第65話 『暗い事情』
「り、りり、リチャードソンさんっ!」
ジョンが叫ぶ。
なぜなら目の前に立つリチャードソンの頭上には、
「おいおい正気かティボルト!?」
「くたばれやオラぁっ!!」
うるさいチンピラ、ティボルトが思いっきり振り上げた木製バットがあるからだ。
それはリチャードソンの脳天へと一直線に落ち、
「ぬっ――クソッタレが!」
落ちる寸前、リチャードソンはその巨体をスライドさせるように横へ回避。
避けられたバットが暴力的に風を切る音のみが響く――その轟音に、『遠慮』などの要素は微塵も無い。
「避けんじゃねぇコラぁぁぁ!」
ティボルトは、本気だ。
本気で振られるそのバット。普通の人間であるリチャードソンが脳天にでも受けると、当たりどころが悪ければ死んでもおかしくない。
――リチャードソンに攻撃を躱されたことも腹立たしいのか、先程よりもっと怒ったようなティボルトが、バットを大きく横に振るう。
「っ!」
咄嗟にリチャードソンは身を屈める。
振られた木製バットが彼の頭上を横切ると、空振りのせいでティボルトは体勢を大きく崩す。
それをチャンスと見たリチャードソンは、
「ほぃっ」
「おぅぐっ――!?」
屈んだまま突進。ティボルトの無抵抗の横っ腹に至近で拳をぶち込んだ。さすがは特殊部隊だ。
それを見たホープたちが『騒ぎも終わりか……』と安心しようとしたのも束の間、
「う……ぐ……!」
唾液なのか胃液なのかよくわからない液体を口から吐くティボルトは、そのまま動かない。
すると、
「邪魔……だぁ……っコノヤローが!」
「ぬおっ」
突然動き出したティボルトは、両手でリチャードソンを突き飛ばす。
どうやらそれが想定外だったらしいリチャードソンは、地面を転がることになった。
「さぁ……仮面の下、見せろやコラ!」
手遊びのようにバットを振り回すティボルトが、こちらを威圧するようにズカズカとホープとレイに近づいてくる。
「あぁあの、あのちょっとすいません。ティボルトさん、こんな意味不明な理由で喧嘩するのは、よ、よしませんか?」
ホープとレイの前に立ったのはまさかのジョン。
彼は両方の掌をティボルトに向けて、争うのはストップ、と止めようとする。
「邪魔すんじゃねぇよボケ!」
「だっ!?」
しかし、ティボルトが両手で握ったバットの先端がジョンの腹に突き刺さる。
傍目には大したことない攻撃に見えたが、「うぅ……」とかなり苦しんでいるジョンはその場に蹲ってしまった。
ティボルトは芋虫のようになってしまったジョンの体を、足で軽く退けて転がす。
「これで俺様の障害は無くなっ……てねぇなオラ」
そして彼がレイを見るために顔を上げると、目が合うのは当然ホープであった。
「てめぇも邪魔するか? おいコラ」
「……あ、あぁ。レイに何かするんだったら、おれを倒してからにしてくれ」
「んじゃ遠慮なく。死ねコラぁぁぁ!!」
「……!」
速攻でバットを振り下ろしてくるティボルト。
ホープは仕方なく、背中に感じていたレイの温もりを片手で突き飛ばした。
「ホープ!?」
レイの心配げな視線を感じる。
でもホープは、ここから動きたくはなかった。
――バットが頭頂部に上手く当たってくれれば、もしかしたら死ねるかもしれないから。
「――――」
次の瞬間響いたのは、ホープの頭蓋骨が粉々に砕け散る音。
「――何だてめぇ、また乱入者かよふざけんじゃねぇコラっ! このクソ獣人がぁ!」
ではなく、小型のナイフがバットを受け止める音だった。
「普段から言っているじゃないかティボルト! 本物の強者とは、自身の感情を抑制できる者だ!」
ティボルトの言うように、逆手に持ったナイフでホープたちを助けてくれた彼は獣人のようだ。
「君のように力任せに暴れるだけの者は、ただの子供に等しいな! あっはっはっはっは!」
「んだとコラ!?」
灰色の長い髪から飛び出してその存在を主張しているのは、二本の立った茶色い獣耳。
尖った鼻先。
腰の辺りから生えている、茶色のモフモフの尻尾。
というか体じゅう茶色のモフモフである。
「リチャードソン! 君はこの暴れてくれたティボルトを、いったいどう扱う!?」
