第38話 『命の消える音』
――特に何の支障もなく、ホープとレイは階段を降り、一階のエントランスへ辿り着くことができた。
そこには銃を構えるブロッグの姿があった。
「おや、仮面を付けた……君がレイか。私はブロッグ・レパントという。以後よろしくな」
ブロッグは一瞬レイの仮面に驚いたようだったが、すぐに笑顔になり自己紹介。手を差し出す。
「え、ええ。レイ・シャーロットよ……あ、あのぅ……」
その手を、レイは腰を引きながらも握った。
この数日間、『人間』から暴行を受けてきたから恐れているのだろう。ホープは特例である。
彼女はケビンのことを話そうとするのだが、
「すまない後にしてくれ。まずはホープ、ほら君の服と短剣だ。本部内で見つけたが、これで合ってるか?」
「あぁ、うん……」
早口で話を進めるブロッグ。レイだけでなくホープも、もう何も口出しができない。
ホープは受け取った自分の上着に着替え、短剣を腰に差す。
ここでホープは自分が愛用してきたリュックサックのことを、ブロッグに言うのを忘れたと気づく。
食料なども入っていた――無事に作業場を抜け出せたら、その後が怖いものだ。
だが今はそんな状況ではないことくらい、ホープはわかっていた。リュックのことには触れず、
「ぶ、ブロッグさん。外で何してたの?」
「その説明をこれからするつもりだよ。ケビンという者のこともこれから話す。さぁ二人ともこの布を被ってくれ。とにかく本部から脱出だ」
さすがは有能ブロッグ。ケビンの件も忘れてはいなかったようで、若者二人は安心したと吐息。
「でも……また布かぁ……」
――時刻としてはほとんど朝。さすがに明るくなってきたが、また匍匐前進で見張り台の前を通らなくてはならないようだ。
◇ ◇ ◇
「ふ、ふぅ……何ともなくて良かった……」
「今のは怖かったわ……ホープあんた、よく本部まで来れたわね……あんたって弱そうなフリして実はけっこう勇敢よね……」
「弱さと勇敢さ……って別物じゃないかなあ……?」
ホープは正真正銘弱い。
が、今は実はブチ切れているので、普段の倍以上には勇敢かもしれない。話が別だ。
そういえば『弱さ』と『優しさ』も別物だったっけ。
三人が這いずって無事にやって来た、ここは見張り台から死角となる建物の影。
――ブロッグと出会ってから、全ての行動がとんとん拍子に進む。
ホープとレイより先に着いていたブロッグは懐から紙きれを取り出し、
「これも本部内で得たんだが……これはエドワーズ作業場の見取り図だ」
「見取り図!?」
「ああ、見つけられたのはラッキーだった。君たちも見てくれ――ところどころに『B』という字があるだろう」
「うん……」
「ええ」
見取り図を開きブロッグの指差していく場所は、作業場内の各所に書かれた『B』の文字。六か所ほどで、誰かの手書きだ。
文字があるのはどこも建物ではなく道の真ん中で、
「この『B』の字は私が書いた――これは『ボム』の『B』だ。つい先程、私がリモコン式の地雷を埋め込んできた場所を指している」
「じ、地雷って、何者なのあんた!?」
「しかも仕掛けるの早すぎないかなあ……!?」
有能なるブロッグは本部でホープの持ち物と見取り図を得て、しかもそのまま外へ出て、作業場のあちこちに地雷を仕掛けて回っていたというのだ。
だいぶ年上のブロッグに、ついいつもの調子で『あんた』呼ばわりでツッコんでしまったレイは口を押さえる。
彼女はブロッグが軍人であり特殊部隊だと知らないから、真っ当な反応ではあるのだが。
反省するレイに、ブロッグは掌を向けて陽気に笑い、
「ふふ、君が気にせずとも良い。なにせ私が気にしていないんだからな。今さら歳など重視しない――地雷の話だが、これが起爆するためのリモコンだ」
ホープやブロッグの持つ通信機と同じような大きさの、黒いリモコンを見せるブロッグ。
ブロッグは素人二人に操作方法を簡単に教えてから、
「君たちに起爆のタイミングを任せることもあるかもしれない。敵を引きつけ、自分は十分に距離を取り、このボタンを押す――それで良い。一応ドラクにも地雷の話はしてある」
簡単そうに言い放つブロッグ。彼の判断は正しい。若者たちを励ます時間とか、今はあるわけがないのだから。
――ごくり、とホープもレイも息を呑む。
生身の人間を殺したことのない二人。そんな汚れ無き手というのは、本来この世界では長続きさせる方が難しいのだ。
ボタン一つで、上手くいけば敵は死んでしまうだろう。
すぐに覚悟はできない。
けれど理解だけはしているから、二人は気を引き締めた。
ブロッグはそんな二人への優しい眼差しを逸らし、建物の影から顔だけを外に出して周囲を見回す。
「とりあえずリモコンは私が持っておくとして、さてケビンかナイトどちらから救おうか……6時になる、もうすぐ指導者も労働者も動き始めるぞ」
「…………」
本格的に明るくなってきた。そろそろ忍んではいられなくなってくる頃だろうか。
悩んでいる様子のブロッグに、ホープはまだ何も言えない。
レイの理解者であるケビンか、戦闘力のあるらしいナイトか。
どちらを救っても、きっともう片方の救出に助っ人してくれるとは思う。
しかし問題は、どちらも捕まっている時間が長く、まともに走れたり戦えたりするかだ。
ドラクの言い方的に、ナイトは相当強そうであったが――
「あ、そういえば……ブロッグさん?」
「どうした、ホープ」
レイがブロッグと反対側から顔を出して警戒している中、二人の真ん中にいるようなホープ。
そんなホープに降って湧いた疑問。それは、
「作業場には銃が無いはずなんだけど、夜中にサイレンサー付きっぽい銃声が聞こえたって話があって……」
「ほう」
「それって、ブロッグさんのことだったんだよね?」
――それは銃弾製作所にてホープの盗み聞きした、労働者二人が話していた噂話。
ブロッグが四日前か五日前から潜入していたならば、その噂の犯人が彼である可能性も無くはない。
だから聞いてみたのだが、
「……いや? 私がこの銃を使ったのは、君を助けた時が初めての筈だ」
サイレンサーを付けた自動式拳銃を取り出すブロッグ。
建物の影から出たままのブロッグと、ホープが二人して銃を眺める、沈黙の時間。
ホープが唐突に何かに気づき、謎の質問をするのはこれが初めてではない。
――洋館にてオースティンの肩を掴み「扉の鍵は?」と聞いた時があった。あの時は確か、聞いた直後に何か起きた。
「えっ……えっ、えっ!?」
後方から、驚いたようなレイの声がした。
何だか今、レイの声の直前、『風を切る音』が聞こえたような気がしたのだが。
「――――あ、ブロッグさん。落ちたよ」
ホープの見ていた自動式拳銃が地面に落ち――そして、銃より大きな何かが、その場に倒れた。
倒れたのは、
「あ……! あっ、あ、えぁ、え……ブロ……ッグ……さん……?」
側頭部から血を流すブロッグの姿。
命を失い、本当の意味で変わり果てたブロッグの姿。
その傷はどう見ても、銃のような兵器で綺麗に撃ち抜かれた、そんな傷であった。
作業場に銃は無いはずなのに。
「…………? …………? ……! …………? ……! …………? …………?」
目を見開くホープも、思わず仮面の上から口を押さえるレイも、次の言葉がもう出てこない。
状況に思考が追いつかない。感情の始末がつかない。
しばし呆然と、そこに居るだけだった。




