第85話 『予測不能の男 〜逆転〜』
――ドラクは、目の前の男を許せず掴みかかり、問い詰めていた。
気がかりな言葉は、
「答えやがれ! どういう意味だよベドベ、『一緒に行動する人次第』ってのは……曖昧にも程があんだろ!」
問われたベドベは少し俯き、
「曖昧……だね……でもまぁ、俺の推測……ってことになるからねぇ……」
ますます意味がわからない。ドラクはもちろん、そろそろナイトが痺れを切らしそうだった。
察したベドベは、話を始める。
「……ジルの心の……片隅にね、小さく……『真っ黒な闇』が見えたんだ……その部分だけ何も見えないから……占えなかったよぉ……」
その単語に、聞き覚えがある。
「それって――なんかホープと似てねぇか?」
「ああ……もしかするとその部分には、ホープが深く関わってるかもねぇ……ホープ本人の運命も何一つわからないし……」
「じ、じゃあ、どうしてジルに『ホープと一緒に行動すれば可能性がある』って言わなかった!?」
「……言っただろ……これは推測……確証が無いよぉ……俺は『嘘つき』とは呼ばれたくない……」
顔を背けたベドベを、ドラクはついに離す。
「またしてもホープが鍵ってわけか……」
「……ホープのことは、何も占えなかった……『真っ黒な闇』は間違いなく負の感情だけど……実質……彼は生きるも死ぬも、何をするのかも、予測不能の男ってことだよぉ……」
そんなことを言うドラクやベドベに、突っ掛かるのはやはりナイトだ。
「あの弱虫にゃァ運命を切り開く力はねェだろ。女自身の強さを信じるこったなァ」
「おいおい」
ドラクはため息をつき、
「ナイト、忘れんなよ。何度も言っただろ? あいつがいなきゃ作業場でお前を助けられなかったんだ――作業場とオレたちの運命を変えたのは、紛れもなくホープ・トーレスなんだぜ」
「……弱虫とパーカー女が無事に帰ってくるまでァ、信じてやらねェ。行くぞてめェら」
無駄話が過ぎた、とナイトは他二人を連れてキャンプへ戻り始めた。
◇ ◇ ◇
ホープは大通りを進み、暗く目立たない脇道へ。入り組み、曲がりくねった路地裏を行く。
――走って、走って、走っていた。
「彼女の気持ちを無駄にしちゃダメだよね! それが一番ダメだ! も、もし彼女が死んだら? いやしょうがない、しょうがないしょうがない」
――逃げて、逃げて、逃げ続けていた。
「おれに『逃げて』って言った! おれが逃げ出したら『それで良い』って言った! もし彼女が死んだら? ち、違う! おれのせいじゃない!」
――諦めて、諦めて、完全に諦めきっていた。
「もし彼女が死んだら? いや考えるな、考えるな考えるな考えるな考えるな、考えるな! 彼女は自分で選んだ、死んだら自業自得だ、もし彼女が死んだら? 悪いのは彼女だっ!!」
自分で自分を責め、自分で自分を擁護する。
状況的にも社会的にも性格的にも一人ぼっちのホープは、そうすることしかできない。
どうせ自分に甘いホープは、擁護の方を強くする。
「……もし、彼女が……ジルが死んだら?」
――はずだったのに。
この時のホープは、足を止めた。止めてしまった。
「し、死んだって……何とも思わないさ。ジルとは赤の他人だ。ケビンともレイとも違う……友達でもないじゃないか」
考えることを放棄できたら、どれだけ楽なことか。どれだけ安全なことか。
わかっているのにホープは、冷静になってしまった。
自分の発言に、違和感を感じるほどに。
「赤の他人……? ジルは、おれにとって何だ……」
そこが突然わからなくなった。
だから、過去の自分の発言を思い出してみる。
『おれも、入りたい。入ることにするよ』
ホープは、この生存者グループに入りたいと表明したのだ。
だが、まだ認められていない。
リーダーのニックは、ホープが大都市アネーロから戻ってくるまでは参加を認めないから。
加えて、彼女のことを何も知らない。
『かわいい』ということ、つまり見た目以外のことを何も聞いていない。これを友と呼ぶのは苦しい。
立場上でも仲間ではない。
ということは、やはりホープにとってジルは赤の他人で……
「じゃあ……ジルにとって、おれは?」
意味は無いだろうが、そこも一応思い出してみる。
『ホープ――あなたの目、まだ、死んでない』
『でもホープ、前より明るい。前より、逞しい』
随分、ホープのことを気に掛けてくれているような気がする。
見る目が無い。間違いなく、自殺願望者を気に掛けるなど、見る目が無い。
「……ウ"ゥ」
それにホープを励ますどんな言葉も、何一つ的を得ていない。
すべてが間違っている。
「ウゥ"ッ……アァア"」
ジルは、バカだ。単に優しいだけで、かわいいだけで、何もわかっちゃいない、大バカ。
「ゥウ"……カ"ァァ」
そして、思ったほど強くない。
イザイアスに押され、ほぼ負けていた。ホープやドラクとさして変わらないのだ。
そもそもホープやドラクが比較対象になる時点で、ジルは普通の域を出ない、弱者なのだ。
あのまま戦っていれば、絶対に死ぬだろう。
「カ"アァッ!!!」
――――どうして、自殺願望者が生き残るのに、
優しくて弱い大バカが、
死ななきゃいけないんだ――――!!
