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ホープ・トゥ・コミット・スーサイド  作者: 通りすがりの医師
第二章 生存者グループへようこそ
77/239

第70話 『ドルドの短剣』

前にあったホープの過去編から続くような過去編です。

とても長くなってしまったのですが、ご了承ください…













「……ホープ、ここかな?」


 バーク大森林の木漏れ日の中。


 茂みを掻き分ける中年の男――名はドルド。

 白髪混じりの黒髪を持つ彼は、神の声が聞ける『神官』で、少し前までは小さな村の代表者をやっていた。


「…………」


「やっぱりな。とりあえず近くに生存者はいないようだ……怒ってるかい? すまない、遅れてしまって」


 茂みの先――縮こまるように地べたに座っているのは、16歳の少年ホープ・トーレス。

 滅びゆく村を二人で脱出してからというもの、ドルドがいくら言葉を重ねても、ホープは無言を貫いていた。


「…………」


「いやちょっと、あの骨の化け物たちについて調べてたりしたんだ。世界はもう、こうなってしまった。自分たちの身を守るのは、考えたくないが、自分たちしかいないのかもしれない……だから調べるんだよ」


「…………」


「む、大量の足音――ちょうどいい、奴らの()()がやって来る。君にも見せておかねばならない……怖いだろうけどな」


「……群れ?」


 おかしな言葉を聞き、久々にホープは顔を上げる。

 狼やら鹿やらが群れをなすのは当たり前だが、知能もクソも無さそうなあの骨の化け物たちが群れるなど、違和感しかない。


 ドルドも怖がってはいるようだ。

 が、どうやらホープを待たせた長い時間は相当な恩恵を彼にもたらしたらしく、どこか彼は自信ありげな顔をしていた。


「そうとも。奴らは群れをなすこともあるみたいだ……これから見せる。ただし約束しろ、絶対に声は出さんように」


「…………」


 頼まれたって声なんか出したくないよ、なんて無駄なことを言う余裕も今のホープには皆無だった。

 つい昨日の晩――ソニを殺し、サパカス一家やエリンを見殺しにして、自分だけ助かった現状のホープ・トーレスには。



◇ ◇ ◇



「コ"ォォア"ア」

「ウォウ"ォオ」

「アァ"」

「ル"ォアァ"」

「ゥウウゥゥ"」


 数え切れない、数えたくないような量の骨の化け物が、自分たちの隠れる茂みのすぐそこを横切る。


「カァアカ"ォオ」

「ラ"ァ」

「オォアァ"」


 おかしな表現ではあるが、恐ろしすぎて逆に壮観だ。

 ドルドの隣にいても、


「うわ……」


 息を飲むホープは怖くて仕方が無かった。


 この場所は、逃げてきた村からは遠い。

 なのに目の前の群れは、200、いや300は下らない骨の化け物の集まりなのだ。


 地面から奴らが這い出てくるのは何度も見たが、昨日の夜から増え始めて、ここまでになってしまうとは。

 驚異的な繁殖能力である。


「村での化け物たちの行動を見たか? ホープ」


「……死ぬほど見た」


「……なら知っているだろうが、奴らは常に空腹で、新鮮な肉を求めてるようだ……この増えようじゃ、人類の終わりも近いかもしれんな」


「神様の声が、聞こえるんじゃないの? 神官様」


「……あぁホープ、君まで無茶なこと言わんでくれ。確かに聞けるが万能ではない。神『ベール・クレイスタ』様は、どんな時でも私に助言をくださるような軽い存在ではなくてだな」


