第72話 『かつて大都市だった場所』
「――潮時か」
晴天の朝。
不穏な言葉をこぼすのは、木の幹に寄りかかって葉巻を吸っているグループリーダー、ニック・スタムフォード。
気難しい彼は独り言など滅多に言わないのだが、今回ももちろん例外ではなく、
「お前さんの出番ってわけだな。で? 結局いつものヤツか?」
「てめえの想像してる通りだリチャードソン。ついでに、ハントの尻拭いもしてやりてえところだが」
「やれやれ。お前さんの頑固さは永久不滅ってか……ま、付き合うが」
ニックの会話相手は、同じ木の反対側に寄りかかっている小太りの男、リチャードソン・アルベルト。
彼は淡々と、そして恐れを知らないかのように、ニックと会話する。
――20年以上は共に戦っている仲だから、当然だ。
「対象者はもう俺が決めておいた……だいたいわかるだろうがな。リチャードソン、てめえは『最強』殿を起こして話を聞け」
「ナイトをか? まだ到底、全快とはいかねぇんじゃ?」
だがニックの右腕になるには、まだ少し、リチャードソンには冷酷さが足りないのかもしれない。
本来リーダーとサブリーダーの性格は異なっていた方が、組織にとっては良いのだろう。
しかしこの生存者グループにおいては、ニックの我が強すぎる。だから右腕役にはどんな人物が正しいのか、誰にもわかりはしないのだ。
「ふん、話を聞くだけだ。あのアホンダラは『最強』でなきゃならねえ。死にかけの時に叩き起こされたくらいで、文句を言うような器じゃあいけねえのさ」
我の強い頑固者とは言っても、ニックの話には妙な説得力があるから困る。
リチャードソンは「なるほど」と頷いて、
「話ってのはアレだよな」
「アレだ。とりあえず聞きてえ一言が聞けたんなら、キャンプ場中央まで戻ってこい。そん時ちょうど、てめえの話を始める頃だろう」
「えげつないくらい無駄な計算だな」
「うるせえ」
「ぶわっはは……了解だ、行ってくる」
裏でちょくちょく話している二人だから、『アレ』とか『コレ』でも通じ合い、面倒なことを省いた余裕のある会話が成立する。
忠実なるリチャードソンは木の幹から離れ、落ち葉を踏みしめて歩き出すが、
「……なぁ、ニック」
直後に足を止める。そして振り返らないまま、
「いくら落とし前をつけさせたからといって、心の傷は癒えるまい」
「…………」
「ブロッグのことは……ブロッグの死には、どうにか、取り憑かれないようにしようぜぃ……お互いにな。思い詰めすぎると碌なことにならん。だろ?」
「……ああ。任務に支障をきたす」
リチャードソンはニックの不思議な返答に、違和感と不安を少なからず覚えるが、話を続けたりはしなかった。できなかった。
特殊部隊『P.I.G.E.O.N.S.』はもう無い。もう、どこにも無い。
――ましてや『任務』など、誰から貰う?