「んー……」
獣人の男から問われたリチャードソンは、億劫そうに立ち上がって回転式拳銃をティボルトへ向ける。
閉じていた目を開け、
「よぅしティボルト。今回のことは許してやるし、黙っててやろう。わざわざ問題にすることでもなし」
「あぁ!?」
「わかったら、今すぐにこの場から消えろ――仮面のお嬢ちゃんには二度と近づくなよ」
「ちっ、ここはバカが多くて息が詰まるぜコラ……」
だったらグループから出ていけばいいのに、とホープは思うが、口には出せるわけがない。
ティボルトは右耳に指を突っ込んでボリボリと掻きながら、意外とあっさり踵を返し、恐らくキャンプ場の方向へ去っていった。
「何なのよ、あいつ……」
「危ない人だなあ……」
その背中に、レイとホープは小声で愚痴を投げるのだった。
◇ ◇ ◇
「あっはっは、とんだ災難だったよな! 青髪の少年に仮面の少女は大丈夫そうだが! そこの眼鏡の青年は、どうやら手遅れだったようだな! すまんっ!」
「ぐ、げほっ……そんなに明るく言わないでくださいよ……」
獣人の若い男の妙にハキハキとした喋り方を、ジョンは脂汗を拭いながら指摘する。
明るいのは別に悪いことではないが、バットで腹を突かれた人にそんなふうに喋るのは無礼かもな、とホープは考えた。
そして、
「ありがとう。レイを助けてくれて」
「いいさ! あっはっは!」
ホープはお礼を言う――レイの分だけ。
目の前の獣人には一応命を救われたが、ホープは助けなど必要としていなかった。どうしても本音が出てしまったのだ。
するとレイは、
「……ちょっと」
「いっ!?」
背後からホープの耳を引っ張ってきた。
さらに続けて飛んでくるのは、もちろん文句の類。
「何なのよそれ」
「いや……その、君が助かったのが嬉しくてつい……」
「おかしくない? あたしを助けてくれたのは嬉しいけど、あんただって死にかけたのよ?」
「……おれはいつも変でしょ――ところで、君の名前は何ていうの?」
まだ何か言いたげなレイに喋らせまいと、ホープは獣人の男に名前を聞いた。
笑顔の獣人は尻尾を振りながら、元気に親指で自分を示し、
「オレの名は、フーゼス! 他人からはよく『犬の獣人』と呼ばれている気がする!」
どこまでも明るい自己紹介を聞きながら、ホープはあることを思い出す。
そういえばナイトが自分を刺した後、リチャードソンと一緒に彼を運んでいたのはこの獣人――フーゼスだったのだ。
善人、と思っても良いのか。
「あ、ちなみにドラクから君たちの頑張りは聞いているよ! ホープにレイ、そしてジョンだね! オレは君たちを歓迎するつもりさ!」
「それはどうも……」
差し出されたフーゼスのモフモフの手を、ホープはおずおずと握る。
モフモフが怖いのではなく――自分たちを助けてくれそうな人が現れたのが、逆に怖い。ホープにとっては。
「ところでレイ! ティボルトは君のその仮面が気に食わなかったようだが、外すことはでき――」
「できないわっ!!」
いきなり余計なことを口走ってしまったフーゼスに、いきなりレイの怒号が放たれる。
「……レイ」
ホープはそんな彼女が心配ではある――自分が死にたいという気持ちとは、やはり別物らしい。
彼女がここまでのオーバーリアクションを取ってしまうと、謎に包まれているはずのレイの素顔が、皆に簡単にバレてしまいそうで恐ろしい。
嫌なこと続きで、険悪な雰囲気を脱せられないこの状況に、
「フーゼス、余計な詮索はよせ」
「そ、そうする!」
割り込むように入ってきたのはリチャードソンだった。
彼はまず最初に頭を垂れて、
「さっきはすまなかった。仲間が暴れ出したことに動揺して、どう動いたらいいかわからなくなっちまった……特殊部隊なのに情けねぇ話だ。俺も歳かね」
「あ、あたしこそ今、動揺しちゃって……ごめんなさい。あなたは気にしないでちょうだい、リチャードソンさん」
「――お嬢ちゃんこそ、気にするなよ」
「え?」
動揺してしまった者同士が謝罪し合ったが、リチャードソンはレイの謝罪を否定。
その理由は、
