表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ホープ・トゥ・コミット・スーサイド  作者: 通りすがりの医師
第二章 生存者グループへようこそ
91/239

第84話 『予測不能の男 〜降臨〜』

今日は2話投稿します。次は夜に。

1話にまとめたかったのに、長すぎて分けたので密接に繋がった2話です。どうぞ。















「……ふぅ、ふぅ……ふぅー」


 走り疲れて汗だくのリチャードソンは、近くにあった廃車に腕を置いて寄りかかる。

 若い男一人背負っての激走は、中年には堪えるものだった。


「走ってばっかの人生ですね……ふぅ〜、でもここまで離したんですから〜、少しは休憩できそうです!」


 同じく走り通しのメロンは同じ廃車のボンネットに座る。爽やかに汗を拭いながら。

 その隣には「コヒュー、コヒュー」と今にも死にそうな呼吸のジョンが突っ込んでくる。


「どへ……っ」


「お疲れちゃんですね〜ジョン!」


「は、はぁ……あぁ、ど、どうも」


 メロンは、ボンネット上に腹ばいになるジョンの頭を撫でてやった。


「め、メロンさん……どうしてそんなに元気なんですか? は、走るのも異様に速いですし……」


 今まで何キロ走っただろう。

 スケルトンや狂人の群れから逃げ回り、数えていられないくらい長い距離を走ったが……笑いながら他人を撫でている余裕があるのは異常である。


「運動神経が良いのは昔からですけど、私はですね〜、防衛軍に入りたくって」


「え、今でも?」


「そんなわけないでしょうバカタレが〜」


「ば、バカタレ!?」


「目指していた時期があったんです。ちゃんと軍学校に行ったんですよ〜」


 よくわからないがそんな凄そうな学校に通っていたのなら、身体能力が優れているのも、銃を扱えるのも納得がいく。ジョンは頷いた。

 続いて反応したのはリチャードソンで、


「ほぉ、女が軍人目指すとは珍しいこった。だが結局ならなかったのか?」


「成績はトップクラスでしたよ〜。まぁ朝寝坊が多すぎて退学になりましたけどね!」


「アホか!」


 片手で頭を抱え、リチャードソンは嘆く。

 なぜなら、


「……もしかすると、お前さんと一緒に働いてたかもしれねぇのになぁ」


「え〜? あれぇ〜、ひょっとして〜?」


 顎に手を添えるメロンは、しばし考え込んでから、


「さっきから聞き違いかと思ってましたが、『リチャードソン』って〜、あの特殊部隊『P.I.G.E.O.N.S.』のリチャードソン・アルベルトですかぁ〜!?」


 思い当たった彼女は両手を組み、目をキラキラさせて質問を飛ばす。

 さらに付け加え、


「憧れだったんです〜! 握手してください!」


「お前さん思いっきり憧れのキ○タマ蹴ってんだぞ、オイ!」


 握手など求める意味が無い、とリチャードソンはごもっともすぎるツッコミ。


「そ〜いえば、他のメンバーはどうし――」


「すまん。俺から言い出しといて悪いんだがな、『P.I.G.E.O.N.S.』の話はそこまでにしてくれるか……メロン」


 予想に反して深く聞きたがるメロンを、リチャードソンは睨みつけて黙らせようとする。

 が、笑顔の彼女が黙るはずはない。


「はぁ〜? 喧嘩売ってんですか?」


 メロンは危険人物、腰の銃を抜きかねない。それはリチャードソンも同様だが。

 ――見ていたジョンは話題を変えるため、



「そ、そ、そういえばホープさん、一人で大丈夫でしょうか……」



 本当に心配だったことを独り言のように呟いてみた。

 ジルの方は心も体も強く、一人になってもある程度は生き延びられるだろう。しかしホープはその逆。


「え〜? ジョン、あなたはホープとは付き合い短いんですか?」


「う、うーん、他の人と比べるなら長い方だとは思いますが……」


「旦那様の目は節穴でございます!」


「断定!?」


 メロンは胸に手を当ててお辞儀しながら、ジョンにストレートな悪口を叩きつける。

 姿勢を戻した彼女は、



「彼は大丈夫ですよ――だってホープのあの目、見たらすぐわかります。あれは『すべてを諦めている目』ですね〜」



 よくわからない発言。

 しかも彼女がホープと一緒にいたのは、たったの数分なのに。


「諦めてるんなら、すぐ死にそうな気がするが? 違うのか」


「違います。まぁそういう人って基本は頼りになりませんけどね〜」


 メロンの言うことが矛盾だらけにしか感じられず、リチャードソンもジョンも首を傾げた。

 それでも彼女は得意げに喋り続ける――あくまで彼女の持論を。


「基本は頼りにならなくても、半端じゃない状況に置かれた時はどうでしょ〜ね」


 そして、爽やかに、何の屈託も無く。



「一つ諦めれば、失う物も一つ減る。『すべてを諦める』とは……つまり『無敵』じゃないですか?」



 両腕を広げたメロンは、二人に笑いかけた。



◇ ◇ ◇



 ――物資調達をした例のオフィスビルでの経験を活かし、ホープはジルに順番を譲った。

 屋上から下の薄暗い路地へ繋がる、梯子を降りる順番を。


「……何で?」


「ふ、深い意味は無いよ。レディーファーストってやつだね、レディーファースト」


「ホープ、紳士。じゃ、降りる」


「そうそう。そうなんだよ……」


 ホープが降りている最中にジルが続いて降りたら、どうなるか。

 もしホープが少しでも上を向いたら、また見えてしまうではないか。それを回避するのだから、まぁホープは紳士なのかもしれない。

 ――ジルはどうなのだろうか? 下着を見られることを何とも思っていないのだろうか?


