第100話、会話フェイズ―黄金の獅子たる男―
全ての空気を破壊する聖女。
マイペースなる魔猫の弟子にして、本人もマイペースな聖コーデリア卿。
彼女のいわゆる、「誰だっけ?」の発言に唖然としていた黄金獅子、オスカー=オライオンは次元の隙間のアンデッドを掻き分け、野心的な美貌を輝かせ。
くわっ!
『は? いや、オレだぞ、オレだ。分かるだろう!?』
「そのぅ……」
聖女は頬に手を当て、困った顔。
「ごめんなさい、存じ上げませんわ……」
追撃の一言。
婚約者の事は、ふつうは忘れない。
まして男は酷い男であった。
そう、ふつうは忘れないのだ。
普通なら。
コーデリア=コープ=シャンデラー。
普通ではない彼女の天然は、こんな時にでも全開で発動されていた。
次元の隙間の奥で声が漏れる。
『くそっ、困る顔も可愛いじゃねえかっ』
忘れられていたのにこの余裕。
相手は相当に聖女に惚れ込んでいるのだろう。
喪服令嬢がさすがに呆れた声で言う。
「コーデリア、あんた――本気で覚えてないの……?」
ヴェールの下でジト目を作っているだろうかつての友に近づき。
聖女はきょろきょろと周囲を見渡し、ひそひそひそ。
こそりと皆の前で耳打ち。
「はい……あの、わたくしが……本当に知ってる方なのですか?」
「いや、あんた……どんだけ小さい声で話しても、たぶん魔術で盗み聴きされてるから相手に聞こえてるっての」
「……まあ!」
耳元で叫ばれ微妙にダメージを受けつつ、喪服令嬢が唸るように叫んでいた。
「まあじゃないわよ! あのオスカー=オライオンよ、それと耳打ちしてる時に、耳元で大きな声で驚かないで! 普通に鼓膜が破れるから!」
「ご、ごめんなさいミーシャ。わたくし驚いてしまってつい」
「ついじゃないわよ、あと! ミーシャって普通に言わないで! それもあんまり口に出して欲しくない名前なの、分かるでしょう!?」
コーデリアによる治療でダメージを受けた鼓膜を回復しながら、はぁ……。
喪服令嬢は言う。
「ともかく――この声の主はあたしたちの共通の知り合い。あんたのかつての婚約者だった、オライオン王国の皇太子よ。あの下劣な発言とわりと下半身だけで生きてますって感じの行動ばっかりだった……。そりゃまあ、あたしが言うのは……その、お前が言うな案件かもしれないし、政略結婚みたいなもんだったから思い入れもないんでしょうけど」
「そういえば、ありましたわね、そんなことも――」
「あんたも酷い目に遭ったでしょう……てか、あたしの次に恨むべき相手でしょう」
「わたくし、追放された後に師匠といろいろな異世界を旅し、修行をしましたから。本当に、多くの修行と時を過ごしているのです……ですから、結構、昔のことに感じてしまっているのかもしれませんわね」
まるで既に人の器を超越した、まるで不老だと言わんばかりの聖女の言葉に引っかかるものを感じたのか――。
喪服令嬢がヴェールの下で眉を顰めたのだろう。
「多くの時って……あんた、まだ十六とか、十七でしょう?」
「魔術とは時空も次元も超越する力。師匠の修行は仮に、過ごした体感時間のみを年齢とするのでしたら、わたくし、今の二倍ほどの年齢になりますでしょうし……。あ、でも、年上相手のように敬語を使っていただく必要はございませんのよ? いまさらミーシャから敬語を使われるのは、その、なんだか少し気持ち悪い気もしますし……」
「気持ち悪いって……あんた、本当に無自覚に言葉選びを失敗するわね。ああああ、もう慣れてるから、そこまで気にはしないけど……っ」
ぐっと怒りをこらえる喪服令嬢に、聖女が言う。
「それで、どうしましょう?」
「どうしましょう……って――どうするのよ、あいつ、いまだにあんたにご執心みたいだけど……」
「……そうですわね」
こほんと咳払いをしたコーデリアは、堂々と次元の隙間の向こうに向かい。
「ごめんなさーい、わたくし~、あまりあなたのことを覚えていませんの~! なにか粗相があったのなら、申し訳ありませんわぁ!」
シリアスな場面な筈の空気は既に切り替わっている。
自分を好いているだろう相手に忘れていたと言い返す、その時点で粗相の塊なのだろうが――普段から相手の苛立ちポイントを無自覚に突いてしまう聖コーデリア卿は、マイペースなまま。
さすがに相手の反応も遅れている。
マジかぁ……とドン引きする喪服令嬢の口から漏れた言葉が、周囲の今の状態を表していただろう。
しかし、澱む空気とは裏腹に相手にはやはりだいぶ余裕があった。
玉座の間に雄々しい声が響く。
『ふむ、そうか忘れられちまっていたのは寂しいが――まあ構わねえさ、これからまた二人の関係を築いていけばいいだけの話だ。なあそうだろう? コーデリア、力強くも哀れな聖女よ。安心しろ、これからはオレがお前を全ての悪意から守ってやる、永遠にな。オレはお前を愛している、今も昔も、ずっとな――』
