第55話 『手応え』
「……変だ」
背後にて、白い木片たちが滝のように崩れ落ちる音。
その風圧を感じながら振り返るナイトは、険しい顔にさらに皺を寄せて呟く。
「手応え、ねェな」
――ナイトが斬りたかったのは見張り台ではない。中に潜んでいるはずのスナイパーだ。
見張り台を全て斬り刻めば、自ずとスナイパーだってサイコロステーキにできるはず。
だが、人の体を斬った感覚がナイトには感じられなかった。
まさか、もうここにはいなかったのか?
ブロッグの仇を取ることはできなかったのだろうか?
「はぁっ、はぁっ、ちょっとナイト! いきなり屋上から飛び降りるなんて……危ないじゃない! はぁー、いちいち驚かさないでよ……」
瓦礫を見下ろして逡巡するナイトに、本部から出てきて声をかけたのはレイ。普通に階段を下りてきたのだ。
「……お喋りなら他でしろ、ここァ戦場だ。ドラクたちと、あとはてめェの仲間と合流するぞ」
まだ指導者は全滅していないだろうし、スケルトンだって押し寄せてくるはず。
つまるところ――もうこの場にいないスナイパーを、探している余裕が無い。
「わかってるわよもう、忙しい男ね! あぁ、あとあんたに頼みたいことが――ちょっ、待って……はぁ……はぁっ」
ひとまず考えるのをやめて走り出すナイトに、既に息を切らし気味のレイもついていく。
少し走って広場に出ると、
「なっ――おい、ドラク!」
臙脂色の髪に、片方レンズの割れたゴーグルに、タンクトップにニッカポッカ。ようやく走っているドラクの姿が見えた。
あれだけ無線で彼を怒鳴り散らしてしまったナイトは、多少の気まずさを隠せるかどうか不安だった。
「……は? あ、あっ、ああ……っ!」
かくいうドラクからも銀色の髪、口からはみ出す二本の牙、黒を基調とした一応は格式高い服に、腰の刀も見えているだろう。
――ナイトを見つけると唖然とし、次の瞬間には目を輝かせたドラクは、
「ナイトぉぉぉ!!! お前ぇ、お前よく生きてたなぁ畜生ぉ!! こっち死ぬとこでオレ怖かったようわああああん」
抱えていたホープとジルをそっとその場に置いて、転んだり立ち上がったりしながらナイトの胸に飛び込んできた。
「うわっ、おいっ、離れろ気持ち悪ィ!」
「だば!?」
鼻水と涙でぐちゃぐちゃの顔を押しつけられたナイトは苛つき、ドラクを殴り飛ばしてしまった。
もちろん加減はしたのだが――転がっていったドラクは死んだようにのびてしまった。
見ていたレイはどこか嬉しそうに、
「彼がドラクね。あんたたち仲良しじゃない」
「うるせェな……てめェは青髪の弱虫の心配してねェのかよ? あれ見ろ、ズタボロの死にかけだ」
照れ臭そう――でもなく険しい顔つきのままのナイトは、地面に横たわるホープを指差す。
レイは当然彼には気づいているが、
「もちろん心配よ……でも大丈夫、ホープは『死なない』って約束してくれたもの」
「……そっちもだいぶ仲良しじゃねェか」
「えへへ。まぁね! それとあんたに頼み事が――」
自身の後頭部を擦るレイを横目に、ナイトは倒れるドラクに近づいていく。
ツンツンした臙脂色の髪を強引に引っ張って持ち上げ、
「てめェが起き上がれんのはわかってんだぞ。俺にもこんな人数は運べねェ、気合い入れて自分で歩け! エドワードは殺した。脱出すりゃァ終わりだ」
「いやマジ無理っす……体動かねぇっすよナイトパイセン……」
「じゃあよ」
ナイトは動こうとしないドラクの耳に、顔を近づける。そして後ろのレイには聞こえないよう、
「その青髪を途中で落とすってのはどう――」
「ふざけんなよナイト! そんなことは、それだけはオレが許さねぇ! こいつは絶対に生きてここを出て――」
「おい」
急にムキになったドラクの言葉を、ナイトは低く鋭い声で中断させる。ドラクの髪から手を離し、話を続ける。
「調子に乗んなよ……仮にも俺との約束を破った今のてめェに、どれほどの発言権があんのか、よォく考えてから物を言え」
そうやって脅迫したナイトは鞘から刀を少しだけ抜き、刃の輝きをドラクに見せつけた。
しかし相手が怯むはずもなく、