 ホープがそんなことを考える間に、



「……どうしたの? もう、とっくに降りきったけど」


「あ、あぁうん! 今行く!」



 ジルは下に着いていた。


 どうしてホープが順番を気にしたのかは、彼女にはよくわからない。

 彼は基本良い人だが、時折何を考えているのかが読めない時もある。不思議だ。


 ――そういえば、占い男ベドベも『真っ黒な闇がかかっていて心が見れない』というようなことを言っていた。

 あの夜にテントの中で、『ドルド』という男との辛い話は聞いたが、あれだけで真っ黒になるだろうか? あの話の前後の出来事も気になるところだ。


 そんなことを考えながら、ジルは薄暗い路地から出ようとする。

 背後からは、降りてくるホープの軽快な靴音。



 別にこのまま大通りを進んでも良いのだが、スケルトンや狂人、あるいは好意的でない人間を避けるためには、やはり建物の屋上を渡っていくのがベスト。

 なるべく外に備え付けられた梯子や階段から上りたいものだが――




 キラリ。




 路地から出た瞬間、ジルの視界の端で、何かが小さく光った。

 時間がゆっくりに感じられる。世界が驚くほどにスローモーションなのだ。


「え?」


 それゆえに反応が遅れる。

 数歩進んだ先で振り返ろうとして、


「うっ……!?」


 背中に衝撃。

 半ば振り返ったところで押されるものだから、振り返りきれないままジルは前方へ倒れる。

 ついでに手斧を少し先の方に落としてしまう。


 しかし――半ばしか振り返っていなくても、だいたい察しがついた。


「ホープ! 降りないで!」


 うつ伏せの状態から両腕を使って立ち上がりながら、ジルはホープに叫ぶ。


 ――あの光は、刃物が光を反射したものだった。


 ――あの頬に傷のある男は、邪魔なジルを蹴った。



「え?」



 ジルの叫びは、ホープの耳に届きはするが、『届く以上』にはいかなかった。

 彼は当たり前のように、とぼけた顔で降りてきた。


 ――とぼけた顔は一瞬で凍りつく。



「もう遅ぇよ! バーカ!」


「あっ……?」



 ドスン、とホープの肩に刃が落ち、食い込む。



「ぁあああああぁぁぁぁ――――っ!??」



 地獄の釜に放り込まれたかのような悲鳴とともに、少年の顔は苦痛に歪む。


「……イザイアス!」


 したり顔でマチェテを振り下ろした、頬に傷のある男――イザイアス。

 約束したはずなのに。ジルは激しく憎悪する。



◇ ◇ ◇



「…………」


 バーク大森林の中、少し山のようになっている地形の中腹。

 吸血鬼ナイトは、朽ちて倒れた樹木を上手く椅子のようにして座っていた。


 なぜなら、


「…………」


 あらかじめ掻き分けておいた草木の向こうに、忌まわしき『エドワーズ作業場』が見えるから。

 今でも、まるで敷き詰められたかのように夥しい数のスケルトンや狂人がうろつく状態だ。


 ――終焉を迎えた場所を、なぜナイトが一人で、無言で、観察しているのか?

 それは、


「お前、最近よくここにいるじゃんよナイト。黄昏れちゃってクソ似合わねぇけど、今流行りの自分探しの旅ってやつか?」


「あァ? ……何だ。てめェか」


「そのガッカリしたような表情やめぃ!」


 背後から現れたドラクが適当に言う『自分探しの旅』とは、もちろん違う。


「ガッカリはしてねェ。呆れてんだ」


「いやどっちにしてもやめろよな!? オレのガラスのハートがほんの少しヒビ割れちゃう」


「ヒビ程度かよ。そこァ滅茶苦茶に割れとけ」


「鬼かお前!? あ、マジの鬼じゃん吸血鬼じゃん! はっ、迂闊だった……お前が妙に鬼畜(きちく)なのはお前が鬼畜生(おにちくしょう)だったからかぁぁ!」


 突然現れたドラクのうるささに、ナイトは――救われるような気がしながらも――頭をがしがし掻き、


「で? ……つけてきたのかよ、俺を」


「んん、まぁ、そうなるか。お前いつも同じ方向に歩いてく気がしてよ。どこ行くんだろうなーってさ」


「てめェこの前、森を単独行動してどうなった? もう助けてやらねェぞ?」


「……痛いとこ突くな。さすがは剣士、切れ味バツグンってわけだ……じゃあオレがもう単独行動しねぇように、どうして作業場見てんのか理由教えてもらってもよろしいでしょうかナイトさん?」


