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ホープ・トゥ・コミット・スーサイド  作者: 通りすがりの医師
第二章 生存者グループへようこそ
96/239

第89話 『ジル』

※最後のホープとジルの会話、大幅に修正しましたごめんなさい。


うーん…元々想定してた話はあるんですけど、特に過去編書き始めると、いつも7〜8割はアドリブみたいになっちゃう悪い癖が…また出ました。

僕の書きたかった話とは違うかもしれませんが…何にせよ『滑稽だなぁ』という感想でも十分です。


ジルの過去です。どうぞ。


















 ホープは後ずさりする。ジルから、なるべく距離を離そうとしている。


「何で、遠ざかる?」


 首を傾げるジルに、


「え、だって……男いらないんでしょ? だったらおれ、早く去った方が良いかなって……」


 ホープが当然のように答えてみせると、


「ぷっ……!」


 無表情が特徴なはずの美少女は、軽く吹いてからくすくす控えめに笑った。

 かわいい。


「そういう意味、じゃないよ。ホープのこと、好き」


「っ……!?」


「友達として、ね。そばにいてほしい」


「おぁ……君は……男を崩すプロなのかなあ……?」


 ――相手がホープじゃなかったら、勘違いの連鎖が起こるだろうし、ジルは確実に襲われる。


「この際だから、全部話す。聞いておいて」



◇ ◇ ◇



 ――――これは現在19歳のジルが、16歳だった頃の物語。時期としては寒期の後半。

 三年前であり、まだスケルトンなど無縁の生活だが。


「あーあー、また雪積もってんな。見飽きたぜ」


 広大なバーク大森林の中でも、その村と村の周辺では、よく雪が降る。寒期の後半はもちろん、時には暖期でも降ったりする。

 ということで『スノウ』と名付けられた村なのだ。安直なネーミングだが。


 今の領域アルファは寒期後半。

 昨晩からの大雪も、ようやく終わったところ。


「ウォレン、あんた雪かき手伝う?」


「はぁ? やるわけねぇだろ、マジでダセェ!」


 凛々しいが口の悪い、黒髪の16歳の少年――ウォレンは、早朝から必死に雪を掻く大人たちを見て。

 嫌がり、呆れていた。


「ああいう骨の折れる仕事はな、俺たちみてぇなイケてる奴のやることじゃねぇわけよ! わかんねぇのかクロエ!? やりたいのかお前!?」


「あたしがやりたいわけないっしょ! あんな重労働、あそこのクソ真面目くんとかが担当するべきお仕事だもん! あたしには釣り合わない!」


 長い黒髪にいくらか赤のラインが混ざるように染めている、16歳の少女――クロエも同意見で。

 屋根に登って膝を震わせながら雪かきしている少年に「ねー!」と笑顔で同意を求めた。


「えっ、あ、う……うん! 僕と大人たちだけで大丈夫大丈夫! 君らはやる必要無いよ! ホント!」


「「だよなー!」」


「うん……僕がやれば……十分だよ……!」


「じゃあよルイス、俺たち秘密の会合だから……なぁ」


 水色の髪が特徴的な真面目な少年――同じく16歳のルイスの登る屋根のすぐ下に駆け寄るウォレン。

 合わせるようにルイスも近くに行くと、


「――――」


「っ! あ……わかった、よ……」


()()()、頼むぜルイスくん」


 ニヤつきながら静かな声で、ウォレンはルイスに頼み事をした。

 クロエや、集まってきた数人の男女の仲間たちには、何も聞こえないものの、ほぼ全員ウォレンを睨んでいた。


 ――ウォレンたちがいつもの溜まり場に行ってしまい、ルイスが孤独になった直後。



「わっ、ルイス今日も頑張ってるねー!」



 一人の少女がやって来て、何の邪気も無くルイスに話しかけてきた。


「え……あ、あぁ。これくらい、大したこと無いけどさ!」


「嘘だー! こんな量の雪、休まず掻いてたら体壊しちゃうよ。ほら代わるから、休んで」


 少女は他の誰とも違い、ルイスをいつも気に掛けてくれた。

 素早く屋根に登った彼女は、ルイスからスコップを奪い取る。


「えっ、いやダメだよ! これは僕が()()()()としてやってれば、大人たちは納得するんだから……他のみんながやる必要無いって!」


 これだから若い奴は……とか皆が言われないために、ルイスは『体を張る若者』の役を買って出ている。ということになっている。

 ウォレンやクロエたちを庇っているのだ。ということになっている。


 この役は、理由(ワケ)あってこの少女にだけは、譲るわけにいかなかった。


「『ありがとね』……って毎日言ってるよ私? いつも遊ばせてもらってる分際で言いづらいけど、もっと自分を大切にしなって! さすがに今日は私が雪かきやるから、ルイスはウォレンたちと遊んできな」


