はこの魔猫。
遊んでいるフリをし。遊んでいる体で。関係ないと全てを俯瞰していると傍観者を気取っておいて、実質は違う。
全ての事件に干渉していた。
故意に妨害していたのだろう。
それはなぜか。
天才栄子は考える。
魔猫師匠はどうでもいいといいながら、突き放したような反応を示していながら。
こうしていつも、誰かを導くようにゆったりとした顔で眺めているのだ。
天使がいなくとも身勝手で、承認欲求の塊だったミーシャ姫。
真人間ぶっているが、踊りのためならばと婚約者すら利用する破綻者サヤカ。
サヤカへの贖罪のためならば、無辜なるモノさえ貶める魔皇アルシエル。
妹への過ぎた家族愛故に、盲目的な正義をかざし続けた聖騎士ミリアルド。
他にも多くの、あの世界の愚者に干渉して、魔猫はその心を眺めつづけていた。
そして彼らは皆――。
本来なら栄子が誘導していた終わりへの道から、遠ざかる。
たとえ悪人であったとしても、たとえ救いようのない蛮行を為した相手であっても、そこに一筋の善意や哀れむべき点が見えてしまったら――肉球を伸ばさずにはいられなくなる。
自業自得の愚者とて見捨てられなくなる邪神なのだろう。
あの世界の裏で動き続けていた魔猫。
だからおそらく、今この場で行動を共にしていることにも意味がある。
天才栄子は答えを得た。
おそらく自分も、この魔猫にとっては哀れな愚者なのだと。
並行して考えていたもう一つの思考が固まり。
栄子は魔猫師匠ではなく、この案件の問題を口にする。
「生徒の誰かが……クラスの誰かと男女の仲になるために、神頼みをしていたって事っすか」
『ご名答――男女の仲を結んでくれる愛欲の神。どんな願いもかなえてしまう強い神。ただし、その契約と規則を守らないととてつもない反動が返ってくる神。たとえば女子高生が、リスクの部分だけを迷信だと都合よく考え、ご利益にあやかろうとした。愛の神に、自分の恋愛成就を願ったとしたら――少しつじつまがあってくる』
どこかから連絡がきたのか。
肉球をムニっと伸ばした魔猫師匠が、亜空間からにゃんスマホを取り出し。
うにゃにゃにゃ、うにゃ。ぶにゃぶにゃぶぶぶにゃ。
『――ふむ、裏が取れたよ。やはり君の同級生の親類に、先ほどの夏祭りを行っている地主がいるようだ。それはきっと、よくある昔話。孫に語って聞かせる過去の話。戦時中、防空壕に逃げ込んだ時に見た歓喜天の像の話とその逸話を、不用意に語ってしまったのだろう』
「誰かに個人情報を調べさせていたんすね」
『ああ、それがなにか?』
「それ、今じゃあ犯罪っすよ」
指摘をのらりくらりとかわすように、魔猫は嗤う。
『そうでもないさ。冥界神が実在するって言っただろう? 私は彼に頼んで死者を探して貰っただけ、具体的に言うのなら――お孫さんにここの話を語ったことがある、数年前に亡くなった先代の地主御本人から聞いただけ。関係性で言えば、今、歓喜天の魔道具に操られている女生徒の祖父にあたる人物にね。おじい様から聞いたんだから、犯罪じゃないさ』
「はぁぁぁ? ズルじゃないっすか、ズル! 死者に聞くって……チートっすか? なんでもありっすか?」
『ああ、なんだってするよ。今回の件に深く関わるつもりはなかったのだけれどね、滅んだ世界に”三千世界と恋のアプリコット”の種……聖女という核を埋め込んだ神を特定できる、なーんて約束もしちゃったから。仕方ないよね』
空気がわずかに変わる。
あの世界にとっては上位存在、創造神としての一面もある栄子が言う。
「コーデリア……、ただのモブに過ぎない彼女が核だっていうのはマジなんすか?」
