第51話 『追い詰めて』
「カラスっ! カラスぅぅぅ!」
――三階建てくらいと思われる『本部』の階段を駆け上がる、ナイトとレイ。
上の方から聞こえるのはエドワードの謎の台詞。
「何だあいつァ……急に鳥なんか呼んで。恐怖でトチ狂ったか」
謎台詞を叫ばなくたって、そもそもエドワードの精神はまともではなくなっている可能性が高いが。
なぜなら奴の逃げる方向は、
「彼ずっと階段上がってるみたいだけど、もうすぐ屋上よね。そうなると逃げ場が無いんじゃない?」
「ねェだろうな。とうとう追い詰めた」
会話を短く済ませたナイトは風のような速度で階段を駆け抜け、開けっ放しになっている屋上への扉をくぐった。
◇ ◇ ◇
屋上にいたのは当然エドワード一人。
ナイトに背を向けるような形で、眼下に広がる作業場を見下ろして棒立ちしていた。
「やだ、やだ……いやだ……俺は死にたくねぇ……っ!」
どうやらエドワードは飛び降りようとしていたようだが、断念したらしく首を振りながらナイトへ向き直る。
「くっ、やってやらぁ!」
そして部下から強奪した剣を構えた。
「……俺の自由を奪う奴ァ生かしちゃおかねェ」
絞り出したようなエドワードの勇気を、ナイトは心の中で称賛しつつ刀を揺らして走り出すと、
「じ、自由!? はっ! バカじゃねぇのか吸血鬼ぃ!」
そんな言葉に、吸血鬼はすぐに足を止めた。
「俺は見てたんだぜ、お前とドラクくんの庇い合いをぉ! 美しい友情といやぁ聞こえは良いが、アレのどこが自由なんだぁぁ!? お友達に縛られちまってるお前に、自由なんか微塵もあるわけねぇ!」
引きつった余裕の無い笑みで、ナイトを指差したエドワードは言い切った。
直後、ナイトの表情に影が差す。
「誰が自由人だなんて言ったよ。負け犬の俺ァ、在りもしねェ『自由』を探してるだけだ……制約と抑圧の中でな」
それだけ言って、ナイトはまた歩き出す。
エドワードは「ひいっ、ひい!」と腰を抜かして怯えながらも、口の両端を吊り上げる。
「は……はっ! 『命は選択する権利だー』だの『俺の自由がどうたらこうたらー』だの言っといて、自由はどこにもねぇんじゃねぇか! ぎゃ、ぎゃっはっはっは!!」
「…………」
「そんならお前ぇ、あのカビ臭くて不衛生な地下にずぅっと閉じ込められてりゃ良かったんじゃねぇのぉぉ!? その方が孤独だし心情的にはだいぶ自由だったと思うんだ――」
「…………口が減らねェな、てめェ」
「ひぃっ!?」
何の躊躇もなく、一歩一歩距離を詰めていくナイト。その白く光る二本の牙に怯えるエドワード。
「弱ェ犬ほどよく吠える――金玉ついた男ならァ、黙って相手に勝ってみせろよ」
「……く! く、くっ、口が減らねぇって、て台詞は……お前んとこのドラクくんにそっくりそのまま返すと……」
「クソやかましい野郎は二人もいらねェって意味だ」
――だから、てめェがくたばれ。
そんな心の中でのみ渦巻く言葉を込めるように、ナイトは柄を握りしめる。
「……く、くそぉ! カラスっ! 俺を助けろカラスぅ! 物資を差し出すからお前が守ってくれるって、そういう契約じゃなかったのかよ一生恨むぞカラスぅぅ!!」
迫る『死』に、エドワードは階段でもさんざん口にしていた鳥の名前を叫ぶ。
両腕を広げて虚空に叫ぶ。
届くはずは、なかった。
◇ ◇ ◇
膝立ちで両腕を広げ、空へ向けて泣き叫んでいるエドワード。
上を向いている理由は作業場全体に声を届けるためでもあるが、目の前にチラつく刀の輝きが嫌だったからでもある。
だがエドワードは死を恐れるばっかりに、見てしまう。
床を蹴ってこちらへ高速で迫る吸血鬼を。
そして、
「あ、あいつも……?」
その後ろで、先端が白く光る杖を振っている仮面の少女を。
あれは間違いなく自分が痛めつけた魔導鬼だ。
二人の鬼が、自分を殺そうとしているのだ。