「ダメだよジルちゃん、今日も僕がやる! 道具返して!」


「どうしてそんな頑なに……あっ」


 ルイスはスコップを奪い返し、


「ぼっ……僕は雪かきが好きなんだよ。この前も言わなかったっけ!?」


「若者代表とか言ってたじゃんルイス……そういうの自己犠牲の精神って呼ぶんじゃ?」


「そんなことない……僕は雪かきが好きだし、僕一人でもやってれば全員が偏見を持たれなくて済む。一石二鳥さ」


 そんな捨て台詞で、ルイスは少女からの情けを切り捨ててザクザクと雪を掻き始める。


「大丈夫には見えないなぁ」


 全部が紫色に染まった長く美しい髪の少女――ジルは、彼が心配だった。


 最近、ずっとこんな調子。


 前まではジルがルイスと雪かきを交代し、ウォレンたちのところに混ぜてもらいに行ったルイスが、どうにも馴染めずジルの元へアドバイスを貰いに来る……なんてこともあったのに。


『雪かき中にごめんねジルちゃん……僕、やっぱりああいう明るいグループは向いてないかも……喋るのも得意じゃないし』


『何言ってんの! 私より全然話すの上手いよ! 私と話してる時なんか陰気臭さゼロだし』


『ホント……?』


『ホント! とにかく自信持って、まずはウォレンとクロエと話しな。あいつら実は優しいから』


『……う、うん、わかった。そうする……でもマジで、ジルちゃんより優しい人いないと思う……女神様みたい』


『ば……っ! バカなこと言わないでよっ!』


 懐かしい会話だ。

 ルイスは本気でウォレンたちのグループに馴染もうと、ジルと相談を繰り返しながら努力していたのに。


 今では、まるで全て夢だったかのよう。


 ジルの知らない内に、ルイスの心には、自己犠牲精神が深く太く根を張っていたのだ。

 何かあったのだろうか。



「ジルちゃん……これが……君のためだと信じたい……僕は、弱い……っ!」



 少年の嘆きは、雪かきの音に混じって、あの紫髪の少女には届かなかった。



◇ ◇ ◇



「おおっ、ジル来たー!」

「ジルー!」


「待ってたぜ……」


「あたしの隣座って座って!」


 いつもの、溜まり場。


 それは大きな民家と大きな民家の間だ。

 連なる屋根のおかげで、そこにだけ雪が積もらないから。


 ウォレンとクロエはもちろん、みんなが、ジルの来訪を祝福する。


「親はどうだ? ()()()の仕事手伝わそうとしないか!?」


 仲間の一人が、ジルの家庭の事情を気にする。

 いつものことだが、


「ん、大丈夫だよ。私の思う通りにすればいいってさ。答えを待ってくれるみたい」


「良かったなー!」

「好きに生きようぜ俺たち!」


 ――ここに溜まっている同年代の少年少女は、皆が『自由』を求めている。

 森の中の小さな村、という狭い世界。


 なぜ強制的に人生の全部を、そんな狭っ苦しい場所で過ごさねばならないのか、と疑問を抱いている者たちが集うのだ。


 ある者はこの村のリーダーを目指し、少しでも退屈なこの村を改善しようとか画策したり。

 ある者はとにかく村から出て行って旅をしたい、とは言うものの中々踏み出せていなかったり。


 最も多いのは、大都市アネーロへ行って仕事をしたいとか遊びたいと思っている者だ。


 ――彼らは、知らない。考えない。


 栄える大都会にも、生き苦しさを感じている者がわんさかいるなど、考えてもみない。

 華やかで賑やかで楽しげ……そんな想像しかしないのである。


 彼らと比べれば、ジルは大人なのかもしれない。


 軽率に村を出て行きたいとか、遊び回りたいとか、そういうことはあまり考えないタイプ。

 都会でも良いし村でも良い。ファッションデザイナーとかでも良いし、木こりでも全然良い。

 自分の未来は、誰にも流されることなく、ゆっくり決めていこうと思っている。