 ドルドをもっとすごい人物だと思っていたホープは、今の彼を見て半ば幻滅しながら問うてみた。

 その質問にデジャブを感じながらもドルドが答えていると、


 ――ぼこっ。


「「……っ!?」」


 突然地面が盛り上がったかと思えば、一本の骨だけの手が飛び出してきてホープの足首を掴んだ。

 とりあえずホープは驚き、


「うわああっ――ぷ!?」


 後ろから口を何者かに押さえられた。

 すると次の瞬間ホープの視界に短剣が現れて、骨の化け物の腕を切断。


「『絶対に声は出さんように』と言ったろうが……!」


「……!」


 左手でホープの口を押さえたドルドが、右手の短剣で攻撃したらしかった。

 手を引っ張られ立ち上がるホープ。


「イ"ァア」

「ラアァア"ゥ"ウ」


「それ見たことか!」


 ホープの短い悲鳴を聞きつけたのか、群れから逸れた二体の骨の化け物が茂みを突き破って向かってくる。

 ドルドは、仕方無さげに対峙。短剣を相手に向け、


「おりゃぁ!」


「ウ"ォッ」


 骨の化け物の肩のあたりに、一発ヒットさせる。化け物は少し後退するくらいで、またすぐに向かってくる。


「ふぬぁあ!」


「ク"ェ」


「まっ、まずい囲まれる……! どうしよう? どうするべきだと思う? ホープ、どうしようか……!?」


 少年ながらに、嘘だろ、とホープは言いたくなった。

 さっきまで堂々としていた中年男が、突如としてへっぴり腰の弱気男に様変わりしてしまった。


「なっ、何か、弱点でも無いのかこいつらには……」


「あ……もしかしたら頭がそうかも」


「頭とは、つまり頭蓋骨の部分か?」


「見たんだよ……今のところ確証は無いけど……」


「やってみる価値はあろう」


 ホープからの情報を受けたドルドは、またも突如やる気を出して短剣を構えた。


「こぉのっ!」


 そして先程から攻撃してきていた化け物の脳天に、その短い刃を振り下ろす。


「ワ"ケ"ァッ――」


「ぬおぉ、効果ありだっ! よし撤収しよう」


 当時まだ切れ味の抜群だったドルドの短剣は、化け物の脳天から侵入すると、頭蓋骨の上半分を斬り裂いてくれた。

 その一撃に、無敵かと思われていた骨の化け物が沈む。

 ホープの情報のおかげで弱点を知れたドルドは、得意げになってホープを抱えその場を離脱した。


 ――実はドルドという男、全くもって非力。


 この頃の短剣の切れ味が悪くなかったことのみが救いであり、もし切れ味が悪かったのなら――二人してここで肉を食い尽くされていたことだろう。



◇ ◇ ◇



 骨の群れを見て、数日後。

 自分の持っていたバッグを確認したドルドが、突然に驚愕の声を上げた。


「食料が……尽きてしまった……!」


「えっ」


 ホープもそれに続いて驚いた。


 これまでは、ドルドが村から脱出する際に咄嗟に持ち出した非常食を、二人でチビチビと食べていたのだ。

 が、無くなったとなると……どうするのだろう?


