第83話 『屋上デート』
日光が強く照りつける、屋上。
その端っこで、二人の若者が並んであぐらをかいていた。
「ホープ、お腹、空かない?」
「……まぁ」
暗い顔で背中を丸めるホープに話しかけたジルは、自分のリュックを漁る。
中から二つほど取り出し、
「豆のスープみたいな、缶詰……それか、プリン。これしか、見つからなかった。どっちがいい?」
「…………」
何食わぬ顔で、というかいつものジト目といつもの無表情で聞いてくる。
――ホープにはそれが、少しだけ腹立たしかった。
「ねぇ、ジル」
「?」
「さっきのことはもういいの? おれ、あと少しで死ぬところだったんだよ?」
「?」
「……そんな奴と話すのは気まずいでしょ? 無理して話しかけないでよ」
終始、首を傾げているジル――彼女は優しいが、いくら優しいと言っても限界はあるだろう。
これ以上の心労を、負担を彼女に与えたくない。ホープのことなんか放っておいた方が、気楽なはずだ。
こちらとしても、今だけは放っておいてほしいし。
とにかく今のホープは複雑な心境である。
――また死ねなかった。
それも辛いが、何より一番辛いのは……
「狂人から逃げようとして、届かなかっただけ、でしょ? ……無事だったから、それで良い。もう過ぎたこと」
ジルがホープを屋上へ引き上げた時、彼女はとても安心したような表情だったことだ。
――こんなクズと、仲良くしないでくれ。
「そうだけど……過ぎたことだけどっ……」
「ん。だから終わり。どっち、食べる?」
「はぁ……」
変わらず無表情。彼女は、一切として表情を変えはしなかった。
そして缶詰と、円柱の形をした箱を押しつけるように見せてくるのだ。
豆スープか、プリンか。
「じゃ、じゃあ……」
思い出すのは、作業場の独房でのドラクとの通信だった。
『プリン』の話があった。柔らかくて甘い、とか。どちらか選ぶのなら、食べたことのない物がいい。
「プリンかな」
「……そう? 豆の方が、栄養ありそう、なのに。イメージだけど」
「君が食べてよ」
「まぁ……何でも、いいけど」
渋々といった様子でジルはプリンが入った筒状の箱と、拾ったのだろうスプーンをホープに差し出す。
彼女も缶詰を開け、スプーンでゆっくり食べ始めた。
箱を開けてみる。
ひとすくいして、口に入れてみる。
「おお。美味しいな……柔らかくて甘い」
ドラクから聞いたまんまの感想しか口から出てこないのは、仕方がない。
ボキャブラリーなど、ホープが豊かなわけがないのだから。
「初めて、食べる?」
「うん……あっ」
小首を傾げながら聞いてくるジルの方を向くと、当然、目に入ってしまう。
『いやもうホントに、パーカー越しでもわかるんだが、ジルのくせにプリンみたいな柔らかさでさ』
ドラクの言葉が、指し示したもの。
あの時『プリン』に例えたもの。
「ぶっ!!」
「あ、吹いた。大丈夫?」
「げほっ! げっほ、げほ!!」
彼女の豊満で柔らかそうな胸が、綺麗な曲線を描く谷間が見えて。かなり意識してしまった。
必死に別の方向を向いてから口の中のプリンを噴き出したが、恐らく今ホープは赤面している。
「ドラクめ、余計なことを教えてくれたな……!」
「?」
奴があんな話をしなければ、ここまでジルの体を意識する機会は無かった……はずだ。
たぶん。きっと。
何も理解できないジルは、黙々と豆を口に運ぶのだった。
◇ ◇ ◇
ホープの目に映るのは、豆スープを食べ終わって水を飲むジルの横顔。
水は、薄っすら桃色の唇から伝わり口の中へ、そして喉へと流れていく。
それだけで絵になるから、彼女はすごい。
男たちから好かれて当然だ。
どんな仕草も可愛く美しく、どこか艶やか。
さらに性格は優しく、でも言いたい時は言う。戦えばホープやジョンより強い。
――完璧では?