 ここに来るのは、単に仲間と話すのが楽しいから。

 それだけ。


 そう、それだけ。


「よぉジル」


「ウォレン……」


 この集まりのリーダー的ポジションの黒髪イケメン、ウォレンが話しかけてくる。


「今日もアレか? ルイスは雪かき譲ろうとしなかったのかよ?」


「そうだね。ルイス、変わっちゃったと思わない?」


「……別に」


 奴には興味無い、と言わんばかりの返答。そして、


「……行こうぜ。俺ん家」


「……いいけど」


 ジルの肩に手を回してくるウォレン。

 その後、二人は立ち上がり、おかしなタイミングで二人だけグループから離脱。


 向かう先は、彼の家。


 正確に言えば、彼の家の――ベッドの上。



「飽きないね……ウォレン」


「飽きるわけなくね? ジルの体……最高だ」



 雪かきで両親が出払っているのを良いことに、ウォレンはベッドにジルを押し倒す――


 無抵抗の彼女のパーカーを強引に脱がし、惚れ惚れするような彼女の胸を、ボディラインをしばらく眺めて。


 いつもと同じように。


「はぁっ……はぁっ……!」


 毎日の、ルーティン。毎日同じことの繰り返し。


「はぁっ、はっ……うくっ!」


 相変わらず寒い屋内。

 軋み、音を立てるベッドの上。


 二人は、少なくとも体温は交換していた。


 『愛』を交換しているのかまでは、もう二人には、わからない。

 わからない域まで、踏み込んでしまったのだ。


 そうして数時間過ごし、ジルは一人でふらふらと帰路につく。

 ――その姿を、遠くから見ていたルイスが目に焼き付ける。


 そうして、毎日が過ぎていく。


 欲望のスパイラルから抜けられなくなっているのは、ウォレンなのかジルなのか。

 もう、わからない。誰にもわからない。


 そうして、明日も明後日も、ただ性欲と共に時間が過ぎていくのかと、ジルは思っていた。


 しかし。



◇ ◇ ◇



 翌朝。

 また『雪が積もっている』をクリア。これが一番目だ。ジルはいつもの場所へ向かう。


「もうルイス! いい加減にしてってば、今日こそは私が代わる!」


 ジルがルイスにこうやって詰め寄るのも、最初は彼への思いやりがあったのかもしれない。


「ぼ、僕一人でいい。気持ちは変わらない!」


 今となってはどうなのだろう。

 ジル自信が欲望の螺旋から抜け出す、せめてもの抵抗として、ルイスをダシにしているだけなのかもしれない。


「強情な奴……」


 それでも雪かきを代わらないまま諦めてしまうところに、ジルの弱さが、欲望の深さが見え隠れする。


「やっぱ待って!」


 これで一日のルーティンの二番目、『ルイスに代わろうか確認』が完了。

 あとは『何気なく皆の輪の中に入っ


「……え?」


 何だろう、おかしい。

 背後から誰かに抱き締められているような気がする。



「行かないで。ジルちゃん」


「ルイス……?」


「君は騙されてる……ウォレンくんと、僕に!!」



 ジルの背中にぴったり密着するルイスは、ジルのお腹に手を回し、動きを封じてくる。

 騙されている……とはどういうことだろう。



「ウォレンくんがね……『ジルと雪かきを代わったら、ジルを殺す』って……脅してくるんだ。僕が忘れないように、毎日それ言ってきてんだ……君がここに来る直前に。だから僕は君を守りたくってさ、絶対に雪かきを譲らなかったんだ……」


「……え? ……え?」


「と、とにかくっ! あの男には、心なんか無い。あの頭には性欲しか詰まってないんだよ! ジルちゃん、奴は君の命だってどうでもいいと思って脅しに使うんだよ? 君の体さえ手に入ればそれで良いからだ! このままじゃダメだ!」


「よく、わからない……」



 そもそもルイスは、なぜウォレンとジルの堕落した関係を知っている?