 そんな時、呆然としながら歩いていた二人の前に都合良く現れるもの。


「民家だ……」


 バーク大森林の中を彷徨っている最中に、民家を発見するのはこれが初めてだった。

 村や町でなくとも、森の中にて個人もしくは家族で、ひっそりと暮らしている人々もいるだろうに。


「神様は何て言ってるの……?」


「お告げが無い。とりあえず中に人がいたなら、恵んでもらうしかあるまい……良い気分ではないが」


「…………」


 ため息をつきながらドルドは民家の正面の扉に近づいて、三度ノックする。

 返事が無い。


「む、鍵が開いてる……?」


 ドアノブを回してみると、簡単に回ってしまった。ギィィ、とドアが開く。

 中は暗い。昼間の木漏れ日が無ければ何も見えなかったかもしれないレベルで。


 というか、


「神官様これって……不法侵入ってやつじゃ……?」


「……頷くしかないな」


 民家の中を見回しながら、ホープの質問に答えたドルドはまた大きなため息。

 それほど大きくない民家を二人で見回ったが、


「住民はいないな……これもまぁ化け物の影響だろう。逃げたのか……死体は無いが、もう食われてしまったか……」


「…………」


「だが、食料などは残っているな。缶詰とか」


「……神官様?」


 彼の言い草に嫌な予感がしたホープは、怯えながらも確かめるように彼を呼ぶ。

 ドルドは、


「貰っていこう、ホープ。世界は変わった。我々も変わらねば」


「でもこれ空き巣でしょ、神官様……」


「いいよ、君は。私が全てやるから。私が責任を負うから。君の分まで貰うから、外に出ていなさい」


 ホープと目を合わせようとはしないドルド。


「しんかんさ――」


「ホープ。すまないが、『神官様』と呼ぶのはもうやめてくれんか。肩書きなんて、今はくだらないだけだ」


「……わかったよ、ドルドさん」


 ドルドはこの世界をどう思っているのだろう。神様は何も伝えてくれないようだ。

 何だか悲しくなってしまったが、ガサゴソと何かを漁るドルドを背に、ホープは外へ出た。


 ――そして、すぐに悲鳴を上げることになった。



◇ ◇ ◇



「何だ、今の悲鳴は!? ホープ、無事か!?」


 ホープはなかなか大きな声で叫んでいたらしく、ドルドが民家から飛び出してくる。

 出てきた瞬間に彼は顔を青くして、


「だ、誰なんだ君は!?」


 ――ホープを盾にしつつ、ホープのその頼りない首筋にナイフを当てている男がいるのだから、当然だ。

 男は心配になるくらい痩せた体なのだが、容姿に合わない張りのある声で叫んだ。


「それはこっちの台詞だね! ここは俺の家だ! お前らの方が場違いなんだよ、ここで何してやがる!?」


「なっ、何だって……!?」


 短剣を構えるドルドも、ナイフを突きつけられるホープも、耳を疑った。

 どうやらたった今漁り始めたこの民家は、難儀なことに彼の所有物だったらしい。


「俺の名はフェイクスマン! もう一度言ってやる、この家はフェイクスマンの家だ!」


「わ、私の名はドルドと」


「聞いちゃいねぇ! ジジイ、あんたのそのリュックには、いったいどの家の何が入ってんだ、おい!?」


「……す、すまない、君の家から食料などを貰っていくつもりであってな……」


「貰う!? はっ、笑わせんな『盗む』だろ!? 『奪う』だろ!? 他人の家の物を、勝手にな! この盗っ人ども!」


「すまない……」


 ナイフをその場でめちゃくちゃに振り回して、怒鳴り散らす男――フェイクスマン。


 ドルドもホープも、何と運の無い者たちなのだろう。

 フェイクスマンはただ少しの間、用事を済ませるため家から外に出ていただけのことなのだ。

 ナイフを持っているところからして、骨の化け物の存在に気づいていないことは無さそうだが。


「鍵を失くしたのは痛恨だぜ……世界が狂っちまった直後に、まさかもうこんなクズ野郎どもが現れるなんて! 世界の崩壊も、人間の汚さも、予測できてりゃ数日前の自分は死んでも鍵を守ったのになぁ!」