「……オレの性格、お前ならわかってただろ? 今までだってあったろ? スケルトン蹴散らして強引に仲間助けたり、グループが食料不足の時にゃ何も口に入れなかったり……自分で言うと恩着せがましくなっちまうが、ともかくオレはそういう男だろ! 一年も付き合ってるお前なら知ってたはずだぞ!?」
「……ッ!」
「それに、みんなお前を心配してた。ジルやブロッグ、フーゼス、リチャードソン……他にもまだまだいる。我侭だったのは認めるが、何もオレだけの偏った願望じゃねぇ!」
「…………」
傷だらけの体でも相変わらず舌だけはよく回るドラクに、ナイトは黙る。
なぜか言い返せなかった。
「ブロッグが死んだんだぞ!! 味方同士で犯人探しなんか、やってる場合かよナイト……文句があるのはわかる。オレもお前も色々と悪いことしたさ。だが今は……残ったみんなで協力する時じゃねぇか……!?」
「……!」
弱々しくも、芋虫のような亀のような速度で立ち上がろうとするドラク。ナイトは瞑目して黙り続ける。
「ホープは、な?」
「…………」
「こいつは、オレとジルを死に物狂いで助けてくれた。何したんだかよくわかんなかったけど――ってかそもそもホープの正体も心の闇も、オレは何もかも理解不能だ。だが一つわかる」
「…………」
「こいつは良い奴だ。何だかんだ駄々こねたり、ウジウジしたり後ろ向きだったりすっけど……優しさを隠せてねぇ」
「…………」
「ホープがいなかったらオレとジルはおろか、レイちゃんも、お前も助かってなかった……結果的にすげぇ奴だこいつは……うぐ!」
撃たれた肩の傷が開いたのか、四つん這いから立ち上がろうとしていたドラクは力が入らなくなる。
崩れ落ちそうになるところを、
「もう、いい」
「……は? ナイト?」
ナイトが横からドラクの肩を持ち、優しく受け止める。そして首を横に振り、
「考えるのが面倒くせェ。てめェは立て、ドラク。パーカー女を自分で運べ。俺が弱虫を運ぶ……ブロッグの死体はもう、どうしようもねェ。遠いし重いし無理だ。諦める」
「……立つぞ」
よろめきながらもドラクはナイトに立たせてもらってジルを抱え直し、ホープをナイトが無言で抱える。
ちょうどその瞬間、
「カ"ァァッ」
「ナイト、こいつら何とかして!」
掠れた呻き声、そしてレイの声が響く。どうやら彼女は杖を振り回して数体のスケルトンたちを足止めしていたようだ。
――気の利く女性だ。
「任せろ」
ホープを抱えたまま刀を抜き、地面を蹴ったナイトは刃を上段へ一振り。
三体のスケルトンの頭蓋骨を斬り飛ばした。
「俺は足止めしながら進む。てめェらもさっさと進め」
「「頼もしすぎる……」」
喋りながら追加で二体のスケルトンを斬り殺すナイトに、疲れ果てているドラクとレイ両者の感嘆がハモる。
ちょっと気まずく感じながらも、レイは踵を返す。
――いや、返すべきではない。すぐやめた。
レイはずっと機会をうかがっていたのだ。大切な仲間ケビンを探すよう、ナイトに頼もうと。
地下採掘場(?)にいた労働者が解放されたという情報は得ているため、ケビンが無事だとは思っている。ドラクとの諍いも終わった、彼らに捜索をお願いするなら今しかない。
と、
「……レイ」
踵を返せば会えたものを。返さなかったために背後からかけられた、その声。
「あっ、あぁケビン! 助けに行けなくてごめんなさい、どうしてここがわかったの!?」
弾かれたように振り返るレイ。
台詞内容は至って冷静っぽいが、言っているレイは泣きじゃくって冷静さを失ったようにケビンに抱きつく。
胸に飛び込んできた仲間を受け入れ、大きな両腕で彼女を抱きしめるケビンは、
「ははは……謝って、泣いて、抱きついて、説明を求めるか。すまんが理解が追いつかないぜ」
苦笑しながら、両方の瞳に涙を浮かべる。
「当てがあったわけじゃない、ただ走って探してただけだ」
「いぅぅ……ケビン……うぁぁん……会いた……かったよぉ……!!」
「俺だって会えて嬉しいよ、だから泣くな泣くな――ん!? おいドラク、あそこの銀髪の男が抱えてる奴は……」
木彫りの仮面を湿らせるレイの頭を撫でながら、ケビンはドラクの方を向く。
ドラクは彼が何を言いたいかすぐに察し、