恐ろしいから、どうにかこうにか疑問を押し殺す。リチャードソンは一路、ナイトのもとへと歩き始めた。
「覚悟しろよ、若僧ども……」
ニックも動き出す。
新入り候補の若者たちを、大人のやり方でシバくために。
◇ ◇ ◇
「ぎゃあぁぁぁぁぁ――!!」
女子テントの前で問い詰められていたホープ、そして問い詰めていた者たちの耳に、男性の悲鳴が届く。この近くではなさそうなのだが。
数人が顔を見合わせて困惑していると、
「集まれえっ!!」
叫び声に続くように、野太い号令が響く。
先程の叫び声とは違ってこの声はかなり近く感じるし、そもそも、
「ニック隊長ッスね……まぁ恒例の点呼でしょうが、とりあえず無駄話は終わりってことで。全員、声のした方へ急ぐッスよ!」
くすんだ金髪の美青年ハントが言うように、これはニックの声だ。
「「「はぁ……」」」
また彼に会わなければならない。
嫌な予感しか感じない『宙ぶらりん』のホープ、レイ、ジョンは、深すぎるため息を隠せなかった。
◇ ◇ ◇
テントが散り散りに、無作為に設置されているキャンプ場。
その中心地。
「今、大きな悲鳴が聞こえただろう。その声の持ち主がウチの人員じゃねえことを確かめにゃあならん」
腕を組むニックが、人々の中心で演説を始める。
「なぜ確かめるかって? そりゃあ、あのヴィクターとかいう頭のおかしい吸血鬼がこの場にいねえからだ。一応あの野郎とは、グループのメンバーを殺さねえ取り決めを結んでるが」
ニックは一拍置いてから「念には念を入れる」と、演説らしきものを締めくくる。
――つまりそのヴィクターとかいう吸血鬼が、取り決めを破って仲間を殺していないのかを確かめたいようだ。
「んじゃ俺がこの辺のメンバーをまとめるッスよ。まずフーゼスいるな? そんで、うるさいドラク……」
ハントが率先して周りの生存者を確認していると、
「いちいちオレの名前に『うるさい』とか付けてんじゃねぇよ! ハントこら!」
「だって、マジでうるさいからしょうがないッス」
「いい加減慣れろや!」
名前の呼ばれ方に納得がいかなかったドラクのツッコミが飛び、ハントはげんなりした様子で応答。
ハントから、ドラクはあまり良く思われていないらしい。
「はいはい、ドラクは元気に生きてるとメモしておくッスから……メモなんか無いけど。えー、カトリーナちゃんとシャノシェちゃんの姉妹、それからホープ、ジョンに、仮面のレイちゃん……あれ?」
「どうかしたの?」
ハントの数えた面々は、先程まで女子テント前で言い合いをしていたメンバーそのまま。数は合っている。
首を傾げたハントにレイが声をかけると、
「そもそも女子テントのメンバーとしては、ジルが足りないッスね。レイちゃん、見てない?」
ハントは自然な素振りでレイに質問する。
問われたレイは「うーん」と悩むように顎に手を当てて、
「そういえば、起きた時からいなかったわね……」
「マジッスか。まぁさっきの悲鳴は男のもんだったッスけどね。チクショー、心配になってきた」
――ホープが真っ先に感じたのは、罪悪感だった。
もしかするとジルは、女子テントという聖域にホープという男が侵入したことに怒り、行方をくらましてしまったのかもしれない。
乙女心というものはわからない。充分にあり得る話。
「じ、ジルさん……大丈夫ですかね?」
「どうだろ」
なぜか曇りまくっている眼鏡をごしごし吹きながら聞いてくるジョンに、ホープは短く返答。
そんなことをしていると、
「っ!?」
――ホープは突如、『化け物に背後を取られた』ような感覚に陥る。全身に悪寒が走った。
「おい」
背後に感じるその気配は、野太い声でホープを呼ぶ。
仕方なく振り返る。
「この辺は誰か足りねえか? ハント、報告しろ」
そこに立っているのは大男、ニック・スタムフォード。
が、彼が呼んだのはホープではなさそうだ。
仏頂面の彼はどう見てもホープとジョン、ついでにレイを威圧するように見下ろしている。
なのに、少し離れたハントに命令しているという不可思議な光景。
「了解ッス! ジルだけ見当たりません隊長!」
ハントはビシッと敬礼をして、報告。彼の着ている迷彩服に、敬礼はとてもマッチしている。
しかしニックは何を思ったのか顎髭を弄りながら、
「ジル? 悪いがハント……ジルってのは、手斧を使う女で合ってるよな」