「ん? 私の顔、何かついてる?」
「……いや何も」
「じゃあどうして、凝視する?」
「凝視て……」
ジルの面白い言い回しを控えめにツッコミながらも、考える。
彼女の横顔が可愛いから、というのは後付けの理由だ。始まりとしては、
「おれ、もしかすると『女性が水を飲む姿』好きかもしれない。何かこう、ずっと見てられるような気がして」
「ふーん……」
今、ホープは――無自覚で――割と気持ち悪い本心を暴露した。しかも女性に。
だがジルは表情一つ変えずいつも通りのジト目、それどころかもう一口水を飲んでから、
「マニアックな……フェチ」
色っぽくて、背徳感を刺激してくるような流し目を向けてくる。
「フェチとかそんなんじゃないよ! やめてよ」
「いや、フェチ」
「違うって!」
「性癖」
「意味同じだよね……?」
「趣味」
「それ一番響きが危険だなあ……?」
頑張って答えていたホープだったが、本当はとても謝りたい気持ちだった。
彼女にとっての『フェチ』を、ホープはジルにストレートに向けてしまったということなのだから。
ホープ自身は純粋に話してしまっただけで全く悪気が無くても、ジルはそう感じたのだ。それすなわち、悪いことをしたのだ。
これが世に言う『せくはら』というやつか。聞いたことがあるだけだが。
「おれキモいこと言ったよね。ごめ……ぇっ!?」
そんなホープが陥ったのは、謝りたくても謝れない、おかしな状況。
「すぅ……」
「っ!? っ……っ!?」
なぜかジルの頭がホープの肩に乗っかってきて、超至近距離で寝息を立て始めたのだ。
「ど、どうして急に」
もしや、ジルは寝たフリをしてホープをからかっているのか?
先程の変な会話劇も、からかいの一環だったのかもしれない。
首を伸ばし、彼女の顔を覗き込む。
普通に寝ているようだが。
気になる点はある。
まず、目の下のクマだ。
そういえば今朝、彼女はテントにはおらず、リチャードソンと一緒に森から出てきた。
――何か理由があって、眠れなかったのかもしれない。
そしてもう一つ、
「少なくともセクハラとは思わなかったのか」
珍しいことに、眠るジルは微笑んでいたのだ。
――安心しているのは間違いない。
右肩の重みそのままに、ホープは残っていたプリンを必死でかき込むのだった。
平静を、保て。
◇ ◇ ◇
「……んぅ」
それから10分ほど経った。
「起きた?」
「ん……寝ちゃってた、かな」
「うん。おれを枕にね」
「……まさか、何もしてないよね?」
ジルは、悪戯っぽい微笑みを向けてくる。
「するわけないでしょ!! もう、突然変なことしないでくれよ……おれだって男なんだよ?」
男はケダモノである。
人間には理性というものがあるから大抵は平気だが、理性が働かなかった場合は何が起こるか予想もつかない。
そうなったらもちろん悪いのは男だが、女の方も嫌な目に遭う前に注意を払うべきだ。
――ただホープはというと、自殺願望を除いて『欲』が皆無。実は絶対的に安全なのだが。
「ちょっと待ってよ、今寝たのっておれを試したわけじゃないよね?」
「さっきの、冗談。ただの睡眠不足」
「コールさんじゃないんだから……どうして眠れなかったの? 朝はテントにいなかったけど」
ホープは普通の質問を普通にしただけのつもりだったが、
「その話、まだ早い――まだできない」
ジルは笑みを消し、無表情に。だがいつもとは少し違って、何かしら真剣味を感じる。
彼女は立ち上がり、
「……リチャードソンたちは?」
どうやら行動開始らしかった。
「はぐれちゃったんだよ。でも『領域アルファ防衛軍基地』に来いって言ってた」
「そう。武器の回収、もう行くつもりなんだ」
「みたいだね。じゃあ下に降りる?」
「待って……このまま屋上、進んでいけば、軍基地の近くまで、行けると思う。下手したら、基地に辿り着く……かも」
建物がずらりと並んでいるから、当然、屋上だって一本の道のように連なっているのだ。
そんなことは考慮もしなかったホープは、
「本当? すごいな」
ジルの考えに軽く感心しながら、ゆっくりと立ち上がるのだった。
◇ ◇ ◇
宣言通り、二人は建物の屋上をどんどん進んでいっていた。
道路を挟んで向こう側には、20階や30階を超えるようなの大きさの高層ビルが並ぶ。
こちら側で良かった。
「……ん? なんか聞こえる」
高層ビルを眺めていたホープの耳に、聞き慣れない音――否、音楽が届いてくる。
何事かと下の道路を注意深く見てみる。するとここから数十メートル離れた所に、
「俺は一匹狼♫ 淋しげなッッッ!! ロンリー・マイ・ハート♪♪♪」
車上で煌びやかな衣装に身を包み、楽器のようなものを振り回す男。
大きな歌声の後ろには、おぞましく列をなすスケルトンや狂人たち。
「何してるんだあの人……?」
それが凡人ホープによる、凡庸な感想だった。
歌詞は意味不明、ゆっくり車を動かして大声でスケルトンを集めている行動も意味不明。