 怒るフェイクスマンの話がおかしな方向に飛躍している気はするが、ホープもドルドも何も言えない。

 言えるわけがない。


 世界が終わっていようがいまいが、住民不在の隙をついて泥棒しようとしたのは事実なのだから。


「本当に、すまな――っ!」


 頭を下げたドルドが少しだけ左を向くと、目に映ったのは骨の化け物たちの姿。

 フェイクスマンの罵声に反応し、数体こちらに向かってきているのだ。当の本人も気づくと、


「来やがったか、『スケルトン』ども!」


「……すけるとん?」


 聞いたこともない単語に、思わずホープは首を傾げながら小声で呟いてしまう。

 フェイクスマンは「うるせぇな」と文句を言いつつ、


「俺はそう呼んでるってだけだ! いちいち反応すんじゃねぇよガキのくせに!」


 そして、ホープを拘束する腕の力をますます強めるフェイクスマン。

 息が苦しくなったホープの悲痛な表情を見たドルドは、


「フェイクスマン! 何度謝っても足りぬだろうが、今回のことを許してはくれんか……我々は混乱していたんだ、突然の崩壊に!」


「それは俺だって同じだろ!」


「わかっている……何を言っても言い訳になってしまう。だが、混乱している者同士、ここは協力しないか?」


「今さら何を言ってるジジイ!」


「私は死にたくない。君だって命を失いたくはないだろうフェイクスマン。無論、ホープもだ。違うかい? ホープ」


 ドルドは骨の化け物――『スケルトン』たちを指差しながら、自分は死にたくないと宣言し、フェイクスマンの心も読み、そしてホープにも意思確認を行う。

 しかし、



「いや……別に」



 エリンの言葉で心が歪んでしまったホープに、その質問は無駄でしかなかった。

 開いた口が塞がらないドルドは、


「そ、そんなわけがないだろうホープ! 今、君は生きているんだぞ! 人間なら死にたくなくて当然だ、そうだろう!? 今一度、自分に問うてみよ! 自ずと答えは見えてくるはず!」


 そんな綺麗事でホープを諭す。


 ホープだって一応は16歳。周りの大人が何を望んでいるかくらい、簡単なものなら軽く察しがついた。


「……死に、たくないかな。やっぱり」


「そうだよなぁ! そうだと思ったんだよホープ!」


 こうやってホープが思ってもみないことを口にすれば、ドルドもフェイクスマンも、心底安心したように喜ぶのだ。

 考えのまとまったらしいドルドは、短剣を民家の中へと投げ捨てて、攻撃の意思が無いことを示した。


「わかるだろ、フェイクスマン! 生きたいと強く願う――これが人間という生き物の性なのだ! 戦う気など無い、これからは協力しよう! 君もそういう気にはならんかね……!?」


「……そうだな。俺も、少し強く言いすぎたな」


 悪かった、とフェイクスマンは謝罪をし、ホープとドルドを連れて我が家へと帰宅。

 鍵が無いので机や棚でバリケードを作り、その後は静寂を保ち、向かってきた『スケルトン』たちをやり過ごした。


 その間、ホープはずっと嫌そうな顔。


 ドルドは『生きたいと強く願うのが人間だ』と言ったが――ならば願わなくなったホープは、人間である資格が無いのだろうか。


「ふぅ……とりあえず骨の化け物……『スケルトン』? の気配は消えたな。一息つけそうだ」


「スケルトンってのは正式名称とかじゃないぞ? 他にそう呼んでた奴がいて、聞いたまま俺も使ってるだけだ」


「その者はいいセンスをしている。私もそう呼ぶことにしよう」


 ドルドとフェイクスマンは、バリケードの前にへたり込んで会話しているが、意気投合したらしい。

 彼らは隅っこに一人座るホープに見向きもせず、


「どうだねフェイクスマン、我々もここで暮らすというのは」


「……よし、いいだろう。飯も分けてやる。その代わり、ドルドとホープには物資調達を任せるぞ? 裏にある畑は、奴らに踏まれてもう使えねぇからさ」


 フェイクスマンもスケルトンの恐ろしさを知っているようで、そんな取引はすぐに成立した。

 誰も彼も、こんな世界で余裕などありはしない。特に弱者ならば、助け合える者がいるのは素晴らしいことだ。


「取引成立だな」


 フェイクスマンと握手を交わしたドルドは、


「ところでこの家には食料がたんまりとあるようだが、どうして君はそんなに痩せている? 病気か? 大丈夫かね?」


「あぁ……実は何日か前に、妻と娘が『大都市アネーロ』へ出かけたっきり、帰ってこなくてな。俺もアネーロへ向かったんだが路地裏でチンピラに捕まって、金とか鍵とか奪われちまって……」