「えーと……」
それはむき出しの愛の告白だったからか。
さしもの聖女も困惑していたからだろう。
困惑する聖女を守るように喪服令嬢が前に出て、コーデリアを庇い矢面に立ち。
「ちょっとオライオン! あんたなにやってんのよ! 世界をどうとか言ってたし、黒幕と繋がってるみたいだけどなにがどうなってるのか説明しなさい!」
『ああん? 相変わらず羽虫みてぇにうるせえ女だな』
「あんたこそ、相変わらず度量の小さい男ね」
『ああ、キンキン声でうるせえうるせえ――。てめえと会話する義務がこっちにはねえんだよ。だいたいてめえ、なんでコーデリアと一緒に行動してやがる。あれだけのことをしておいて、まさかてめえ、自分がもう全部許されているとでも勘違いしてるんじゃねえだろうな?』
「あんただってコーデリアには酷いことをしたでしょう!」
人の事ばかりは言えないでしょうとのツッコミであるが、オスカー=オライオンは存外に穏やかな声で返答する。
『そりゃあ確かにな。だが、考えてもみろ、コーデリアがオレの妻となるという事は後の王の妃となるって事だぞ?』
「それがなによ」
『あのままで妻となるのは、さすがのオレもまずいと考えただけだ。なにしろコーデリアは我が強すぎる、そこが可愛い部分でもあるが、それはあくまでも普通の男の嫁だから許されること。王の妻、王妃となるのなら少し問題だ。無意識に相手の神経を逆なでするのが得意だってことは、ミーシャ、てめえが一番知ってる事じゃねえか?』
「そ、それはまあ――」
相手に押される喪服令嬢。
その隙を見逃さずオスカー=オライオンの声が続く。
『だからオレさまは躾と称して、脅すつもりで話に乗った。てめえの悪事の途中まで従いはした。だが思い出してみろ、オレ様はあくまでも脅すだけのつもりで、本当に不帰の迷宮に追放するつもりはなかった。おまえはオレとコーデリアの両方を騙していた――違うか?』
「そうね――でも話に乗った時点で、あなたもだいぶどうかしてると思うけれど。脅しと恐怖で性格を矯正しようだなんて、考えが野蛮よ」
『見解の相違だな。コーデリアの浮世離れした性格はお前が一番知っている筈だろ? 悪辣姫。あのままの性格じゃあ将来の王妃としては問題だ、矯正してやるのが夫の優しさでもある。直してやらずに娶る、それはどうかと思わねえか? 周囲から無礼な王妃だと笑われ、距離を置かれ、恥を掻くのはオレよりもコーデリア自身だ。それを見過ごせと?』
弁解や弁明の言葉でもあるのだろうが。
喪服令嬢には届かず。
「だから厳しく直してやるつもりだったって? そういう見方もないとは言わないけど、随分とあんたに都合のいい考え方ね」
『それはお前が現代文明を知っている世界から来た異物だからだろう? オレたちの世界ではこれが普通だ。なにしろオレたちはお前たちの世界によって作られた。お前たちの世界の神々による設定――世界に埋められし世界の核、設計図により、そうあるべきだと作られたのだからな』
相手の姿は見えないが。
その視線は道化師クロードに向かっている。
『まあ作ってくれて感謝ぐらいはしているがな。今やオレたちの世界は現実だ。はじめはゲームだったのかもしれねえが、まぎれもない命がある。今を生きている。こうして――愛する女を手に入れたいという願望がある。これこそが生きている証でもある』
「そう、でも論点がずれてるんじゃない? あなたがコーデリアにしたこととは関係ないでしょう?」
『そうだな――そりゃそうか。まあ、オレは自分の過ちを認めたくねえだけかもしれねえ。それは認めてやってもいいか。ああ、あの時のオレは狭量で井の中の蛙で、小さい男だったという事だろうさ』
妙に達観した声に違和感を覚えたのだろう。
「なにそれ、自分は違う。反省している。今の自分は悪いことをしていないとでも言いたいの?」
『言わねえさ』
「どれだけ言い繕っても、あんたがしたことは変わらない。あたしよりはマシってだけで、あんたはあたしに脅されコーデリアを助けようともしなかった。それなのに愛している? 少し図々しいんじゃない? 恥ずかしくないの?」
『どれだけ言い繕っても――か。それはオレに言ってるのか? それとも自分にか?』
指摘された喪服令嬢が一瞬、言葉を探す隙に。
声の主は続けざまに言った。
『恥じるべきは、お前だろう。ミーシャ』
「お生憎様ね、あたしはね――図々しく生にしがみついている自分を恥じてはいないの」
『いいや、てめえは恥じることになるだろうさ。天使に促された転生者どもは、阿呆みたいにガバガバ課金とやらをして寿命を捧げ、我欲の限りを尽くした。その中でも課金額のトップは、てめえだって話だ』
「なにが言いたいの」
