第109話、ただもう一度、会いたくて【黒幕視点】
新部栄子は明らかな違和感を覚えていた。
普段通り無難に夏祭りを楽しむ彼女は十五歳、普段通り無難にかわいい高校生。
ちょっとドジで、けれど成績は良い。
ゲーム趣味は隠していないが、けれどクラス全員で参加するイベントに不参加、なんて陰キャなムーヴは絶対しない。
そこまで考え栄子は思った。
陰キャ?
それって当時に使ってた言葉じゃないっすよね?
と。
だから栄子は気付いたのだ。
これは自分の精神、或いは脳に干渉し過去の記憶を栄子の口から語らせているのだと。
時間にするとおよそ二十年前。
神社の裏、境内のさらに奥へと向かう暗い夜道の肝試し。
実際はクラスのリーダーが好きな子に告白するため、皆で協力、クラス全員を呼び出す体で集合。リーダーとその子で肝試しのペアを作り、あとは仲良くカップル成立。
そんな、高校生たちが作り上げた筋書き。
そう。
ただそれだけ。
その筈だった。
なのに誰かがこの記憶を覗いている。一体、なぜ?
栄子はこれが過去の追体験だと知り、現実ではないと知って叱りつけるように叫んでいた。
「誰っすか! あたしの記憶の中を勝手に盗み見てるのは!」
『おや、鋭いね。完全に姿を隠しているつもりだったのだけれど、どうして気付いたんだい?』
「陰キャなんて言葉は当時なかったっすからねえ、なのにあたしは平気で陰キャって言葉を脳で思い浮かべた。おかしいじゃないっすか、そう思ったら、ああこれは魔術か異能の一種なんっすねえって気づく方が普通じゃないですかぁ?」
指摘に苦笑を漏らし、それは闇を切り裂きやってきた。
障子を悪戯で破る猫のように、ズボっとそれは空に穴をあけ。
ズズズズズ!
くはははははは!
と、ネコの顔が闇の中に浮かんでいる。
そのまま――狭い通路に、無理矢理に大きな身体を通す、お笑い猫動画のような光景を演じ。
『ふむ、次元の隙間というのはどうしてこう狭いかな。私のスレンダーで完成されたフォルムが崩れてしまうじゃないか』
文句をいいつつ次元を渡ってやってきたのは――明らかに異質な存在。
太々しい顔をした。
黒猫――。
チェシャ猫のモデルとなったとされるブリティッシュショートヘアーに似た魔猫は、ネコの姿のまま慇懃な礼をしてみせ。
ニヤリ。
『初めまして、黒幕君。私はケトス、大魔帝ケトス。殺戮の魔猫と呼ばれし、異世界の魔。かつてこの世界をソシャゲ化させた邪神だよ』
「不帰の迷宮に棲みついた、不法滞在者っすねえ……」
『酷い言い方だね。私はただ面白そうな場所を見つけたから隙間に入り込んで、迷宮を作っただけ。迷宮を作られたくなかったのなら、君はもっとセキュリティーを強固にしておくべきだった。神も魔も契約やルールには結構うるさいからね、勝手に異世界から入ってきて、勝手に棲みついてはいけない。そんなルールが先にあったら、さすがの私も他所に遊びに行っていたかもしれない』
君の落ち度だよ、と。
魔猫は次元を渡るときに乱れた獣毛を整えながら、ドヤ顔。
追われていた時点で覚悟も決まっていた栄子は毅然と言う。
「それで、なんすか、あたしを殺しに来たって事っすか?」
『物騒なことを言わないでおくれ。この世界には既に私の戸籍も存在していてね、そんなことをしたら犯罪になってしまう。妻も子もいる身だ、さすがに逮捕は困る』
「戸籍に、妻も子もって……ネコがっすか? ジョークっすよね?」
『おや、事実なのだが、まあ構わないよ。さて、今この状況の説明が欲しいって顔をしているね』
「説明でもしてくれるんっすかぁ?」
説明などするはずがない。
なぜなら栄子は敵対者。
あの世界を壊そうとしている黒幕なのだから。
けれど魔猫は悠然としたまま応じていた。
『ああ、説明してあげるよ』
「って、なんなんすか本当に……こっちはマジなんですよ!? 先輩のためなら、先輩をあの世界から救い出すためならって、あたしはマジのマジでやってるんっすよ! バカにしてるんすか!?」
姿は過去。
なぜか十五の夏。祭りの夜のあの日のまま。
けれど精神は三十半ばの元女社長。
栄子は意図が分からぬ魔猫に苛立ちをぶつけていた。
『おっと、すまないね――怒らせるつもりはなかったのだけれど、まあ詫びるのも変な話かな。ふむ、そうだね。簡単に言ってしまえばあの世界の始まりを私は知りたくてね、過去視の魔術を扱ったのだが、キャンセルされてしまった。この私の魔術を弾くなんて、なかなかできることじゃない。だから君という当時実際にいた人間の魂を使って、過去の追体験という形で現場を覗いているというわけさ』
