第54話 『散り際に気づくこと』
建物の壁と高すぎるフェンスに囲まれ、さらにスケルトンが侵入してきて逃げ場の無い路地にて。
「うおぉ!」
「カ"ッ」
ドラクの振り下ろすトンカチが、向かってくるスケルトンの脳天をかち割る。
先程からドラクはずっと、スケルトンたちを一撃で殺している。それはトンカチという武器の威力もあるだろうが、
「ふっ!」
「アァオ"」
「んん!」
「コ"ェ」
最低でも二回は攻撃しないとスケルトンを倒せないホープと比べると、やはり腕力の違いがありそうだ。
ホープの短剣は切れ味が悪くほとんど鈍器なのだが、それでも腕力に秀でていれば楽に戦えるはずなのだから。
「この……っ!」
「オオ"ゥ」
それでもやるしかない。
短剣を左から右へ振り、スケルトンの横っ面に入れる。体勢を崩したスケルトンは頭蓋を自ら壁に激突させ絶命。
これだ。
「壁にぶつければ……!」
気づいた後のホープはとにかく向かってくるスケルトンの頭を、振り子のように横に振らせるように努める。
短剣に弾かれた頭蓋骨たちが、硬い壁の暴力に沈んでいく。
そうやっている内、
「ハク"ッ」
「えっ!?」
ぶん回した短剣が、偶然にもスケルトンに咥えられるような形に。そしてその強靭な顎と歯で、
「うわあっ!」
バキン、と刃が折られる。
――以前、地下室でスケルトンの口に突っ込んでしまった時は、こんなことにはならなかったのに。あの時よりも使った回数が多いから、劣化が激しくなっていたらしい。
ドルドの持ち物だったのに。
ほぼ柄の部分しか残っていない短剣。ホープは仕方なく柄の先端で目の前のスケルトンを倒した。
疲れにも少しずつ耐えられなくなり、後退。
「でぇい! りゃあ! はぁ……はぁ……」
脳天、顎、首とトンカチで吹き飛ばし続けるドラクも、そろそろ限界が近いようで後退してくる。
そして、
「もう無理だオレは……」
ホープの横に並んだドラクは力尽き、地面に膝をつく。トンカチが手から滑り落ちた。
「マヌケだよな……このスケルトン入れたのは、オレたちなんだぜホープ……」
「もう……立てないのか、ドラク? ……おれももう、立ってるのがやっとだよ……?」
「キツいぜ……」
今までは二人して「無理だ」「無理だ」と言いつつも気合いで立ち上がっていたが、今度こそ本当に限界。
だから、
「く……そ……」
膝をついたドラクは、滂沱と涙を流す。
「本当にやっちまった……取り返しのつかねぇことを……ブロッグを殺したのも、これからオレとお前とジルが食われるのも……全部オレのせいだ……!」
「…………」
「クソっ、クソっ……せめてジルは助かってほしかったなぁ……せめてさ、ジルだけでも……」
オレはいくらでも食われて良いんだから、と心の折れてしまったドラクは涙を止められない。
無数の水滴が彼の頬を伝い、エドワーズ作業場の地面を濡らす。
乾いた砂が、湿っていった。
このフェンスの内側で本来流れるはずのない、『良い感情』がギュッと詰まった涙が。
心の渇ききったような作業場の砂に、染み込んでいくように。
「そっか」
――ホープは、当然ながら『秘策』を出さずにいた。出したくなかった。
ついさっきエドワードに無意識に使って、痛い思いをしたばかりだったから。
「あのさ、ドラク」
「……何だ」
そういえば、ホープの方からドラクに語りかけるのは、これが初めてかもしれない。
スケルトンに追い詰められるという受動的な状況ではあるが、その中で能動的に動くだけホープは成長しているのかもしれない。
肩をがっくり落としたドラクは、首を回してきた。
ホープは躊躇わずに言う。
「今から無茶するから、おれはたぶん倒れる。そしたら、後は君に任せるよ」
「……は? バカよせ! 死ぬのはオレの方がお前より先だって、話したばっかりじゃんかよ!」
スケルトンに突撃するとでも思ったのか、ドラクはホープの服を掴んで引っ張ってくる。
そんなことしたって無駄なのに。
「やって、やる……!」
いくら感情の死んだようなホープでも、『絆の涙』を見させられてなお黙っているのは、心が咎めた。
彼らのために、少し無理をしてみたくなった。
『友情』『絆』と聞いて思い出すのは、やはり、あの時助けられなかった男。共に戦えなかった男――ケビン。
もしかしたらホープはまたしても無意識の内に、彼への贖罪をしようとしていたのかもしれない。
「アアァ"」
「コ"アアァ"ア」
「ロオ"ォ」
「ウカ"ァァウ」
まるで巨大な城壁のように迫ってくるスケルトンの雪崩を、睨むホープの右目が赤く輝く。
『破壊の魔眼』が、発動された。
「――――」
ホープの睨むスケルトンたちの頭が、首が、まるで見えざる悪魔の手でこねくり回されているかのように歪む。
次の瞬間には歪みが引き戻り、その反動で世界に衝撃波のようなものが生まれる。大気が揺れる。
一撃にして五、六体のスケルトンが頭を失い崩れ落ちた。
「――――」
ヤケクソで魔眼を発動させているホープだが、今度は何も考えていないわけではない。
なぜなら、なるべく痛む回数を減らしたいから。つまりは魔眼を使う回数を減らしたいのだ。
今度は七体ほどの頭を吹き飛ばせた。
「――――」
発動させながらも何を考えているか――それは一度の攻撃で何体のスケルトンを倒せるかという問題。
『破壊の魔眼』はどう考えても範囲攻撃なのだが、正直どのくらいの範囲なのかは判然としない。ホープにも未だわかっていない。
もしかすると何回使ってもわからないのかもしれない。
今度も七体ほどを殺害。先程と変わらないではないか。
「ぁ……は? 何が起きて……え? どうしてスケルトンがどんどん死んでって……!?」
「――――」
途中でドラクの困惑の声が聞こえてきても、彼に優しい言葉をかける余裕などあるはずもなく。
ましてや彼の顔を見ることなんてできるわけもない。
今回は六体ほどしか殺せなかった。そろそろ、目の痛みが尋常ではなくなってきている。
「――――」
息が、苦しくなってくる。
しかし同時に、スケルトンの数もまばらになってくる。
今は五体くらい仕留めたところだ。
知っての通り『破壊の魔眼』は範囲攻撃。残りのスケルトンが少ないと逆にコストパフォーマンスが悪くなる。
それでもやるしかない。
「――――っ!」
針で刺されたような激痛が、ホープの右目を襲う。
魔眼が発動すると右目のみ赤く輝き、青い左目とでオッドアイ状態になるホープ。
だが今の右目は『魔眼発動の際の赤』の上から『単に右目に血が溜まった赤』に染まりつつある。
本当に、そろそろやめないと取り返しがつかなく……
取り返しがつかなくなる?