 ウォレンに心が無い? それはジルも同じことなのではないか?


 もう、何が正しいのか、判断できない。


 だから、


「僕と一緒に逃げよう、ジルちゃん!!」


 差し出された彼の手を、


「ん……」


 無意識に握って、ルイスに合わせて走り出した。


 ――ジルの頭が性欲でおかしくなっていなければ、ここで冷静な判断が下せたはずだった。

 この場で行動するのは不用心すぎたのだ。



「何さ、あいつ……ウォレンを独り占めしといてさぁ。死ねよ」



 クロエに見られている、なんて考えなかったのだ。


 クロエは、元々ウォレンと付き合っていた。愛し合っていた。

 ――が、ウォレンがジルを見つけてから、ただの友達レベルの会話をするのがやっと。

 半ば捨てられたのだ。ジルの容姿が良すぎて。



「絶対、私のウォレンを取り返してやるからね、ジル……あの腐れビッチ」



 スノウ村に名前通りの雪が降り始めた。


 拡がる絶望を、祝福するかのように。



◇ ◇ ◇



 ジルとルイス、二人の逃避行は――数分で終着点まで到達してしまったらしい。


「ルイス……? ここは私の家だけど……?」


「そっか。ごめんね。僕の家、今は両親が休憩中なんだ。ここしかない」


「は? え? ちょっ、どういうことなの?」


 小さな村だし、いちいち鍵など掛けない。

 ルイスはそのドアを開けてしまい、ジルを中に引っ張り込み、


「あっ……」


 ジルを、ジル自身のベッドに押し倒した。


「ごめん、ごめんね、ジルちゃん。僕はビビリだからさ……こうするしか、できなくて」


「何の……つもり?」


「大したことじゃないよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()をやるだけ」


「っ!?」


 ベッドに仰向けのジルに、ルイスは上から覆い被さるようにうつ伏せに。

 熱い息が、白という色を纏って、二人の口から吐かれる。


「ルイス……んむっ……ぅ……」


「ちゅ……ぷはっ。本当にごめんジルちゃん。僕もしかしたら、君とこうしたかっただけかも……」


 キスとキスの合間に、ルイスは一方的な謝罪文を言い放つだけ。

 だったが、


「んちゅ……ちゅぅ……ん、ぷは。ジルちゃん、ウォレンくんと僕、どっちが好き?」


「はぁっ……はぁ……ど、どっちもぉ」


 もはやジルは、性欲さえ満たせれば、相手など誰でも良くなってしまっていた。

 どうやらスパイラルにハマっていた愚か者は、見事にジルだけだったらしい。


 ――互いの好意が最高潮になり、いよいよ行為が始まろうかという頃。

 外を降り注ぐ雪は強くなっていき、景色など見ようとしても見えるのは吹雪だけ。


 吹雪の中を、歩いてくる者がいた。


 二人からは雪のカーテンで見えやしない。



「ジルも……ルイスも……俺を裏切りやがったな?」



 その人物は小声で呟き、そのドアを蹴破った。


「はっ!?」


 ルイスが、ジルを乱れた格好にする直前で振り返った。

 そこに立っていたのがウォレンだったから。


「そ、れは……?」


 そして彼が左手に持ち引きずっているのは、


「クロエだが?」


 とっくに命を失っていて、引きずられたせいで服も髪も雪まみれのクロエだった。


「こいつが、お前らの裏切りを教えてくれた」


「え……じゃあ……でも……え? 何で……?」


 支離滅裂なウォレンの話に、ルイスは純粋に意味を問うてしまう。

 しかしてその答えは、


「あぁ、こいつは邪魔だったんだ。前から。ジルに嫉妬しててよ、ウゼェ事この上ねぇんだこれが」


 もう、滅茶苦茶だ。


「おいジル。そこの、脅しにも何一つ抵抗しねぇクソ雑魚の臆病者と、俺……どっちを愛する?」


「……ど……」


 答えを間違えちゃいけない。

 ジルはわかっていた。


 わかっているのは、それだけだ。


 答えを間違えちゃいけないこと以外が、何もジルにはわからない、考えられない。

 だから、


「――どっちも」


 だから、考えうる限り最悪の答えを出してしまったのだ。


「おーそうか。そりゃマズいなぁ、多夫一妻制なんか認められてねぇ。愛は一方向に絞らねぇと……」


 ウォレンがいったいどんな声質で、どんな表情で喋っているのかは、いくらでも説明できる。

 だが、何も説明する必要は無い。彼がした行動一つで全てが表現されているから。


「俺という、一方向だけにな……」


 今、彼の右手に、血だらけのナイフが握られた――あれはクロエの血だろう。


「ジルちゃんは……ぼ、僕が守るっ!」


 今の今までジルの胸を揉み、自分のズボンを下ろそうとしていた男――ルイスは意外にも立ち上がり、


「うおぁぁぁぁ!!!」


「くっ、こいつ……っ!?」


 ウォレンに飛びかかり、勢いでドアをぶち破り、もはや吹雪の状態になっている外へ持ち込む。

 ――パーカーを整え、息を整え、ジルも追う。


 が、


「げ……あ……? ガフッ! オェ……!」


 決着は、既についていた。


「あぁ……! ルイスっ!!」


 飛びかかった時にナイフが胸に深く刺さったルイスが、虫の息だったのだ。

 ジルは両腕でルイスの体を支えるが、少しずつ彼の体に雪が積もり、体温は無くなっていった。


「何してんの……ウォレン」


 クロエとルイス、その周囲の雪が赤く染まる。

 友人たちの赤に囲まれながら、ジルは、どうしてこんなことになったのかとウォレンに投げかけた。


「あ? 仕方ねぇだろこいつは邪魔者だったんだよ、俺たちの愛の! 違うか!?」


「わっ、私は……クロエのことも、ルイスのことも……ウォレンあなたのことも……邪魔だなんて思ったことないよ。みんな友達で、みんな好きで……ルイスもウォレンも愛してる……」