「あぁ……! あぁ……!」
エドワードは咄嗟に剣を構え、左から飛んでくるナイトの刀を受け止める。
しかし、止まらない。
杖の先端と同じように白く輝く刃は、その程度では止まらない。
首の横に、冷たい『死』が食い込む。
「――――」
視界が突き上げられたかのように、景色が突然ありえない方向に歪む。
空の雲や作業場の建物が、ぐるぐると目まぐるしく右往左往し、上へ下へと移り変わる。
天と地がひっくり返っては戻り、戻っては再度ひっくり返る。
そして――何か硬いものが落ちたような音とともに、視界は暗転してしまった。
その暗転は永遠か有限か……わかる者はいない。
◇ ◇ ◇
レイの祝福を受けて振るわれたナイトの刀は、空気さえ斬り伏せてしまう横一文字を放った。
防御しようとする剣など真っ二つにし、エドワードの首を一太刀にはねた。
――真上へ飛んだ首が、屋上の床まで落ちてくるのを見届けたナイトは、
「今、何しやがった女ァ!!」
即座に振り返って戦いに水を差した者を怒鳴りつける。
怒鳴られたレイは、
「あたしの魔法よ。あんたの腕と刀を強化して、援護したの」
「てめェ人外だとは思ってたが、魔導鬼だったか! どうりで全身隠してるわけだ!」
「ええ、魔導鬼だけど。悪い?」
「種族は自分で選べねェんだ、悪いもクソもねェだろ! 俺が言ってんのはそんなことじゃねェ! 俺の戦いに余計なことしやがったな!?」
ナイトは『超』がつくほど戦闘には真面目な戦士であるから、真っ向から、正攻法で、正々堂々と勝たねば納得がいかない。
それは相手がどんな種族であっても、力の差が歴然であっても同様である。
レイの支援魔法によって、ナイトはエドワードの防御をショートカットした。つまり剣まで真っ二つに斬ってしまった。
いわゆるズルなのだ。
「俺の実力じゃァ、相手の武器まで壊すのなんかできねェんだよ……できるわけねェ!!」
「だからあたしに怒ってるの?」
「そうだ!」
質問を全肯定されたレイは、少しの沈黙。仮面の下でどんな表情をしているのかナイトには想像もできないが、
「……怒られる筋合いなんか無いわよ! それはあんたの問題じゃない! あたしだって、ホープやケビンや自分が捕まって……エドワードにやり返したくてたまらなかったのよ!」
「ッ!」
「『援護した』とは言ったけどね、それは言葉の綾で、あんたを助けるのは目的じゃないわ! あたしだってエドワードを倒したかったの、それだけよ!」
ナイトは自分の、自分たちのことしか考えていなかった。
レイにだってここまでやって来て痛めつけられた経緯があるし、彼女なりの考え方があるのだ。
「あのノッポに一撃食らわしてやりたかったのよ! でも弱くてできないから、あんたを利用させてもらったの! ごめんなさいね!」
レイは怒っているようではあるが、下を向いていてどこか悲しそうだ。
――仲間が苦しめられてやり返したかったのに、彼女はずっと燻ぶっていたのか。そして、力が無くて悔しいのだろうか。
それならナイトと同じではないか。
「……今のは忘れろ、そっちの事情考えてなかった。仲間……か。仲間のことならしょうがねェ」
ナイトは気まずくて目を逸らしながらも、下を向くレイの肩にポンと手を置く。
「嫌われもんの魔導鬼なら尚更……そいつら大事だろ」
それから振り返ってまた屋上の端まで歩いていき、あるものを見下ろす。
――時間から弾かれたように悠然と佇む、木製の白き見張り台だ。
「気持ちがわかったぜ女。俺だって仲間のことなら、燃えてきちまうからなァ――!!」
「ちょっ、ナイト!?」
助走をつけて屋上から飛び、ナイトは流星のような勢いで見張り台へと急降下。
――ブロッグを殺したスナイパーもろとも白い塔をバラバラに斬り刻み、崩落する瓦礫とともに着地した。