「それは難儀な」


「飯も買えないから食えず、家族にも会えず……気づいたら街がパニックになってて、スケルトンを掻い潜りながらどうにかここまで辿り着いた……ついさっき辺りの安全確認に出かけて、戻ってきたら……あんたらがいたってわけだ」


「……なるほど」


 そんな事情があったのか、と目を伏せるドルドはすぐ近くに転がっていた何かの缶詰を手渡す。

 フェイクスマンはかぶりつくように缶詰の中身を食べていた。


 ――心底、どうでもいい。フェイクスマンの事情など、今のホープは知りたくもならない。

 他人に興味など無いホープは、自分が家の中へ入ってきたことを後悔した。


 人間の資格すら無いらしい自分など、あのままスケルトンに食われてしまえば良かったのに。



◇ ◇ ◇



 ドルドとホープは、フェイクスマンから任された通り、バーク大森林を歩き回り本当に誰も使っていない民家や廃村で物資を調達する日々を送る。


 スケルトンが現れると、戦うのは必ずドルド。

 短剣を振るい、弱点であると判明した頭蓋骨を破壊するのだ。


 家にはまだまだ食料があるが、フェイクスマン曰く『いつ何があるかわからん。食料は多いに越したことはねぇ』とのこと。

 ドルドもホープも、疲れが、ストレスが溜まり始めていた。


 ――取引開始から、数日後。


「さぁて、今日も食料や道具なんかが大量に入手できたな」


「うん」


「あぁそうだ……すまんがホープ、少しの間だけ外でこの辺りを見張っていてくれないか? 私はフェイクスマンと大事な話をする」


「二人きりで?」


「そうとも」


 物資調達の帰り。

 どこか清々しい顔をしたドルドが、ホープを置いて家の中へ入っていく。


 妙な雰囲気ではあったが、ホープは特に何も思わなかった。言われた通り、外で周囲を見張っていた。


 ――しばらくすると、ドルドはさらに清々しい様子で戻ってきて、


「フェイクスマンはどこかへ行ってしまった。よくわからなかったが、とにかくこの家はもう我々だけのものだな!」


 にっこりと、ドルドは笑った。


 ホープは思わず目を細めてしまう。

 ――ここはフェイクスマンの家なのだ。いったい何の話をすると、彼一人で出ていってしまうのだろう、と疑問に思ったから。


 ドルドはそれを訝しみながらも、横を向く。

 すると、


「おっと、群れが来るな。屋内へ」


 ホープも遅れて横を向くと、確かにまた何百体かの規模の群れが通り過ぎることになりそうだった。

 ドルドに言われるがまま、ホープは民家の中へ。


「――! スケルトンに噛まれた人間が、『狂人』がこちらにやって来る。民家に入るのが少し遅かったか……!」


 素早くバリケードを作ったドルドだが、窓から外の様子を窺っていると、どうやら厄介なことになったようだ。


 『狂人』というのもフェイクスマンが大都市アネーロで聞いた名前である。スケルトンに噛まれて転化してしまった者を、そう呼んでいた人がいたらしい。


 そういえば、


「フェイクスマンさんは……大丈夫かな? ドルドさん」


 今しがた外に出ていったそうだが、うっかり群れのスケルトンたちに食われたりしないだろうか。

 質問にドルドは少し下を向き、


「あぁ、あいつなら大丈夫だろう……それより自分たちの心配をせねばな。恐らく今向かってきているあの狂人は、転化したばかりだ。スピードが速い。こりゃパワーも相当だぞ」


「……おれも押さえる?」


「そうしてくれると助かるな」


 ドン、ドンと既にドアが叩かれ始めている。


 ドルドが押さえにかかるが、彼一人では長く保たないだろう。

 ホープが入ったところで、どれくらい良い影響があるのか疑問ではあるが。


「ゥゥゥ"……ォォ」

「ァァ"……」


 二人でバリケードを必死で押さえる――が、ドアの向こう側から押す力が少しずつ強くなっている?


