第77話 『俺の花、君への雪』
やはり、大変遅くなってしまいました。すみません。これからも温かく見守ってほしいです。
※第67話『挨拶回り』で登場する、ポールというキャラクターの髪色をピンクからレインボー(七色)に変更しました。
大したことじゃないですが、世界観的に男のピンク色も珍しくないかな…と思い。
――寂れたロビー。
割れた窓。枯れ果てた観葉植物。
当然のように誰もいない、受付カウンター。
いったいここが何の会社だったのかも、よくわからないものだ。
「っていうかさ……ジル」
無音のロビーをなぜだか無音で歩こうとしてしまうホープには、気になることが。
「どうして前に物資調達させた所を、今回またやるんだろう? 意味無いじゃん」
それは誰もが感じる、当然の疑問であった。
少し前を歩くジルは振り向き、
「リチャードソンの、ことだから……前回の調達結果、納得してない、のかも」
「少なかったってこと? でもこんなオフィスビルで回収できるものなんて、そんな多くないでしょ」
「ん。まぁね」
「…………」
早々に前を向き会話を切り上げてしまったジルに、ホープは困惑。
――さすがにこれ以上追及しないが、リチャードソンの指示の適当さについて、彼女は何の不満も感じないということなのか。
二人は硬くて埃っぽい床を歩き続け、
「一階、たぶん何も無い。二階、行こう」
階段を見つけたジルが、ぶっきらぼうにホープに告げて、言った通り階段を上り始める。
「……そうだね」
『二階も三階も大した物ないよ』と言いたい気持ちを抑えつつ、ホープも続いて上り始める。
その際に少し見上げると、
「ぅおっ!」
ホープの喉が、おかしな音を絞り出す。
と同時に、素早く横へ目線を逸らした。
「……? どうしたの」
ジルは心配そうにこちらを見下ろすが、
「いや、いや何でもないんだ。ちょっと躓きそうになっただけ」
「そう。気をつけて」
安心したらしいジルは――珍しく――、少し口角を上げている。
そんな彼女に、目を逸らして俯いたホープは掌を向け、
「うん気をつける。気をつけるから早く進んで」
奇妙な早口。
ジルが階段を上り終え、姿が見えなくなってから、ようやくホープは歩みを再開。
俯いたまま、彼は呟く。
「パーカーの下が……おれ、そんなことに気を使いたくないよ……」
――なんとなく予想はしていたが、ジルはあのダボダボのパーカーの下には短いズボンなど履いていないらしい。
目を逸らした理由は、『それ』を見たらジルへの侮辱になると思ったから。
俯いたのは……少しだけ見えてしまったから、赤面を隠すためだ。
「黒かったのは……影だよ。そうだ。間違いない」
自慢ではないが、ホープは一人で勝手に納得するのが得意だ。
――そして二階に辿り着き、ホープとジルは驚くことになる。
「え……ハント?」
「遅かったッスね、二人とも!」
ここにいるはずのない、くすんだ金髪の若い男――ハント・アーチ。
笑顔の彼が、萎れた薔薇を口に咥えて、二人を歓迎したのだから。
◇ ◇ ◇
一方その頃。
オフィスビルの正面玄関では、静かなる大騒ぎが巻き起こっていた。
「あんのクソッタレ……あれほど『行くな』っつったのに、ハント・アーチぃぃぃ!」
珍しく苛ついているリチャードソンが、微妙に押し殺せてない叫び声を上げている。
ハントを呼び戻すため、すぐにでもビル内に入ろうとしている彼なのだが、
「ちょ、ちょっとリチャードソンさん、彼だって軍人なんでしょう!? 僕らの方が、せ、生存確率低いんですから!」
「そうよ、しかもこのビルは調査済みなのよ!? 私たち二人だけ外に置いてくなんて絶対に許さないわ、この太っちょ熊男!」
