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第104話、砂上の楼閣―聖女と魔猫と心の灰と―


 強大なる神達が見守る祭壇。

 不帰の迷宮の最奥。

 栗色の髪の乙女、聖コーデリア卿はケモノ達からの憐憫の視線を受けていた。


 明らかに次元の違う文字通りのバケモノたちに囲まれても、聖女が恐怖を感じていないからだろう。

 たとえ味方だと判断していたとしても。

 たとえ見た目だけはモフモフで愛らしい神々だとしても。

 このおびただしい魔力を直視すれば本能が怯むのだ。


 けれど。

 聖女はいつもの笑顔。

 ニコニコの聖女。

 いつでもおっとりとしているコーデリアがそこにいる。


「わたくしは……ここで怖がらないといけなかったのですね」

『義務ではないけれどね、それでもこれだけの神――邪神、主神、善神、破壊神に死神に冥界神。多種多様なる神々を前にして普段と変わらずにいられること、その時点で君は既に異質。どこかが壊れてしまっているのだろうね』

「わたくしが……壊れて……?」


 獣たちが聖女を眺めている。

 憐憫を込めて、眺めている。


『君は多くの物語を刻んできた。けれど、大きくその心を動かすことはなかったはずだ。復讐の炎も長続きはせず、かつての想い人であった聖騎士との再会にもさほども動じず。運命に翻弄された踊り子と社長の恋物語にも、ただ参加者として無難に役目を果たしただけ。唯一、心を大きく動かしたのだとしたら……それは母、クラウディアと似ていた女性アンドロメダとの出会いくらい。君は既に心を、感情を消してしまっているのだろう』


 魔猫師匠が過去視の魔術を発動させる。

 それは一切の隙のない、完成された過去視の魔術。

 この魔術のオリジナル、開発者はやはり魔猫師匠だったのだろう。


 肉球の先に、過去が見える。

 そこには涙消しの魔術と共に、ほぼすべての感情を捨て去った清らかな乙女がいた。

 以後。

 なにがあっても微笑み続ける聖女がいた。


「これはわたくしの……」

『ああ、君が涙消しの魔術を使ったしばらく後の過去だね。もう少し、巻き戻そうか』

「巻き戻す……とは?」

『おや、失礼。私は少し古い存在だからどうも最近の言葉は掴めなくて――巻きは余計だったね。ただ戻すだけだよ』


 聖女の物語が遡っていく。

 セピア色の思い出を辿る中。

 魔猫師匠が淡々と語り始める。


『涙消しの魔術とは、涙を止める乙女の魔術だ。辛いことや悲しいことがあり泣いたとき、それでも泣き顔を誰かに見せたくないときに使用する、ごく一般的な乙女の魔術。涙そのものを消すことと、そして同時に涙で濡れ腫らした顔もなにもなかった状態に治すこと。二種類の性質の魔術を同時に発動させる事から、単純に見えて複雑な構造の魔術なのだと言われている』

「師匠は何でもご存じなのですね」


 魔猫師匠は苦笑し、謙遜する。


『これは外の世界でも使われていた魔術だからね。おそらく、泣き顔をみせたくないという心はどこの世界も共通なのだろう。だから似た魔術が生まれ、似た名前の魔術名がつけられ、似た効果の魔術として魔術体系に組み込まれる。この世界でも乙女の心が開発した、優しい魔術だったのだろうさ。けれど――』


 魔猫師匠が過去視を眺めて。

 猫の瞳を、つぅ……っと細める。


『君は当時から優秀な聖女だった。魔術師として、一流の腕を持てる器だった。優秀過ぎた。それが不幸の始まりでもあったのだろう。見てごらん、あれが君の中から、君自身の手で消されていく心の欠片たちだよ』


