第101話、たとえ世界を敵に回しても
木偶人形たちの再襲撃から数時間――急遽浮上したのは黒幕の仲間。
黄金獅子の王族オスカー=オライオン。
かつて聖コーデリア卿の婚約者だった男であり、現オライオン王国の代表ともいえる存在だったはずの人間。
当然、オライオン王国にどういうことかと尋ねるわけになるのだが。
そこはコーデリア。
既に転移の場所はオライオン王国の王城。
時とタイミングさえ違ったら、彼女が嫁いでいた可能性もある城である。
王の座標を目指し転移したのだが――エリアは謁見の間だったのだろう。城内に広がるのは豪奢な調度品ばかり。
獅子の国旗と、獅子の彫刻。
そして待ち構えるのは儀礼服で着飾り、掴む儀礼杖で足を支える老いた王族。
その王族は悠然と、転移してきたコーデリアに眼光鋭き視線を送る。
「やはり、来たか――聖女よ」
かつて獅子王とも呼ばれた王族に向かい、聖女はスゥっとドレス装備を摘まみ。
一切の隙も無礼もない、淑女のカーテシー。
「お久しぶりでございます、陛下。わたくしはコーデリア。コーデリア=コープ=シャンデラー。どうやらお待ちいただいていたようで……恐縮です。此度はご子息の件でまかり越しました――許可なき突然の顕現、平にご容赦くださいまし」
「此方こそすまぬ。本来ならば此方が出向き、弁明せねばならぬ所なのであろうが」
「いいえ、それには及びません。陛下のお身体でご無理は――」
聖女は告げて、そっと獅子王に向かい祈りを捧げる。
祈りは奇跡となり。
奇跡は祝福となり――老いた獅子王の足を治療してみせていた。
しかし治療といえども魔術は魔術。
それに強大な魔術師が突如、王の前に顕現したのだ。
近衛騎士と思われるものたちがギンと剣と瞳を輝かせるが――オライオン王国の王族、オスカー=オライオンの父たる獅子王は騎士たちを手で諫め。
「良い。かつてのクラフテッドの聖女殿が来るだろうとは、アレから聞いておる。剣を収めよ、魔術を控えよ。迂闊に仕掛けるのは愚策、ワシも我が身可愛い人の身――救世主とも語られつつある聖女殿に傷をつけた世界の反逆者となりたくないのでな」
聖女を出迎えた王は――冷静だった。
老いてなお貫禄を捨てきれぬ王族。
戦士としての覇気をいまだ保ち続ける戦える王。
獅子王ことオライオンの父。
既に王位は息子に譲っているのだろう、その頭には王の印たる冠は存在せず。
長い間、冠をつけていただろう僅かに凹んだ黄金色の髪と、額にその名残をみせていた。
対するコーデリア卿の供は道化師の上司、ミッドナイト=セブルス伯爵。
本来なら領地を侵犯されたイシュヴァラ=ナンディカからの使者か、コーデリア卿の上司となる山脈帝国エイシスの文官などが供をする状況なのだが――これも作戦。
夕方と夜の黄昏街の伯爵王ですら、すでに人間に協力している。
あの白銀野獣の吸血鬼さえ、コーデリア卿には一目を置いている。
そういった、分かりやすい圧力をオライオン王国に与える意図もあったのだ。
だが圧力など不要だったか。
或いは効果などなかったか。
獅子王は悠然としていた。堂々としていた。
弱き国家、設定として存在していただけに過ぎないだろうオライオン王国。
その獅子の王たる老人が近衛騎士たちに告げる。
「おまえたち、すまぬが――人払いを。そしてそうだな一時間ほど席を外してもらえぬか?」
「しかし、陛下」
「聖女の強さは承知しておろう。彼女が本気となればどこにいても、誰が護衛であっても同じこと。ならば余計な不興を買う必要もあるまいて」
獅子王の言葉に近衛騎士たちは目線で会話。
部屋から退室。
ミッドナイト=セブルス伯爵王が告げる。
『ふむ、余も席を外しておくべきかな――』
「ミッドナイト=セブルス……アンデッドの王。よもやそなたまで聖コーデリア卿に下っていたとは」
『久しいな獅子王よ。だがあいにくであったな――王族といえど、老いた男の血に興味もない。余はいく、聖女よ――終わったならば連絡をよこせ、この街は明るすぎて余には似合わぬ……』
伯爵王は長くを生きるアンデッドの王。
オライオン王国の王族とも接点はあったのだろうが、そこに深い関係性は見えない。
伯爵王のプラチナ色の獣毛装備が目立つ異装が輝き、その身が闇の霧に包まれていく。
キキキキキキィ。
霧と無数の蝙蝠となって謁見の間から離れたのだ。
もっとも、妖しき伯爵王の空気を醸し出していたが実際は、ファンシー。
ポメラニアンとしての性質を隠している伯爵王は欲に忠実、オライオン王国の街にグルメを買い付けに行っているのだろうが――。
一見するとそれは分からない。
なので空気はシリアスなまま。
残されたのは聖コーデリア卿と、オライオン王国の王族にしてオスカー=オライオンの父。
老いたる獅子王のみ。
獅子王が言う。
