第62話 『落とし前』
ホープたちに言葉をかけたリチャードソンが、集団の方へと向かっていく。
ニック、そしてナイトとドラクを中心に、その言い合いを見守る者たちで構成された集団だ。
「落ち着け、ニック」
彼をたしなめながら、人垣をかき分けてニックの方に向かっていくリチャードソン。
それを見ているホープは不安で、
「リチャードソンさん……近づいていっても大丈夫かな」
と呟いてしまう。
同じ『P.I.G.E.O.N.S.』のメンバーとはいえ、ニックは突然ドラクを殴ったような男である。
そんな人に『落ち着け』なんて言葉をかけたら、逆上させてしまうような気がしてならない。
が、
「大丈夫。彼、心配いらない」
呟きに答えたのは、隣にいたジル。
彼女はそれ以上に理屈を重ねる気が無さそうだが、今の言を裏付けるかのように、
「見くびってもらっちゃあ困るぜ、リチャードソン。俺は今だって冷静だ」
「何にせよ、いきなり若いのを殴ることはねぇだろ……単細胞め」
あの二人が特に険悪なムードに突入することはなかった。
それどころか呆れてため息をつくリチャードソンは、当たり前のようにニックの隣に並び立っている。
「なんだ。仲良しなのか、あの二人」
「ん」
まぁそこまで重大なことでもなかったが、軽く安心したホープ。
それに頷いたジルは歩き出し、ホープとレイとジョンが後ろからおずおずとついていく。
ニックとリチャードソン vs ナイトとドラク。
そんな構図が浮かぶあの場を取り囲む集団の中に、ホープたちは足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇
「げほっ、がはっ! くっそ痛ぇ……!」
一発ニックに殴られただけなのに、鼻や口から出血し、まるで数分殴られ続けたかのような顔面になったドラク。
それだけでニックの拳がどれほどの脅威なのか、一目瞭然。
彼の肩に手を置くのはナイトで、
「ドラクてめェ、難しいかもしれねェがもう喋んな。ここは俺に任せろ……それとも俺じゃァ頼りねェか」
「頼りあるぜ、全然頼れる。そうじゃなくてお前に任せると、お前どうせ死のうとすんだろ?」
「……別に死にてェんじゃねェよ。死にてェなんて思う贅沢な奴が、この世界で生きてるわけねェだろ?」
「そりゃそうだけどよ……」
誤魔化すようなナイトの答えに不安を隠せなくても、ドラクはもう任せるしかない。ドラクが何を言っても言い訳にしか聞こえないから。
今の二人の会話を聞いたホープが「うぐっ」と声を出したことなど、ジョンを除いて誰も気づかない。
そんな中、冷たく醜い罵り合いの口火を切ったのはニック・スタムフォード。
――ホープも名前は聞こえたが、妙に、家名が発音しづらい名前である。
「だいたい、てめえらは問題が一つだと思ってねえか? 俺は言ったぜ『山積み』とな」
若者二人に問いかけたニックは、どこからともなく吸いかけの葉巻を取り出す。
ライターで素早く火をつけて吹かし始めた。
立ち昇る煙を眺めながら、ナイトは深呼吸をして、
「わかってる。ドラクは間違いなくわかってねェが、俺は全部わかってる。誤解しねェでくれ」
「本当にわかってんのかあ? ……適当言ってんなら、承知しねえぞアホンダラ!!」
「ぐっ!?」
「ナイト!」
高圧的に歩み寄ったニックは、すかさずナイトの腹にパンチ。背骨まで届きそうなほど、拳がめり込んだ。
ドラクはもちろん、周囲の野次馬からも少なからず驚愕の声が上がる。
苦鳴を漏らして片膝をつくナイトの頬に、
「おらあ!!」
「ごゥっ!」
無慈悲にも、追撃の蹴りが入る。
ニックの履いている靴は先が少し尖っており、吹っ飛ぶナイトにはどれほどの痛みが走ったか想像もできない。
飛び散る鮮血。
野次馬から、今度は悲鳴さえ響いたほど。
「おいニック! ……そのくらいにしておけ。そんなに熱くなってちゃ、話し合いもクソッタレも無くなるぞ」
振り抜いた足を戻そうとフラフラしているニックの肩を、リチャードソンががっしり掴む。
ニックの体のバランスと、冷静さを取り戻させようとして。
だが、
「格好つけんなよリチャードソン、てめえだって殴りてえはずだろ? 俺はそれを代弁してやってんだ。わかれ」