 そこには涙消しの魔術を扱う乙女がいた。

 失恋だったことすら知らぬ、聖女がいた。

 その腕の中では、完璧に編み込まれた魔術式が回転している。


 涙消しの魔術の発動だった。


 今よりも若いコーデリアの、聖女の周囲から欠片が零れ落ちていく。

 もはや不要なものなのだと。

 こんなに悲しい思いをするのなら、もう二度と必要ないものだと。


 心と感情と共に、乙女の恋心が――さぁぁああぁぁぁぁぁ……っと、音を立て消えていた。

 それは崩れる砂上の楼閣か。

 乙女が長年をかけ育て上げていた心は、砂と化し、もう二度と戻らぬ灰となって散っていた。


 魔猫師匠が言う。


『当時の君とて、魔術は完璧に発動されていた。本気で。もういいのです――と、感情の全てを捨てる覚悟で詠唱したのだろう。聖女の本当の祈り。それは乙女の、心の底からの祈り。世界というものは聖女という存在が大好きなのさ。清らかだからね。だからこの世界の魔術も君の詠唱を肯定した、受け入れた。完全なる涙消しの魔術がすべてを流してしまった。愛も恋も、感情も。なにもかも。それが君の心の正体だ』


 灰となって散っている心。

 その粒を過去視の映像から掬いあげようと、聖女は手を伸ばす。

 手のひらには、砂が溜まる。

 けれど、指の隙間から抜け落ち――形となることはなかった。


 さぁぁぁぁぁぁっと砂はこぼれて闇の中へと消えていく。


 もう二度と。

 その砂は形とならないのだろう。


「わたくしは、もう二度と恋などできないのでしょうね」


 過去視の魔術の中。

 聖女の物語が動いている。

 今度は未来に向かって進みだす。


 過去視の中。

 聖女は感情を消した人生、昏く何もないものがたりを歩いている。

 カツリカツリ。

 静かなヒールの音がする。誰もいない道を、罵倒されながら聖女は歩んでいた。


 聖女と魔猫、そして外なる獣神達はその光景を眺めていた。


 人がだんだんと驕っていく姿が映っている。

 それは領民だった。

 既にクラウディアを失い、衰えていく領内には不満が溜まっていたのだろう。


 だから領主とその家族に不満の矛先は向かっていく。

 とても悲しいことが多くあった。

 とても語れないことが多くあった。

 けれど。


聖女きみは一度たりとも感情を動かしてはいなかった。もはやまともな感情はあの時の魔術で溶け、人間味のほとんどを捨ててしまっていたのだろうね。それはとても悲しいことだ。辛いと、嫌だと相手に伝えることができないのは、切ないことだ。それは君だけの問題ではない――それは君と相対する相手の心さえも歪めてしまったのだろう』


 口ではどのようなことをいっても。

 もはや捨ててしまった感情を真似ているだけだった。

 怖いと感じることも、それは普通ならば怖いと感じるだろうと演じているだけ。


『ニコニコニコニコ。聖女きみはどのようなことにも心を動かさない。人間もバカじゃない。領民も無能ばかりではない。勘のいいものは気付いていた筈だ。その微笑みは、ただ顔面に張り付けただけの虚像なのだと』


 だから当時の領民は彼女を人間としてみなすことができなかった。

 しようとしなかったのではなく、できなかったのだろう。

 それが民衆にとっても聖女にとっても領地にとっても、不幸の始まりだったのかもしれない。


 聖女がどこかで人間味をみせ、悲しい表情でも漏らせば結果は変わっていたのかもしれない。

 けれど、そうはならなかった。

 領民の子どもが言った。


 どうしてそんな風に言われても笑っていらっしゃるのですか?

 一番頑張っているのは聖女様なのに。

 どうして怒らないのですか?

 泣かないのですか?