「はぁ……」


 吹雪く音が響いてるのに、ウォレンのため息はジルの耳に突き刺さるようによく聞こえる。


「何もかも欲しがりやがって、子供かよジル? どっちか選ばないといけないに決まってるんでちゅよー!」


 ウォレンは全力でジルを馬鹿にしてくる。


「う、ぅう……」


「泣くなよ……ったく、面倒クセェ。そろそろ()()()()()ってこったな」


「……え?」


 ウォレンはまた、ナイフを握り直す。




「お前、もういらね」




 そして、歩き出す。ジルの方へゆっくりと。


「く、こ、来ないで――」


「おら死ね!」


「いやぁっ!」


 二の腕の皮膚を切られた。

 とても痛い。何より、切りつけてきた相手がウォレンであることが、何よりも痛い。


「こんなクソ狭い村で、楽しみなんか女の体を弄ぶことだけだぜ! お前は静かに俺のモノになってりゃ良かったんだよ! 気持ち良かっただろ、おらぁ!?」


「――ッ!」


 そして、刃が、首に食い込んだ。



「は……ぁ……!?」



 ――ウォレンの首に、手斧の刃が。


 ナイフを振り上げたウォレンが油断したところに、ジルが隠し持っていた手斧を叩きつけた。

 木こりの父が、ジルにくれた手斧だ。殺人の道具などでは決して無いのに。


 でも、それで、終わりだった。


「ごめん……なさい……」


 今なお雪が更新されていく美しい銀世界に、三つの血溜まり。


「ごめん……なさい……」


 ついさっきまで元気だったのに、今は空っぽなウォレンとルイスとクロエの体に、当たり前のように雪は積もっていく。


「ごめん……なさい……」


 膝をついて微動だにしないジルの肩や頭にも、とうとう雪がのしかかる始末。

 のしかかっているのは雪か、それとも別の何かか。



「いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――っ!!!」



 絶叫も、吹雪に掻き消されて死んでいった。



◇ ◇ ◇



「――――目撃者がいて、私は正当防衛って扱いになって、村から追い出されたり、しなかった」


「あ……」


 口が開いたままなホープは、俯くジルをただ見つめていることしかできていなかった。

 こんなことがあれば『男はいらない』という台詞が飛び出すのもわかる。


「私、死のうと思った。でも、その目撃者に止められた……それからの生活、あまり、覚えてない」


「あ……」


「とにかく、孤立した。何でかわからないけど、『三人ともジルが殺した』……って、そんな噂ばかり」


「あ……」


「だから、その数年後、スケルトンが現れても、親や友達が食い殺されても、そこまで、感情は動かなかった……」


「あ……」


 それできっと、色々な経緯を経てニックたちと出会うことになるのだろう。


 彼女によると今の『ジル』の姿は、昔の『ジル』を忘れないための姿だという。

 明るく、陽気で、バカだった昔の自分を。


 ――全て紫色に染めていた長髪は、バッサリとショートボブの黒髪にしたが、紫のメッシュを一本入れた。


 ――お気に入りのパーカーも、昔から変えはしない。ただ、フードをよく被るようになった。


 ――肌の露出が多いのは、昔のまま。

 あのような経験をしてまだ谷間や太ももを露出するのは、正直恥ずかしい。辞めたい。今でも本当に恥ずかしさはある。