「ええ、武器は手斧ッスね。19歳で、趣味は本を読むことで、とにかくスタイル良いし美人ッス!」
「そこまで聞いてねえよ。アホンダラ」
べらべら喋りまくったことを軽く叱られたハントは、またも敬礼をして「失礼しました!」と叫ぶ。
そして呆気に取られたような顔で、敬礼を微妙に崩しながら、
「えぇと……ジルがこの場にいないようッスが、どうします? 探しに行った方が良いんじゃ……」
本気でジルを心配しているようだ。
対するニックは、
「いいや、あの女は大丈夫だろう」
「隊長?」
首を横に振る彼に、ハントは怪訝な表情を隠せない。
だがニックが意見を変えることもない。
「――あの女は、ここにいる新顔どもよりか、よっぽど強えからな。そう簡単に死ぬとは思えん」
不思議なほどの自信でもって、そう言い切った。
この流れに――否、ニックの話の矛先の変わり様に、ホープはただ一人危機感を覚えていた。
だって、
「急に、おれたちの話に……」
今まで触れようともしなかった『新顔』たちの話に、ニックは突然に手をつけ始めたのだから。
思えば、突然ホープのすぐ近くに立ちはだかった時点で何かがいつもと違った。
「ヴィクターの点呼は、まあ、いつもやってることなんだがな――てめえらをここに強制的に集めるためにも都合が良かったのさ」
「に、にっ、ニックさん? 僕たちが、どっ、どうかしましたでしょうか?」
さすがにジョンも何かを察したようで、自らニックに用件を問うことを選ぶ。
ニックは首を傾ける。
「はっきりさせる。まずは、そっからだな」
「はっきり?」
「しらばっくれんなよ……てめえらが、ウチのグループに入りてえのか否か。それをまだ聞いてねえだろうが。今はてめえらを『一旦保護』してるだけだ」
ホープもレイもジョンも、あまりに宙ぶらりんの期間が長すぎて失念していた。
リーダーのニックとは、未だに何のコミュニケーションも取っていなかったのだ。
「そっ、そういえばそうでした……僕は入りたいです!」
失念していたことを思い出した瞬間、ジョンは躊躇うことなくグループ加入の意思を伝えた。
――まぁ彼の目当てはジルなのだろう。
「あ……あたしも……です!」
レイも、遅れて手を上げる。
彼女の理由は、ナイトやドラクとの縁だろうか。それとも人の多いところに居たいのか。
「……おい、てめえは?」
「…………」
ニックは、加入したいと宣言したジョンとレイに対して、目線を合わせるだけだった。
そして彼は、既にホープの答えを待っている。
「あー……」
ホープは誰にも聞こえない程度に、悩んでいるような声を発した。本当に悩んでいるのだ。
考えは変わっていない。ホープとしては『どっちでもいい』が本音である。
ホープがこの場で強い意思を持ち、加入すると宣言するためには――ホープはとある条件下に置かれなければならないのだが。
そんなことを考えていると、
「ホープさん」
横から、ジョンが肩を叩いてくる。
彼の深層心理などはわからないが、これは『とりあえず入っておきましょう』の意だろう。
さらに、
「ホープ、もうオレたち仲間じゃね? あれ、違う?」
少し遠くから、ドラクの呟くような声が聞こえる。
エドワーズ作業場では、ホープとドラクはお互いを助けお互いに助けられたような関係になった。
その反応は当然かもしれない。
そしてトドメに、
「……あたしとの約束は?」
「……!」
顔は仮面で見えないが、まるで泣いているかのように震え、弱々しいレイの声がして。
ホープの脳裏を過るのは、
『死なないで』
という守れそうもない言葉。そしてそれに続いた、
『あたしを一人にしないで』
という言葉。
ホープは死なないことだけではなく、レイと一緒にいることも約束していたのだ。
その上さらに、
『レイを、お前に任せる。ホープ』
亡き友ケビンからの伝言も、ホープの心に強く根を張り、離れようとはしない。
――もう仕方が無い。決めた。
「おれも、入りたい。入ることにするよ、ニックさ――」
「よし。てめえらの意思は確認できた。ならば、そんなてめえらに試練を与えることにする」
「は??」
ホープのお気持ち表明に被せるかのように、ニックは穏当でない事柄を口から放ち始める。
耳を疑うホープたちに配慮もせず、
「――物資調達をしてもらう。かつて『大都市』と呼ばれていたが、今はスケルトンだらけの最高に危険な無法地帯で……な」
ニックはその仏頂面を、ニヤリと笑わせた。




