第76話 『死の予感に満ちる街』
「え、えぇっとジルさんっておいくつなんですか? ぼ、僕は18なんですけど」
「19、だよ」
「とっ、年上! はぁんっ♡」
ホープのすぐ横で、ジョンはいつものようにジルに絡んでいる。
自身の両肩を抱いて、悶えながら。
――ジョンだけ気づいていないが、こうして話している間に、もう歩いている足元が草の上ではなくなっている。
舗装された、アスファルトの道へと移り変わっていくのだ。
「……あ、そういえば、ドラクから聞いた。あなた、作業場で気絶した私を、助けてくれたって」
「えっ今更ですか!?」
「助けてくれて、ありがとう。ジョン」
「ぼ、ぼっ、僕の名前を! はぁんっ♡」
今日のジョンは、いつにも増して悶えまくりだ。
――目の前には薄っすらとビル街が広がり始めているというのに、現在、ジョンの世界にはジルしかいないらしい。
「ずっと前に、聞いてたけど、言い忘れてた……ごめん」
「いえいえとんでもないです! か、感謝されたくてしたことではないですから、僕をジルさんの下僕にしてくれればそっ、それで充分ですよ!」
「けっこう図々しいなあ……?」
ジルもさすがに『下僕にしてくれ』なんて、真っ向から言われて困っているように見えて、ホープは控えめにツッコミを入れた。
まぁ困っていると言っても、ジルは相変わらずの無表情とジト目は崩さないのだが。
「なんか俺いつもこう言ってる気がするけど、無駄話はそこまでッスよ! 大都市アネーロに到着ッス!」
アサルトライフルを肩に掛けて、前を歩いていたハントがこちらを振り向き、主にジョンを注意した。
うるさいからしょうがない。
「もう、最低の気分……」
「これ以上無いほどには最低だな。ぶわっはは……おっと、ここから先は大声厳禁だぜぃ」
「あなたの声が一番大きいのよ……!」
愚痴を言うライラと、ふざける余裕を見せるリチャードソンも後ろを振り向く。
ハントとジョンとホープとジルも、リチャードソンのすぐ側で足を止める。
ホープは、息を飲んだ。
「何だこれ……」
――確かにビルは立ち並んでいるのだが、どのビルも低階層の窓がことごとく割れている。
当然、建物を管理している者などいない。
ひび割れであったり、落書きであったり、赤黒くて気持ち悪いシミであったり、ハエのたかる人間の死骸が放置されていたり、荒れたい放題である。
「ほら見ろ。事故った車も、当時のまんまってわけだ……」
リチャードソンが指差す。
目をやると、そこには確かに『車』がある。
キャンピングカーと比べるとあまりにも小さいが、その代わり至る所に同じ大きさの車が見られる。
リチャードソンが指摘したその車は、ビルに突っ込んだままの状態だ。
相当な勢いだったのだろう、原型を留めていないと表現しても過言ではないくらいにひしゃげている。それほどのパニックが起きていたのだ。
――見回してみれば、玉突き事故を起こしまくって龍のように連なる車たちだったり。
所有者に見捨てられたのかドアが開けっ放しの車や、窓の割られた車だったり。
車がぶつかって、おかしな棒(?)が倒れていたり。
「知ってるかな? あれは信号機ッス」
ハントの説明でようやくわかる。細長い棒の先端に、赤と緑と黄色、三色のランプがくっついているアレが『信号』なのだと。
――安全を守るための物と聞いていたが、これでは何の意味も無いではないか。
他にも、街じゅうに生ゴミであったり鳥の死骸であったり、ボロボロの新聞紙なんかも散乱。
血の付いた、クマのぬいぐるみなんかも落ちている。
黒い車道と、白い歩道の上に、様々なドラマが見えてくる。
これが荒廃した『大都市アネーロ』なのだ。
そして、
「ん? あ、たくさんの足音が聞こえます」
眼鏡を整えるジョンが、持ち前の聴力で何かを察知。
するとリチャードソンが頷き、
「ああ。あっちは霧がかってよく見えねぇだろうが、スケルトンと狂人の群れが来るな。建物の影に身を隠すぞ」
前からさんざん聞いていた通り、早速スケルトンの群れが登場してくるらしい。
近くのビルとビルの狭間、暗い路地に走って身を隠す六人。
「向こうの通りへ曲がっていくッス。あー、やっぱ大きい街の群れって、狂人ばっかで心が痛くなるッスよね……」
角を利用して見張っていたハントが報告。
とりあえず自分らの目の前を横切る可能性が無くなったらしく、ホープは安堵した。
「だが油断は禁物だぜぃ、アネーロ初心者の坊主ども」
そんなホープの内心を見透かしたかのようなタイミングで、リチャードソンが忠告。
「今のも200か300くらいの数がいたが、このクソッタレ大都市はこんなもんじゃねぇぞ。あれくらいの群れならいくらでも闊歩してる」
「嫌よ、そんなの……!」
「しかもありゃ少ない方さ。500体集まった群れとかも普通に遭遇するだろうな」
スケルトンパニックの後も何回か来ているらしいリチャードソンは、そんなことを当たり前のように言い連ねる。
「うわぁ……まさに地獄ッスね」
ハントは初めてらしく、深いため息。