「……俺の気持ちを勝手に決めるな」
「いいや、わかる。ブロッグとは相棒のようだったろうが。下手すりゃあ俺より頭にキテるはずだ」
「……否定はしないが」
軽く首を横に振りながら――リチャードソンはニックの強引な推論を、実質肯定した。
――彼が冷静なのは、あくまで話し合いが破綻しないための損な役回りを買って出ているからだろう。
いくらニックより温厚でも、相棒を失ったリチャードソンがナイトやドラクの味方につくことはない。
それをわかったホープは、他に気になったことをジルに聞いてみる。
「……あのさ、ナイトはどうしてやり返さないの? 五日間寝てないにしても……吸血鬼は人間の倍くらい強いらしいのに」
「私、詳しくない。でも……何か深い事情、ありそう。と思う」
「……?」
ジト目から表情を一切変えないが、何かを考えている様子のジル。ナイトとはあまり繋がりが無いようだ。
だがホープはある程度理解できた。
ナイトが反撃しないのは、ニックの方が強いからではない。ニックはどう見ても人間なのだから。
――反撃できない理由が、きっと今回の『山積みな問題』にも含まれるのだろう。
視線を戻すと、ちょうど周囲を見回したリチャードソンが口を開いたところだった。
「とりあえず整理をしなきゃだな。問題を一つ一つ片付けていかないと、日が暮れちまうぜ」
「ふん、いいだろう――おいナイト、てめえが仕切れ」
リチャードソンが気の利いたことを言うと、ニックはまた高圧的に、そして冷酷に言い放つ。
五日、睡眠を取っていない自身の体をどうにか立たせようとするナイトは口からの流血を拭い、
「……あァ? ……あァ、言うよ」
ゆっくりと立ち上がりつつ、またしてもニックに大人しく従うような発言をした――どうにも、ナイトはニックに頭が上がらないようだ。
あのナイトが他者の言いなりになるには『リーダーである』という要素の他にも何か無ければ、違和感しか残らない。
すると忙しいことに、今度は取り囲む野次馬の群衆から一人の男が歩み出てくる。
「なぁコラ! ニックさんにリチャードソンさんよぉコラ、ちまちま喋ってるだけだと思ってたら、今度は一から話を整理だとオラ!? ナメてんじゃねぇぞコラぁ!」
「ティボルト……」
革製の黒いジャケットを着て、黄色い髪をした、うるさいチンピラ男。
リチャードソンは片手で頭を抱えて、ウンザリしたような声で『ティボルト』と彼の名を呼んでいた。
――どうやら、厄介者のご登場らしい。
「俺様はさぁ……言っただろコラ。吸血鬼だの獣人だのリザードマンだのこんなに人外をグループに置いといたら、いつか絶対に事件が起きるぜってオラ。言った通りじゃねぇか! おぉコラ!?」
「ティボルト、お前さんは……」
「何だよオラ! 俺様が正しいのに文句あんのかオラぁ!? おぉ!? あの新しく加入した気でいやがる奴らも、何だよあれはコラ!?」
リチャードソンに喋らせもせず、ティボルトはどこか正論と言えなくもない持論を吐き散らす。
終いにはホープとジョンとレイを指差して、
「ヒョロヒョロ男二人に、仮面付けた女だぜコラ! あの女は人間じゃねぇだろコラ、人間だったら顔なんか隠さねぇだろコラ! またあいつら入れたらグループがどんどん荒れてくに決まってんだよオラぁ! てめぇらリーダーぶってるだけで全然――」
「いい加減、黙らねえかアホンダラ!」
吸っていた葉巻を口から離したニックは、怒号とともに葉巻を握り潰してしまった。
勢いでやってしまった後悔を忘れるためか、手に火傷を負った八つ当たりか、ニックは葉巻を落として踏み潰した。
「何だてめぇコラ!?」
怒号にも全く怯えないティボルトが、ポケットに手を突っ込んでズカズカとニックに近づいていく。
するとニックは、意外にも冷静沈着に話す。
「『リーダー』『リーダー』と簡単に言ってくれるがなあ、生き物は全て同じ性格か? 同じ考え方か? 奇しくも『兵隊』一人一人にも脳みそってもんがありやがる。面倒くせえことにな」
「それがどうしたコノヤロー!?」
話を聞いているかどうかもわからないティボルトのそんな怒号に、とうとうニックの堪忍袋の緒が切れる。
「ティボルト! 大人の苦労を何も知らねえ癖に、若僧が知ったふうな口きいてんじゃねえって話だ!!」