慌てふためくジョンと、怒り狂うライラに、片腕ずつ掴まれて動けない状況。
しかし、
「太っちょ熊男ぉ!?」
「ええ、まったくその通りじゃない! 行動も単純で、人間じゃなくて動物みたいよね!」
「言って良いことと悪いことがあんのは、世の常識だぜぃ!? 小娘ぇ!」
「きゃあ! ほ、ほらすぐ暴力よ!」
拳骨を振りかぶるリチャードソンを恐れ、縮こまるライラ。
だがリチャードソンのそれは演技で。
「本気で殴るわけねぇだろ……あー、もういい」
「な、何がいいんですか」
抵抗を突然やめたリチャードソンに対し、ジョンが眼鏡を整えながら問うと、
「決まってらぁ、ここで見張りを続けるってことをよ……ついでにお前さんらの実力も見るぜぃ」
「「え!?」」
くるり、と踵を返したリチャードソンが道路へと目を向け、指差す。
そちらはジョンとライラからすると後方だが、
「今、騒ぎすぎちまった……だから多少スケルトンが来る。二人で何とかしてみな」
「ひっ! わ、私は嫌よ!」
ふらふら向かってくる五体のスケルトンを見て、ライラは素早くリチャードソンの後ろに隠れた。
「ライラ……いつまでそんな態度でいる気だ? そんなんじゃキャンプに帰還できたとこで、いつかニックに追い出されちまうぞ?」
「うるさいわね、私は一年間逃げ隠れして生き延びてきたの! 突然『戦え』なんて言われても、心の準備ができないわよ!」
――スケルトンパニックが発生して一年が経つこの世界『領域アルファ』。
面白いのは、現在、生命活動を行う者たちが必ず一年を生き延びているという点である。
例えばライラやホープのように、一年間逃げては隠れ、戦わずして生き延びた者。
ニックやリチャードソンあるいはナイトのように、一年間戦っては殺し、幾度となく死線を潜った者。
皆同じ一年を生きているはずなのに。
人によって、経験の差がとんでもなく激しい。
――個性があるのは良いことだが、ニックのグループに加入するのなら、戦わずして生き残った者たちは相当な苦労を強いられる。
それだけの話だ。
「――ぼっ、僕がやります!」
ジョンは、ひ弱に見られがちだが、実はライラやホープとは違う。
昔から友人の少なかった彼は、エドワードに拾われるまで一人で生きてきた。
スケルトンが立ち塞がってくるなら、彼はほとんどの場合を逃げずに戦った。
「ティボルトさんに貰ったバット……こ、こんなまともな武器があるんです。やってやりますよ」
「ア"カ"ァァ」
しかし彼は武器運に恵まれず、スケルトンとの戦いに使うのは、いつも石ころや木の枝、壊れかけのナイフとかだったのだ。
それでも持ち前の聴力を利用しながら、バーク大森林の中で何ヶ月も生き延び、
「とぉ!」
「ウ"ゥッ」
今、こうしてバットを振り下ろしている。
リチャードソンの「ほぉう」という感嘆を小耳に挟みつつ、ジョンは割と軽快に木製バットを振り回していく。
ティボルトのバットは殴り心地抜群。
スケルトンの頭を破砕させるたび、視覚と聴覚を刺激するハーモニー。
絶妙な爽快感がジョンの両手から伝わり、脳を震わせ、高揚感が止まらない。
目の前には、残り一体のスケルトン。
「カ"ァア!」
「あ……」
そんな時、真横の路地から伸びてきた手が、ジョンの腕を強く掴む。
目の前のスケルトンにばかり集中しすぎたのだ。
「ァァアア"ァ」
ボロボロのシャツを着た狂人はジョンの腕を引き寄せ、紫の歯が並ぶ大口を開け、
「死ねいっ!」
「ォ"」
乱入してきたリチャードソンにナイフで頭を貫かれ、あっけなく倒れる。
呆然としていたジョンも、彼に腕を引っ張られて尻餅。
「オ"オォ」
もう一体のスケルトンが向かってくると、リチャードソンはナイフを大きく水平に振るう。
頭蓋の側面に命中。