「あぁ、ホープだ……あいつはオレたちのために無茶してくれやがったけど、とりあえず死んじゃいねぇよ……右目からとんでもなく出血してた気がしたが……だんだん収まってきてるし」
ケビンと、ついでにレイを安心させるためにドラクは歯を見せて笑ってやる。
ホープの状態がどれくらい危険かわからないので、無責任とも言えるかもしれないが。
「……? よくわからんがそりゃ安心だ……洋館以来だな、三人揃うのは……」
「ぐすっ。一人気絶してるけど……ひっく、ぇぅ……ホープったら、また魔眼使ったのね……」
「何か言ったか、レイ?」
「な、なんでも……ないわ!」
泣いた勢いでつい口から出てしまったホープの秘密を、レイは両手と首をぶんぶん振って隠し通した。
レイの可愛い仕草を見たケビンは、安心したように笑ってから顔つきを真剣にさせ、
「ここにいる全員、聞いてくれ! 労働者たちがツルハシでフェンスに穴を開けた、その部分から簡単に逃げられる。一応見張り台からも死角の場所だ! 俺が案内する」
「おー……気が利くじゃねぇかケビン、頼むぞ……」
楽に逃げられる脱出口への案内役を買って出るケビン。
限界まで疲れていそうな声で乗ってきたのは、ドラクの馴れ馴れしい言葉であった。
◇ ◇ ◇
そうして、走れる四人と気絶した二人は、スケルトンの徘徊する作業場内を爆走。
ナイトは刀で、ケビンはツルハシで、向かってくるスケルトンを排除しながら脇目も振らずに猛進した。
――遂に、辿り着いた。
「誰かがこじ開けたこの穴から、みんな逃げてった」
中途半端な大きさに破られた穴を指差し、ケビンが説明。
そこは確かに、見張り台が元々存在していた位置からは見えない場所であった。今は関係無いことはナイトとレイだけが知っているが、言う必要もあるまい。
「んじゃ、オレらも利用させてもらおうか……レディーファーストってことで……仕方ねぇ。まずはジルを抱えたオレからだな」
「そこはあたしでしょ!? ……別にいいけど」
それほど面識の無いドラクなのに、その無遠慮さはレイもツッコミを入れてしまうくらい。
無遠慮も通り越して傲慢な気もするが、既に穴をくぐり始めているのだからどうしようもない。
「よい……しょ……っと。ほら、やっと外に出れたぜジル……! あ、気絶しててダメだった。勝利の美酒を味わえねぇとは悔しいのう……次は、レイちゃん来なよ……」
「先にナイトとホープに行ってもらうわ」
フェンスの穴は割と狭く、全身抜け出すのに多少の時間を要することになる。
気絶するホープがあまりにも辛そうな顔をしているので、レイとしては早く外に出てほしいと思ったのだ。
「ちィ、狭っ苦しいなァ……!」
ナイトが進もうとすると、刀やホープの頭が網目に引っかかって大変そうだ。
どうにかこうにか彼らが外に出る。
「ケビン行く?」
「バカ言うな、先に行けレイ。とうとうスケルトンが近づいてくる、足止めしとくから早くしろよ!」
「ええ、ありがと!」
レイは一人だし杖しか持っていないし身軽で、体つきも細身なので簡単にくぐれるはず。
呻き声を遮断するようにスケルトンを殺すケビンを背後に、彼を信じてレイは進む。
そして、待ちかねた脱出。
「やったわ! ケビン、あんたの番――」
フェンスの外に出てすぐさま振り返ったレイは――もう、その台詞の先を、続けられなかった。
あり得ないと思っていたから。
「ケビン……!?」
棒立ちのケビンが、腹から、その延長線上の背中から、血を流しているのだ。
決してスケルトンに噛まれたわけではない。彼は周囲のスケルトンを確実に始末していた。
ケビンのその傷は、まるで。
「嘘だろ、あの傷……あの傷はァ!!」
「どう見たって銃じゃねぇか……ここは見張り台から見えねぇはずだろ!? 撃たれねぇはずだろうが!」
「ケ……ビン……?」
銃弾が貫通したような、傷。
見張り台は本当のところバラバラに斬り刻まれていて無関係なのだが、それにしても変だ。
不可解で不可思議で――何より悲痛なその光景に、フェンスに張りついた三人はそれぞれ困惑の声を発した。
「ぐふッ……? レイ……?」
逆流してくる自身の血を吐き出しながら、ケビンもまた困惑しており、その場にへたり込んでしまった。