「恐らく狂人につられて、他のスケルトンたちもドアに群がっているのだろう。ホープ、もう少しの辛抱だ」


「……う、うん」


 疲れる作業だ。

 いっそ手を離して、雪崩れ込んできたスケルトンたちに食い殺してもらいたい。


 ――だが隣にはドルドがいる。生きるため頑張っている彼まで、道連れにしてしまうのはいけない。


 と、そんなことを考えていると、


「……えっ!?」


 足首に、冷たい感触。


 ドアの向こう側からの無数の唸り声で、ドルドにはホープの短いSOSが聞こえていない。

 下を向くと、


「ふ……フェイクスマンさん……!?」


 ホープの足首を掴んでいたのは、血だらけで床に這いつくばっているフェイクスマンだった。

 上半身だけしか見えないのは、下半身が床下収納の扉から出きっていないからである。


 ――なぜ、血だらけのフェイクスマンが床下収納から這い出てきているのか?


「ほー……ぷ……にげろ……その男は……ドルドは、悪魔……だ……!! 窓から逃げろ……そいつは……そいつ、は……危険……」


「え……え……?」


 震えるフェイクスマンの紡ぐ言葉からは、たった一つの可能性しか思いつけない。

 ドルドが、フェイクスマンを痛めつけた。それしか。


「おい、下や後ろを向いている場合でないぞ、ホープ。さっきからいったいどこを見て――っ! 貴様っ!!」


「くっ……バレ、た……か……」


 視線をホープの足元に向けたドルドは、すぐにフェイクスマンの存在に気づく。

 そして、



「まだ息があったか……!」



 冷や汗をかくドルドの一言で、ホープは全てを察した。


「ちょっと待ってよドルドさん……どういうこと? これ、やっぱりあなたがやったの!?」


「おいホープ、今はそういう話をしてる場合じゃ」


「――あなたは! 嘘つきじゃないかっ!」


「なっ……」


 ホープは怒った。

 家を提供してくれたフェイクスマンをこんな姿にしたことは当然腹立たしいが、それよりも、


「あなたは、おれを騙したんだ!」


 こんなに長く付き合っているホープに、平然と『彼は出かけた』と嘘をついたドルドを許せなかった。

 今までの全てが、虚言であったかのように聞こえてくる。


「あ、あぁ、まぁ騙したことにはなってしまうが……」


「前から思ってたんだけどドルドさん、あなたは神様の声なんて聞いたことあるの!? 本当にあるの!? 今となっちゃ、全然信じられないよ!」


「……!」


 冷や汗の止まらないドルドは、ホープのキンキンした怒鳴り声に歯を食いしばる。

 そして深呼吸をしてから、


「白状する――君の想像通り、真っ赤な嘘だよ」


「っ!」


「私は、聞いたことがない。神『ベール・クレイスタ』の声など、聞いたことがないんだよ」


「……い、一度も?」


「そう。君を含めたあの村の住民たちも、みんな、私に騙されていたんだ……神官として崇められるのが心地良かった」


「でも、でもこの前、おれに『神官と呼ぶな』って……」


「さすがに世界がこんなことになってしまうと、罪悪感が湧いてくるものだ。君に対してね」


「…………」


 ホープは、とうとう絶句してしまう。


 村にあった教会で集会がある時は、村人たちに対して幾度となく神のお告げを聞いたフリをしていたドルド。

 しかしその場面以外を思い返してみれば、なるほど確かにドルドが神の声を役立てた覚えが無い。

 いつも『万能ではない』と言い訳ばかりで。


「ついでにもう一つ、嘘を告白しよう」


「……え?」


 バリケードからはとっくに手を離したホープに向かって、まだバリケードを押さえるドルドは続ける。


「エリンの最期を、見ていたんだ」


「……っ!?」


「助けようと思えば、助けられたかもしれない。彼女は下半身を失っただけで済んだかもしれない――だが、怖かった」


「…………」


 ドルドとしては肉体的にも精神的にも、追い詰められた状況である。

 追い詰められすぎたのか、彼はもはや笑っていた。


「あのスケルトンたちが……地面から唐突に現れ、肉を貪り、仲間を増やしていく奴らが、怖くてしょうがなかった……立ち向かう勇気など、ただの嘘つきである私には持ち合わせが無かったのだ」