「懐かしいな。思えばほぼ面識のなかったワシの息子と、そなたの婚姻の話が舞い込んできた時。言葉を濁さず言えばミーシャ姫による圧力により政略結婚の話が来た際、婚姻の話を素直に受け入れたのは――聖女よ。そなたのその奇跡の力と噂を知っておったからであったか」
「奇跡とは優しいお言葉ですね。わたくしは知っております、お母さまが封印して下さるまで――心さえ見えてしまっていたわたくしには、わたくしの力は奇跡ではなく、バケモノだと……そう畏れられていました。心のどこかで、ずっと、怯えていた皆様の心を知っております」
獅子王は否定をしない。
その皴も目立つ口から、言葉が漏れる。
「ふむ、バケモノか」
「ご子息とバケモノの婚姻のお話。それは陛下にとってもあまり、快い話ではなかったのでしょう」
「さて、どうであろうな。心を読めばよかろうて」
「心とは不意に流れ込んできてしまうもの。わたくしは、あまり……不必要に心を読みたくはないのです」
「優しいな、クラウディア様とよく似ている」
「お母さまをご存じなのですか?」
聖女の問いかけに、獅子王はどこか遠くを眺める顔で。
おだやかに。
瞳を閉じ――。
「クラフテッド王国とその大国を取り巻く小国。特に我が国のような属国扱いであった国ならば、知らぬ者はおらぬだろうよ。彼女は不思議な女性であったからな、ああ、本当に……とても不思議な女性だった。自らをバケモノだと知りながら、それを気にせぬ豪胆な一面もあった。いつであったか、まだクラフテッドの王が健在であった頃――余は彼女を宮中晩餐会で見かけたことがあった――。声を掛けようとした、しかし、おいそれと話しかけられる空気ではなかった。怖気づいてしまった余の代わりに、彼女を踊りに誘ったのが――」
「わたくしの、お父様。ですか?」
「彼らはすぐに恋に落ちた。怖気づいてしまった余が言える立場ではないが、そなたの父に横から奪われてしまった形となる。と、それはさすがに言い過ぎか。……そういえば、あの領主はどうしておる。姿を消したとの話だが」
「陛下は異世界については」
獅子王は考え。
「一応は知っておる。まあ知っておると言うても、実在するという報告だけを受けたのみ――知識などほぼない。宮廷魔術師どもが外から入り込んできた魔術の存在を知り、外の魔術があるのならば外の世界があると、理論のみを走らせておったからな。しかし、そうか。その口ぶりからすると領主は外の世界に旅立ったのか」
「はい、母を亡くしてから独り身でしたから……。その心の傷と寂しさを優しさと温もりで包んでくださる、新しい伴侶……屋敷妖精の方と新しい人生と新しい道を、選ぶ勇気を取り戻してくれたようで」
「そうか――あやつが」
獅子王は天を仰ぎ。
何を考えるのか。
獅子王と聖コーデリア卿の父と母。そこには彼らの物語があったのだろう。
「新しい伴侶も、妖精……か。そなたの父は優秀であったが、人に騙されやすかった。人にいいように使われる男であった。あやつはおっとりとしていて、人当たりもよく、のんびりとしすぎている所があったからな。だが、そんなところが女の目をよく惹いた。守ってやりたい、包んでやりたいと言いよる女は多かった。もっとも、奴はあまりそれに気付かず――自然と無自覚に女を振っておったわ。だが、人ではない者からすると……そこがより魅力的に見えたのだろうな。人ではない美女に好かれるのも、昔から……。っと、すまぬ、娘の前で語ることではなかったか。忘れてくれると余は助かる」
「陛下のお話は長いですから、覚えておきたくとも難しいかもしれませんわね」
「ふむ、年寄りの話は長いものだ。まあよい、話を戻すが……息子とそなたの婚姻の話を快く思っていなかったか、そんな話であったな」
心を見透かす、心を暴く聖女。
無難な言葉で言えばたしかにコーデリアは聖女だった。
しかし、民たちの本音を代弁するのならおそらくは――クラフテッドのバケモノ親子。
そんなバケモノとの婚姻の話。
波風が立たないわけがない。
「父として、親としてはその通りであろうな。だがこのオライオン王国の王としては、悪い話でもなかった。悪辣姫、傾国の姫。悍ましき転生者ミーシャの我儘や気まぐれの結果で、ワシの息子とそなたの婚姻の話がやってきた。あの姫はそなたを軽視していた、その力の有用性を甘く見ていた。けれどワシはそなたの母を知っておったからな。その力を継いだ存在ともなれば、この国の繁栄のためになるだろうと考え。息子に言ったのだ」
コーデリアを娶れ。
バケモノを掴め。
バカ息子よ。お前は国のための生贄となれ、と。
獅子王の口から次々と歯に衣着せぬ言葉が紡がれる。
「酷い親であろう」
「王としては正しき判断であったと存じます。クラフテッドが衰退する前、当時のオライオン王国はお世辞にも安泰の国とは言えませんでしたから。陛下がご子息を政争の具としても仕方がなかった事かと」
普通ならば否定する場面であっても、天然聖女は空気を読まない。
獅子王は噂通りの聖女に苦笑を浮かべて、息に言葉を乗せていた。
