第59話 『伝言』
「ナイト……伝言って、誰の?」
――ホープは、本当はこんなこと聞きたくない。話してほしくない。理解したくない。
「ちィ! 薄々わかっていながら、俺に言わせようとしてんのか? タチ悪ィぞ弱虫」
舌打ちするナイトはついさっき『てめェのお仲間』と表現した。ジルの伝言である可能性は無い。
そもそもドラクが笑顔を見せたりしていた時点で、可能性などありはしなかったが。
「おれの性格が悪いのは、おれが一番よく知ってる。そういう悪口は効かないよ……ナイト。話を逸らしてないで言って」
「だァから、誰かはだいたいわかってんだろ?」
仮に作業場の誰かが、死んでいく間際にナイトに伝言を残すとしたら?
いや、『お仲間』という表現に指導者や労働者が含まれるとは、到底思えない。
「いいから言ってよ……聞きたいんだ!」
ホープの頭の中では、もう答えは一つに絞られていた。
「……黒人の男だ。ケビン、で合ってたか? ……あいつだよ」
「…………」
やっぱり、当たってしまった。ナイトの答えはホープの想像通りのもの。
あとは細かい部分を根掘り葉掘り聞き出さなければならない――そうでもしないと、気が狂う。
「ケビンで合ってるよ……彼はどうなったの?」
「……たぶん、死んだ。俺が取り逃がしたクソ狙撃手に、腹ァ撃たれて動けなくなっちまった」
「……『たぶん』って?」
「本当のとこはわからねェんだ。あいつの死に様を見届けてねェからなァ……だがあのスケルトンの量じゃ……まァ……」
ホープの質問に対して、爆発しそうな怒りを必死に押し殺してナイトは答えてくれる。
しかし最後の言葉は聞き捨てならなかった。
「まさか、まだ生きてるケビンを置いてけぼりに!? 見捨てたってことか!?」
「……そうなっちまう」
「…………なんだよ。君にとって仲間以外は、何百人でも何千人でも、良い人でも悪い人でも、見捨てて良い存在なの?」
「……ッ」
「君はあんなに強いのに、あんなに仲間思いなのに! レイの大事な人を簡単に見殺しに」
「簡単なわけ、あるかァ――――ッ!!!!!」
好き勝手に言われたナイトはホープの胸ぐらを掴み、空いた左の拳を握りしめる。
彼は顔を怒りに歪ませるものの、拳は握るに留めていた。
「仮面女がァ、死にゆくあの男と何か話して、泣きながらフェンスを出てった……そしてあの男はァ、俺に伝言を残した。てめェへの伝言を!」
「…………」
「その伝言の内容聞いたらァ、たとえ俺が万全であったとしても、たとえスケルトンに埋め尽くされてなくても、あの男を連れて行く気にはならなかった……なれるわけねェよ」
「…………」
ナイトの握っている左の掌には爪が食い込み、血が流れる。そのことにも全く気づいていないくらい、今のナイトは必死だ。
――ホープがナイトを悪く言ったのは、いっそ殴り殺されてしまいたいからという理由。
だが、ナイトはそこまで頭の悪い男ではなかったらしい。
それにしても、なぜだろう。
『『お兄ちゃん』って、呼んでもいい……?』
なぜ、どうして。
『ソニと私の代わりに死ね! 父親と揃って消えろ! 役立たず! 悪魔! 捨て子! 泣き虫、弱虫! 死ね、死ね、死ね、死ねよ悪魔!』
どうして、どうして。
『いくら力など強くたって、使い方を知らないのでは無意味だ。友人のために未知の世界へ飛び込める――弱くても、そんな君は素晴らしい』
どうして、どうして、どうして。
『俺たちは仲間で、共に痛い思いをした。それ以上に言葉はいらないさ』
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして――
「どうして、おれはいつも生き残る……?」
大切な妹、大切に思ってくれなかった義母、そして五日前に失われた恩人、そして友人。そのフラッシュバック。
一番死にたがっているのに、今も呼吸をしている自分がいる。ホープはもう頭を抱えるしかなかった。
「聞くんじゃねェ。俺が知るかよ」
ナイトは目を逸らし、ホープから手を離す。
「おれは、彼に……最後まで、何もしてあげられなかった……何も、仲間なのに、なーんにも……! こんな世界で……死ぬような思いをしたのに! おれはまた生き延びたんだ……本当にこんな世界、呪ってやる……!」
抱えた頭を、抱えたまま左右に振る。何度も、何度でも。このわからず屋の頭を千切ってやりたいから。
ただホープがすっかり忘れていたのは――隣にナイトが座っているという事実。
「……そんなに困ってんなら、てめェに薬を処方してやる。バカにつける薬だ。要るか?」
「……!」
