第33話 『指導者ジューク』
――コン、コン、コン。
ほとんど絶えることなく連鎖する、石の壁をノックする音。ホープの記憶だとここは『隠し部屋』という話であったが、
「おい、どうなってんだ? ここってエドワードさんと俺たち以外は知らねぇんじゃねぇのか?」
「俺もそう思ってたぞ」
ホモ以外の二人の指導者が首を捻る。やはり驚いているのはホープだけではないらしい。
肝心のホモ指導者も、
「邪魔しやがって! 俺たち以外で場所を知ってるとすりゃ……ジョンとかいうガリ勉くらいだろ? 癪だがあいつはエドワードさんに気に入られてる。聞いてみろ」
まだ始まってもいない行為を妨害されて鬱積するホモは、他の二人を顎で使う。
「ジョン……?」
――耳のいいジョンがエドワードに気に入られてるというのはホープも納得だ。が、別に仲良くなってもいないジョンが助けに来てくれるとはとても思えないのが本音。
同僚の態度に「偉そうに」と愚痴りながらも、二人はノックの聞こえる壁へ渋々近づく。
「おい! へへ、お前ジョンかぁ!?」
へらへら笑いながら指導者が聞くと、
「……いいや、違うが」
返ってきた答えは予想とは違うもの。
何より声が若者の弱気な声かと思いきや、どすの効いた低音の渋い声で、これまた想定外。
でも、壁の向こうの声は平然と続ける。
「私はジュークだ。指導者のジューク。知っているだろう?」
『隠し部屋』をノックするとは相当な事件であるはずなのだが、そのおっさんボイスはとぼけたような喋り方だ。
当然自分を知っているだろうと自信満々な指導者――ジュークの質問に、三人の指導者はしばし考え込んでから、
「俺、思い出したぜ! ほら、あの……昼間に建物の影でサボってる……」
「あ、あぁ! 毎日のようにサボってるから、誰も知らねぇってあの幽霊指導者か!」
「俺も聞き覚えがある……だが、なぜそんな奴が……?」
手をポンと叩いて思い出す指導者たち。
どうやらジュークは、かなり悩み込まないと思い出せないような微妙な立ち位置の指導者らしい。
「私がなぜここへ来たのか疑問だろうが、それは愚問だ。私は、心地の良い祭囃子に引き寄せられただけなのさ」
どうやら先の『知っているだろう?』は渾身の自虐ネタだったらしく、ジュークも身の程は弁えているよう。
台詞の意味を「祭囃子ぃ?」とこちら側の指導者が問えば、
「ふふ。廊下を通っていたら、労働者をいたぶる音が微かに聞こえた――私も参加させてはもらえないだろうか?」
ジュークは笑っているが、ホープとしては笑えもしない、気の抜けた提案。
ホープが極限状態でなかったら、頭を抱えて深いため息をついていたことだろう。もちろん、呆れて。
「はぁ!? 普段サボってる分際でなんちゅう参加の仕方だよ!? 入れるわけねぇだろ!」
「俺たち以外知ってちゃダメなんだよ! 速やかにどっか行っちまえ! そして黙ってろ!」
呆れ、怒っているのは三人の指導者たちもホープと同じ。ジュークに怒鳴り散らすのだが、
「確かにエドワードさんから許可は貰っていない。だが……私以外の指導者も労働者も、誰一人気づいていない……逆にこのまま私を入れないのなら、他の者に言いふらすが?」
ジュークは決して言い負けない。
壁の向こうから微妙に放たれる剣幕に押され、壁に近づいていた指導者たちは、
「チッ、わかったよ! 入れてやらぁ!」
「今の位置からニ歩右に進んで、強く押してみろ!」
この『隠し部屋』に入るための方法を、抑えた大声でジュークに指示してやる。
バタン、という音とともに壁の一部が回転。一人の男が入室を完了した。
「どうも――お楽しみのところ、邪魔する」
渋いおっさんの声で挨拶したジュークは、地味なキャップを深く被った長身の男だった。