 正直、ドラクがこう出てくると思っていた。だからナイトは答えを用意していた。



「あの作業場にゃァ、まだ大量の銃弾とか、食料が眠ってる。獣肉はスケルトンどもが食っちまうだろうが、銃弾や農作物は残ってるはずだ……利用できねェかと思ってる」



 朽ちた木の上から片足だけぶら下げて座るナイトの話を、ドラクは地上で腕組みして頷きながら聞いていたが、


「はい、ダウト」


「あァ? 殺すぞ」


「殺意エグっ! ……だってよぉ、あのウロウロするスケルトンの数見てみろよ。突撃とか無理だろ? しかもお前一人とか絶対無理に決まってんだろ」


 疑いの目を向けて離さない、ドラク。


「何が言いてェんだ。こっそり潜入するとかァ、敵がいなくなるのを待ちゃァ良いだけだろ」


「いやいや、『こっそり潜入』と『ナイト』って下手すりゃ対義語の関係にあるぜ」


「あ?」


「あとあんなにギュウギュウ詰めのスケルトン、簡単にいなくならねぇだろ。お前だって知ってるはずだ。なのに一日一回とかここ来てさぁ」


「だァから、何が言いてェんだよ?」


 じれったくなったナイトは木から飛び降り、ドラクの目の前に。

 しっかりと視線を合わせるドラクは口を開いてから数秒の間を空け、


「――ケビン」


「っ!」


「ケビンを、探してんじゃねぇか? ホープとレイっちの仲間のよ」


 まだまだ記憶に新しい。

 黒人でガタイが良くて、兄貴肌な男ケビン。


「死んだとこ、見てねぇもんな。ホープもレイっちも、すげぇ寂しがってたもんな」


「……!」


「オレたちが、見捨てたもんな……なぁ図星だろ?」


 事実をつらつらと並べるドラクの、その言葉一つ一つに心を抉られるし、心を救われる。

 ナイトを、自分もろとも責めてくれる人物であるドラクは貴重な友人だ。


「……うるせェな」


「ナイト、相変わらず口喧嘩弱ぇな。正論言われたらすぐ『うるせェ』だ」


 苦笑するドラクをよそに、ナイトは再び草むらの向こうを見つめる。


 生きているケビンが現れれば、すぐにでも助け、グループに引き込む。

 ――変わり果てたケビンが現れれば、どこにいようと突撃しトドメを刺し、その後でホープやレイに報告するかどうかを考える。


「隣、いいか?」


 そのナイトの横に、ドラクが並び立つ。


「もちろんいいよな? だってオレとお前は仲間だし……色々あったけどさ」


「当然のことォ、確認すんなよアホ」


 ナイトの腹を凝視して恐る恐る言うドラクを注意する。

 今さら、あれくらいで友情が壊れてたまるか。


「そ、そうか? それは良いとして……ホープもレイっちもケビンも、一緒に死線をくぐり抜けた仲だ。だろ?」