『世界で一番その世界に課金をした女、それがてめえだってことだ、ミーシャ。その課金のせいでこの世界は滅ぶ。何を言っているのか、分からねえだろうな? オレだって本当にはよくわかっちゃいねんだよ、なにしろこっちの世界の情報は理解できていねえからな』
オスカー=オライオンは転生者ではないので、課金と言われてもピンとこないのだろう。
しかし、ミーシャもコーデリアも道化師も国王キースも今の話にはピンと来ていた。
天使を操り転生者に課金をさせること自体が、黒幕の目的だったのだろう、と。
そして黒幕はずっと、転生者に課金をさせ続けていたとも気付いている。
そうとも知らずに次元の隙間の向こうから、勝ち誇った凛々しき声が伝ってくる。
『お前たちは何も分からぬままに殺される。滅ぼされる。そして強きコーデリアだけは生き残る。そうすれば慈悲深い聖女、オレのコーデリアがそんな世界にいつまでも縛り付けられることもなくなる。完璧な作戦、完璧な計画だ』
『喋り過ぎだ――やつらに情報を渡すな』
同席しているだろう黒幕の、愚かな獅子騎士を諫める声が響く。
声を加工しているのだろう。
本来なら男か女かも分からぬ筈だったが、既にオスカー=オライオンの失言で性別が女だとは確定している。
『ああん? 大丈夫だよ、分かりっこねえって』
『あちらには道化師クロードがいる。世界のシステムについて彼以上に詳しい者はいない。おまえも愛する女を救いたいのなら、黙ってこちらの指示に従え』
『ああん? うるせえ女だなあ、てめえだって愛するオト』
『情報を渡すなと言っているだろう!』
オスカー=オライオンの性格に、黒幕は上手く対応できていないのだろう。
その隙を見つけたのか。
様子を窺っていた道化師クロードが、はてはてはて、と演技じみた仕草で大げさに首を傾げ。
話術スキルを発動させる。
「大変申し訳ないのですが、すみません――あなたたちの計画はもう見抜いておりますよ?」
『ほう、言ってみろよ。オレさまにだって分からなかったんだ、道化師ごときに理解できるのか?』
オスカー=オライオンの勝ち誇った声に、道化は喪服令嬢をちらり。
自分だけではなく、もう皆が知っていると知らせる意味があるのだろう。
かくかくしかじかにより情報を得ている喪服令嬢が言う。
「あなたたちは負けイベを利用して、世界を終わらせようとしている。おそらく、いままで三千世界と恋のアプリコットのキャラに転生してきた転生者、その全員がプレイヤー判定を受けているわ――だからこの世界に生きた全員の転生者、歴史の裏で動いていた彼ら、全員の課金額の合計に応じた”未曾有の負けイベ”が発生するんでしょう? それなら知ってるし、もう理解してるし、対応できるように動いてるわよ?」
既にネタは割れている。
だからだろう。
オスカー=オライオンの、凛々しき声が驚嘆となって漏れでていた。
『……は!? なんで知ってやがる?』
『おい……っ』
次元の隙間の向こうで、黒幕がうなりを上げ。
『な! なぜそうも簡単に敵に情報を漏らす! おまえ、バカなのか!? 今のはどう見ても、こちらから情報を引き出す罠。相手には確信がなかっただろう!?』
『ああん? うるせえな! バレちまってるなら仕方ねえだろう!』
『このバカ! だから確定情報にさせるなと何度言えばいい!』
バカバカバカと言われ続け、カチンと来たのか。
オスカー=オライオンからも獅子の如き唸りが響く。
『バカじゃねえ、ざけんなよ! だいたいだ、バカかって文句を言いてえなら、オレの設計図となったキャラとやらを作ったお前の仲間に文句を言いな!』
これで黒幕が開発者の一人だと確定となった。
『もういい、もう何も語るな――とにかくそういうわけだ。三千世界と恋のアプリコットで生きるモノたちよ、おまえたちに負けイベを乗り越えられるとは思えぬ。慈悲はない。そのまま世界ごと壊れて消えろ』
『おい、まだコーデリアと話が!』
『うるさい! これ以上情報を筒抜けにさせるか、バカものが!』
魔力で加工された、いわゆる機械音声はプツンと消え。
次元の隙間が閉ざされた直後。
喪服令嬢が口を開いた。
「なんなのよ、いったい……てっきり負けイベ発生を防ぐために、あたしを殺しに来たのかと思ったら――そうじゃないし。オライオンのバカ、あいつ、前からバカだったけど。ふつう、あそこまで自分側の情報を漏らす?」
「ふふふ、そうですわね。こんなわたくしをまだ愛しているだなんて、そう……心の底から慕っているだなんて。本当に……お馬鹿な方なのでしょうね」
「なに? なんか含みのある言い方ね」
心が読めるコーデリア卿は喪服令嬢の言葉に、直接的には答えず。
「内緒です」
――と。
何かの秘密を共有するかのような言葉と。
受けた告白への困惑の笑みを浮かべていた。