普通あんなのは自殺行為と呼ばれるだろうが、死にたくてやっているようにも見えない。
すると、ホープの横に並ぶように、ジルも下を覗き込んだ。が、
「あの人、まだいたんだ」
彼女のリアクションは『驚き』から程遠いもので、
「え……知ってるの?」
「ん。私、物資調達で一度、街に来てる」
「初めてじゃなかったの!?」
ホープは、ジルがこの大都市アネーロに来るのは一度目かと思っていたのだ。
『田舎者』と呼ばれるのだから、生まれも育ちもここではないのだろうし。
「だって……最初に会ったのが、ニックだったから」
「どういうこと?」
「そういうこと」
「どういうこと!?」
ジルは柵に頬杖をついて物憂げな顔をするくせに、隙を与えずホープをからかってくる。
ニックとはグループのリーダー、ニック・スタムフォードのことだろうが、
「えっと、つまりこの世界になってジルが一番最初に出会ったグループのメンバーが、ニックさんだった?」
「ん、正解……ニック、私と会う前から、もう生存者たちのリーダーだった」
ホープの解釈は間違っていなかった。そうなってくると、
「最初に会うのがニックさんだと、絶対に街に行かなきゃいけないってこと?」
「絶対……では、ない」
柵から退いたジルはまた屋上を歩き出す。
隣の低い建物へ、ぴょんっと身軽に飛び移りながら、
「ただ、私みたいに普通の……何の取り柄もない人間なら、絶対行かされる」
「…………」
「彼、仲間を選ぶ時、その人の『実力だけ』を見る。冷酷な男」
「なるほど、おれとかジョンが物資調達行くのは必然だったんだ……あっ」
ならば、ジョンの異常な聴力についてニックが知っていれば、ジョンはわざわざ街に来なくても良かったのではないか。
まぁ少しでもジルと一緒にいたい彼にとっては、どうなのかわからないが。
もう一つ気になるのは――レイをどうして止めたのか。
仮面や杖は特徴的だが、ニックがそんなもので満足するはずがない。
ということはまさか、正体がバレて……
「でも、ナイト、対照的」
「……え、な、ナイトって吸血鬼のだよね?」
遅れた足並みを戻そうと小走りになりながらホープが問うと、
「ん。仲間を選ぶ時の彼、まず『心』を気にする。ただの乱暴者じゃないみたい」
「そうなんだ……」
「だからドラク、街を脱出してから、来たことない。話さなかった?」
ホープは頷く。出発前にドラクはそんなことを言っていたから。
――どうしてジルが急にナイトの話をしたのかわからなかったが、恐らく『街に来たことが無い者』と『来たことがある者』の違いを説明してくれたのだ。
「ドラクが最初に出会ったのは、ニックさんじゃなくてナイトだったんだね。それで『強い心』だと認めてもらったんだ」
「認めたナイトは、きっとニックを説得した。だからドラク、街に戻らなくて良くなった」
ドラクは、ジル以上に何もできない。特徴も取り柄も、騒々しいことのみ。
でも彼は心に『強さ』を飼っている。
二人がどうやって出会い、ナイトがどうやってドラクの『強さ』を見出したのかは不明だ。
だが、まぁとにかく見抜いたのは間違いない。
――ずっと、あの二人がなぜ仲良しなのかが疑問だったホープ。
これで謎が解けた。その最初の出会いに全てが詰まっているのだろう、と。
それ以上はわからなくていい。野暮だ。
「趣味が良い、ナイトは。話したこと、無いけど」
「一度も? もったいないなぁ、君が最初に会ったのがナイトだったら絶対簡単に認めてもらえたのに」
「え」
ジルは足を止め、顔を半分だけ振り返らせてホープを見つめてくる。
「だってさぁ、あんな強面のニックさんとあそこまで張り合える女の子なんてそうそういないでしょ」
「そう、かもね……やっぱり、ホープにも、私は強く見える?」
俯くジルにそんなことを聞かれると、
「見えるけど……あれ、見えちゃダメだったかな……?」
マズいことを言ってしまったかな、と不安に駆られてしまう。
「ダメってこと、無いけど」
「そ、そう……」
顔を正面に戻し、表情を見せずに答えたジルはまた歩き始めた。
歩き始めてものの数秒、
「あ。屋上の行き止まり」
ジルが呟く。
下の道路から路地が通っているらしく、ビルの連なりが途切れてしまったのだ。
「軍基地はこのまま真っ直ぐなんだよね? じゃあ一旦降りないといけないんだ……」
せっかくスケルトンや狂人のリスクを回避できる移動方法なのに、とホープはため息。
「そうだね、降りよう。『ロックスター』に気をつけて、またすぐ上に行く」
「うん、アレにだけは関わりたくないよね」
ジルとホープは苦笑を交換し合う。
――すぐ下に、『ロックスター』よりももっと危険な人物がいるとは露知らず。
遅くなってすみません。
気になっていた人はまずいないでしょうが…キネティックノベル大賞余裕で落ちましたねw 自信があったわけではなく、本当に試してみただけです。
それと次回のお話は、ちょっとは期待できるかなぁって感じです。少しでも面白いと思ってもらえたら良いんですが…




