第6話 『地下室の攻防』
埃っぽくて真っ暗な地下室。ホープは、またしても命を拾っていた。
仰向けになり、右手を掲げて眺める。
――二階から一階へ、さらに一階の床までも突き破って地下室へ。こんなにも落ちたのだが、地下室の床、ホープの落下地点には汚れたマットレスが敷き詰められているため助かった。
ここに古くなったマットレスを放置していたのだろうが、痛いものは痛かった。いっそ頭を打って楽に死んでしまいたかったものだ。
さらに、木材を死にもの狂いで掴んでいた手にはべっとりと血が滲む。地味な怪我だが、これが焼けるように痛いのだから困りものである。
ゆっくり立ち上がりながら、
「……今日は変な日だな。人を助けて、裏切られるなんて……おれらしくない。いつものおれなら逆だもんね。たぶん」
目を細めて、穴よりももっと上にある、日光に照らされた廊下を見上げる。
こんな世界だ。そうそう人にも会わないから、今の自分が本当にそこまで姑息なのかは正式にはわからない。だが、きっとそうだ。ホープ・トーレスなのだから。
――仮にも家族から「死ね」と願われるような男。変わる気力などもないのだ。今もきっと、自分は変わっていない。
いや、今は物思いに耽っている場合ではない。
いやいや、ホープとしては彼らは、特にエリックなんかは仲間と呼べるほどに好感度は高くないから物思いに耽るのも別にいいのだが、何だか嫌な予感がする。地下室の出口はさっさと見つけたほうが良さそうだ。
とはいえ真っ暗だ。一階からの光だけでは全体を照らすのに足りないらしい。光源の確保のためリュックを下ろして中を漁る。
少し前まで頭がパンクしそうなくらい騒がしかったというのに、ここは人間どころか生物の気配が全くない。
がさごそ、と漁る音が響き渡っているのが、虚無感を加速させてくる。
しばらくして、ホープはある道具を見つけ手に持つ。珍しくなどないただの懐中電灯なのだが。
スイッチを入れ、ちょっと点きが悪いので二回軽く叩いてやると正常に光が射出される。まだまだ活躍してもらわねば困る。
「あ、扉……あとは……」
今ホープは部屋の中でも割と壁際に位置しているらしくて、向かい側の壁には扉があるのを確認。か細い通気口のようなものを除けば出口はあれ一つだ。
もう少し光による探索を続けていると、
――ぼこっ。
妙な音が聞こえた。何とも形容し難い音である。この地下室内であるのは間違いないのだが、いったい、どこから――
「ちょ……待てって。そん、えっ?」
光が部屋の中央を捉えたとき、そこに現れたのは骨の手。骨しかない手が、地面を突き破って這い出そうとしている。この世界においてそれが意味するのはただ一つ。
「スケルトン……こんな狭い部屋で!?」
スケルトンが生成される瞬間だ。ホープは嫌というほど見たが、奴らは暗い場所ならどこでも、何の予兆もなしに地中から現れる。
ここが二階ならばおかしいが、何といったって地下室だし、しかも暗いのだ。むしろ今までここに生まれていないことが不可思議というもの。
だが、まだ手しか出てきていない。
スケルトンに殺してもらうという選択肢は、もうない。
蠢く手を避けて、飛ぶように扉まで走ったホープは必死に押し開こうとする。ノブは回るが、しかし妙なことに少ししか開かず外に出られない。
何かが引っ掛かっている? 隙間から光を当てて外を見れば、三つほどの大きな木箱が積み重なっているようだ。
ホープの非力な体ではこじ開けるのに相当な時間がかかる。ホープが弱いせいで、この部屋はもはや密室状態になってしまった。
「ウ"ゥ」
スケルトンの方ももう全身を地面から這い出させて、ホープに襲い掛かるための準備万端といったところ。
いよいよもって、ホープには最悪の状況だ。
戦うしかないのだろうか。『眼』を使ったら今度こそダメージがくることだろう。近くに役に立ちそうな物もなし。あるのは腰の短剣のみ……
レイにも話したが、ホープはスケルトンをまともに仕留めたことがない。一年間ずっとだ。ある人を頼り、彼が死んでから、ホープは逃げて逃げて逃げ続けた。