「あぁ!? 何だとコラ!」
「こっちはな、てめえが頭空っぽでボケーッとしてる間に、どうしたらグループが良い方向に向かうのかを延々と考えてんだ!」
「じゃあ俺様がリーダーやったろかコラぁ!」
「てめえみたいなアホンダラがやっちまったら、一日と保たねえからやらせねえんだろうが!」
常に相手を刺激するティボルトの一言一句に、ヒートアップしてきたニックは自動式拳銃を取り出してしまう。
ティボルトの額に突きつけ、撃鉄を起こす。いつでも簡単に射撃できる状態に。
だが撃つことをリチャードソンが許すはずはなく、
「ニック! 八つ当たりはもうよせ! 確かにお前さんも俺も、ブロッグとは20年以上の付き合いだ。気持ちはわかる……だがここで誰かを撃ったって、何の得にもなりゃしない!」
片腕を広げ、彼は悲痛な表情でニックに訴える。
すると、
「わかってらあ。今この場で誰かを殺したところで、ブロッグが戻ってくることはねえ……加えてナイトもティボルトも貴重な戦力だ。わかってんだよ」
構えた銃はそのままだが、ニックは少し俯いて答える。
だがその続きは、もっと辛い言葉。
「それでも、それでもいいから、俺は誰かに制裁を受けさせてえのさ……なあ、止めるんなら教えてくれリチャードソン。俺は間違ってんのか?」
仏頂面から繰り出されたのは、答えようのない質問で。リチャードソンは、これにはさすがに気の利いた返しなどできない。
――ホープは今の台詞を聞き、ようやくニックに『人間味』というものを感じた気がした。
そして、
「間違ってねェさ、あんたは。俺に銃口を向けろニック」
唐突に声を発したのは、いつの間にか完全に立ち上がったナイトであった。
背後のドラクの「ほらやっぱりなぁ」という涙声も気にしないナイトに、ニックは本当に銃を向け始める。
ナイトとニックのやり取りの背景には、
「こっちで、ある程度は皆が納得できる終わり方を模索する。お前さんは、ただ見てろ。苦しいだろうがな」
「俺様に命令すんなコラ! あぁ!」
ティボルトを押しやるリチャードソンのサポート、その手を肩で振り払いながら野次馬へと戻るティボルトの自分勝手、そんな二人のやり取りが存在した。
そんなことは露知らずナイトとニックは、ティボルトによって中断されていた話を再開する。
「まず第一の問題はァ、『最強』のはずの俺がチンピラ集団ごときに捕まっちまったことだろ?」
「よくわかってんじゃねえか。だが、それは一旦後回しとしよう。次だ」
ホープは目を細めた――今の、だろうか?
もしかするとナイトは、『最強』でなければグループにはいられないのかもしれない。ニックと約束でもしたのか。
「第二にドラクの独断行動。強制したんじゃねェにしろ、ブロッグを連れ出し作業場へ俺を救出しに来たのは事実だ――第三に、ブロッグを死なせたこと……」
「ふん、まだありそうか?」
「最後に、ここまで勝手で横暴なことやっときながら、三人も知らねェ奴らを連れて帰ってきたことだ。これで全部じゃねェか?」
「無え頭をよく振り絞ったもんだ。その点だけは褒めてやろう……で? それがどうした?」
銃を構えたままのニックは白々しく首を傾げ、ナイトに話の続き――つまり『落とし前』をつけるのを促す。
ナイトは一度こくりと頷き、
「俺が話してェのは、ちょうど第二、第三と、最後のとこだ」
「ほう」
ニックは感心したのかどうかわからない仏頂面で、とりあえず鷹揚に頷いた。
ナイトは目を瞑って下を見て、訥々と語り始める。
「『来るな』とドラクに言ったのに、こいつァ来やがった。その後に作業場で起きたことについても、さんざんこいつを責めたよ」
「だろうな。そこのアホンダラは、それだけのことを――」
「……だが五日間、俺ァ寝ずに頭を冷ました。そしたら……バカは俺の方だった」
「ナイト……!?」
「あ……!」
「え……!?」
ナイトが発したまさかの言葉に反応したのはドラク、ホープ、そしてレイだった。
――いつも通り、ドラクを『バカ』と呼び、責めるだけで終わりかと思った。
今回、ナイトが言っているのは真逆の内容ではないか。