「…………」


「あいつらは仲間だ。ケビンだって仲間だ……見つけてやろうぜ、()()()()()()()


 不吉なことを言うドラクだが、それが事実なのでどうしようもない。

 けっきょく二人並んで作業場を眺めているが、


「……なァ、ドラク」


「ん?」


「あの青髪の弱虫ァ、ただの弱虫じゃねェのか? あんな野郎に『死線』ってもんをくぐり抜ける力があんのか?」


 どうしてもナイトは、ホープのことが気に入らないようだ。



「一応あるぜ……力が出るまでが長ぇんだけど」



 エドワーズ作業場でのホープとの共闘を思い出しながら、ドラクはまた苦笑した。



◇ ◇ ◇



「ひっ、あっ、ぅああああぁっ!? あぁっ!」


 一方ホープは、左肩から止まらない血を押さえながら喚いていた。


「痛い、痛い、痛いぃぃ! くっそ、何で、何でおれがこんな目にぃぃ痛いぃぃ!」


 地面を転げ回り、両足をバタバタ暴れさせ、思いつく限りの言葉を喉から絞り出す。


 肩を触ってみると、ぱっくりと裂けているのがわかり、まるで自分の体ではないようで心の底から気持ち悪い。

 もう嫌だ。


 そしてこの焼けつくような痛み。この世から自分の存在を早く消したい。消えてくれ、消えさせてくれ。


「ったく黙れよガキぃ! それとも俺が黙らせてやろうか!? よし、それでいこうぜ!」


「は……っ!? あっ、来るな、やめろぉ!」


 ジルから『イザイアス』と呼ばれていた謎の男は、仰向けのホープに馬乗りになってきて、


「作業場の恨み、この俺が具現化してやらぁ!」


「ぶうっ! がぁあっ!」


 顔を何度も殴ってくる。


「ご……! ぉあっ! ばは……っ」


 何度も、何度も、何度も。


「最上級の苦しみを味わえ! そして死ね! 憎き青髪のクソガキがぁ!」


「えうっ、ぐぁっ!」


 どうやらこの男、意味は全くわからないが、ホープを気の済むまで苦しめてから殺すつもりのようだ。

 ――つまり、最悪の敵。


 その時、


「もう、やめて! そこまで!」


 ジルの両腕が背後から伸び、イザイアスの首を包み込む。

 そのまま絞め技に持ち込む。


「ぐぇ!? ……おぅぉ、おまぇ……ぇ!」


 彼女の力は相当なものらしく、大の男が腕をどけようとしても動きはしなかった。

 イザイアスのマチェテが、地に落ちる。


「ホープ逃げて! この路地の先は行き止まる、大通りから別の路地へ! とにかく走って、こいつを撒くの! 早く!」 


「……えぇ?」


 一瞬、ホープの思考は止まる。


 どうしてそんな話になるのか――ジルを置いていけというのか?