天才栄子は考える。
「あたしの過去と、あの世界の誕生に何か関係でもあるっていうんすか? ぷふー! ちょっとそれは妄想が過ぎるんじゃないっすかねえ! 確かにこの世界には魔術や異能ってもんが隠れて存在していたのかもしれませんけど? 残念! あたしは異能も持たない、普通の人間! ぶっちゃけ、ちょっと天才なだけな女の子っすよ?」
『君、追体験の肉体に精神を引っ張られてるのは分かるけれど。女の子って歳じゃあないだろう……』
「そーいうところ、デリカシーがないって娘さんに言われてたりするんじゃないっすか?」
図星だったのか、魔猫はぶにゃっと牙を覗かせ驚いて。
『まあ話を戻そうか』
「あ? 逃げるんすか!?」
『はぁ……これでも私は偉大なる魔猫、大いなる闇とでも称すべき大神なのだが。君、ずいぶんと余裕があるね。怖くないのかい?』
「相手が自分を殺さないと分かっている状況で、怖がる必要あるんすか? だいたい、魔術って言うのは不安定な力なんすよね? そして魔猫さん、今まで得ているあなたの情報を踏まえて考えれば、あなたは手加減がとても苦手な神。強すぎる存在らしいっすからねえ、あたしを殺さずどうにかしようとするのは難しい、けれど殺してしまったらこの追体験も終わってしまう。故にあたしが過度におびえる必要もないでQED――証明終了。どうっすか?」
理路整然と語る栄子に魔猫は呆れ顔。
しかしその顔に敵意はない。
『天才かどうかは別として口は回るようだね。まあそういうことにしておこう。実際、今この場で君をどうこうするつもりはないよ。それは私の仕事じゃない。君を裁くものがいるとするのならば、この世界の神か或いは異能や魔術の犯罪を取り締まるモノたちか。ともあれ管轄外の私には、君自身の行いの是非や、この後の人生に関して興味はない。悪いけれどね』
「そりゃどうも?」
なんと返したらいいか分からぬ栄子だったが、その顔を引き締め。
「でも、この記憶に一体何があるっていうんすか」
『コーデリア君たちが住むあの世界の始まりは、滅んだ世界に乙女ゲーアプリ”三千世界と恋のアプリコット”を元とした世界の種が植えられたことがきっかけとなっている』
「らしいっすね。ぶっちゃけ、あたしはその辺のことは知らないっすよ」
『だろうね――君には悪いが、何の力もない君に滅んだ世界の再生。滅んだ土壌に世界の種を植えるだなんて、天地創造に近しい御業ができるとは思えない。それは主神級の神の力、ただの人間である君にはできないことだ』
じゃあなんで?
なんであたしに絡んでくる?
当然、そんな疑問は浮かんでくるのだろう。
栄子は悩むが分からない。
天才だとしてもその答えを導き出すことはできない。何故なら情報が足りなすぎる。魔術や神といった分野において、栄子は知識が足りなすぎる。
どれほどの天才だとしても正しい情報がなければ答えを出せない。
それは賢王イーグレットの慧眼と少し似ているか。
「本当に、なんなんすか? 意味わかんないんすけど。だいたい、あの世界誕生のきっかけ――あたしたちの作っていたアプリをコピー・アンド・ペーストしたにしても、まだこの時間帯ではあのアプリ自体ができていない。イシュヴァラ=ナンディカなんて会社も、まだ存在していない。調べたわけじゃないっすから正確じゃないかもしれないっすけど、あれができるのはだいたい三年後とかっすよね」
『ああ、でも開発にはある程度の時間がかかるだろう?』
「そりゃそうかもしれないっすけど――」
栄子には関係ない筈。
あくまでも栄子はアプリが既に配信された後に配属された新人なのだ。
けれど、違和感はあり続ける。
天才栄子は考える。
「それが、この時の記憶と関係してる。不法滞在者の魔猫さんはそう考えてるって事っすか」
『ああ、そうさ……しかし君、その言い方はどうにかならないのかい』
「あたしがどれだけ苦労させられてると思ってるんすか! 勝手に領域を上書きして棲みついてっ、ありもしない魔物や魔術を持ち込んで、こっちはその度にデバッグモードの調整をしないとエラーになって! あぁああああああああぁぁぁぁぁぁ! 思い出しただけでハラワタが煮えくり返るんすよ!」
『ハハハハハ! それは悪かったね』
栄子は本当に、本当に、魔猫師匠がなにかやらかす度に必死で修正していたのだろう。
世界に干渉する端末とツールを弄っていたのだろう。
その怒気はかなりのものなのだが。
魔猫師匠はごめんごめんと、ウニャハハハハハ!