「――――っ!!」
好都合、だ。
これが最後の一撃。二体のスケルトンを葬って終了。
「あぁぇ!? おいホープ!?」
ドラクが間の抜けた声で叫ぶのは、ホープの右目から噴水のように赤黒い鮮血が噴き出したからだろう。
――これまでに見たこともない出血量。あまりにも致命的。
ドリルでガリガリと眼球を抉るような、そんな痛みとともに血が流れまくる。
だからホープにとっては好都合。
どうせここまでの苦痛を感じるほど右目を酷使したならば、いっそのこと限界を超えるくらい利用して、痛みでショック死でも出血多量でも何でもいい、死ねばいいのだ。
ホープはとうとう崩れ落ちる。全身から力が抜けて、ふらつく。前へと倒れかける。
今度こそ本当に死ねるかもしれない。
「…………」
その前に、とホープは倒れる間際にドラクとジルを振り返る。
呆然としたドラクと気絶したジルだが、二人はとにかく生きている。それだけ確認できればいい。
そう思ったのに、ホープは二人のさらに後ろまで見てしまった。
――気づいてしまった。
「……ぁ」
それは作業場を囲む、網目状のフェンス。
あれに『破壊の魔眼』で穴を開ければ、静かに簡単に外へ逃げられた。今ホープが余計に傷ついたのはもちろん後悔している。
だが――そもそも最初から、つまり作業場に放り込まれた初日からフェンスを壊していたら、音も出すことなく楽に逃げられたのでは?
誰からも傷つけられず、誰かを傷つけることもなく、誰かが傷つく様子も見ず、ホープ一人でもさっさと逃げられたのでは?
――そんなことができたとしても、やってはいけなかった気がした。
きっと、それではダメだった。
何が『ダメ』なのかよくわからないが、わかる必要は無い気もした。
ホープは苦笑しながら倒れ伏せる。
――意識が飛ぶほどのこの痛みで死ねなかったら、本気で世界を呪うだろう。そう考えながら。
◇ ◇ ◇
「すげー出血量だぞ!? 何だ、今スケルトン蹴散らしたのってまさかホープだってのか!? 嘘だろお前どう見ても人間なのに!」
倒れて、右目から信じられないくらい血を流すホープを見たドラクはあたふたするばかり。
しかしバケツ一杯にも匹敵しそうな量の血を見るなど初めてだし、突然なのだ。咎められる筋合いは無いというもの。
「後は任せる……って言ってたの、お前の死体の処理のことかよ!? 何てことオレに任せてくれて――あっ」
違った。
恐らくホープが言っていたのはこのことだろうな、とドラクは感じられた。
スケルトンの残党がやってくるのだ。
「ア"ァ」
たった一体、角を曲がって現れたスケルトンはホープの作った血溜まりに反応するが、そのままホープの肉を貪りにかかって――
「手ぇ出すんじゃねぇよ、オレの仲間に!!」
「ホ"ッ」
トンカチを落としたドラクは最後の力を振り絞り、無手のままの右拳をスケルトンの顔面にぶち込む。
後方へ吹き飛ぶ――ような勢いでよろけたスケルトンの後頭部が壁に激突。
それで頭蓋が割れたらしく、倒れた。
「まぁ何だったのかよくわかんねぇが……お前、マジありがとうなホープ。オレとジルの、命の恩人だぜ」
頭が痛む。くらくらする。
足がふらつく。
それでもドラクは、自分の我侭に付き合ってくれたジルとホープに報いなければならない。
危機は脱した。だからドラクは何度でも、執念深く、しつこく、最後の力を振り絞る。
「後は、みんなでここから出るだけだ――!」
二人を抱え、ドラクは走った。
当然……足がもつれないように、ほとんど飛んでいる意識を引き戻すように、気を払い続けなければならないが。