「そんな……そ、れじゃ……君が……」


「大丈夫! 聞いてなかった? こいつは『エドワーズ作業場』の一味! あなたや、ナイトを、恨んでるだけ! 私は殺されない!」


 確かに奴は『作業場の恨み!』と発してはいたが――そんなに単純な話、なのだろうか?

 ジルが殺されない保証は無い。


「と、とにかく……斧を……」


 どちらにしても、ジルの手斧だけは拾っておかなければ。

 必死に拘束するジルと苦しそうなイザイアスの硬直状態、その横を通り抜けてホープは手斧を拾う。


 直後、ホープの背後で、


「こん……のっ……クソアマがっ!」


「ぐっ、うぅっ!?」


 イザイアスは大きく体を振って、張り付くジルを建物の壁に二度叩きつける。

 それでも彼女は絞め続けるから、


「おら……この……っ!!」


「いたっ」


 イザイアスはどうにか両手で、ジルの髪やパーカーのフードをひっ掴み、


「邪魔なんだよぉっ!!」


「あうぅっ!」


 手加減無しの背負い投げ。

 硬いコンクリートの地面に、ジルの華奢な体が強く打ちつけられる。


「あぁっ……ジル!?」


「手こずらせやがって。せっかく顔も体も上玉なのになぁ……こんな弱くて臆病なマヌケ小僧のどこを気に入って守ってんだか」


「く……」


 ゆらり、ゆらり、とマチェテを拾ったイザイアスが近づいてくる。

 ジルは動かない。


「う、うぅ……」


 イザイアスが一撃で頭を割ってくれるなら、万々歳。だが、こいつがそんな気持ちの良い男でないのは明白である。

 斬りつけられた肩は痛み、殴られた顔は腫れ始め、熱くて痛くてしょうがない。


 ――逃げたくてたまらない。


 しかし――手にはジルの手斧。


「どうした? そのオモチャみてぇな小せぇ斧で、必死に抵抗すらしないのか? お前、最低だな。この女が浮かばれなさすぎて可哀想だ」


 こればっかりは、イザイアスの言う通りだ。

 ジルは必死でホープを救おうとして、あんなにボロボロにされた。


 なのにホープは、


「痛いよぉもう……やだよ、やなんだよ、もう……痛いのはさぁ……」


「ぎゃーっははは! これ以上笑わせんなよ、このザコ野郎がよぉ!」


 残念ながらホープは抵抗さえしようとしない。


 ジルのことをどうでもいいと思っているのと、何ら変わりがない。


 この状況、覚えがあった。

 作業場の地下採掘場でもこんなようなことが――


「まだ、終わってない!」


「どあ!?」


 するといつの間にか起き上がったジルがイザイアスの服を引っ張り、後ろの地面に投げ倒す。

 そしてホープに手を差し出す。


「武器を!」


「……えぇ?」


 その手斧をよこせ、とホープに要求するのだ。


「おいおいガキ、まさか本当に渡しちまうのかぁー!? 嘘でも『おれが戦います!』って言ったり、そんなことすらしねぇと!? ぎゃは、ぎゃははは!」


「あなたに、関係ない! ホープ早く!」


 笑いの止まらないイザイアスを叱りつけ、ジルはホープを急かす。

 そしてホープは、決断するしかなかった。



「……ごめん」



 斧を、投げて。

 それをジルがキャッチした。ただそれだけだ。


「それで良い、ありがとう。気にせず逃げて」


「……わかった」


 ジルは、強い。ホープより強いのだ、きっと勝てる。大人の男が相手であっても、勝ててしまうはずだ。


 ホープが残って抵抗して、何が変わるというのだ。


 ――いや、先程ジルは押されていたじゃないか……なんて、そんなことを考えてはいけない。


 あれは偶然だ。そうだ。そんなこともある。



「ぎゃーっはっはっは! 仲間を見捨てて逃げやがった! この数日間でお前は何も変わっちゃいねぇなぁオイ!」



 あの場に残って無駄に痛い思いをするくらいなら、ジルの言う通りにしよう。

 彼女は逃げろと、言ったのだ。


 ホープはそれに従っただけだ。



「作業場の崩壊を始めた『主犯』はお前のくせに、実際に崩壊させたのは誰だったっけぇ!? あの銀髪の吸血鬼だ! そして俺を殴ったのも、仮面の女だったなぁ! 他人に任せっきりじゃねぇか!」



 悪くない、悪くない。



「腰巾着のお荷物だな、お前なんか! ぎゃはははっ! この女ブチ殺したらすぐ追いかけるから待ってな! どこに居ても必ず見つけ出して、苦しめて苦しめて苦しめて殺してやっからよぉ!」