「早く帰りたいわ……ねぇ、これからどうするわけ? 軍基地に銃を取りに行くんだったかしら」
恐怖で体を震わせるライラが、リチャードソンやハントの方を見ながら質問。
「いいや、軍基地はそんなに近くねぇからな――丁度いい。このオフィスビルで物資調達でもするか」
群れがいなくなったのを確認してからオフィスビルの正面に回り、リチャードソンが物資調達の開始を宣言。
「え? こ、こちらに食べ物とか武器とかあるとは、おっ、思えないんですが……」
「非常食とかあんだろ」
ジョンの疑問に適当に答えたリチャードソンは、路地から出てきた五人に視線を投げ、
「あんまり大きいビルじゃないし、全員で行くことはねぇな……誰が行く?」
「僕はイヤです!」
「私もお断り!」
問いかけに、ジョンとライラが速攻で返答。
「おいおい、ここで断ったって後で順番回ってくんだぞ。今回は行かねぇってことでいいが、忘れてないよな?」
リチャードソンが呆れたように言うと、
「わ、忘れてません。次は行きます」
「……もう、わかったわよ……!」
二人とも覚悟は決めたようだった。
行かないのが二人確定はしたが、肝心なのは行く人だ。
「私、行こうかな。ホープは、どうする?」
「えぇ……おれは……」
ジルが手を上げ、そのままホープに問うてくる。
困っているホープを見かねてか、リチャードソンが口を開いた。
「実は、ここは前にも入った所なんだ。当時の新顔が三人で入って、三人ともケロッとした顔で戻ってきた。安全さ」
調査済み、ということだ。それを聞いて安心したホープは、
「うん……じゃあ行こう……かな?」
「良かった」
ここを辞しても、どうせ後で別の建物へ入るのだ。だったらと、手を上げておいた。
横のジルが、なぜかホッとしている雰囲気なのはスルー。
「そ、そんなぁ! リチャードソンさん騙しましたね!? もっと早くに安全ってこと教えてくれればジルさんと一緒に――」
「何言ってんだよ眼鏡の坊主。俺は言うつもりだったのに、お前さんらがさっさと断っちまうからだろ?」
「うっ、嘘だ……絶対嘘だ……迂闊でした……!」
「本当に最低よこんなの……」
弄ぶかのように意地悪を言うリチャードソンを、ジョンとライラが恨めしそうに睨んだ。
すると今まで黙っていたハントが、
「ジルが行くんなら、俺も行きた――」
「却下だ」
「何でッスか!? リチャードソン先輩!」
ハントが名乗りを上げたのに、リチャードソンはなぜか聞く耳を持たない。
「お前さんは、ニックお得意の『力試し』でここに来たんじゃねぇからさ。あくまで置いてきた武器の責任を取るためだろ? 余計なことすんな」
「チキショー……」
正論を叩きつけられ、ハントは押し黙る。
「俺とハント、眼鏡の坊主とネガティブ女でオフィスビル周辺を見張る。んでジルと青髪の坊主が物資調達だ。いいな?」
「あ、あだ名が適当すぎません!?」
「おっさんは名前覚えんのにも一苦労なんだよ。これくらいは勘弁してくれや、坊主」
ジョンのツッコミも軽く受け流して、リチャードソンが分担の状況をまとめた。
「行こう」
「……あ、うん」
ジルに肩を叩かれ、ホープは彼女についていく。
割れ砕けて動かない、ガラス製のスライド式ドアをくぐって。これが話にだけ聞いていた『自動で開くドア』か。
「羨ましいなぁ、ほ、ホープさん羨ましい」
「ジルを独り占めとは命知らずな奴ッスね……『女子テント変態野郎』の汚名返上は、当分先ッス」
そんなホープを、後ろから睨む二人の男。
「女子テントの件は悪かったけど、今回はおれの知ったことじゃないでしょ……」
小声で呟いてから、ホープは大人しくオフィスビルの中へ踏み込んでいくのだった。
◇ ◇ ◇
不本意ながら、ビルのエントランス付近で周囲を見張ることになったジョン。
隣にはライラ、前にリチャードソンがいる。
「あ、あの、ライラさん」
「何?」
話しかけてみると、とても不機嫌そうにライラが答える。
「なんだか、変な音が聞こえませんか? 声とか足音じゃなくて……エレキギターの音みたいな」
「そんなの聞こえるわけないでしょう。黙ってなさいよ」
「す、すいません」
自分にしか聞こえていないのか、とジョンは反省しかけたが、もう少し粘ってみることに。
「リチャードソンさん、聞こえません?」
「エレキギターの音ってか。おいおい、頭でも打っちまったのかよ? 何も聞こえねぇぞ」
「そ、そうですか……」
「また、向こうの霧の中を群れが通ってる。でかい物音はもちろん避けるべきだが、なるだけお喋りも控えろ」
楽器っぽい音にばかり気を取られ、足音のことを全く考えていなかった自分を恥じ、ジョンは口を噤む。
ここで、辺りを見回したライラが唐突に口を開ける。
「ちょっと……ハントとかいう、あの若い軍人のコはどこに行ったの? いないわよ」
「は?」
――リチャードソンでさえ、この事実を知らない。
――このオフィスビルは六階建てで。
――前の物資調達の際、ここを調査した当時の新顔たちは、実は二階までしか進んでいなかった、という事実を。