 なぜ、そんなに――微笑んでいられるのですか。

 と。


 過去視の中の聖女は首を傾げていた。

 無機質で、けれど恐ろしい程の美貌の上に花の笑みを浮かべて言った。


「何のことでしょうか――? 申し訳ありませんが、おっしゃってる言葉の意味がよく、分からないのですが」


 と。

 賢き子どもは悟っただろう。

 本能的な恐怖を感じ取り、この領地の終わりも感じ取ったはずだ。


 子どもは幸福だった。

 裕福な親、話を聞いてくれる親を持っていた。

 だから、親は子どもの話を真剣に聞き、あの領地から去っていった。


 きっと、子どもには占星術や未来観測が得意な職業への適性があったのだろう。


 聖女はニコニコニコニコ。

 どんな言葉も、どんな要求も受け入れ完璧な笑みを浮かべていた。

 微笑んでいた。


 無償で蘇生を行い、無償で治療を行い。

 領民たちはそれが普通なのだと勘違いをしていた。

 なんでも許されると誤解していた。


 だから、当時、悪辣の限りを尽くしていたとはいえ――国の豊かさを保っていた、未来を読み取れる神子としてのミーシャ姫を支持するモノとて多かったのだろう。


 聖女には人の心が分からない。

 悪辣姫はイベントを知っていることで利益を齎し、どんな悪さでも許されるようになる。

 領民は二人の歪な乙女の影響を受け、ますます勘違いをさせられる。


 その破綻がどうなったのか。

 それは滅んだ領地、滅んだ国が証明したのかもしれない。

 全員が全員、歪んでいたのだろう。


 まともな人間は、とっくに逃げていたのだから。


『領主は善人で優しいが、優しすぎて浮世離れしすぎていた――そして君は心を知らぬ、何を言われても心を動かさぬ聖女……更に上には愚かな転生者の姫と、その姫に騙される王族ばかり。――きっと、まともな民はとっくに領地を見限り、他所へ向かっていたのだろうね。まともな人間が消えていけば行くほど、残されるのはどこかが足りない人間ばかり』


 不平不満ばかりをまき散らす民を眺め。

 魔猫は獣毛を萎えさせ、唸る。

 人間を憎悪する邪神たる顔で、師匠が言ったのだ。


『実に――人間とは下らない生き物であるな。領主が悪い聖女が悪い、姫が悪い、王が悪い、皇太子が悪い。こんな目に遭っているのは、自分のせいじゃない。他の誰かが悪い。ああ、今でも聞こえてくるこの声は好かぬ。我の力の源たる憎悪――人の悪性が、我が身を昂らせる。だが、我は知っている。人間とは輝かしい一面を持っている生き物だとな。だがその裏には、こうした醜さを隠している』

「良いところも悪いところも、人間なのでしょう。師匠は人間がお嫌いなのですか?」


 巨獣たる魔猫師匠の様子が変化し。

 くるりくるりと聖女の周囲を飛びながら。

 魔猫師匠の口から、敬虔なる神父のような声が響きだす。


『私はね、コーデリアくん。人間そのものは嫌いじゃないんだ。けれど、どうも好きにはなれそうにない。なぜ自らの手で道を切り開かないのか、なぜ、求めるばかりで行動しないのか。私には理解ができないよ。私も君のようにどこかの感情が欠落しているからね、人間という存在にはいつも――悩まされる』

「分からないのは師匠が強いからですわ」


 様々な出会いを果たしたコーデリア。

 あの日に感情を捨てたはずの乙女が、言葉を自らの中から探り――。

 灰となった心の欠片を拾い集めるように――。

 聖女は自分の言葉で反論する。


「誰かのせいにしないと生きていられない、誰かのせいにしてばかりいる。それはきっと、弱さが見せる裏返し――助けてほしい、守って欲しいと願っているだけなのです。自分では動きたくとも動けない、助けを求めることしかできない……弱い立場の存在とているのでしょう。師匠とて、弱かったころは誰かを恨んだり呪ったりしたのではないですか? 何故助けてくれないのかと、天を仰いで睨んだりしたのではないですか? 何故助けてくれないのか、そう思う心が不平を口にさせているのでしょう。その不平や不満はけして、醜い心から出る言葉だけとはわたくしには思えません」

『おや、参ったね――正論か答えかどうかは別として、弟子に説かれてしまったとは、師匠としての立つ瀬がないね。けれど、やはりごめんね、私には理解ができそうにない』


 いつもの魔猫師匠の口調に戻り。


『コーデリアくん。どうかな、やはり私と共にこの世界を抜けないかい? 君にとってこの世界はたしかに故郷かもしれない。心を灰にしてしまっても――君は優しいからね、今の世界には同情もしているのだろう。けれど、この世界に君が残るほどの価値があるとは、私には思えない。何度か探したのだけれどね、私にはその価値を見出すことはできなかったよ。いろいろと悩んだのだけれどね――私は私が気に入ったモノだけを、この箱庭から拾い上げるつもりだ』