歳は中年、といったところか。
「これがバレたら俺たちエドワードさんに殺されちまう」
「当たり前だろ……」
「ジュークだっけ? 絶対にこのことは誰にも言ったりすんじゃねぇぞ!?」
「ふふ、もちろん。悪いようにはしないさ」
冷や汗を流す三人の指導者たちに、軽く笑いながら掌を掲げるジューク。
「……?」
――唾液を飲み込むホープは、ジュークの態度に違和感を覚えてならなかった。
指導者、つまりエドワードの部下はジョンも含めて全員が、ボスのエドワードにビクついているのが定石。
ところがジュークはどうだろう。
目上であろう幹部指導者たちにも、彼らのバックに常にいるだろうエドワードの存在にも、全く怖がる素振りを見せていない。
ただの指導者にしては、あまりにも堂々としすぎているのだ。
「しっかし聞こえちまってたか……マジでお前以外誰も知らねぇだろうな、ジューク?」
「この部屋はなかなかの防音性能をしているよ。たまたま前を通った私だが、羽虫の鳴き声ほどしか聞こえなかった」
両手を後ろで組むジュークは頷いて、そんな風にこの部屋を評価した。
それから彼は倒れているホープを見下ろし、
「彼を……殺すのかな?」
「おう、そうだが――」
「エドワードさんの命令は『痛めつけて殺せ』だ。だから俺がこいつを犯して、殴ってから殺すんだ」
答えようとした指導者の言葉を、ホモ指導者が食い気味に喋って遮る。
ジュークは驚きもせず無表情のまま、
「どうして殺すのかな? こんなにも若く、ボロボロになっても必死で生き抜いている、この少年を」
「決まってらぁ! エドワードさんの命令だからさ」
「あんま大声じゃ言えねぇけど……この作業場の目標が達成される日が近ぇ。だからラストスパートの見せしめだ」
ホープは無言で眉根を寄せた。
――さっきからジュークは無表情であるが、彼の態度はどこかおかしい気がするのだ。
「おい……! お前らあんまり声を出すな。俺がこいつにしゃぶらせてから、存分に喋ればいいだろうが」
ホモの指導者がまた、下ろしかけのズボンのチャックに手をかける。
ホープは目を伏せた。ジュークとかいう冴えない指導者が入ってきたところで、やはり何かが変わったりするなんて――
「ならば私が、君らの口を永久に閉じようか」
ホープの聞き間違いでなければ、今の声はジュークの声そのものだ。
ホープが顔を上げる。ホモ指導者が焦って振り返る。
――瞬間。
ジュークが後ろで組んでいた両手。その右手のみが、サイレンサー付きの拳銃をぶら下げて明るみに出てくる。
ジュークの横に立っていた指導者の頭が、静かにぶち抜かれた。
「てめぇ……っ!」
もう一人の指導者がナイフを取り出し、ジュークに向かって振りかぶるが、
「ぐは!」
体を捻るジュークの繰り出した鋭い蹴りが、指導者の鳩尾を重く貫く。
軽く吹っ飛び、床に転げた指導者。
ジュークも床を蹴り、素早く指導者のもとへ走り寄る。
「あっ!? な、何をし――」
そのまま気が動転している指導者の頭をジュークは両手で掴み、一瞬の内に首を捻り上げてしまった。
頸部の神経を切断された指導者は動かなくなる。即死のようだが、ショック死だろうか。
「は……? いや……え……?」
あり得ないスピードで行われた殺人に、さすがのホモ指導者も言葉を失う。
たった今、二つの命が絶たれた。
そうしたのは、紛れもなく目の前の男――『幽霊指導者』のジュークである。
「……容易い」
「へ、へぁ!?」
「お前たちを殺すことなど、あくびをするより簡単だと言っているんだ」
「な、なっ、ナメやがってぇ!!」
ホモ指導者はナイフを取り出して大きく頭上に振りかぶりつつ、ジュークに向けて突撃。