遠心力の餌食となったスケルトンは地面に倒れ、
「おら、よ! ……っと」
あっさりリチャードソンに頭を踏み潰され、終わりを迎えるのだった。
「……う、占いの、『少し気をつければ大丈夫』とは、こ、こ、このことだったんでしょうか……?」
あまりにも『死』を身近に感じてガタガタ震えているジョンは、まだベドべの占い結果を引きずっていた。
――今、ジョン自身は何も気をつけておらず調子に乗っていただけなのだが、この解釈で合っているのだろうか。
「も、もっとベドべさんとお話したかったぁ……!」
頭を抱えるジョン。
それをライラは見ていた――オフィスビルの横のゴミ箱から、顔だけを出して。
そして、ライラはまだ気づかない。
――そのゴミ箱の下で、蠢くものがあるなんて。
◇ ◇ ◇
「ハント。どうやって先に、ここに?」
さすがに驚いて目を見開くジルが、当たり前のように立っているハントに質問。
すると彼は鼻の下を指で擦りながら、
「いやぁー、へへ。外に取り付けられた階段から、直接二階に来たんスよ」
「じゃあ、どうしてここに?」
方法はわかった。
それはいいが、どうしてその方法を使ってまでここに来たのかと、ジルは理由を聞く。
「それはジルと少しでもご一緒したいからッスね。物資調達なんて、下らないことでもいいから」
「私と?」
「そッス」
ホープは、驚いた。
ジョンがジルに好意を寄せているのはわかり切ったことだが、まさかハントまでとは。
「やっぱりモテるんだね……」
「え? 何か、言った?」
「いや気にしないで。ごめん」
自分がモテることにも気づいていなさそうなジルは、とぼけた顔。
――彼女は、綺麗だ。
男だらけのグループの中で、注目を集めるのはまず間違いないのだ。
その上で――彼女は優しく、無防備。
注目したままの流れで、恋に落ちてしまう男が後を絶たないのも納得できる。
ただ、わからない。
ジョンはインテリ風の、ハントは明るい感じの、どちらも種類の違うイケメンである。
そのどちらもに、ジルはあまり干渉しようとしない。
二人ともタイプではないのだろうか。
そもそも、そういう問題なのだろうか。
「あの……ところでハントさ、何でバラなんか口に咥えてるの? どう見ても枯れてるんだけどなあ……?」
ホープの無駄な独り言で変な空気になってしまったので、どうにか戻そうとする。
優しいハントは笑い、気を使ってくれた。
「だって、バラって綺麗っしょ? プレゼントを渡したいんスから、雰囲気作り重要ッス……枯れてんのはご愛嬌で」
こんな世界だ。花だって生きるだけで大変だろう。
ヘラヘラ笑うハントの言った――プレゼントとは何なのか。
その答えは次の瞬間に判明となる。
「ジル」
「……ん?」
「こんなの見つけたんス」
「これって」
片膝をつき、右手で、ハントは『プレゼント』をジルに手渡した。
――まるで、プロポーズで結婚指輪でも渡すみたいに。
「……雪?」
「あ、知らないッスか? これはスノードームってやつ。綺麗ってだけで、何の役にも立たないオブジェって感じスけど」
「すのー、どーむ……」
「んでんで! ここ見てくれッス。ここ!」
右に左に傾けて、手のひらサイズの雪景色をぼーっと眺めるジル。
そこに割り込むように、ハントはスノードームの木製の台の部分を指差す。
「『ジル』って書いてあるっしょ? この階のデスクにあったんスけど、ジルと同じ名前の奴がいたみたいで……なんか運命感じないッスか!?」
「ふーん……」
そこまでジルは興味が無さそうだ、状況としてはハント一人の大興奮というところか。
しかも、
「――その『ジル』、たぶん、死んでるよね」
「あっ」
ジルの意見はとんでもなく現実的で、ほとんど正しい。