「黙って! あなたの相手、私だけ!」



 心の中で死ぬほど言い訳をしながら、ホープは一目散に走り出した。

 後ろから、刃のぶつかる音が連鎖する。


 振り返らず、走る。



「あぁあ……っ!」



 ――マチェテで胸の辺りを斬られた、痛々しいジルの悲鳴が聞こえても。



◇ ◇ ◇



 並んでエドワーズ作業場を見下ろしていたナイトとドラクの前に、ある人物が姿を見せる。


「やぁ……お二人さぁん……ごめんね、俺もつけてきたんだよねぇ……」


「ベドベ!? 相変わらず幽霊みてぇな格好で神出鬼没なのやめろよ怖ぇな!」


 灰色の髪を腰くらいまで伸ばした、まさしく幽霊のような外見の男――占い好きのベドベだ。


「……あぁ……そんなことよりさ……ナイトの未来を占わせてもらってもぉ……いいかなぁ」


 水晶玉を手に持って腰を下ろすベドベを、


「やめろ、てめェ!!」


 ナイトは真剣に怒鳴りつけた。


「……やっぱ……ダメかぁい……?」


「前も言っただろォが! 俺の未来だ、俺だけの未来なんだ――そりゃァ俺が決める!」


「そうかい……」


 少し退屈そうに俯くベドベに、ドラクは聞いてみたいことがあった。


「お前さ、ジルのことは占わなかったのか? あいつもアネーロに行くのに」


「……あぁ……一応やったよぉ……」


「え、やったのか!?」


「ジルはねぇ……街に行ったら死ぬって――」


「お前ぇぇぇ――――!!!」


 ドラクは飛び込むような勢いで、ベドベに掴みかかった。本気で怒ったのだ。


「何で止めなかった? 何で止めなかった!? あいつは、あいつはオレの代わりに街に行くんだぞ!? それで死んでどうすんだ!」


「……止めたよぉ」


「は!?」


 ベドベの肩を前後に揺するドラクだったが、すぐにその動きを止める。



「止めようとはしたけど……ジルは聞かなかったよぉ……だから俺は言ったんだ……『一緒に行動する人次第で生きられるかも』って……」


「ど、どういう意味だよ?」



◇ ◇ ◇



「くっ……この!」


「いでっ!」


 やっと、一発入った。

 ジルは今初めてイザイアスに刃を当てたのだ。といっても腕を掠る程度だが。


「おいおい血ぃ出たぞ。どうしてくれんだ?」


「ナメないで!」


 ブン、ブン、と手斧を振り回すが、イザイアスはこちらを舐め腐った余裕の表情で避けまくる。

 そのついでに、


「うっ!?」


 マチェテの先端に容赦なく左肩を突かれ、


「あぁっ!!」


 さらに追加で太ももを突かれる。

 あまりの痛みに、体勢の崩れたジルはその場で横に倒れた。


「……く!」


「おっと危ねぇ」


 足を払ってバランスを崩してやろう、と倒れたジルは蹴りを放つがイザイアスは軽くジャンプして躱し、


「ふんっ!」


「あ……!」


 着地の直後に素早くキック、ジルの腹に思いきり命中した。


「こほっ……うぅ、けほっ……」


 ――勝てない。

 全然、力が届いていないではないか。


 こうなれば奥の手だ。ダメ元で。


「私との約束……けほっ、破った……イザイアス、あの吸血鬼に、殺される」


「へっ。街に入ったお前らのことずっと見てたが、吸血鬼なんか居やしねぇじゃねぇか。今だって奴は来ねぇ。約束もクソも無いよな、成立してねぇんだから」


