第92話 『泥のモンスター』
日が暮れてきてバーク大森林が闇に包まれ始める頃、やっとシャノシェの惚気話が終わった。
「ふぅ……」
ここはキャンプ場。
相変わらず丸太に座るレイは、一息つく。
「女の子のため息、ごちそうさんでした」
「きゃっ!?」
いつの間にか、隣で丁寧っぽくお辞儀するドラクに気づかずに。
別に急用とかではなさそうだが、表情を見るに、彼はしょんぼりとしているようだ。珍しい。
「元気無いわねドラク。どうかしたの?」
思いきって彼の肩に手を置いて、聞いてみた。
「いやさ、今頃になって後悔し始めてんのよオレ。エドワーズ作業場で誰にも相談せず行動したこと、もっと他のやり方あったかなって……ナイトとの約束もブチ破っちまったしさ」
「ナイトに嫌われちゃった?」
レイは肩の手を戻し、そんな薄っぺらな関係ではないだろうな、と思いながらも質問。
「あ、いや、あいつは大丈夫なんだ……問題はニックだな。リーダーのニックと、埋まらねぇ溝ができちまった感じで」
「そうよね……」
捕まったナイトも、助けたいドラクも、実質ニック・スタムフォードの部下である。
本来ならば絶対に相談しなければならない男だが、相談しても却下されるだけだろう、とはレイにすらわかること。
難しい問題だ。
――何より作業場の件で、一番大きな問題は、
「まさかブロッグさんが死んじゃうとはね。目の前で殺された時は、本当にもう終わりかと思ったわよ」
「頼れる奴だったろ? オレたちにとってもそうだった。だから大丈夫だろうって、思い込んじまってたんだよなぁ……」
頼れる人間だからゆえの、犠牲になってしまう可能性を思考から削除してしまうというミス。
どんなに強くても、賢くても、人間死ぬ時は死ぬものなのだ。若者たちは大いに反省しなければならなかった。
「はぁ、辛ぇぜ」
「元気出してよ。元気でうるさくてバカなのが、あんたの取り柄でしょ?」
「おう。それがオレの……って余計だわ二つほど!」
ようやくレイも、楽しいやり取りというものができる余裕が出てきた。かもしれない。
少しでもふざけるとドラクはちゃんとそこを突いてくれるので、安心して会話ができたりする。
――そこも彼の取り柄か。
「レイっち慰めてくれよー、苦しみの沼に絶賛ドボン中のオレを……」
「慰めるって?」
演技なのかどうなのか、鼻をすすりながら言ってくるドラクに言葉の意味を問う。
すると、
「仮面取ってオレとベロチューしてくれ」
彼は、本気な顔でそんなことを言ってきた。
さらにドラクは、
「ダメ……かな?」
まるで美少女が男を誘惑する時のような、うるうるした瞳での上目遣いまで向けてきて、
「……バカっ!!!」
「ぶべらばすっ!?」
おふざけも大概にしろ、というレイの平手打ちがドラクの頬に炸裂した。
――様々な意味のこもったビンタだった。
ベロチューとか何言ってんのよこの変態男、という軽い意味と。
さりげなく仮面を剥がそうとするな無粋男、という重い意味である。
「レイっち手が出るの早ぇな!? いって……あ、鼻血出てきた! 鼻血出てきたよ!」
「鼻血くらいで大げさよ。男のくせに」
「ひでぇなオイ……でもよ、マジな話で……」
ドラクが今度こそ核心を突く話をしそうで、レイが身構えたその時、
「やぁ二人とも! 仲の良さそうな会話が聞こえると、ついつい足を運んでしまうフーゼスだ!!」
周辺をパトロールしていたらしい犬の獣人フーゼスが、森の中から登場。
「うおっビビった!」
「セーフ……!」
妙にハキハキとしたフーゼスの声に純粋に驚くドラクと、乱入者のおかげで逃げられそうだと安心して小声で呟くレイだった。
フーゼスは二人の反応など気にせず、
「レイ! この前は……すまなかった! 君の事情も考えず『仮面を取れないか』なんて言ってしまったこと! 許してほしい!」
「あ……」
レイに頭を下げてきた。
ずいぶんとタイムリーな話題だ。
――彼が言うのは、ティボルトがバットを持って暴れ、頭を割られそうになったホープがフーゼスに助けられた、あの時の話をしているのだろう。