「そ、それで……おれを」


「そう。素知らぬフリをして、君を助けて()()()()ことにした」


「――っ!!」


 そんなドルドの爆弾発言。


 同時にドアが大量の狂人とスケルトンによって破られ、バリケードは瓦解。

 人食いの化け物たちが、これでもかと雪崩れ込む。まるで洪水のような怒涛の勢いで。


「はぁ……はぁっ……!」


 すぐにその場から離れたドルドは椅子を持ち上げ、


「ぬおぉ――っ!」


 投げつけられた椅子の重圧に窓が割れる。強い日差しの中、砕けたガラスはキラキラと輝きながら舞い散る。

 ドルドは、思考停止中のホープを抱えて外へと飛び出した。


 ――孤独に取り残されたフェイクスマンは、


「あぁ……お前、たち……やっと……会え、た……」


 群れの先頭を歩いていた二体の狂人は、彼の妻と娘。その変わり果てた姿であった。



「俺が嫌いだからって、離れて、出ていっても……変わり、果てても……俺はお前たち……あい……してる……」



 愛の言葉など、狂人には意味を成さない――二人は紫色の目と紫色の歯で、


「カ"ァァァアァッ」

「ォオオァァ"」


「う……ぐが……ぁ……?」


 二人のせいで痩せ細ったフェイクスマンの体を、骨の髄までしゃぶり尽くしたのだった。



◇ ◇ ◇



 フェイクスマンを当然のように置き去りにし、割れた窓から外へ飛び出したドルド。

 勢いのまま地面を転がると、ホープを少し先の方に落としてしまった。


「ぬお……ホープ!」


 何の抵抗もなく転がっていったホープを、ドルドはまた抱えようと立ち上がると、


「ア"ァアッ」


「がっ……!?」


 いつも身に着けている法衣が、ピクリとも動かなくなる。

 焦って後ろへ振り向く。


 ――窓から伸びたスケルトンの腕に、肩の辺りを掴まれているではないか。


「いやだぁぁぁ! 離せ離せっ、離せぇぇぇ!」


 ドルドが喚きながら力任せに暴れると、スケルトンの掴む法衣がバラバラに破け、逃げることができた。

 しかし喚いてしまったからには、


「うぁぁ! 来るなぁぁぁぁ――っ!!」


 扉の前に群がっていた狂人やスケルトンの群れの一部が、ドルドに気づく。

 先程も、奴らは数の力で扉もバリケードも破った。


 一斉に群がられたなら、どうなるかは考えなくてもわかる。


「しぬ! しぬ、しぬ、しぬぅ! いやだぁぁ」


 だから、ドルドは走った。

 ――ホープの方ではなく、どこか違う方へ。自分が死ぬのなら、ホープを囮にしてでも生きる……その精神で走る。


 そして、彼の足に痛みが走る。

 盛大に前へ転ぶ。


「ぎぁぁぁあおぉぉおおおをぁぁぁ――っ!!」


「逃がすか……クズ、野郎……」


 ドルドのふくらはぎに刺さるナイフを持つのは――這いつくばっている、瀕死だったはずのフェイクスマンであった。


 自分を半殺しにした犯人に一矢報いた、と笑顔になるフェイクスマン。

 しかしその笑顔は長く続かない。


「う……ぐ、ぅ……オカ"アァァッ!」


「ぎゃぁぁぁ!?」


 当然フェイクスマンは噛まれている。

 彼はドルドのふくらはぎを刺し、安心したように息絶え、直後に狂人へと転化したのだった。


「来るな来るな来るなぁ! 噛まれる! 助けて! 怖い! ホープ助けてくれぇい――!!」