「おれの行く道の……邪魔するなっ!!」
「ッ――」
背後から迫っていた一体のスケルトンを、振り返りざまに『破壊の魔眼』で吹き飛ばす。
右目から血が噴き出る。
それはもう、スプーンで抉られるかのような痛みとともに。
でもホープは自分の左腕に爪を立て、その痛みで目の痛みを誤魔化した。
歯を食いしばり、走り出す。戻るべき場所へ。
「このまま逃げれば、これ以上疲れないし痛い思いもしなくて済んだのに……ジルが大バカなら、おれは大間抜けだな!!」
そう、ホープは――とうとうブチ切れたのだ。
階段から転げ落ちたり、ガラスに切られたり、ビルの三階から飛び降りたり、スケルトンに引っ掻かれたり、肩をマチェテで斬られたり、顔をボコボコに殴られたり、魔眼に苦しんだり。
――ジルが、自分を犠牲にしたり。
体を、心を、また痛めつけられた。
作業場の一件が終わったばかりなのに。
――見てみろ、おれはまたしても血だらけだ。
――血だらけな、だけ。おれはまたしても死なない。
「なのに何でジルが死ぬんだ! 一生懸命生きてるバカが、死にたがってる間抜けを庇って、何で死ぬんだ! 許すもんか!」
叫びながら、そこら辺にあった大きなキャスター付きゴミ箱を押し始める。
少し重いが、気にしない。
次々と正面に現れる、スケルトンも狂人も、ゴミ箱に跳ね飛ばされた。
ブチ切れたホープは、もう誰にも止められない。
暗い路地裏から抜け出し、陽光の差す大通りを走り続け――やがて見えてきた。
「ジル……!?」
壁まで追い詰められた血まみれのジルが、イザイアスにキスされている。
足を絡められ、体を押し付けられ、無様な姿を晒しているのだ。
――直後、イザイアスが離れた。
何かに怒りながら、あの見覚えのあるマチェテをジルに向け、トドメを刺す気のようだ。
そうは、させない。
「うおおおおおおおお!!!!」
走ったままの勢いでゴミ箱をぶん投げるが、
「んん? ……どわぁ危ねぇっ!?」
咄嗟にバックステップしたイザイアスには当たらず。
しかし、
「はっ!」
飛んできたゴミ箱を横からジルが蹴り、方向転換させる。
不意を突かれたイザイアスは、
「ぶほぅ!?」
大きなゴミ箱の重みを体全体で受け止めることになり、軽く吹っ飛ばされた。
ホープに助けられた形になったジルは、目を丸くさせてホープを見つめている。
信じられないのだろう、当然だ。
「え、あなたは……あなた、は……」
「そうだよ……!」
「逃げたはず、じゃ……」
「そうだよ! おれはホープ・トーレス――世界一の大間抜けだよ! 他に何か言葉が必要!?」
押し黙ってしまうジルに、
「さぁ、行こう!」
ホープは手を差し出した。ジルも手を出そうとはするが、すぐに引っ込めようとする。
「だ、だめ。このままじゃ、あなたも殺され……」
「いいから逃げるんだよ!!」
そうは、させない。
ホープはジルの、白くて小さくて綺麗でスベスベで、全然戦いに向いてなさそうな手を無理やり掴んだ。
――最近レイと手を握り合って眠ったり、コールと握手を交わしたり、女性とのスキンシップが多かったからこそできた、ホープには大胆な行為だ。
「クソっ、待ちやがれぇ! 今さら戻って来やがったのか、青髪ぃ!!」
怨嗟の声を背に浴びながら、ホープはジルを引っ張って強引に走る。
目的の軍基地に行ける方向の、あまり高くないビルを目指す。
その時、
「は、ホープ危ない!」
「うわ!」
握っていない、手斧をしまった方の手でジルはホープの頭を下げさせた。
そのすぐ上を回転しながらマチェテが通過。イザイアスが投げてきたのだ。
走りながら、地面に落ちたマチェテを拾うジル。
「おいっ、返しやがれエドワードさんの遺品!」
「「やっぱりエドワードの……」」
ジルの手に持たれたその武器は、決して持っていたい物ではなく、二人して嫌そうな顔をする。
仕方なくジルがマチェテを懐に入れると、
「んん―――ッ!?!? おい見てみろよっ!! 人がっ、人がいるぜぇぇぇぇ――――っ♪」
正面から例の『ロックスター』が車に乗ってスケルトンの大群を引き連れて現れた。
「うわぁヤバいの来た!」