大都市でただ会社に務めていただけの人が、しぶとく生き残っている可能性は低いからだ。
「まぁまぁ、ともかく俺的ジルへの親愛の証ってことッスよ。貰ってくれ」
「……いいけど」
ジルはパーカーの前ポケットにスノードームを入れ、さっさと進んでいってしまった。
ホープも『歩きづらくないの?』という疑問を押し殺しつつ後についていくと、
「よっ、ホープ。ブロッグ先輩とは何かあったんスか?」
「うぇ!?」
「そんな驚かなくてもいいじゃないッスか」
いきなりハントが話しかけてくるものだから、素で奇妙な驚き声が出た。
「ブロッグさんには命を救われたよ……あぁ、命と、その他諸々」
「その諸々が気になるんスけどね」
「た、大したことじゃないよ」
蘇る嫌な記憶。
ブロッグに助けてもらう直前、ホモ指導者がズボンのチャックを下ろす光景が脳裏に浮かぶのだ。
――ハントの『ッス』と付ける話し方は敬語っぽくも聞こえるが、彼は明らかにホープより年上。
ただの癖なのだろう。
ところで、
「前から思ってたんだけど、ハントはブロッグさんが死んだにしては明るいよね」
「気になるッスか?」
どこか申し訳無さそうな表情のハント。
「あっ、いやっ、悪気は無いんだけど」
また出てしまった。ホープの気を使えない&空気読めない発言。
「ニックさんやリチャードソンさんの怒りよう見たからさ、ハントも、おれとかドラクに怒ってたりしないのかなって」
ブロッグの存在は、『P.I.G.E.O.N.S.』という特殊部隊チームにとって大きなものだったはず。
そんなことは、同僚のニックやリチャードソンの反応を見れば一目瞭然だ。
が、
「もちろん寂しいッスよ。お世話になったブロッグ先輩に、もう会えないなんて……でも、悲しみたくはないんス」
「悲しみたくない?」
目の前のくすんだ金髪の美青年は、少し顔を俯かせるものの、決して表情を暗くさせはしなかった。
一気に彼が『変わった人』に見えてきて、ホープは首を捻る。
なぜなら――死を恐れ、死を遠ざけたくてしょうがなくって、そして訪れた死を悲しむ。
それが『普通の人』だと思っていたから。
もはや懐かしき作業場のエドワードなんかは、普通の中の普通なのだ。
「あぁ俺、変わってるってよく言われるから気にしなくていいッスよ」
「そ、そう」
自覚があるらしいハントは、そうやってワンクッション置いてから、
「俺は――何か『信念』を持ってて、それを最後まで曲げなかった人の『死』を、『死』だと認めたくないんス」
「……!」
ホープは驚くと同時に、特殊部隊に入れるわけだ、と納得できた。
「ブロッグ先輩は凄い人だ。わかるッスよ。あの人きっと、やり遂げたでしょ?」
「うん。彼がいなかったら全滅だったよ」
「やっぱな……そんなブロッグ先輩の正義感は、優しさは、強さは、俺たち皆の心に生きてる。これのどこが『死』なんスか?」
真剣な顔で聞いてくるハントに、何も答えられないのが苦しい。
正論だ、とも、間違ってる、とも思えない。ホープには難しすぎる問いかけだった。
「あの人は死んでない。だから俺は、普通に過ごす。普通に笑っててやるんスよ――『死』なんて見えないもんに、負けるようなブロッグ先輩じゃない!」
とんでもないハントの考え方に、圧倒されるホープ。
ブロッグのことをどれだけ信頼し、尊敬していたのかもわかる台詞だった。
しかし当のハントは何事も無かったかのようにニコリとホープに笑いかけてから、もう遠く離れたジルの背中を追いかけた――
「二階はすっからかんッスね。上行こう」
しばらく物資を探したジルとハントは、再び階段へ向かう。
ホープも静かに続く。
そして――実は未知の領域である、三階へと着実に進んでいくのだった。




