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第010話、聖女の亡命


 その聖女は突然に現れた。

 時は深夜。

 場所は、畏れ多くも皇帝の寝室である――。


 栗色の髪の乙女は月光を背に、語り終え。

 美女と美少女の狭間にあるふわりとした美貌を、ふっと緩めていた――。

 名はコーデリア。

 コーデリア=コープ=シャンデラー。


「――という経緯でここに参ったのですけれど、あら? 陛下、どうしてそんな貌をなさっていらっしゃるの?」

「ふむ……どうしてと申すか」


 平和なる国クラフテッド王国から山を一つ隔てた土地にある、辺境の国。

 クラフテッド王国とは国交を開いていない山脈帝国エイシス。

 帝国でも魔術の研究は進んでいるが、さすがに聖女が転移してくるこの光景は異質。


 名君と称される賢王ダイクンは突如空間転移でやってきて、亡命させて欲しいと願い出た娘にどう対処したらいいか頭を悩ませていたわけである。

 皇帝が言う。


「時は深夜。恐れ多くも、王の寝室であるぞ?」

「申し訳ありません、初めは冒険者ギルドや教会を通そうとしたのですけれど……嘘をつくなと追い返されてしまいまして。だったらいっそ、直接に陛下と謁見させていただければ楽だな~、と思い立ったら」

「こうして無礼を働いたと――なるほどな」

「信じていただけませんか?」


 冤罪で国を追われ、亡命したいとの事だが。


「ならば問うが、領主の娘よ」

「元でございますわ」


 目の前の乙女は訂正を要求するように、にっこり。


「元領主の娘よ。そのような話、どう信じろというのだ」


 追放されたダンジョンを制覇し、最強の魔導書を手にしたから復讐のために領地をくれ。売れない三流吟遊詩人といえど、そんな与太話を披露しないだろう。

 本来なら不届き者と追い払うか、多少の金でも渡して放逐するのだが。

 賢王は悩んでいた。


 賢王ダイクンは白銀の髪をかき上げ考える。

 鷹を彷彿とさせる鋭い眼光、白銀の髪とダークスキン。闇のエルフにすら間違われる端整な男の美貌を月光と魔術照明が照らしている。

 実際、娘は最上位の魔術師ですら習得困難な空間転移を自在に操り、この場に現れたのだ。


 それに、美しい。

 まだ若い賢王ダイクンにとって、美しい娘というのはそれなりに重要な要素であった。


「そうおっしゃられましても、事実なのだから仕方ありませんわ」

「聞かせよ、娘。仮にだ、もし余がこの話を断ったとしたら、そちはどうするつもりだ」

「別の国に向かうだけの話ですわ。正直に申し上げますと、わたくしを追っているクラフテッド王国と国交を断っている地を順番に回るつもりですの。亡命者を受け入れてくれそうで、なおかつ無駄にしている土地がありそうで、一番近い場所がここ山脈帝国エイシスだっただけですし……まあ、緑がきれいな場所という理由も、一応ございましょうか」


 ふむ、と。

 賢王は喉を潤すための夜のグラスを傾ける。

 娘に嘘をついている気配はない。

 たしかに。山脈帝国といわれるだけあってこの国には人が棲むに適さない場所が多くある、余って無駄にしている領土は存在する。


「まあ良い。その勇気と度量に免じて、王の寝室に入り込んだ罪は許そう。退屈もしていたからな」

「王様ですのに、退屈でいらっしゃるの?」


 賢王は自嘲気味に吐息を漏らした。

 酒も入っていた。

 突然の美女の来訪に浮かれていた。


 退屈な王としての暮らしに突如現れたこの娘は、王にとって良い暇つぶし相手だったのだろう。

 だからうっかり愚痴をこぼしていた。


「それだけ余は良き部下に恵まれておるということだ。余が口を出すよりもあやつらの方が賢い。余が賢王などと言われているのは、ただ任せるのがうまいだけ、皮肉な話であるな」

「羨ましいですわ」

「なに?」


 片眉がピンと跳ねていた。

 無礼を叱ろうと開いた瞳に、乙女の貌が映り込む。


「臣下の方を信じていらっしゃるのですね」

「……」


 虚を突かれた。王は何も言えなくなってしまった。


「わたくしはもう……、そこまで部下や民を、いえ人間を信じることができなくなってしまいましたもの」


 娘は悲しい微笑を王に向けて、漏らした。

 物悲しいが、美しい笑みだった。だから王はわずかに目線を逸らしてしまった。


「王を前にして自分語りとは、なかなかどうして傲慢な娘だ」

「まあ、嬉しい。そう言っていただけるということは、わたくしも変わることができたということですのね。このわたくしが傲慢だなんて、ふふ」

「そちは、変な娘だな」


 王は、娘のさびしい微笑みに惹かれそうになっていたのだ。

 なぜか胸が鳴っている。

 賢き王はこれが恋の始まりなのだと冷静に判断していたが、即座に否定をする。

 余に恋など、似合わぬ――と。


 そこでようやく王は思い至った。

 ありえぬのだから。

 これは夢なのだと。


 自分が娘ごときに心を動かされる筈がない。それに、やはり空間転移を扱う娘など実在する筈がない。

 まあ、悪い夢ではない。

 そう思ったのか。

 だから、気軽に言った。


「よかろう、元領主の娘コーデリア=コープ=シャンデラーよ。亡命を認めよう、その勇気と愚かさへの褒美である――お前に僅かではあるが土地もくれてやろう。治める許可もな。余の傘下として名を連ねる誉れを歓喜せよ」