「……っ」


「ていうかお前、甘すぎだろ。この世界で『関わるな』なんて約束を誰が守るってんだ? お前、顔とスタイルは良いのになぁ、頭が絶望的に悪くてかなわん」


 ギリッ――ジルの歯が自然と音を立てる。


 甘すぎる……そんなことは、わざわざ言われなくても充分わかっているのに。

 よりにもよってこの男に言われるか。


「はぁ、はぁ……イザイアス」


 静かに怒りを燃やしながらも、ジルはゆっくりと立ち上がり、



「……降参」


「はぁ?」



 手斧を捨て、両手を上げ、ただただいつものジト目でイザイアスを見つめた。


「フザケてんのか? どういうつもりだ」


「どういうつもりも何も、降参。勝てないから、もう辞めた……私は敗者、あなたの好きにして」


「……んん?」


 目を光らせるイザイアスは、当然『その言葉』に食いついた。


「俺の好きに? 好きにしていいって?」


「ん。勝手にどうぞ」


「じゃあ好きにさせてもらおうか」


 一歩、二歩、と距離を詰めるイザイアスは、ジルの体を押して建物の壁まで追い詰めた。

 そして彼は、



()()()()()()よ、こんな世界だからな」


「……んっ」



 力強く、押し付けるように、ジルの唇に自身の唇を重ねる。


「んむっ、ふぅ……むぅ」


 微かに、ジルが甘い声を漏らす。

 決して喜んでいるようには見えないが、それで結構。


 さらにジルの口内に舌を侵入させ、彼女の熱を、彼女の愛を、奪うように、または刈り取るように、舌に舌を絡ませて、



「ぅぶ!? ぶぎゃあぁぁぁ――――っ!!?」



 すべてを中断。


 ――ジルから顔を離したイザイアスが下を見ると、赤い液体の水たまりが出来上がっていた。

 そしてそれは今も、()()()()()()滴っている真っ最中。


「ぶっ、お前ぇ! 何しやがる! 好きにしろと言ったのはお前――」


「負けて渋々『好きにして良い』と言った女に、本当に好き勝手するなんて、最低の男。当然の報い」


「何だとぉ!?」


 イザイアスの舌を噛んで返り血を口から流すジルは、思う存分に敵を嘲る。

 完全に怒り心頭のイザイアスは、再びマチェテを取り出し、その先端をジルに向けた。



「もういい……お前みたいな顔と体が良いだけのクソアマ、息の根止めてやらぁ!」



 ――もしかしてあれは、作業場のボスだったエドワードの愛用していたマチェテか。

 まるで本当に『作業場の怨念』を向けられているようだ。


 やはり、あの時ヴィクターを止めるべきではなかったのだろうか。


 鈍く輝くその刃。

 舌を噛んで一矢報いてやっただけでも、充分なくらいの力の差。


 ジルは心底後悔し、同時に死を覚悟した。


 が、






「うおおおおおおおお!!!!」






 予想だにしなかった乱入者に――ジルは目を見開くしかなかった。



「え、あなたは……あなた、は……」


「そうだよ……!」


「逃げたはず、じゃ……」


「そうだよ! おれはホープ・トーレス――世界一の大間抜けだよ! 他に何か言葉が必要!?」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