『生まれたその時に、既に邪神クラウディアから核を受け継いでいるのは間違いないだろうね。システム上の問題としてあの世界には主神が必要だ、そしてあの世界は”例のアプリ”を元とした世界――そこにはどうしても操作者が必要となる。ある意味でコピペしてしまった時に発生してしまった、不便な点だね。彼女こそが主神、あのゲームのプレイヤーみたいなものだよ』
「そうっすか……だから彼女だけは決められたルートを避けることもできた……」
『おそらく邪神クラウディアも、そしてクラウディアの母や父だった存在のどちらかも――核を受け継ぎ続けていた。もしコーデリアくんが子供を作ることができないとしたら、そこで核が途絶えるという事でもある』
まあ、彼女は既に私の修行で人の器を外れた。
寿命も相応に長いものになっているだろうと、魔猫師匠は魔術師の観点で語るが。
世界の終わりを望む栄子は、創造神としては似つかわしくないニハニハとした顔で語る。
「それはそれで問題ないんじゃないっすかねえ。先輩も帰ってきますし万々歳じゃないっすか!」
『君にとってはね――けれどあの世界にとってはそれも困る』
「先輩の魂を盗んでいったあっちが悪いんすよ!」
『さて、どうだろうか。その答えをまだ私も知らない――それじゃあ続きを見よう。なぜあの世界が誕生したのか、私の影でこちらをみている友達たちも早くしろって怒りだしそうだし』
肉球を鳴らし告げると――時が僅かに加速する。
淫猥な肉欲の宴が続く中。
悪神の悪心を踏みつけていた女神の足が壊された像、ビナヤカ神像が一斉に一人の女子高生を眺めだす。
像の顔だけが一斉に。
ギシリと蠢いたのだ。
うすら寒さが背筋を走ったのだろう。
さすがの栄子も、うへぇ……っと気持ち悪がるが――。
追体験の中で、誰かも分からぬ声が響きだす。
『ナゼ、きさまには、我らが愛の教えが、トドカヌ?』
抱き合う男女の像。
肉欲を司る神像としての側面、一面が強調されているだろう魔像に語り掛けられているのは、当時の栄子。
一人だけ洗脳が効かず。
動かず。
むつみあう肉欲の宴に加わろうとしない栄子に、魔像は疑問を浮かべているのだろう。
しかし今の栄子がジト目で言う。
「うわぁ、マジっすか。聞きました? 今の!? 愛の教えって……宗教じゃないんだから、ドン引きなんすけど!」
『いや、まあこれらは歓喜天そのものではなくとも、かの神を象ったいわば祈るための仮の偶像。信仰の対象にされていたわけだから、それこそ宗教そのものなんだろうけど……なんか怖いよね』
魔猫もジト目で言う。
二人して突っ込んだことがきっかけとなったのか。
本来ならただの過去視の延長上――過去を追体験する魔術であるはずなのに。
ギギギギ、ギギギィィィィィッィィィィイ!
一斉に。
絡み合う男女、高校生たちと共に魔像が振り返る。
それらの瞳が見ているのは、現在の魔猫と黒幕。
「ひえ!? な、なんすか!?」
『おっと、どうやら――追体験の領域に無理やりに干渉し、こじ開けに来たみたいだね』
「こじ開けって、誰が!?」
『決まっているだろう。歪められた信仰、歪められた在り方を望まれ、意図され破壊された歓喜天、その魔像たちの集合意識。すなわち、”ビナヤカの魔像”。君とは異なるもう一人の黒幕だよ』
明らかに位の違う魔猫師匠。
その魔術に干渉し、こじ開けやってきた。
それが何を意味するか――。
天才栄子は理解していた。
そこには、居てはいけない何かがいた。
しかし魔猫師匠は悠然としたまま。
『――さあ、出ておいで。あの世界のこれからについても語りたいからね。それぞれ思惑も異なる黒幕三人、仲良く話し合いでもしようじゃないか』
まるで召喚するように。
あえて、相手を呼んでいた。