「まあ、よろしいのですか?」

「ふふ――だがはやるな、面白おかしい聖女よ。ただし条件がある。これでも民から国を預かる身、無償というわけにはいかぬ。そして、余にも楽しみというモノが欲しいではないか」


 どうせ夢だ。

 少しぐらい下卑た発言をしたとしても許されよう。


「もし統治をしくじったら、そなた、余の后となれ」

「まあ」


 乙女の貌がほんのり赤くなったのは魔術照明のせいだろうか。

 照れて赤くなるその貌はますます美しいと、王は感じていた。


「后。お嫁さんのことですわよね」

「その通りだ、余では不服か?」


 彼は傲慢であり、更にその容姿と肉体に絶対の自信があった。

 ローブの隙間から、まだ若く瑞々しい肉体が覗いている。


「伴侶というモノは愛がなければなれませんわ」

「安心しろ、もし本当にそうなったら愛してやる。そなたは美しい――」

「愛だなんて。まあ。どうしましょう、わたくしまだ殿方と手を繋いだこともありませんのに」


 王も男なのだろう。

 その端整な唇が薄らと開かれる。


「なんと……くく、純潔とは――これでは本当に優しく愛してやらねばならないようであるな」


 銀髪の隙間から、力強い男の瞳が覗いている。

 乙女はわずかに考え。

 王の冗談と見たのか。


「それくらいのリスクを承知で旅に出たんですもの、決意しましたし、承知いたしましたわ。もしそうなった場合はなんなりと。では契約書をご用意させていただきます」


 言って、聖女は未知の魔導書を開く。

 顕現したのは一枚の羊皮紙。

 指定された領地の場所は――すでに無人の地。


 到底、人の住める場所ではない暗黒地帯と呼ばれる枯れた場所だ。

 たしかに、ここならばどうせ無駄なのだからと領地を貸し与えることも可能。税収も権利も自治権も、全てが常識の範囲内の数値が明記されている。

 もしこれが夢ではなく現実だったのなら、この娘はさぞや良き領主として民を従え、国に仕えていたのだろうと王は感じた。


 これなら貸し与えても損はしないし。

 有益となれば少ない投資で大きな見返りを得ることができる。

 だが、賢すぎる。まるで誰かに帝王学でも習ったかのような手腕だと王は感じる。

 だからこそだ、これを夢だと確信した。


「なんとも、夢のない夢だ」

「陛下? なにか仰いまして?」

「いや、なんでもない」


 こんな美しい聖女との夢の中まで現実的。王としての思考が脳裏を占めているのだろう。夢なのに、随分と夢のない話だ。目の前の娘だけは夢で見るほどに美しい、それだけは救いか。

 王は少し、自らを呆れていた。


 どうせ夢ならば、目の前の美しい娘を己が欲望のままに開けばいいというのに。夢の中であっても、心清らかな乙女に配慮をしていたのである。

 そんな男の欲望を知らずに、少女は言った。


「それでは陛下、問題がなければサインをお願いしますわ」

「余の后ともなればむしろ褒美であろうに、まあ良い。どうせこれは夢だ」


 と。

 余は飾り物の皇帝であるが。

 サインだけは既に達人だと、皮肉を覚えながらしたためた。




 ◇




 翌朝。

 娘の姿は消えていた。

 やはりただの夢であったと、賢王は眉を下げる。


 美しい娘であった。

 だが、所詮は夢だ。

 王は変わらぬ日常をこなすべく、引き締まった筋肉の隆起が目立つ長い腕を上に伸ばす。健康が王の仕事だと潤う肌はみずみずしい。


 太陽を反射する白銀の髪を掻き上げ――。

 違和感を覚える。

 なにかが違っている。


 ふと王はナイトテーブルの上に目をやって、眉間に手を置き考える。


「なぜ夢の中の契約書がここにあるのだ」


 だした結論が。

 きっとまだ夢の中なのだ。

 なにやら城内が騒がしいが。


「陛下、起きてください陛下!」


 部下の声だ。


「なんだ騒々しい。クラフテッド王国でも攻めてきたか、或いは魔物の群れでも現れたか?」

「その可能性もございます、直ちに御起床を! 突如領内……暗黒地帯に、謎の大迷宮が出現した模様です!」


 ただ事ではない気配に、賢王ダイクンは飛び起きた。


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