第36話 『鬼が出るか鳩が出るか』
薄明るい本部の中。窓を見れば、日の出は少しずつ近づいてきている。
二人はそれぞれ前後を見張りつつ先へ進んでいる。
「……あ、あのーブロッグさん? ……あなたって軍人ってことでいい? さっき言ってた『領域アルファ防衛軍』……とか、『ぴじょんず?』とか、おれ聞いたことなくて」
当然小声で、当然前方に気を払いながら、ホープはぴったりと背中をくっつけるブロッグに問う。
幼い頃からあの村の外には出れなかったというのに、エリンが何も教えてくれなかったのだ。
世間知らずになっても仕方がないだろう。
「おお……そんな質問は初めてかもしれない。少し驚いてしまった。君は山奥か何かに暮らしていたのかな?」
「そんな感じだった」
「まぁ『領域アルファ防衛軍』とは名前通りの意味。領域アルファに――つまり世界に危機が及んだ時、その危機に立ち向かう組織のことだ」
「確かにそのままの意味だね。じゃあ……ぴっ、ぴじょ……」
「『P.I.G.E.O.N.S.』だろう? これは防衛軍の内部でさらに創立された特殊部隊で、様々な方向性のエリートが集められている。特に迅速でスマートな活躍が必要な有事の際、派遣される部隊だ」
「へぇ……」
――実は沈黙が怖くて適当に話題を作っただけのホープなので、質問をした側なのに「へぇ」としか返せない。
とにかく『領域アルファ防衛軍』は世界の平和を守る組織、『ピジョンズ』はその中でも特にすごい軍人を集めた特殊部隊。
それはわかったが一つ、かろうじて気になったのは、
「あー、『ピジョンズ』ってどういう意味? それとも……無意味?」
ただの寄せ集めの特殊部隊なら『エリート特殊部隊』とか、そういう普通の名前でよかったのではないか? ホープはそう思ったのだ。
「ん? 『鳩』というのが領域アルファを象徴し、また平和を象徴することもある鳥だからさ。これも知らなかったかい?」
「象徴動物……!? し、知らなかった」
鳩を見たことはあるが、まさか。あんなに地味な見た目の鳥がこの世界を象徴しているとは恐れ入った。
――ブロッグは『ジューク』の上着を脱ぎ捨て、懐から取り出した別の上着を着る。
「……見ろ。ここに『P.I.G.E.O.N.S.』と書いてあって、横に小さく鳩のシルエットがあるだろう」
「ホントだ」
ブロッグが着たベストの背中部分には、『P.I.G.E.O.N.S.』というロゴ、そして洒落たイラストがある。
少しだけ振り返ってそれを見たホープだが、
「あれ、『ピジョンズ』ってこんな風に書くの!? 何で? これにはどういう意味が?」
もっともらしい質問を投げると返ってきたのは、
「詳しくは知らん。この領域アルファのトップ、第八代エリアリーダーが言うには『格好良いから』とのこと」
「雑じゃないかなあ……!?」
何かの略称でもなく、どうやら書き方に深い意味は無かったらしい。
エリアリーダーというのも初耳なのだが、まぁ要約すると世界で一番偉い人となるのだろう。
話し終えたブロッグは何か思い出したように天を仰ぐ。
「――10年前に『P.I.G.E.O.N.S.』ができて以来、最大の事件が一年前のスケルトンパニックだった」
「…………」
「最速で行動開始した我々も、そして続いた防衛軍の面々も……スケルトンどもには敵わなかった……非常に苦い、思い出だ……」
「…………」
その背中に哀愁を漂わせるブロッグに、ホープは沈黙を返す。
スケルトンパニックより前にも、色々な事件があったろう。『P.I.G.E.O.N.S.』は少なからず活躍していたのだろう。
だが、皮肉にも最大の事件には特殊部隊どころか領域アルファ防衛軍の総力を上げても対応しきれなかった。
世間知らずなホープは当時の軍の様子など知らないが、今、こんな世界になっているのがその確たる証拠ではないか。
ホープにとっては他人事であるが、『正義の味方』として歯痒いだろうと同情くらいならできる。
「……ん? 物音がする、静かに」
ブロッグが手を上げたのはそんな時だった。
◇ ◇ ◇
「うぃー……飲みすぎちったぁ……小便、小便……」
赤ら顔で千鳥足、典型的な酔っ払いのアクションをとる男は、本部二階の廊下を歩く。
「クソぉ、絶対あいつイカサマしてやがったぜ……覚えてろぉ、あんにゃろーがよぉ……」
時刻はもう5時に届きそうだが、この指導者の男は仲間の指導者たちと遊んでいたようだ。
男は千鳥足をとある扉の前でピタリと止め、
「お、ここイカサマ野郎の部屋じゃん……閃いた!」
男はその場でズボンのチャックを下ろし、扉に向かって放尿を開始してしまう。
「ふぅー、トイレまで行くの面倒くせぇと思っ――」
「酒癖が悪すぎるぞ。あの世では控えるようにな」
「あぁ!? 誰だおま――」
サイレンサーにより、静かな銃声。
ブロッグが振り返ってきた男の横顔を撃ち抜いたのだ。
「うぉぉ……!」
ホープは、その短い命のやり取りに衝撃を覚える。
例の『隠し部屋』では突然すぎて考えている暇も無かったが、人間が人間を殺すということが、こんなにも重い光景だとは。
しかも目の前の男は小便の真っ最中だったし。
「まったく汚らしい……ん、何か落としたな」
倒れる男の近くに何かを見つけ、ブロッグはしゃがんで拾う。立ち上がってそれをホープにも見せる。
「鍵だ。見たところこれは……手錠の鍵のようだ」
「手錠……」
拘束されたレイのものであったらいいが、残念ながらこの作業場には腐るほど手錠があり、手錠を付けられる労働者たちがいるのだ。
ホープがその旨をブロッグに話してみると、
「そうだな……だが今は労働者たちは監獄にいる時間だろう、労働が始まるまでは手錠を付けない。そも『労働力』でしかない労働者の手錠の鍵など、いちいち指導者が持っているものか?」
なるほど、とホープは口に手を当てた。
付け加えればここはレイがいる階、二階である。ひょっとすると、ひょっとするかもしれない。
「じゃあおれはこれがレイの鍵だって信じるよ」
「よし、ならば共にレイを救いに――」
「あ、それなんだけどさ……部屋の前まで送ってくれたらそれでいいよブロッグさん」
――ブロッグが『魔導鬼』をどう考えているかなど、この際は問題外だ。
とにかく今は、ホープ以外の人間がレイの正体を知るのは危険すぎる。色んな意味で。
「何故だ?」
当然、ブロッグは心配して聞いてくる。ホープは誤魔化さなければならない。
「……えっ、えっと……彼女はその……今は心が壊れかけてるから……おれ以外が近づくとどうなるかわかんないん……だよね? そうだよね?」
「いや聞かれても困るのだが……わかった。部屋の扉を解錠したら、その後は別行動としよう。そして私はすぐに部屋の前へ戻る」
後ろ手を組むブロッグは、あまり訝しむこともなく頷いてくれた。
「今の内に聞いておきたい。君の元々着ていた服、持ち物を教えてくれ。私が本部内で探し出すから」
「あ、うん」
服や、武器の短剣の特徴を伝えたホープはブロッグとともに廊下を進んだ。
――レイのいる部屋へ辿り着きブロッグと別れるまでに、そう時間はかからなかった。




