第56話 『デジャブ』
フェンス越しのレイたちに背中を見せたまま、乾いた砂に座り込んでしまうケビン。
音もなく腹を銃で撃たれた。レイたちから彼の表情は見えないが、相当混乱していることだろう。
「何でだよ、何でだよ何でだよケビン! ここ出たら終わりなんだぞ!? あとちょっとで終わるはずだったんだ!!」
「ドラク待て! おい!」
熱くなったドラクは、疲弊も忘れて動く。一度くぐってきたフェンスの穴へもう一度入っていくのだ。
レイはようやく再会できた仲間が傷ついたことに、どうしたらいいかわからず。
ナイトは動揺に襲われ、自分がスナイパーを完全に始末できなかった罪悪感に苛まれ、とにかく状況分析に走る。
どうにか身をよじって再び作業場へ侵入したドラクがケビンに駆け寄る。
「カ"アァア」
「来んなお前! このぉ!」
トンカチを抜き、無防備なケビンに噛みつく一歩手前であったスケルトンを殺す。
そして、
「……っ!! まだ撃ってきてるぞ!」
すぐ横の地面から、一瞬砂が巻き上がったのを見つける。すぐにナイトたちにも聞こえるように叫んだ。
それを聞いたナイトは何か思いついたようで、
「ドラクゥ! ケビン連れてそこの建物の影に入れ、位置的に『本部』から撃ってきてんだ!」
「本部!?」
驚きながらもドラクはケビンを引きずり、無事に建物の影へと入り込む。
フェンスの外にいるナイトとレイも、一旦茂みの中へ。
そしてナイトは、本部の窓を確認。
「あの窓ォ、誰か動いた……クソ! スナイパーの野郎は本部の中に逃げ込んでやがったのか……クッソォォォッ!」
響く怨嗟の叫び――その発生源のナイトは、横からじっと見つめるレイの視線には気づかない。
恐らくスナイパーが一旦狙撃を中断したのだと考え、ナイトもフェンスの穴へ向かう。
すると、
「いやだ、やだやだやだぁ! あたしも行く!」
「てめェは隠れてろ女ァ!」
掴んでくるナイトの手も振り払い、レイはフェンスの穴を素早く通っていく。
一応ナイトの予想通り、今は銃撃が起こらなかった。
「ケビン――!」
迫ってくるスケルトンをかいくぐり、ドラクとケビンのいる建物の影へ飛び込む。
彼女と交代するかのようにドラクがスケルトンの迎撃に走ると、レイはケビンを抱きしめる。もう離したくない、と。
「何だ……これは……銃……? 見張り、に、撃たれたのか……? おかしいな……ごはッ! ……どうせ見張り台からは、見えない……はずなのにな……」
「違うのよケビン、見張り台は今は無くなってて……ってそんなのどうでもいいのよ! 早く逃げましょ、一緒に!」
「無理さ……森だって、スケルトンが……いるだろう。視界も……悪い。俺は足手まといになる。それに……お前らが撃たれても困る。俺を置いて逃げろ」
「ちょっ……ちょっと待って、やめてよそんなの!」
また泣いているレイ――その背後にはスケルトンと交戦しているドラクもいるが、
「あれ……また撃たれてるような……うお!?」
「バカ野郎ォ、さっさと隠れろ!」
とうとうじれったくなり、刀を抜いてフェンスを斬り開いたナイトが侵入していた。
周りのスケルトンを斬り殺しながらドラクを抱え、レイとケビンの近くへ転がり込む。
ナイトが覗き込むと、ドラクの言った通り。
スケルトンや建物の壁に次々と風穴が空いていく。スナイパーが再び行動開始し、障害となるスケルトンを排しているのだ。
「なぁ、ジルとホープは!?」
「外の茂みに隠しといた。近くにスケルトンはうろついてねェから今は安全だが、長く放置するとマズい」
「ってかお前、刀抜けるなら最初からフェンス斬れよナイト! そうすりゃ見張り台だの何だの気にする前に素早く出られて――」
「見張り台は斬り刻んだんだよォ! 手応えねェから変だと思ったが、本部から狙撃されるたァ誰が予想した!? あの弱虫ィ抱えたままじゃ、刀だって使いづらくてしょうがなかったしなァ!」
もう心も体も疲れ切っているドラクとナイトなのに、それでも壁に寄りかかって互いの認識のすり合わせをする。
ナイトは銃撃に注意しつつ、時々近づいてくるスケルトンを殺す――なんと忙しい場面だろう。どう行動したらいいのか先が読めない。
「女ァ! 決断なら早くしろ、ここァ近い内スケルトンに占領されちまうぞォ!」
ナイトが叫んだ通り。
レイとケビン――いや、レイには決断が迫られている。すぐに決めなければならない。
ケビンを置いていって心を抉られるか、ケビンを連れて行って茨の道を進むか。
「ああ……すぅ……はぁ……熱い……腹が……」
――腹を撃ち抜かれたケビンは既に、虫の息も同然だった。
「レイ……ゲホッ、ゴホッ……迷ってる場合じゃ、ないだろう。置いて……いけ」
「なんでよ!?」
「……こりゃダメだ。俺には……わかる。死が近い。奇跡でも起きない限り……助かる気がしないんだ」
「だったら奇跡を信じましょうよ! 何で、どうしてあんたがそんなことわかるの!?」
「自分の死期くらい……グフッ! 自分で、わかるもんさ」
時々血を吐くケビン。彼の黒い肌が、灰色のツナギが、気味の悪い赤黒さに蹂躙されていく。
そして次の彼の一言により、レイは気づくことになる。