一方のジュークは、また後ろ手を組んで仁王立ちの体勢。が、
「ふんっ!」
「べはぁ……っ!?」
ジュークは握りしめた片方の拳を、突っ込んできた指導者の腹に正確に打ち込む。
パンチが速すぎる。打てるよう体勢を崩したことに、指導者もホープも気づかなかったのだ。
「『犯す』とは……『殺す』だけでも外道だというのに、お前はとんでもないことを言っていたな」
「くっ……お、まえに……関係ねぇ……」
打ち込まれた拳の威力にその場で膝をついた指導者。血を吐きながら返答するが、
「確かに私とお前に接点は無い。だが、将来有望な若者の心に傷を付けるような行いを、私が許すものか」
顔色を変えないジューク。
しかし彼の心内には、水たまりに雨粒が一つ落ちたかのように、静かな怒りのさざ波が立っている。
――『水たまり』を怒らせた『雨粒』は訝しげな顔をして、
「……あぁ? な、んだ……お前、正義の味方じゃ……」
「私は正義の味方さ」
「……はぁ!? ぎゃあっはは……はは……っ! バカじゃ……ないか!? 正義の味方なんて、この世にいるわきゃ……」
「そうだな。スケルトンなど湧く前から領域アルファは、種族差別に貧富の格差……汚れた世界だった。ならばこう言えば納得してもらえるかな?」
ジュークは帽子を取り、スキンヘッドの頭を見せる。キャップの影が無くなると、多少の皺が目立つが整った顔。色白の肌。透き通った碧眼。
ホープから見た第一印象は、『カッコいいおっさん』というものだった。
帽子を取ったジュークは次に自らの懐に左手を入れ、そして銀色に輝くバッジを抜き取る。
膝立ちになる指導者にそれを突きつけ、
「私は『領域アルファ防衛軍』に務めていた。内部事情などは置いておいて、建前としては正義の味方だろう?」
「おい……おい……軍人かよ……何でそんな奴がここに……」
「決まっている――お前たちに一泡吹かせて、囚われた同胞を救い出すためだ。お前にもその礎となってもらおう」
「ち、ちくしょ――」
左手の銀色のバッジを懐に戻しながら、ジュークは右手で拳銃を構え、そして引き金を引く。
額を撃たれた指導者は宙空に真っ赤な花を咲かせ、後方に倒れて息絶えた。
ジュークは拳銃を軽く回してから腰のベルトに差し、ホープの方に顔を向ける。
「少年よ。君の名は『ホープ』で正しいかな? それと、まだ犯されてはいなかったか?」
「……あっそうだよ。お、おれがホープ・トーレスで……殴られた以外は、何もされてないよ……」
――実はホープは『1vs3で1が勝っちゃう』というまさかの展開に度肝を抜かれ、腰も抜けてしまい、あまりの驚きに魂まで抜けかけていた。
だから突然振られた質問にテンパって、それ以上に何も返せない。
「トーレス? どこかで聞き覚えがあるような……歳だな、思い出せる気がしない」
自虐的に笑うジュークの正体を、早く、急いで、とにかく迅速に聞かねば――
「ふふ、そう焦らずとも君の心理状態は察しがついているよ。私が何なのか気になるはずだ」
「……そ、そうだね」
「当然『ジューク』とは仮の名だ。こう言えば簡単だろう――私はドラクやジル、そして囚われたナイトの同胞であると」
「……! じゃあ、あなたは……!」
ホープがぼんやりと考えていた予想は、どうやら当たったようだ。
ドラクがあの短い会話の中で話してくれた存在。
「私の本名はブロッグ・レパント。『領域アルファ防衛軍』の特殊部隊『P.I.G.E.O.N.S.』に所属していた。以後よろしく」
手を差し伸べてくるジューク――ではなくブロッグは、ドラクが話していた『数日前に作業場に潜入した特殊部隊員』そのもの。
ホープはとりあえず、彼の手を取って立ち上がったのだった。