「なんっにも、俺ァ考えてなかったんだ。仲間思いのドラクに、俺ァ『来るな』と言った。俺のエゴを押しつけたんだ……こいつに、酷なことを課しちまった」
ホープは驚いていた。
自分が『言ってないことがあるんじゃないか』とナイトにわざわざ告げたのは、ナイトが、ホープよりもそういうことに気づけない人物だと思っていたからなのに。
「ドラクは何も悪くねェ――こいつが作業場に俺を助けに来ちまったのも、ブロッグを死なせちまったのも、新人を大勢連れ帰っちまったのも……全部が俺の責任だ! そういうことに、してくれ……ニック……頼む!」
ナイトは言い切ると、ドラクの前で、ニックに土下座をしてみせた。
額を地面に擦りつけて血を流すくらいの、本気の土下座だ。
「なっ、ナイトお前! なんだかんだ言って、けっきょくお前オレの代わりに死ぬ気なんじゃねぇか!」
「雑魚は黙ってろアホンダラ!」
土下座するナイトの背中を、泣きながら掴んでぐいぐいと引っ張るドラク。そこへニックの怒号が飛ぶ。
ニックは、ナイトの願いを聞き入れるのか? それはまだ謎なのだが、
「……後回しにした問題があったなあ。第一の問題だ」
「……捕まった件か」
ニックがまた白々しく、思い出したように口にする。ナイトはそれに乗り、
「俺は『最強』じゃなかったのかも、しれねェ……そうだとしたら、俺を殺すか?」
「まあ『最強』だからグループに置いておく、って話だったな。もし『最強』じゃねえんなら、てめえなど要らねえ」
「じゃァ、俺の脳をブチ抜けばいい。やれ」
立ち上がったナイトは自分の額をトントン、と指で叩いて示す。『ここを撃て』と。
だがニックは銃を、もっと下に向けた。
「覚悟はできてるってこったな。だったらチャンスをやらんでもねえ……今から俺は、てめえの腹をハジく。乗り越えてみせろ。それで今回のことは、許容範囲内で水に流してやる」
先程もそんなやり取りがあったが、ニックの銃はいつでも射撃準備完了している。
ナイトの腹を撃つ、というのは間違いなく冗談ではない。
すると、ナイトはおもむろに首を振った。
――横に、振った。
「そういうことなら、いいよ。俺ァなるべくあんたの手を煩わせたくねェんだニック――腹くらいなら、自分でやれる」
あろうことか、ナイトは躊躇なく鞘から刀を抜き、自分の腹の右の方に切っ先を突きつけた。
――どうやらナイトは戦士として『死んでもいいくらいの覚悟』ができているが、『死』自体は恐れているようだ。先程はニックに脳を撃つように頼んだのだから。
「悪くねえ」
表情の変わらなかった顔を――今は狂気的にしか見えないが――微笑ませて、ニックは銃をしまった。
そして腕を組み、ただただナイトを見守った。
「あァ、最後に、言い忘れてたことがある。ドラク」
「へぁ……?」
藪から棒にドラクに振り返ったナイトの顔は、
「作業場で、こんな俺を助けてくれて、ありがとう」
「はっ……!」
――誰もが初めて見る、柔らかな笑顔。
そして、
「キャアアアアアア――――!!!」
レイのでもジルのでもない、どこかの誰か。女性の悲鳴が響き渡った。
その悲鳴は、まるでナイトを見ていた者たち全員の心の叫びを具体化したかのようだった。
「ガフッ……!」
ナイトは自分の右腹に深々と自分の刀を突き刺し、数秒後、それを自分で抜き取った。
力の入らなくなった手から刀が滑り落ち、地面に。
逆流してきた血を滝のように吐くナイトの目から、光が失われていく。
彼は膝から崩れ落ち、刀の隣に並ぶように倒れた。
「ずりぃぞ……」
腰が抜けて立てないドラクは、無意識に両目から流れる涙にも気づかず、ただ倒れたナイトを見つめ、
「ずりぃぞ……ナイト! お前……オレに『ありがとう』なんて言い方したの……あの時以来じゃねぇかよ……うぅ……うぅあ……」
滂沱と、ドラクの目から透明な液体が溢れる。
滂沱と、ナイトの体から赤黒い液体が溢れるように。
「ぁ……」
頬にナイトの血が飛んできたホープは、その血を手で拭って、じっくりと見てみる。
――人間と、同じ色。同じ感触。
そして、
「あぁ……」
ナイトのことは心配だ。
が、不思議とホープはニックに嫌悪感などは抱かなかった。
――彼ならば、いつの日にか、後腐れもなく自分を殺してくれそうだから。