獣毛をモコモコふわふわさせながら、軽く笑っていた。
その笑いも止まり。
『さて無駄なおしゃべりもここまでだ。そろそろ本題に入ろう』
「なんすか」
『このまま素直に君の過去を覗かせてくれるか。それとも洗脳で強制的に開示されるか、どちらか好きな方を選びたまえ。私は女子供には乱暴をしたくないが、私以外の者はそうでもないからね。彼らも早く続きが見たいらしい――聞こえてこないかい?』
なにが?
と、答えるその前に。
魔猫師匠の裏、影の中から無数の視線を感じ、栄子はヒィっと声をひきつらせた。
それは明らかに、人が見てはいけない者たち。
蠢くケモノの視線。
魔猫師匠に対しては強気だった栄子だが、それは自分が害されないと確信があったから。けれど、そこにいる彼らは違う。全員が全員、人間に対し価値を見出している存在というわけではないのだろうと、本能的な恐怖が栄子の背筋を凍らせていた。
ぶわりと、髪を膨らませ。
栄子は、思わず失禁をしそうなほどに脚を揺らし。
闇の中で座り込むことすらできぬ恐怖の中で、立ったままに。
掠れた悲鳴を、肺の奥から絞り出していた。
「――な……、なんなんすか……そのっ、それ」
『――まあ、普通はそういう反応になるよね……。これが普通、これが真っ当。こうはならなかったコーデリア君は、やはり……、もう既に、心の中のどこかで、軸のような何かがずれてしまっているのだろうね……』
怯える栄子とは違った反応をみせた聖女を思い出してだろう。
それは憐憫の声だった。
魔猫師匠も、影の中にいるモノたちも――。
ギシリと口を蠢かせ。
言葉を発していた。
”聖コーデリア卿――嗚呼、なんと哀れな聖女だろうか”。
――と。
怯んで、何も言えなくなってしまった栄子を眺め、魔猫師匠が何かを詠唱。
栄子の心が強化されたのか。
光に覆われた栄子を見ながら、魔猫が言う。
『私の友達たちだよ。実はあの世界で起こっている現象で賭けをしていてね。その結末を眺めるまでは宴会の続きができそうにない。早く見せろとブーイングも起こりそうだし、どうかな?』
「今のは」
『ああ、私や私の同胞の魔力は強すぎる。魔力や瘴気、あるいは正しき聖光に中てられ――君という存在が消滅してしまう危険もあった――だから、君の周囲に結界を張った。それだけだよ。犯罪者になりたくはないからね、君に死なれても困る』
「そうっすか……こういう場合、礼は言った方がいいんすか?」
『こっちが加害者みたいなものだから、どうだろうね?』
どうだろうと問うくせに、魔猫は、そんな事どうでもいいよ――と言わんばかりの顔である。
実際に、どうでもいいのだろう。
心に落ち着きを取り戻した栄子が言った。
「この日に、本当に何かあるんすね? ぶっちゃけ、心当たりはないんすけど」
『この日だけにブロックが掛けられているんだ、この私でも容易には解けない妨害魔術がある。この私の過去視の魔術を妨害できるほどの細工がされているだなんて、偶然ではありえない。十中八九なにかあるよ』
ふーんと、考え込み。
栄子は事実を確認するような口調で淡々と言う。
「収集した情報によると――あの世界に勝手に棲みついた魔猫師匠は強い異世界神だって話だったんすけど、解けない魔術もあるんすね」
『いや、まあ無理やり解除できないこともないのだけれど……』
「なにかあるんすか?」
『うっかり大陸の一部を消しちゃってもいいのなら……可能って話で。いや、まあそれでもちゃんと後で直すけど。大陸と一緒に消える人たちもすぐに蘇生するから、本人たちも一瞬だけ死んだって事に気付かないし? 問題ないかも? って提案したら、慌てて飛んできた新人冥界神に無駄な仕事を増やすなって怒られちゃってね! にゃはははは! まいったね!』
普通ならばそれが冗談だと思うだろう。
けれど栄子は天才だった。
情報が集まれば集まる程、その推理の精度は正確になっていく。