「正直は美徳、か。もう少し言葉を濁して欲しかったものだが」
「まあ、わたくしったら。つい……申し訳ありません」
「いや、すまぬ。責めているわけではないのだ。ともあれ、余の言葉に息子は反発しおってな。そなたへの当たりが強かったのも、余に命令されたという不満もあったのだろう……そう思うのは親の欲目だけではないとワシは信じておる」
当時のことはあまり考えたくないのか。
困った顔でコーデリアが言う。
「陛下、昔のお話にも大変興味はあるのですが――」
「そうであったな、振り返ってばかりでは何も進まぬ。これから先のことを見るべきか」
「ご子息はこの世界を滅ぼそうとしております」
「そのようだな」
「わたくしは人の心が読める、読めてしまうバケモノです。だから嘘を言っているかどうかも分かってしまいます……」
先ほどの次元の隙間からのやりとり。
黒幕と思われる存在と行動を共にしていること。
コーデリアの説明に、獅子王は頷き。
「息子は余に頭を下げ――ここを離れた。既に戴冠の儀も終わり、とっくに王であるというのにあやつはこの国を捨てた。いともあっさり、女のためにと投げ捨ておったわ。まったく、バカだバカだとは思っておったが、これほどとはな――」
息子を罵倒する言葉とは裏腹。
どこか獅子王の表情には温かみがあった。
「噂は流れていたようでしたが。やはり、既に跡は継がれていたのですね」
「……つかぬことを聞くが、息子について、聖女よ――そなたはどう思っておるのだ」
真剣な問いかけだったのだろう。
だから聖コーデリア卿は真剣な顔で応じていた。
「正直申しますと、本当に……忘れておりました。もはや、二度とかかわりあう事もない方と……そう思っておりました。だから、分からないのです。あの方は、わたくしをその……」
「いまだ、愛しているのだろう」
「はい、なぜこのようなわたくしを――そう思い、不思議で不思議で、わたくし。なにがなんだか分からなくなってしまいましたわ」
戸惑う聖女はそれでもなお、美しかった。
それはクラウディアの面影でもあったのだろう。
かつてあった可能性を惜しむ、懐かしむような表情から不意にこぼれたのだろうか……。
獅子王の吐息が過去への想いの言葉となったのか。
部屋に。
深い色を感じさせる言葉が流れた。
「あのバカ息子は、余に似たのであろうな――」
「陛下?」
「いや、遠き過去の思い出よ。ともあれだ、聖女よ。息子は本気でこの世界を壊すつもりでいる、王を捨て、国を捨て、世界を捨て。全てを敵に回してでも救いたい女なのだと、あやつは余にそう告げた。この世界がある限り、必ずあいつは不幸になる。だから、解き放ってやりたいと力強く語っておったよ、あのバカは。実際、今の世界を見ておるとその言葉も理解できる、聖女ならば聖女ならばと自分たちが助けなかった聖女に向かい助けを求めておる。この世界がある限り、そなたは自由になれぬ……それはあながち間違ってはおらぬのだろう。故にこそ……おそらく死んでも考えを変えぬであろうな……」
親としての声が、獅子王の口から漏れる。
「聖女よ、コーデリアよ。どうか……バカ息子を止めてやってはくれぬか」
獅子王の言葉に曖昧な笑みを浮かべ。
聖コーデリア卿が言う。
「ご子息と共に動いている女性……歴史の裏で天使を操り続けていた存在について、なにかご存じありませんか?」
「すまぬが――」
「そう、ですか――」
コーデリアがオスカー=オライオンではなく黒幕についてばかり気にしているからだろう。
実際、敵となるのはデバッグモードを扱えるそちら側。
聖女の判断は間違ってはいない。
しかし――。
老いた王は忠告するように言葉を挟みこんでいた。
「聖女よ、油断はするでないぞ。もし息子を敵側の戦力として数にいれていないのなら、それは些か浅慮と言わざるを得ん」
「オスカー=オライオン様のことですか?」
「親の欲目と聞こえるやもしれぬが、心を読めるそなたならば余の本気も理解できるだろう。余は聖女よ、そなたに警告する」
そうして。
世界を敵に回してでもと、世界の敵となった男の親は言った。
「息子は強い。おそらくは、そなたと同じほどにな」
コーデリアの顔が一瞬、困惑に染まる。
表示されるメッセージウィンドウにも、同じ心の言葉が流れているのだろう。
少なくとも、獅子王はコーデリアと同等の存在だと、息子を判断しているのだから。
「息子は”不帰の迷宮”を制覇した。そういえば、余の言葉が戯言ではないと理解もできよう」
「不帰の迷宮……を!? そう――ですか」
そうして聖女は思い出す。
血の鋼鉄令嬢アンドロメダの事件の時。
魔猫師匠は語っていた。
ダンジョン制覇者がでそうなのだと。
当時、師匠は姿をしばらく隠していた。
だから本当に――。
オスカー=オライオン。
彼は強さを手に入れたのだろう。
かつてのコーデリアと同じように。