「いいわよ、もう許してる。そんなに後悔しないで。だって、別にあたしの正体を暴きたくて言ったんじゃないわよね? あれ」
「そう! ティボルトが仮面を気に入ってないようだから、聞いてみただけさ!」
「でしょ?」
フーゼスは、性格がさっぱりし過ぎていて失言が多いタイプなのだろう。
それだけの話だととっくに理解していたレイは、笑って話を進めることができた。
実際フーゼスは本当に優しく、
「オレは、レイが何を隠していたとしても絶対に責めたりはしない! だから、一人で抱えるのが苦しくなったら、いつでも話してくれていい!」
「え……」
「『闇』は隠すのも良いが! 分かち合うのも、時には良い! 重い荷物でもみんなで持てば、一人の負担は必ず減るものだ!」
「……そうね。そうよね」
あくまで『時には』と付けるあたり、やはりフーゼスが悪い人物ではないとわかる。
「君の好きなようにするといい! オレは誰から何を言われようとも、君と仲良くするから!」
「ふふっ……ありがと。フーゼス」
「どういたしまして! では、お邪魔したね! オレはまた巡回に戻る……ドラク、ナンパは程々にな! あっはっはっ!」
「お前この野郎、ついでにオレを攻撃してから去るんじゃねぇ!」
レイと手を振り合ったフーゼスは、ドラクを軽くイジってから、また森へと入っていく。
と思いきやその直前、
「おっと! そうだドラク! ……ティボルトが何やら不穏だ! トチ狂ったような目で、釘バットなんかを作っていて……気をつけるようにな!」
「おいおい、いきなり恐ぇぜ……わかったけど」
彼の任務であるグループの状況報告を、ドラクにしてから去った。忠犬だ。
誰よりやかましいフーゼスが姿を消したところで、
「あぁ……えっと」
気まずそうに後頭部を掻き始めるドラクだが、
「――あたし、魔導鬼なの」
レイの告白に、彼の動きは止まった。
勢いに任せて言ってしまった――『ドラクは信頼できる』、そうホープが話していたから。
だが何かおかしい。
ドラクの額には、異常に汗が滲み始めて――
「……嘘、だろ? そうだったのか? ……やべぇ、マジでやべぇぞレイ……逃げろお前、今すぐここを離れるんだ……っ!」
◇ ◇ ◇
レイを励まし、必要な報告はドラクに済ませた。
つまり……ちょっとした任務を一旦終えることができたフーゼスは、意気揚々とバーク大森林を歩く。
耳と尻尾を振りながら。
これから夜の帳が下りると、視界がいつもの倍は悪くなり、スケルトンの発見がとても大事になってくる。
パトロールは、犬の獣人として発達した嗅覚を持つフーゼスの、重要な役割なのだ。
「……ん!?」
ふいに、この世界では何度でも嗅いだことのある臭いが、フーゼスの鼻腔に刺激を与えた。
でも、あまり嗅ぎたくはない――『死』の臭いだ。
それも近づいてくる、多量の。
「かなりの数だ……! オレ一人で誘導できるだろうか……!」
いや無理だ、と判断したフーゼスは、ニックに伝えるためキャンプに戻らなければならない。
すぐに振り返ろうとすると、
「ッ!? ぐぅっ……うっ!?」
横腹に、衝撃。
あまりにも唐突なそれに、フーゼスは身悶えしながらその場に転げる。
だんだんと熱を帯びてきた横腹を、見る。
「はっ……あ!?」
抉れている。
一撃しか感じなかったのに、その横腹には小さな傷がいくつもできていて、その穴から止めどなく血が流れ続ける。
熱い、熱い。痛い、痛い。
そして――振り返りたかった方向からのゆったりとした足音に、フーゼスは顔を上げた。
「恨むなよ? 俺様を」
「君……は……!」
そこに立っていたのは、泥のモンスター……ではない。
自身の匂いを消すため、泥を全身に塗りたくった、異様な姿の……
「あのドラクとかいうバカに、余計な報告してんじゃねぇぞオラ」
「ティ、ボルトぉ……!」
ティボルトと、血の滴る釘バットだった。
バーク大森林に、そして生存者グループに――夜がやって来る。