 この世界に価値はない。

 それは異世界神としての、俯瞰した存在の言葉だったのだろう。


 神が魔道具のような、機械仕掛けの神ならば違ったのだろうが――神は神で意識がある。個性がある。考えがある。

 だから、全てを救おうなどとは最初から思っていない。

 自らが気に入ったものしか助けない。


 助けてもらえることが当然だと思っている存在に、手を向けたりしない。

 そんな神とているのだろう。


 しかし、コーデリアは言った。


「価値のない世界……。いいえ。わたくしは、そうとは思いませんわ」

『おや、何故だい?』

「だって、師匠とわたくしを出会わせてくれた世界ですもの。師匠は、わたくしとの出会いすら否定なさるのですか? 心の掠れた、もはや砂となり、灰となってしまったわたくしの心とて――それは悲しいと感じております。だからどうか、この世界をあまり虐めないでください」


 聖女は告げていた。

 自分の考えを、師匠にぶつけていた。


 それは聖女が灰の中から必死に拾い集めた、心の灰からこぼれた本音。

 あの日。

 聖女が捨ててしまった心の欠片だったのだろう。


 答えを聞き、師匠はチェシャ猫スマイル。

 まるであえて相手からその言葉を引き出そうとしていたような。

 とてつもないドヤ顔を浮かべ。


 くははははは!

 くははははは!

 と、大きな声が不帰の迷宮に響き渡る。


『なら、しょーがないね! 君が助けたいと願うのなら、私も最後まで付き合ってあげるとしようじゃニャいか!』


 聖女と魔猫のシルエットが、明るく照らされ始める。

 今、この瞬間の様子が保存されていく。

 それは三千世界と恋のアプリコットにはなかった、スチル。


 攻略対象、魔猫師匠の攻略完了の印だったのか。


 二人のやり取りの間も、過去視の魔術は進んでいた。


 過去の映像の中。

 独りで暗い道を歩く聖女の前に魔猫が現れた。

 魔猫師匠である。

 それはあの日の、あの出会いの瞬間だったのだろう。

 不帰の迷宮での出会い。弟子になったときの光景だろう。


 暗い何もなかった道に、光が差した。


 あの日捨ててしまった感情に、色が付き始めていた。

 僅かな光が生まれた道を、聖女は魔猫師匠と共に歩き出す。

 心を捨ててしまった聖女の物語に、少しずつ音が付き始めた。

 

 聖女の物語は進む。

 賢王との出会い、踊り子との邂逅。

 魔猫師匠と出会ってからの聖女の物語には、確かな色と彩が生まれ始めていたのだ。


 過去視を眺め。

 聖女が言う。


「ありがとうございます、師匠。わたくしを拾って下さって、闇の中を照らしてくださって――わたくしにはまだ分からない事ばかりですけれど、それでも、師匠と出会えてよかった。それだけは本当に、絶対に間違っていない感情なのだと……わたくしはそう思っておりますの」

『おや、そうかい? まあ、いいけれどねえ』


 魔猫師匠は照れているのだろうか。

 その言葉には曖昧な返事しかせず。

 こほんと咳払い。

 話を戻すが――さて、君は何が知りたいのかい? と、聖女に問いかける。


 魔猫は聖女から問いかけられた質問すべてに、答えを出した。


 負けイベ開始はもうすぐそこ。

 この世界で発生したすべての課金額に応じた、強大なイベントを前にして。

 聖女は隠しキャラともいえる、最後の攻略対象の攻略を完了したのだった。


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[良い点] このスチルがあるから前話でコタツきったのか。天井からおこたの光が。外に世界があったことを忘れそうだった。 どれほど祈っても、たとえ血反吐を口から漏らしても、ケトスにゃんがいる天国には到…
[良い点] 人間の男にトラウマ持っててもおかしくないだろうから、無難かもしれませんね。
2023/01/05 17:11 退会済み
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