 右脚にズキズキと痛みが走り、血も止まらない。走って逃げるどころか、立つこともままならない。


 フェイクスマンの紫色の歯が迫る。


 そんな恐怖に思わずドルドは目を背け、転がってうつ伏せになり、顔だけを正面へ向かせた状態に。


 ――前方には、ホープが真顔で立っていた。



◇ ◇ ◇



「おれも……」


 フェイクスマンにふくらはぎを刺され、もう立つこともできないらしいドルド。

 彼はホープの顔を凝視し、助けてもらうことだけを求めている。


 だが、ホープにそれを求めるのは間違っていた。


「おれも……ドルドさんをすぐ追うから……」


 ――ホープは、今この瞬間死んでしまいそうなドルドのことが、はっきり言って羨ましかった。

 ホープも早くあの群れの中に飛び込み、死んでしまいたいのだ。


「いやだぁぁぁ助けてぇぇぇ!!」


「カ"ァオォォッ」


 フェイクスマンが、今、ドルドの腕に噛みついた。


「ぐぐぅ……っ……がぁぁい!!」


 ――苦しむドルド。

 彼の放つ次の台詞に、ホープは顔面蒼白になることに。



「痛ぁい! 痛いいだいいだい、いだいいだいぃぃぃ!!」


「……ぁ」



 なぜ、気づかなかったのだろう。


 ホープの一番嫌いなものは『痛み』だが、スケルトンにちまちま食われるという死に方は、それの最上級ではないか――!


「ホープぅぅぅ! 本当にほんどにホントにごめんなざいでしたぁぁぁ! おまえの父親からおまえのこと頼まれたのに引き取ってやらなくてホントすみまぜんでしたぁぁ! エリンの態度も知ってたしおまえが悪魔と呼ばれてるのも知ってたし実は俺の教会で仕事させてやることもできたけど放置しててごめんなざいぃぃぃ捨て子を匿ってると住民から何言われるかわかんなくて――痛いぃあぁぁおお!!」


 フェイクスマンに続くように、次々と狂人やスケルトンがドルドに群がっていく。

 ドルドは短剣を振りながら、謝罪を叫び続けた。彼の姿が見えなくなっても、彼は「痛い痛い」と言いながら謝罪し続けた。


 しかし――ホープはそんなもの聞いていなかった。


「なんだよ……おれ、死ねないんだ……おれって、い、痛いの、そんなに嫌なんだ……」


 あれだけ『死』を望んでいたはずのホープなのに。

 痛苦に歪むドルドの悲鳴は、そんなホープの足を止めさせるのだ。いとも容易く。


「やだ、いだい、やだぁ――」


 ドルドの声が、段々と、聞こえなくなっていく。

 段々と、弱々しくなっていく。


 最終的に、


「ぅ……おっ……」


 意味のある言葉を発せなくなった。

 それと同時に、


「あっ」


 血に染まった短剣が、ホープの足元まで滑ってきた。



◇ ◇ ◇



「――――まぁ、こんな感じ。だいたいわかった?」


「すー……すー……」


「あれ、レイ? いつから寝てたんだろう」


 陰鬱にも程がある、と言及されても当然な昔話をホープが語り終える。

 もちろんホープの自殺願望の部分は、レイに語る時に省いたため、少しマイルドな仕上がりかもしれないが。


 いつの間にやらレイは眠りについていたようだ。


「おやすみ、レイ」


 ――ただ、ホープの手を握るレイの力は、最初とは比べ物にならないくらい強くなっていた。

 遠からずホープも眠った。



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