カオス。タイミングは最悪だ。
が、
「でも、そこ! 路地がある」
「ここってホント路地だらけだよね!」
「街って、そんなもの」
「そうかなあ……? とにかく入るよ!」
ホープとジルが横手の路地に逃げ込むと、今度は追いかけてくるイザイアスが『ロックスター』に遭遇。
「何だぁ? あの変人は……」
「んな見たこともねぇくらいの悪人面でぇ♪ 俺のことを『変』呼ばわりとはっ!! 命知らずな野郎だぜ―――っっ♪ 新曲♫思いついたぜぇぇぇぇいやっ!!♪」
「お前に構ってる暇はねぇよ!」
イザイアスも、路地へ入った。
しばらく走ってみると、どうやらここは行き止まりになっているようで、
「早く、ジル!」
「そうしたいけど、この梯子、ギシギシ言ってる……」
行き止まりのため、ホープとジルは建物の壁に付いている梯子を登っている。
梯子は少し高い位置にあり、ホープがジルを持ち上げて届かせたのだ。
「お、おれはここに……」
「ここには、残さない! ホープ、私の足に掴まって登ってきて!」
「あ、あぁ、うん」
片方だけぶら下がったジルの足をホープは片手で掴み、ジルはそのまま必死に梯子をよじ登り、おかげでホープも梯子を掴めた。
しかし、
「うおぉぉ!?」
「ホープ!」
掴んだ一本がバキッと折れて、ホープはジルの足だけを掴んでいる宙吊り状態に。
どうやらこの梯子、古いのか相当傷んでいる。
さらに、
「ぎゃははぁ! 捕まえたぜ青髪!」
「えっ、いつの間に!?」
ホープの足を、ジャンプしたイザイアスが掴む。
引きずり下ろして痛めつけるか、よじ登って叩き落として痛めつけるか、舌なめずりをするイザイアス。
さらに畳み掛けるように、
「他人の不幸は蜜の味――ぃ♪♪ 他人の不幸は蜜のあっっじぃぃ――――っ!!♪!♫!♪!!」
「何かとんでもない歌詞聞こえてくるけど!?」
大声で歌いながら車で突っ込んできた『ロックスター』に連れられ、スケルトンたちが雪崩れ込む。
「んじゃっライブはここまでなっ!! ファンのみんなぁ♪ 今日はセンキュ♫」
投げキッスした『ロックスター』は、しれっと別の建物の裏口へと逃げた。
「『センキュ♫』じゃないよ! 何してくれてるんだよあの人!!」
スケルトンたちは格好の餌食を見つけ、
「ぎゃあああ! 来んなクソどもが!」
「コ"オォ」
「アハア"ァア」
「ア"ァ"ァアア」
イザイアスの足に群がり、引っ張る。
スケルトン一体だけでもかなりの腕力なのに、それが大量に集まって引っ張るのだ。そのパワーは、
「梯子が、引っこ抜けそう……!」
「えぇ!?」
イザイアスが引っ張られると、ホープも引っ張られ、ジルも引っ張られ、ガタガタの梯子が崩壊の危機に。
ただ、それを望む者がいた。歪んだ者が。
「いいぜ、道連れにしてやる……!」
「何だって!?」
イザイアスの危険かつ、はた迷惑な決意。あまりの執念にホープは耳を疑った。
「最高じゃねぇか! この手を離さないだけで、憎き二人を地獄に落とせんだからなぁ!」
「君もっ――お前も死ぬんだぞ!」
「上等だ!」
一切の陰りの無い、歪んだ決意。
それは激しさを増すばかりで、
「……青髪。お前の死期を早めてやるよ」
「は!?」
ホープにだけ聞こえる小声で、イザイアスは妙なことを口走る。
「さっきからその女、挑発するたびに悲しそうな顔すんだよ……」
「何を……? 待て、やめてくれ!」
イザイアスは息を吸い、
「ジル、だったか!? チビエロ女ぁ! ……今も、青髪に脚を触ってもらって嬉しいんじゃねぇか!?」
「……!?」
その言葉に、ジルが目を見開いた。
「ビンゴ」
イザイアスは目つきを変え、ニヤける。
「この露出狂がぁ! 俺に抱きつかれた時も、キスした時も、内心嬉しかっただろぉ!? なぁ!」
「違う……」
「構ってもらって、襲ってもらって、喜んでたんだろ! 『私何ともありませんから』みたいな顔しやがってよぉ、バレバレなんだよ!」
「ちが……!」
「じゃあ何でそんなに肌出してんだ!? この荒廃した世界でぇ! スケルトンにでも見せびらかすのか!? お前は自分に、自分の体に酔ってるのさ!」