だから仮にも銃と『眼』で頭を吹き飛ばしてやったり、二階から落としてやったりした今日は、ホープの人生において最も刺激的と言ってもいい。
ただ、今現在のパターンは先述した二つとは違う。
鋭利でもない短剣。そして自分の腕力。あのスケルトンと戦うならば、ホープが頼れるのはそれだけであるが、
「でも、そうだ。死んじゃえばいいんだ」
あのスケルトンと戦わないのなら、ホープが選ぶのはそれだけである。
――短剣で首を突いて自分を殺す手段。これまで幾度となく試したというのにまだ懲りない、この男はどこまでも救えないバカであった。
「刺すだけだ。それだけだ……今度こそ。ふー……ふー……」
懐中電灯を床に置き、揺れるように歩いてこちらへ向かってくるスケルトンを意識から外すために、目を力一杯閉じる。
両手で持つ刃を自身の首に向ける。手が震える。額も手も、じんわりと汗で濡れ始めているのを感じる。
冷たい刃の先端が、首の皮膚を刺激して――無理だ。
「ウ"アァ!」
「こんなの失敗でもしたら、痛いじゃん!!」
「オ"」
八つ当たりで刃をスケルトンの側頭部に叩きつけると、奴は怯み、後退。
ホープはエゴイスト。苦しむこともなく、一撃で、楽に死にたいとばかり考えている。落ちるところまで落ちた究極の弱者だ。
――死ぬためならば邪魔者は排除するというその姿勢は、生き足掻こうとする者のそれと大差がない。どうにも滑稽なことである。
「うおお!」
一度決断したホープは――無自覚であるが――、普段の弱気を感じさせないほど勇敢そうな表情と雰囲気だったりする。
短剣を思いきり振り下ろし、俯くスケルトンの首を切断しにかかる。ヒットするも、切断までは至らず。
「この!」
さらに二連続の横振り。刃でもって往復ビンタの如く相手の頬骨を弾くが、それは文字通りビンタ並みのダメージしかぶつけられず、
「オォオ"!」
猛烈な勢いで迫ってきたスケルトンに怯まされる。弱々しく飛び退いていると、遂に扉まで追い詰められてしまった。
ここで死ぬものか、とホープは無手の左手でスケルトンの胸の辺りを押さえる。骨だけなのに異常なパワー。それに耐えつつ渾身の一撃。
「ふっ!!」
額を狙って短剣で突いた――つもりだったが、刃は狙いを違えてスケルトンの口腔にすっぽりと収まってしまう。
そのまま頭蓋を貫けたのなら楽に終わったのだが、世界はそうも上手くいかないようである。
「コ"オォ! オオォ!!」
刃を口に突っ込まれながらも掠れた声で叫ぶスケルトンの怪力に、ホープも、扉も、木箱も押され、ホープとスケルトンは図らずも扉の外へ脱出。
バランスを崩し後ろに倒れるホープ。当然、押した張本人であるスケルトンはホープに覆いかぶさるように倒れてきて、
「カ"ッ……」
刺さりっぱなしの短剣が硬い床にぶつかって押し込まれ、頭蓋骨を貫く。自身の勢いによって、スケルトンは自滅したのだ。
「ああ、また助かった……自分の力じゃないけど」
停止したスケルトンの体をどけながら起き上がり、勝利したという実感が湧かなくてボヤく。短剣を抜き取り、腰に差し直す。
「せっかくここまで生き延びたんだし、レイたちがどうなったかくらい確認しないと……だよな……」
疲弊した体に鞭を打ってよろよろと立ち上がり、懐中電灯を拾いつつ、自分に言い聞かせるように呟いた。
暗闇が続く地下の廊下。地上へ上がる方法を探し出さねばならない。
ホープは掌の痛みを思い出しながら、重い足を動かして歩き出す。心なしか自分が割と真面目な人間に見えてきた。何のトリックだろうか。
――噛まれたオースティンは残念だがもう助からないだろう。
オースティンが助からないと、それはそれでまた別の問題が出てくる。残される者たちのメンタル面の問題。
「狂人になる前に、誰かがトドメを刺さないと……」
愛する者が化け物になる姿を、見たいと思う者はいないだろう。ならば転化の前にその者の脳を破壊してやらねばならない。
スケルトンと同じように狂人も頭部が弱点。そこを突かなければならない。
その人が自殺するか……できなくば、残される者が突かなければならないのだ。