「暗い事情や伏せた気持ち、言いたくない過去……『闇』ってのは誰もが持ってるもんだ、それが当たり前だ。どんなに明るい奴でもな」
「……!」
「さっきのティボルトもそう。ニックも、恐らくナイトも。そしてお嬢ちゃんも……それだけの話さ。言いたくないことは、言わなけりゃいい」
「で、でもあたし……」
どうしても首を縦に振れないレイの不安を、リチャードソンは芯まで見抜いている。
「このグループに入りたいのか? ――今はそれどころじゃなくなっちまったが……」
彼は数秒だけ顎に手を当てるが、すぐにそれを離し、
「ま、何にせよお嬢ちゃんの『闇』をニックが公の場で大声で言わせたりってのは、絶対に無い」
「え」
「もし話してもらわなくちゃいけなくなっても、俺やニックがこっそり聞くくらいだろう……それでも嫌だと思うけどな。まだマシだろ?」
リチャードソンはもちろん大人で、レイの秘密もある程度は冷静に聞いてくれそうな雰囲気。
ならばニックの方はどうだろう? ホープは悩む。
――彼だって大人っぽくはあるが、ナイトやドラクの怖がりようからして乱暴者には違いない。怒らせたら危険だ。
しかしそれはひょっとすると、『怒らせたら』の話でしかなく、怒らせていない普段の彼は冷静なのかもしれない。
ホープたちはまだニックの怒っていない姿を見たことがないから、断定はできないが。
レイも同じような考えに至ったのか、
「え、ええ、まぁ……」
弱々しいながらも、リチャードソンの質問を肯定する。
――今度はフーゼスがホープたちのもとへ近寄ってきて、短い間に起こしてしまった数々の失礼の埋め合わせをするかのように、
「話を聞く限り、君たち通信機を全部壊したね!?」
「あ。おれは一つ敵に踏み潰されて、ナイトが壊したところも見たけど……そういえばドラクも持ってなかったような」
「なら通信機の製作者に、謝罪がてら挨拶に行くといい! オレの読みだと、たぶんあっさり許してくれるさ! グループに加入することになった時のため、今のうちに人脈を作ろう!」
「あぁ、なるほど」
フーゼスから、その通信機の製作者の居場所を半ば強制的に教わった。
次に行く場所はとりあえず決まったようだ。
◇ ◇ ◇
ジョンはついて来ず、ホープとレイのみでキャンプ場の方向へ向かうことになった。
その道中。
――先程の騒ぎでは、二人に一瞬気まずい空気が流れたような気がした。
だからこそホープは、さらなる沈黙を避けたかった。
「あ、あのさ。フーゼスって声大きいよね。スケルトン寄ってこないかちょっと心配になるくらいさ……あは、あはは」
「…………」
「ごめん」
「…………あ、でもホープ」
「うぇ!?」
「あんたが寝てる間にドラクから聞いた話なんだけど」
「ああ、うん」
「スケルトンパニックが起きた頃と比べると、今はスケルトンが地面から生まれてくる回数が減ってる気がするって」
「そうなの?」
「ええ。確かに一年前は、森の中でもボコボコーって、呆れるくらい生まれてきてたわよね」
「言われてみるとそんな気もするような。そうかもしれな――って、なんか話ズレてないかなあ……?」
「…………」
何も喋らなくなってしまったレイを見て、ホープは口を噤み、反省する。
だがレイは反省する暇も与えてくれず、
「……前にもこんなこと、あった気がしたわね」
「え?」
「とぼけないでよ――あんた、死のうとしてない? あたしを助けるって大義名分を振りかざしてさ」
「――っ!!!」
目が泳ぐ。額に汗が滲む。体が震え、上下の歯がカチカチと噛み鳴らされる。
――『死なない』と約束したはずのレイに、これ以上踏み込まれるわけにはいかない。
「……短剣が」
「なに? ホープ」
「短剣が無かったんだ今回は……前のスケルトンに噛まれそうになったのは、思考停止したからだけどさ」
「短剣ってあんたの唯一の武器よね? そういえば見かけないわね」
「本当なんだけど、作業場でスケルトンに噛み砕かれちゃったんだ……『ある人』の持ち物だったのに」
「それって前々から言ってた人のこと?」
「そうそう、おれに色々と教えてくれた――」
――誤魔化せた。