「ぁ……!」
イザイアスの、責めているのかよくわからない不思議な言葉。
だがジルは顔を俯かせ、奥歯をギリギリと食いしばり、相当な精神的ダメージに耐えている様子で。
「自分の顔と体を見せびらかして、お前は周囲の人間の反応を楽しんでんだよ!! あぁ吐き気がするほど気持ち悪いぜ、この変態女……」
「イザイアス―――――――ッ!!!!!」
「……あ?」
ホープは、黙っているわけにはいかなかった。ただ見ているわけには、絶対にいかなかった。
イザイアスと――ジルからの、注目が集まる。
「お前が、ジルの何を知ってるんだ!!」
「あぁ? 何だ、お前は知ってるのか? この露出狂に正当な理由でも――」
「おれだって、何も知らないよ!! ジルがおれのことどう思ってるのかだって知らない!!」
「あぁ!? フザケてんのか!?」
開き直った、とでも言うべきか意味不明なホープの態度にますます怒るイザイアス。
だが、
「ふざけてないさ――どうしてっ! お前にジルを批判する権利があるんだ!?」
「何言ってんだお前……」
「人の過去を知らないのに、人の『今』を批判できるわけないだろう!!」
「っ!?」
重い事情とは、重い過去とは、大抵誰もが持っているものだ。
過去が無ければ、今は無い。
その中でも人一倍重い過去を持つホープだからこそ――今この場で、ジルを守る義務がある。
「お前みたいな奴を、何て呼ぶのか教えてやる!! ……ジル、マチェテを!」
「……!」
ジルは驚いた顔をしたが、ホープの目つきを見て何を感じたのか、こくんと頷いた。
懐から取り出したマチェテを、下に落とす。
ホープはそれをしっかり掴み取り、
「これを喰らえ『浅はかなクソ野郎』がっ!!」
「ぎぃぃやぁぁぁぁ――――っ!?!?!?」
太腿を掴んでくる、イザイアスの手の甲に刃を深く深く突き刺した。
信じられないほどの苦痛に、奴の顔は原型を留めないほど歪むが、それすなわち――
「ぐぅあぁぁぁいぁぁをぁぁぁ――――っ!!」
「ホープ!? まさか、自分ごと!?」
敵の手の甲を貫いて、自分の太腿にも刃が突き刺さり、二人分の悲鳴が響くということだった。痛すぎて涙も出ない。
痛いのが嫌いと言ってるのに、もはやただの自傷行為。とんだドMだ。
「んん、許さない! んんんんんん、んんんんんんんおおおおおおおお――――っっっ!!!」
「がぁぁぁぁぁ!?!?」
それでもブチ切れ中のホープはマチェテの刃をグリグリと、右へ左へ前へ後ろへ動かしまくり、二つの傷口を抉り広げる。
そして、イザイアスの手に力が入らなくなる。
「二度と、その顔見せるなぁっ!!」
ホープは刃を抜いた。
ぽっかりと穴の空いた血だらけの右手を抱えながら、イザイアスは一人で落ちていく。
スケルトンと狂人が口を開けて待っている地獄へ。
「クソ! クソ! クソ! クソ! クソぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
復讐を果たせなかったからか、侮っていたホープに完膚無きまでに敗北させられたからか、無様に泣き叫びながら孤独なイザイアスは消えていった。
腕も、足も、首も、何もかもを引き千切られ、跡形もなく食われていくだけ。
――終わった。危機は去ったのだ。
が、血の止まらない右の太腿の痛みが、耐えられないくらいになってきた。
もう疲れて、とにかく何かに全体重を預けたい。
「ちょっと……ごめん、ジル……これはさすがに無茶だった……」
「ん……どうぞ」
ホープは掴んでいたジルの脚、その白い膝裏や太ももに顔を埋めることでしか、痛みを和らげることはできなかった。
下心は無いのだが、これは後で責められても仕方ない。覚悟はする。
……どちらにせよ、その柔らかさを堪能する暇など無いのだが。
「あ」
「ど、どうしたの?」
「忘れてた。梯子、倒れる」
「はぇ?」
「しっかり、掴まって」
ガキン、ガキンと梯子を壁に固定させていた金具が上から次々外れていき、
「うぅあああ――――――――」
ジルが数段登ってから梯子が倒れ、ホープとジルは向かい側の建物の窓に突っ込んだ。