 だが、それで良い。その方が良い。自分への罰であり、死んだ三人への贖罪だ。


 ――手斧ももちろん、ウォレンにトドメを刺したものと同じ。

 スケルトンと戦闘になるたび、ウォレンの首から滴る血が脳裏に浮かぶものだ。


「……どう? 幻滅……した?」


「…………」


 自嘲的に微笑みながら、ジルはホープに感想を聞いてくる。

 ホープは、素直に答えようと思った。


「幻滅……というか……」


「ん?」


「ちょっとびっくり……」


「ん」


 ――とりあえず彼女の過去が重いだろうことは、これまでの状況証拠(?)から予想はしていた。


 だから驚いたのは殺人とかより、昔の彼女が『陽気』だったり『性欲の塊』だったり感情の動きが豊富だったという事実なのだ。


「……そんなことありながら、よくおれ含む男たちと普通に喋れるね。君が強いって証左だろうけど」


「強くない。ホープとか、ドラクは、私のこと、あまり『女』として見てない。そういう男なら、安心して話せる……でも、他の男とは……今でも怖い」


「そういえば、フーゼスに『好き』って言っちゃってたよね……?」


 キャンプ場にて、ホープが初めてジルの態度が変だと思った一幕だった。


「あれ、聞いてたんだ。そう、私は人にそういうこと、無自覚で言う、癖がある。昔の、何も考えてなかった頃の名残り……気を張ってないと、出ちゃう」


 つい口をついて出てしまった言葉らしい。それは焦っただろう。


「うん。なんか確かに、明るい人って好きとか嫌いとか軽く言っちゃうイメージ」


「……私、完全にそれ。だから、言葉を区切って、なるべく失言、出ないように静かにしてる」


 まぁあの時は相手のフーゼスも明るい奴だったから、何も気にしていなかったようだが。

 彼女の今の喋り方が変わっているのも、過去から来ているとは。


「とにかく……私は罪人。悪女。『良い人だ』とか、思わないことだね……」


「君は優しいよ」


「え?」


 そう。ホープは素直に答えるだけ。


「今の君はもちろん『ジル(きみ)』だけど、過去の君だって、腐っても『ジル(きみ)』でしょ」


「……っ」


「驚きはしたけど、おれは君の過去を否定したりしないよ。おれの友達はそうやって出来上がったのか……って思うだけ」


 気持ち悪がられるとか、嫌がられるとか、そういうありきたりな反応をジルは恐れていたのだろう。


 そんなことホープが思うわけがない。


 ――そもそもホープは、他人の人生を否定できるほど素晴らしい人生など生きていない。

 一刻も早く消えたい。


「でもさ……話すの怖かったでしょ? ありがとう、話してくれて」


「ホープ……」


 別にホープはそんなに大切なことを言ったつもりは無いのだが、ジルは何故かこちらを見て瞳を潤ませているような。

 気のせい、ということにしておこう。


 一つ、ホープの心残りは……これでもまだ、自分の過去を話す気にはならないことだが。



「ホープ……聞いてくれてありがとう。あなたに、話して良かった。これからも……よろしくね」


「え? あぁ、うん」



 軍基地までは、あとほんの少しだ。



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