ナイトの言う『薬』というのが、ホープには何なのかわかった。わかった気がした。
それに縋ってもいいのか躊躇しながらも、ホープは飛びついた。
「ごめん……聞かせて、伝言」
「てめェは勝手だな。まァ話してやるが、仮面女の素顔は知ってんだろ?」
「知ってるけど……やっぱりレイに関することなのか……」
正直、これも予想がついていたことだ。
先程ナイトが言った『レイがケビンと何か話して』という言葉、それに続いた『レイが泣きながら出ていった』という言葉。
この流れはきっと、レイが仮面を取ったのだろう。ケビンに素顔を見せたのだろう。
だが、ホープが起床した時に近くにいたレイは、オースティンの時のように壊れてはいなかった。
辛くても、どうやら救いのある会話だったようだ。
◇ ◇ ◇
ナイトは自分が伝言を聞いていた時のことを思い出し、ケビンになりきったつもりで語る。
目線を下に向けるホープは珍しく腕を組んで、黙って聞いた。
「レイを、お前に任せる。ホープ」
「――――」
「洋館では、お前らが騒がしいのが聞こえてた。何か、大変だったんだろ。だがお前とレイは生き延びた」
「――――」
「その時、きっとお前、レイの正体を知ったんだろ……なんとなくわかるんだ。なのに、お前はすごいな。平然としてて」
「――――」
「俺も見せてもらったが……もしかするとこの先、平然としてられないかもしれない。魔導鬼の前で、どこまで普通に振る舞っていられるか……わからない」
「――――!」
「俺は、死んでも腐ってもあいつの友人でいたい。でも、俺が生きてると、そうはいかないかもしれん」
「――――」
「これ以上、レイを悲しませたくない。その可能性さえ残したくない。だからお前に、全部託す……勇敢な、お前に」
「――――ぁ」
ホープの口から、奇妙な声色が溢れた。
流れてしまった涙を見たナイトは――驚いたのか――野獣のように鋭く恐ろしい目を、丸くしていた。
◇ ◇ ◇
――ケビンは死してなお、本物の『聖人』だ。
「何だよそれ……何だよそれ……! 君なら大丈夫だったよ……おれみたいなクズが理解できたんだ……君なら、立派なレイの友達に、なれたはずなのに……!」
彼の伝言でそれを確信したホープは嗚咽して、どうにか言葉を絞り出し、また嗚咽して――
もう、止まらなくなってしまう。
――ふいにハンカチらしき布が差し出された。
「弱虫、まだ涙ァしまっとけ……これから、荒れるぞ」
荒れる、という意味もよくわからない。というか今のホープは何も理解することができなかった。
しばらく布を受け取らないでいると、
「拭わねェのはいいが、ドラクとか女どもに見せんじゃねェぞ。メソメソとみっともねェとこをなァ」
ナイトは怒った様子もなく、布をしまう。
こんなに泣いたのは、いつぶりだろう。
自分の泣きっぷりに自分で驚愕しているホープに、ナイトの言葉は半分くらいしか聞こえていなかった。
「ドラクなんかは、とんでもなくバカなことをしちまったんだ……あいつァ動揺してる場合じゃねェ。絶対に涙なんか見せんなよ」
おかしな忠告を泣き止み始めたホープにしながら、さっと立ち上がって背を向け、歩き始めるナイト。
ホープの心に何かが引っかかった。
――――『とんでもなくバカ』だと?
「ナイト、君はドラクのこと最初からずっと『バカ』って呼んでると思うけどさ」
「あァ?」
「おれは彼の戦いっぷりを、最初からずっと見てきた。目の前でね」
「それがなん――」
「君は何か、彼にまだ言ってないことがあるんじゃないの? おれが寝てる間も、どうせ言ってないんだろう」
「ッ! ――んなこたァ俺の勝手だ」
背を向けたままのナイトだが、ホープの核心を突いた(?)言葉に肩を震わせた。
そしてホープも言うべきことを言う。
「ナイト。作業場で助けてくれたこと、伝言を覚えててくれたこと、おれに伝えてくれたこと、『ありがとう』」
「……うるせェ。何を言ってねェかぐらい、わかってる」
感謝を伝える。いくら彼から『弱虫』と呼ばれていようが、嫌われていようが、助けてもらったのは事実だから。
――五日もの期間を寝ずに過ごし、想像以上に長かったケビンの伝言をずっと記憶してくれていたのだから。
お礼に対して素っ気なく答えたナイトは、また歩き出そうとするもすぐに止めて、
「あァ、あの男の名前……ケビンで良かったよな」
「……え? うん」
「俺ァその名前、死ぬまで忘れねェ」
少しだけ振り向かせた顔を前へと向け、今度こそナイトはその場から歩き去る。
ホープは彼の背中を見ていた……しばらくの間。