事実だと結論付けた栄子が、若干引き気味で言う。
「マジっすか……魔猫師匠、ぱねえっ……つーか、冥界神とかもいるんすね」
『そりゃあそうだろう。転生という事象が発生しているのなら、冥界……天国や地獄があっても不思議じゃないだろう? だいたい、君は既に転生の存在を確信している。なぜ転生だけが特別で、他のそういう現象がありえないと思うんだい?』
「感覚の問題じゃないっすかね。生まれ変わりぐらいなら本当にあるかもしれない、けれど魔術とか言われるとちょっと無理がある。冥界神とまで言われちゃうとさすがにぶっ飛びすぎてて、何を馬鹿なことを――そう思っちゃうのが人間なんだと思うんすけど」
人間って、理屈じゃないんすよと理屈で考え告げる栄子。
その顔を眺め。
魔猫師匠は言った。
『ああ、人間は感情で動く生き物でもある。理屈で考えれば、人一人を救うために世界を壊す。そんな馬鹿なことはしないだろうからね』
空気が。
変わる。
それは魔猫師匠が言っていた、本題でもあったのだろう。
「……あれはゲームっすよ。あの世界は、ゲーム……」
『そう思い込みたいだけだろう? 君は理性的な人間だ、そう思い込もうとしないと、必死に自分に言い聞かせないと行動できなかった。何故ならあの世界は本当に生きた人間が動く世界だと、賢い君は確信していた。けれど、賢い君は同時に悟ることになる。彼を救うためには世界を犠牲にするしかないとね。君は世界よりも彼を選んだ。何故ならそれが初恋だったから――それが君の物語であり、君が選んだ殺戮の道だ』
だからあの世界の転生者は、思い込んでいた。
あの世界がゲームなのだと。
思い込まされていた。
それはあの世界がゲームでないと困る、そんな感情がデバッグモードを操作する栄子から伝わっていたのだろう。
無意識か意図的か。
それはおそらく、栄子にも分からない。
けれど。
理屈で考える彼女を、感情的にさせるスイッチでもあったのだろう。
栄子は拳をぎゅっと握っていた。
「殺戮は、言い過ぎなんじゃないっすか……」
『少なくともあの世界の住人にとったら、創造神による殺戮さ。君もそれは理解しているのだろう? だからこそ、ゲームだと思い込もうとしていたのだから。そう思っていなかったのなら、そんな無駄な工作はしない。君は賢い子だからね』
どこかも分からぬ、謎の空間の中。
過去と現在、記憶と魔術の境があいまいな場所で。
本音を零れ落とすように。
歪んだ地面に向かい。
栄子が言う。
「あたし、悪いことをしたっすか? もう一度会いたくて……っ、あたし、天才っすから――頑張って動いてたら本当にもう一度会える場所に、会える位置に、手の届く位置に先輩がいて……っ。誘拐された人を取り戻したいと必死で動いた。それって、悪い事っすか? あたしが全部、悪いっていうんすか!」
はぁはぁ……と。
栄子の肩は揺れていた。
本音の吐露だったのだろう。
『それを決めるのは私じゃない。君自身で悩みたまえ』
「そうっすか、冷たいんすね」
『そうだね、冷たいね。突き放して悪いけれど、それが責任ってものだよ。けれどだ。君がしたことを私は褒める気にはならないし、なれないよ。けれど……そう、だけれどだ。なぜあの世界をああまでかき乱したのか、なぜそうしなくてはならなかったのか。その何故、理由だけは理解しているつもりだ』
魔猫師匠は言った。
『――君は本当に、彼を愛していたのだね』
「違うっすよ」
栄子は否定し。
言った。
「愛していたじゃなくて、愛している。今も、あたしは先輩を愛しているんっす」
栄子の言葉に迷いはなかった。
はにかむように、ハムスターのように微笑む。
恋する乙女がそこにいた――。
だからこそ。
魔猫師匠も悩んでいるのだろう。
知りたいのだろう。
悲劇の始まり――なぜ魂を取り込むあの世界が生まれたのかを。