「寒い」
「えっ……!」
気温としては寒いはずがない。
しかもケビンは今、自分の血を全身に感じ、自分の体温に包まれているはずなのだ。
――本当に死期が近いのか。
そして次の彼の一言により、レイは絶句することになる。
「最期に……仮面の下、お前の顔を、見て……みたいな。レイ」
「――っ!!!!」
あり得ない。
これと同じようなシチュエーションに、この前、遭遇したばかりではないか。
「……え……え……?」
気持ち悪い脂汗が、全身から噴き出すような感覚。レイは人生最高に動揺している。
なのに、
「そいつ連れてかねェのか無理して連れてくのか、さっさと決めろォ! もし後者でも、大変だろうがどうにかしてやらァ!」
必死に戦いながら叫ぶ二人の男、重なるスケルトンたちの声――急がれる、決断。
レイは仮面の紐に手をかけた。
「見せる……見せるから……お願い。嫌わないで……!」
仮面を、外した。
ケビンにはもう見えていることだろう。『血のようだ』と例えられることもある真っ赤な肌が。
そして、潤んで揺れるパールホワイトの双眸が。
どんなに深く斬られたって、どんなに強く殴られたって、痛みではこの『巨大な古傷』を上回ることはない。
ケビンの表情は、まるでオースティンと同じ――
「……そうか。魔導鬼だったか……そりゃ大変だったな……今まで、辛かったな……レイ……!!」
同じではなかった。
涙を流すケビンはレイの頭を撫でる。撫でる。撫で回す。その涙は同情のものではなく、
「ありがとう……レイ。怖かっただろうに……俺に、勇気を出して、見せてくれて……ありがとうな……!」
喜びの涙だ。
心の底から湧き出るような、大きく、太く、重く、深く、そして……優しい涙。
その温かな空間に、温かな時間に、思わずレイも喜びの涙を流す。
「これで……思い残すことは無い。レイ……頼む、俺を置いていってくれ……こんな世界だ……いつでも、死は覚悟してた。お荷物だけは……ごめんだぜ」
「ケビン。あんたの……こと……ぅぅ、大好き……ぃぅ……絶対、絶対忘れないがら……ぅぅ……」
泣きながら、レイは仮面を持って立ち上がる。もうケビンの方を振り向かない。
――それを見たナイトは黙って駆け出し、レイの向いた方向のフェンスを斬り、大きな逃げ道を作る。
レイは下を見たままどこにも目を向けず、ゆっくり歩いて外へ出ていく。
だが、その態度に、一人の男は黙っていられなかった。
「じ、じょっ、冗談じゃねぇぞレイちゃん! 仲間だろ、ケビンはお前とホープの仲間なんだろ!? なら置いてくなよ連れてけよ、仲間ってのは何より大事なんだぞ!? 少しでも助かる可能性があんなら、それを信じなきゃいけねぇだろ!?」
その声にもレイは振り返らない。歯噛みするドラクを見て、ナイトまで迷うことになる。
確かにレイがどう思おうが、こちらで無理をしてケビンを抱えて連れて行き、死んでしまっても弔うことくらいしても良い気はする。
だが――ナイトだって万全ではない。
生きるために鍛えた、強靭な精神力のおかげで元気そうに見せられるだけのこと。
いつなんどきぶっ倒れても、おかしくはないのだ。
「どうすりゃいい……」
そう呟きながら、とにかくレイの背中を見送る。
すると、
「……そこのあんた」
「あァ……?」
ケビンが話しかけてきた。小さく手招きしてくるので、ナイトは彼のそばに屈む。
涙を流しながらスケルトンを殺しているドラクを背後に、二人は話をする。
「あんた……ナイト、だっけ? その牙、吸血鬼だよな……?」
「そうだ。それがどうした」
「……ならよ……あんたに伝言を頼みたい。ホープへの伝言だ……あいつが起きたら……伝えてほしい」
「自分で伝えりゃ――」
「ダメだ。それじゃ、ダメなんだよ……!」
死が迫っているとは思えないくらい覇気のある、歯を食いしばるケビンの鬼気迫る顔。
いくら吸血鬼でも頷くしかなかった。
伝言を耳打ちされ――目を見開く。
それはナイトから、迷いが消えた瞬間であった。
「ドラク、行くぞ……ケビンは置いていく」
「おい、おい引っ張るなナイト、待て! ケビンを連れてこう! 何とかなる! きっと連れてけば、グループの誰かが――」
「――てめェは、何もわかっちゃいねェだろッ!! 今だけァ、仲間の言うこと聞いとけってんだァ!!」
「なっ!?」
掴んでくる手を払おうとするドラクだが、それを辞さなければ殺されてしまうと思うくらいのナイトの気迫。
ナイトは俯いたままなのに。仲間を殺すなんて彼に限ってあり得ないのに。ドラクは本気で『殺される』と感じた。
――それだけ、ケビンの言葉は重要だったのだろう。ナイトの心を動かしたのだろう。
「わかった。わかったよ。今回はお前に従うから」
ドラクは一向に目を合わせようとしないナイトを見つめ、頷く。軽く手を振り払って歩き出す。
二人揃って、斬り開かれたフェンスをくぐった。
振り返ることはない。そのまま森へ入る。
仮面から雫をこぼし続けるレイが立っており、その傍らにはホープとジルが寝転がっていた。
――こうして、合計五人の生存者たちは、晴れて『エドワーズ作業場』からの脱出を果たすのだった。




